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第10話 果たせなかった娘との約束〜そしてパパからのメリークリスマス〜
僕には果たせなかった娘との約束があった。
離婚して、別々に暮らす日が決まった。別離までのカウントダウンだ。前にも書いた通り今生の別れだとは思っていないから、そこまで深刻に捉えていない。とはいえこれまで娘の11年間の人生、娘と一緒にいなかった日は一日とてなかった。それが別々になるのだ。それなりのことだ。
僕と娘は、それぞれお別れの日までにやっておきたいことを列挙した。
くら寿司で腹いっぱい食べるとか、ミニトマトを一日に何個食べられるかチャレンジとか、他愛もないものだ。僕は娘とインド映画『きっとうまくいく』を観たいとリクエストしたりした。
その中で、娘が挙げてくれた、一番ステキなリクエストを僕は反故にした。娘はきちんと約束を守ってくれたのに、僕は守らなかったのだ。
それはお互いの絵を描く、というものだった。僕と娘の部屋は隣り合っていた。つまり、お互いが部屋の窓から顔出せばお互いのことが顔が見える。まずはお互いが部屋の窓から体を乗り出した写真を撮って、それを絵に書いてお互いにプレゼントし合おうと言われたのだ。
なんてステキな提案なんだ!
僕と娘はFlying Tigerにいきキャンバスと絵の具を買った。
元々僕はどちらかといえば絵は上手い方だった。絵の上手な娘と時々絵を描き合っていたりした。ただ昔から絵の具使いは下手くそだった。せっかくデッサンでいいものが描けても色を付けて台無しにすることがしばしばだった。だから正直自信がなかった。だってそんな大事な絵なんだから上手に描きたいじゃない!
だから僕はなかなかキャンバスの封を切らないでいた。そうこうしているうちに引越し前になりかなり忙しくなった。週末になると「今週末こそ」と思いながらも、週末は週末の用に追われ、気づいたら引っ越しになっていた。
娘はすでに描いている。自分で納得いってなさそうな様子も見せていたが、それでもキャンバスを買い直しにいく時間もない中、きっちり仕上げてきた。
それなのに僕は結局キャンバスの封を切らぬまま娘に別れを告げることになった。非道い父親だ。
引っ越してからもずっと気になっていた。手の届くところにキャンバスは置いていたが、娘に「これがパパが見た君だよ」と言えるような絵がとうてい描けるとは思えずずっと逃げていた。
気づけば、娘と別れて1ヶ月半が経った。まもなくクリスマス。
クリスマス前に娘は東京にやってくる。元妻が東京でまとめて用を足すので、その間うちに泊まりくることになっている。
もちろん楽しみにして色々と計画を立てる。それでもデスクの横に立てかけられているキャンバスには手が届かない。
気づけば、娘が来る前々日になっていた。仕事が終わり時刻は22時半。
明日は仕事の後に忘年会がある。明後日は朝イチで娘を空港まで迎えに行く。
描くなら今しかない。本当は練習してから描きたかった。デッサンの練習をして、絵の具で塗る練習をして描きたかった。でもその時間はない。
簡単にデッサンをして、色を塗る練習はできるかも知れないけど、色塗りの段階で大惨事になる可能性は高い。
でも今回を逃したら僕は娘に絵をあげる機会がなくなる。資格がなくなる。引越し前は確かに忙しかった。でも引っ越してきて一ヶ月以上経って、キャバクラ行ってウハウハして「忙しかった」なんて言い訳は効かない。
僕はついに封を切った。
「下手くそでもいい。とにかく100%の愛情をぶつける!」
それだけ決めて鉛筆さえないので、シャーペンで下絵を描き始める。
「これがパパの愛情だ」という思いだけをぶつけながら。
どうだろう。
多分、自分の予想よりもいいできに仕上がった思う。
でも大事なことは上手く描けたかということではない。100%の愛情をぶつけられたかだ。
うん、大丈夫。愛情はしっかり乗っている。
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「2024年クリスマス 君のパパ、りこたろう」と裏に書き、娘が来るのを楽しみに待つ。
(つづく)