生活
自分の部屋を思わぬ角度から眺めると、ちゃんと生活してるんだ、と思う。
嬉しかった。
例えば、学習机の上に腰をかけてみる。
学習机は紙やらペンやらが占拠しているが、今日はちょっと、僕のお尻がお邪魔してみる。
すると、床の上に立つでも、床に座るでも、椅子に座るでもない、絶妙な高さの目線で、そして新しい角度で部屋を眺めることができた。
例えば、ベッドから身体を起こして座り、そのまま90度横に身体を向けてみる。
冒頭の写真はそこから見た景色。
部屋がなんだか広く感じたし、なぜか、昔を思い出した。
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自分自身を違った角度から直接捉えることは出来ないけれど、部屋には僕の残像や抜け殻があるような気がして。
改めて自分と、その自分を包む周縁とを引きで捉える擬似体験が出来る。
他者と他者の周縁とを目で捉えることは、できる。
そうせざるを得ない。
だから、他者の生活は自然と見出されている。
あの人は、生活をしている、と思える。
たまに不安になる。
自分は生活ができているのだろうか、と。
生活とは、角度を変えて見ることで見出される何かなのかもしれない。
たまにはいつもと違う場所に腰をかけて、自分の生活に挨拶してみてもいいかもしれない。
ずっと一緒だと疲れるけど、たまに会いたいなって思う人と会うくらいの頻度で。
ちょっと行儀が悪くたって怒られないよ。
自分の部屋なんだから。
〈今日の一曲〉TONIGHT/SEKAI NO OWARI
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