清算
知らない方がいいこともあるけど、知ったことの絶望もまた楽しい。
両面美味しいから、世界線、なんていう概念が存在するのかもしれない。
ついさっきまでの自分が眩すぎて直視できない。
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示すことをやめて、感じることに命を注ぎたい。
確かめ合うのではなくて、一度握手をしたらそこで終わりたい。
僕にはなぜか昔から人との関係を清算するクセがある。
一緒にいる時は深い何かで繋がっている感覚が確かにあって、ずっとこの関係が続くといいなと思うくらい大好きなのに。
人と仲良くすることは割と得意だ。
それが故に、僕としては深いと思っている関係性が周りからしたら希薄で、「相対的に深い」を体現するのがすごく苦手なのかもしれない。
僕にはスキゾイド的な傾向がある。
強く求められすぎると距離を取りたくなってしまったり、放って置かれても全然大丈夫(むしろ気楽)だったり。
大人数の前だと平気なことが、パーソナルな関係になると難しくなったり、他人に興味を持つことが難しくなったりすることもしばしば。
近距離で覗き込むことや、遠距離からぼんやり眺めることは好きでも、程よい距離感で漂うことは苦手。
僕は、それまで僕が必要とされていた世界から、僕が必要とされなくなった時に幸福を感じる。
それが僕の目指す世界である。
僕がいなくても世界が回るなんて、分かった時にはこの上ない自由だ。
良い思い出で、ふと思い出すくらいの存在でいることが、「都合がいい」。
勝手に美化もされるかもしれないが。
僕の表面は変わる。
感情に任せてどんどん変わる。
芯は変わってないんだよ、なんて説明させてもらうのも烏滸がましいくらい変わる。
留まってなんていられない。
その変化に周りを戸惑わせたくない。
大丈夫だから、放っておいてほしい。
会いたくないんじゃない。
大好きな人たちだから、大事だからしまっておきたい。
だから、出会って、対話ができている時。
僕は言葉を大切に編みたい。
僕がいなくなった後も、言葉のマフラーで包み込んでいることができたら。
夏は、暑いか。
でも、会えなくたって、会ってる以上のようなものなんじゃないかと。
僕の清算グセを、どうか悲しまないで。
〈今日の一曲〉帰ろう/藤井風
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