更年期ゆえだろうか
こんにちは。肌寒くなってきたからか、猫たちで暖を取れるのでニヤニヤが止まらないricoです。電気毛布より猫の愛情の方が暖かい♥️
現在44歳。2年程前は極端に生理が早く、かつ量がえげつなくて重度の貧血になった。輸血が必要な水準で常時鉄剤服用。周期は19日~23日と、とにかくずっと体調が悪かった。
婦人科に行くも「年齢的にまだ更年期ではない」と検査もしてもらえず放置され、その後鬱になってからは以前の周期に戻った。
さらにそこから半年経過し、今度は周期が大幅に空くようになった。今は2ヶ月に1度のペースになっている。器用にある意味周期的に2ヶ月に1度になった生理。
無排卵だろうが更年期だろうが構わないし、何ならもう子どもを産むわけではないので気にならない。だがこの体調不良だけは何とかしてもらいたいと切に願う。
今は、とにかく無気力。本当に無気力。
+αのことが考えられず、生命維持に最低限のことはしてるけども…くらいの感じ。私はメンタルのブレが1番辛いと感じる。肉体的なものは何だかんだ筋トレのおかげもあるのでそこまで感じることはない。
とにかく無気力なので、本を読むとかどこかに行くとか「行動する」気力がわかず。そこが本当にしんどい。気力がないので頑張ってなにかをやっても空回りになってしまう。
そもそもが集中力もなくなっている。寝込んでこそいないけれど、脳の回転が一部止まっているのではないか?と思うほど。とにかくインプットが上手くできない。
何とかせねばと空回りしながら検定を受けてみたけど、あと数点足りずで落ちた。
ただ、この「落ちた」が私には好機だったようだ。色んな憑き物が一緒に落ちたと言えばいいのか。私はこの検定にもし受かっていたら、きっと上位検定を受けるためにさらに自分を追い込んでいたと思う。
そして色んな思いがある場所へ、鬱になってから1度も行ってなかった場所に行けた。試験会場はわざわざその場所を選んだ。ある意味私なりの確認行動だったのだろう。
何の感情もなく、パニックになることもなく。「誰かに会ったらどうしよう」と考えなかったわけでもない。近くには鬱の時にお世話になった病院もあるので、私にはネガティブな印象しかなかったから。
でも、ネガティブになることすらなかった。それがわかっただけでも大進歩だろう。試験の終わるタイミングで娘が来てくれて2人でお茶や買い物をし、娘に言われた。
良かったね、ちゃんとここまで自分で来れて。めっちゃ進歩したね。もう乗り越えたんやなって思ったし、顔がスッキリしてるよ。
やだ、ナースの卵超優しい♥️
多分、本当に私はそこでスッキリした。それと同時に「頑張るの、やーめた」と思った。そして「自分が楽しめることをやろう」とも。
検定に向けて勉強をするのは嫌いじゃない。けれど、じゃあ「好きな内容か?」と問われると違うと言い切れる。好きなことは勉強をしていても苦痛ではないし、何なら積極的にやる。今回はそれがなかった。「あー…やらなきゃだけどダルいな」みたいな気持ちだった。
そうか、好きなことをやればいいんだよな。
とりあえず手始めにあれをやろう、これもいいなと頭のなかで色んなことを探しているのだからそれが「ワクワク」へと繋がるのだろう。そんな気持ちだろうか。
更年期だからこそ、もっと自分を甘やかしていいのかもしれない。少なくとも今まで散々頑張ってきたのだから、もっと自分に対してゆるく生きてもいいんじゃないかなと。鬱の時にも同じことを思ったけれど、私は知らず知らずのうちに同じ轍を踏もうとしていたのかもしれない。
今後「勉強」とか「自分のステータスを上げる」みたいなことからは手を引いて、「自分が楽しめること」にメモリを割り振ろうと思う。
自分が楽しめること。
綺麗になること、ハンドメイド、読書、猫、他にもあるかもしれないけれど、人生の前半戦が終わりつつある時期だからこそゆるっと生きていけるのかもしれない。
子育てがほぼ完了し、今はお金だけあれば何とかなる状態ではある。母の手をさほど必要としない時期になっているからこそ、自分の人生を歩んでもいいだろう。もちろんきちんと子どもたちに向き合っているし、たくさん話もする。ただ絶賛子育て中ではない。だからこそ自分に向き合える余裕があるのだろう。
更年期が自分の転換期なのかもしれない。今まできっと頑張りすぎていただろうし、それを否定するつもりもないけれど。少なくともこれからは同じ水準でそれをこなすことは無理だと判断した。ならば同じことをしなければ良いだけ。
端から見たら自由気ままに生きているように見えるかもしれない。「何でも持っている人」に見られがちだが、それはたくさんの努力のおかげでしかない。そこまでストイックにやれていた過去の自分に感謝しつつ、自分の人生ver2と言ったところだろうか。
無謀なことはできないけれど、まだまだたくさんやりたいことはある。娘が働きだしたら一緒に女二人旅しようねとか、あのカフェ行きたいねとかの女子トークも楽しい。息子とひたすらアニメや何やを語っているのも楽しい。猫たちを愛でながら、自分の体がバキバキになってもイチャイチャしている時間も楽しい。
なんだ、私には楽しいがたくさんあるじゃん。何て幸せな中年期なんだろうと思う。
本当に負け惜しみでも何でもなく検定と共に色んな憑き物が落ちたと思える。悔しいとか後悔とかは実は一切なくて「やっと終わった」としか思わなかった。そこが落ちたら最後の検定のつもりで受けていたから、自分の価値観に終止符を打てたのかもしれない。
ずっとあった。勉強をしていないと自分は価値がないんじゃないかという思い。それがようやくクリアになったのかもしれない。