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人が生き方を変えるとき2

東日本大震災をリアルタイムで経験した人が口を揃えて言うのは当時、一番早く相手に情報が伝わったのはTwitterだった。
阿佐ヶ谷に住んでいる弟にTwitterのDMで連絡が取れて、余震が続く中、一人になるのが怖くて、近所の人たちとママのカフェでガラケーでテレビを見ていたら津波が移った。ヘリで上空から映される津波はなんだか現実感が無かった。
その日は金曜日だったが、夜にバイト先から電話が来て明日出勤してくれないかと言われる。
「こんな時に子どもを預けて誰が出勤するんですか!?」
とキレ気味に応えたら
「役所の親御さん」
と言われて確かにと思った。

余震が続いて高円寺から神楽坂に出勤するのに電車が当てにならないので自転車で給食室に向かった。

余震が起きるたびに、給食室の職員も子どもを抱えて避難するので全く仕事が進まず、そしてすぐ原発の件で水道水が使えなくなり、都から水が支給されるまで給食づくりもストップとなった。

その後私はストレスからか一か月に二回もインフルエンザに罹り、給食の職員はインフルエンザ予後の休みが長いため、仕事にならず、アルバイトを止めることになった。

今でこそタイミーだメルカリハロだとあるが、当時はスポットバイトなど無かったので、完全に詰んでいまった。

かかりつけの主治医が
「まあ、こんなに免疫落ちてるのも仮面うつ病みたいなもんだねぇ…僕の行きつけの定食屋で働く?」
と、いきなり就職を斡旋してくれて今度は定食屋のお運びになった。

続く

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