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ハワイで子育て、最初の一歩「まいちゅん」

はじめまして。
大学生時代から大好きだったハワイに移住してはや18年め。今はハワイで、日本人向けのフリーマガジン&ウエブメディアの編集長をしています。この仕事も10年以上になりました。早いものです。

独身時代、日本でも出版関係の仕事をしていましたが、一旦それをすべてやめ、結婚を気に念願だったハワイへの移住を果たしたのが2000年。生後間もない娘を連れてハワイへ来たばかりのときは、今とは全然違うハワイが見えていたなあ…と、時々なつかしくなります。

旅行で遊びに来ていたときの「ハワイ」を引きずりながら、現実と向き合う日々。子どもが少し大きくなって、公園などで遊ばせるだけでも、ちょっとビクビクしたりして。「英語がわからない娘(と母である私)にもお友だちはできるのかしら」「子どもになにかあって、周りの人から英語でお怒られちゃったらどうしよう」みたいな(苦笑)。

今思えば、誰もわたしたち親子のことに注目しているようなわけもないんですけどね。娘は娘でいろんな好奇心とともに自分の世界をつくり始めたところで、母親のドキドキなど関係なく遊びに出かけたがるし、そうこうしているうちに子どもも自分も新しいステージへと進んでいきました。

娘が2歳になった頃、ご近所のプリスクール(日本で行く保育所のような感じかな)に預けてみることにしました。家の中が完全に日本語の我が家で、やっぱり娘の英語がちょっと心配だったのが一番。同じくらいの年のお友だちと遊ぶ機会が増えたらいいなっていうのが二番。それと、私自身が同じくらいの子どもを持つお母さんとつながりを持てたらいいな…という思いもあって。

ハワイのプリスクール事情については、またいずれ書きたいと思っていますが、まずtuition(月謝?)が高い。うちの娘が2歳だった時点で、1カ月600ドルくらいだったでしょうか…いや、もっとだったかな(辛すぎて具体的な金額が記憶から抹殺されているらしい)。でも、それを払ってでも「ハワイのプリスクールに子どもを通わせる」ことの意義を当時の私は感じたのです。

ハワイならではのイベントごと、子供同士のふれあい、先生(親しみも込めてauntyと呼んでました)とのやりとり、ここで学んだことは私にも子どもにも大きかった。大げさに言えば、当時まだ仕事もしていなかった私と、ハワイで子育てするという“外界”とのつながりは、ここから始まったんだと思うのです。

今でも覚えているのが、娘がたぶん最初に覚えてきた英語「まいちゅん、まいちゅん」。まいちゅん?何言ってるんだ?と思ったのですが、これは「My Turn」のことでした。「次は私の番だよ」っていうことなんでしょうが、ハワイで生きていくには2才児もこうやって自己主張できないといけないのか…と、何か心に刺さったのを覚えています。がんばれ、わが子よ。そう、小さな声でエールを送ったっけなあ。

とはいえ。ハワイで育った子どもたちは、親の心配をよそにあっという間に英語のほうが強くなり、環境にも順応していきました。次は逆に日本語をキープすることのほうが大変という事態がやってきて、それはそれで悪戦苦闘の歴史が始めるのですが…。親も子どもも、日々これ精進あるのみ。なんですね(笑)。

あの頃にお世話になった、いわゆるママ友とは、今でもやっぱりつながっています。もちろんその人数はずいぶん限られてしまったけど、同じ頃に、同じような悩みを持って、あれこれ相談しあった友人と、その子どもたちは特別な存在。いまや17歳、18歳になった娘の同級生ですが、みんなかわいくて親戚のおばちゃんの気分が抜けません(笑)。

いや、かわいいっていっても、みんなすっかりオトナで、とくに男の子なんてすれ違ってもわからないことが多いくらいなんですが、向こうからちょっと照れつつも手を降ってくれたりするとうれしいものです。

そして今。2018年2月。今朝も寝坊しかけた子どもたちを叩き起こして一日が始まりました。この感じだけは、当分は変わらないのかなー。


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