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自由の果て
尾崎豊が亡くなった1992年。
私は東京で化粧品会社のアパレル部門で働いていた。
フューシャピンクの口紅とピンヒールで高円寺から出勤する姿は貫禄ありすぎて付いたあだ名は「ママ(not母)さん」だった(爆)
尾崎が亡くなった報道が流れた日、近所に住んでた弟と友人の左翼過激派のオータリョウと三人で尾崎が歌えるカラオケを探したが当時の高円寺に気の利いたカラオケボックスは無かったので高架下のスナックで尾崎豊の曲を歌いまくった。二人とも今はもういない。
それからは端折るけど、児童館で働いたり、別のアパレル会社で働いたり、ちょこっとマンガ家やったり、給食のおばちゃんだったり、保育士だったり、間にうっすーく恋愛があったり、90年代から10年代の東京で、私は文字通り好きなことをして自由に生きた。
座右の銘は「後悔しないで生きる」だったから辛い時も無くはなかったが後悔したことは一度も無かった。
履歴書が巻物になるくらい職を転々としてきた私だが50代の頃には保育士として定職にもつき、身の丈に合ったマンションも買った。
そんな私に転機が訪れたのが2018年。なんと私は死にかけたのだ。
(続く
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