♯3 一度離れてみてから戻ってきた
保育士としての仕事をしていて、思うことや考えることが色々あった。
それを言葉にしてまとめていきたくて、
でも、
なんだか自分の気持ちって、本当にこういうことなのか、って分からなくなってきて、
だから一度離れてみた。
何かのために、とか
誰かのために、とか
目的を明確に生きることは大切だけれども、
そうすることで制限がかかって、窮屈になっていった。
自分という存在が広がらない。
だから、とにかく自由にやってみる。
仕事のことも、
お金のことも、
家のことも、
全部全部。
「真面目にがんばろう」とか
「節約しよう」とか
「頑張ろう」とか、そういう”一生懸命さ”や”全力感”を手放してみる。
そうして生きていくことで、
自分という存在が、どうしようもなく適当な人間だ、
ということに気付いて、ようやっとほどけていく。
肩の力が抜けて、楽になる。
気の向くままに、ゆっくりと生きていきたい。
全部全部答えが見えてきた。
これまで通ってきた点と点を、線で結ぶ時が来たのかもしれない。
答え合わせの時期。
家事だって、良い妻だと思われるためにやる訳じゃない。
快適で、居心地の良い環境に身を置くためにやること。
働く理由だって、お金をもらうためだけじゃない。
誰かに求められたり、認められる経験をしたくて、私はそこにいる。
私は子どもを通じて、
自分の本質を見つけ、救い出したかったかっただけ。
子どもの無邪気さや、天真爛漫な笑顔で、傷を癒やして欲しかっただけなのかもしれない。
これまで出会ってくれた全ての子ども達に、
「ありがとう」と伝えたい。
毎日そこにいて、会ってくれることで私を救ってくれる小さな存在。
1年間側にいて、成長を見せてくれること。
小さな発見や、驚き。
大人になったら目にもくれないような、
些細な感動を見つける才能が備わっていて、それを私にも共有してくれる。
「ねぇ先生!雲が動いたよ」
「見てみて!絵の具の色を混ぜたら綺麗になったの!」
奇跡の瞬間を私に見せ続けてくれること。
私はやっぱり救われていく。
同時に、互いに救われる関係であれたら嬉しいと思う。
私を通過点として通り過ぎていくだろう子ども達。
彼らにとって、私という存在から受けた言葉や表情、触れ合った時間が、
安心に繋がったり、何かの力になれたら嬉しいな、
とただただ思う。
戻ってくると分かること。
自分の本質は、放っておいても、きっと、決められたそこに寄っていく。
いずれ辿り着くように出来ている。そんな気がする。