産みの苦しみ、恥の放出
書けねえ
もう笑ってしまうくらい書けねえ
文学フリマに出す原稿が書けない。
あと二週間ぐらいで掌編3本を出さなければならない。
だが、その書くべき3本ではなく、おまけの1本ばかり構想が組み上がり、全く進んでいない。進捗0%である。
こんなにもオリジナル小説を書くのは難しかっただろうか。
いや、確かにサボりました。サボりましたよ。
ここ数年間コンスタントに小説を書くということをやっていませんからね。
それでも一年に一本ぐらいは長いの書いたし、詩歌に手を伸ばしたり、完全にものを書かないということは避けてきたはずだ。
なのに長期スランプ明けのような、小説ってなにから書けばいいんでしたっけと、ひよこも驚きのヨチヨチ右往左往状態である
原因はわかってる。
書きたいこと、書かなければならないと自分を掻き立てるものがなくなってしまったのだ。
技術が拙くとも、言いたいことがあれば、主張があれば作品は出来上がる。
数年前はその「主張」が次から次へと思い浮かび、いまこの瞬間を逃すものかと取り憑かれたように物語を書いていた。
それがなくなってしまった。
産みの苦しみに苛まれるのは、本来の目的である伝えたいことがないのに手段である小説を使おうとしているからだろう。
でも、文学フリマに申し込んでしまったが以上、もう書くしかないんだなあ
イギギギギギギギギギと唸りながら筆を取る。
どうにか最初の一文字目を打ち込む
苦しい、苦しいけど書くしかない
産みの苦しみを超え、拙い、あまりにも価値のない作品を衆目に晒す。
どれだけマゾなんだと我ながら呆れるが、それが創作である。
持たざる一般人の足掻き方である。
拙くとも積み上げた何かが、また次の少しだけまともな何かを作るのだとそう信じてひたすら白紙に向かうしか方法がないのである。