ラッキーにアンテナを
こんにちわ。昨日猫にマッサージをしていたら、とろけるような表情をしたあとに狩られたricoです。あの豹変ぶりがたまらない(変態)。
日々見落としてしまいがちな小さなラッキーにアンテナを張り巡らせることが好き。それこそ茶柱とか(お茶飲まないけど)、ゾロ目とか。
その中で昨日見た夢なのだけど、物凄く大きな二重虹というものを見た。実際に二重虹を見たこともあるけれど、夢の中の虹は規模が違って超どでかくて。
思わずスマホで撮影しようとしたら画面におさまらず、ふとその画面を見たら虹から大黒さまと竜神さまが出てくるという何だかご利益がありそうな夢だった。
起きたあとは気分もスッキリしていて、「あ、今日から運気が変わるな」と何となく思えた。だからきっと吉夢だったのだろう。
昔からそういう「ラッキーなこと」が続いたあとはやはり現実に嬉しいことが起こる。
娘の高校入試の時、雨上がりでもないのに大きなハッキリした虹が受験した学校近辺に出ていて「あ、この学校に受かったな」と思った。実際娘はその学校を卒業した。ダメ元受験だっただけに驚きもあった。
大学受験のときも、受験日に車で送迎したあとにやはり虹を見た。その時は雨上がりだった。娘は他の学校は受ける気がなかったらしく、現在その大学に通っている。見事な一本釣り。
息子が検定を受けたときもテントウムシが家のなかに居て、なおかつリビングのシャッターにはヤモリがはりついていた。そのときは三回目の挑戦だったのだけど、ようやく無事に合格した。
私自身もそういうことは多々あって、ここ最近ようやく停滞していた流れが変わりつつあることは実感している。そもそも私は直感力がかなり優れている部類なので、「もう大丈夫だな」と感じていることは恐らく現実になる。
疲れやストレスが溜まっている時は、どうしてもそういう小さなことへの感受性が鈍る。少なくとも私は鬱になる前の2年間はそういうことへのアンテナは腐っていたように感じる。
言葉にするのが難しいけれど、「そんなことで喜んでるの?」みたいな空気が凄く強かったから、無意識に「あぁ、そういうのはダメなのか」と思っていたのかもしれない。
けれど、小さなラッキーがいっぱいあるって幸せだよね?むしろそれに気づける私ってめっちゃ幸せ者じゃん?だって毎日ウキウキするやん?と思えるようになった。むしろそっちが本来の自分なので、ようやく自分を取り戻せたと言うのが近いのかもしれない。
小さいラッキーが多いと感じるその感受性そのものが、幸せ者の証拠と言えば良いのか。少なくとも毎日小さいことでもネガティブに捉えるよりは遥かに心に平穏が訪れるのだから、やはり私は幸せ者なのだろうと思う。
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