ラグ馬鹿Rickyの人生のネタ本
Vol.2 託されたバトン
人生とは本当に不思議だ。
何ということはないごく普通の出来事が、ある時を境に急にがらりと意味を変えたりする。それまでただの点にすぎなかったものが一氣に線となり、面となり、立体となったりする。
偶然だと思っていたことが必然だったり、何かみえない力に導かれるような感覚を覚えることもある。きっと誰にでも少なくとも一つや二つはあるだろう。
”ラグ馬鹿(=ラグビー馬鹿)”と呼ばれる私もそんな不思議な縁が重なってうま
れた。そのキーとなる出来事や何回かあったのだが、今回はその中でもコアとなっていることに触れたい。ちょっとショッキングな内容も一部含まれているから、そういうのに強くない人は無理せず飛ばすか読まないでいい。
元々スポーツは好きで、よく単身赴任でたまに帰ってくる父親と一緒にTVで観たりしていたのだが、私が住んでいたのは田舎町だったためラグビーボールどころかスポーツ雑誌でさえ手に入れることは困難で、唯一町にあった本屋もよくて野球の本があればラッキー。TVでは年末年始に大学や社会人の試合がちょっとと、あとはドラマで『スクールウォーズ』が流れるくらい。当時同級生の友達と熱く観ていたのを思い出す。県内にラグビーがある学校が存在していたこともしらなかったし、ましてやそこから日本代表選手が出ているということも数年前まで知らなかったくらいだ。ローカル番組を除いてTVが映し出している世界はどこか遠くの現実とは思えないような架空の世界のようにも感じていた。
そんな私が高校を卒業と同時に宣言通り田舎から上京し一人暮らしを始めるわけだが、某大学のサークルに所属していたためしょっちゅうチケットがまわってきていたのに、私は試験や実習の日程などといつも重なってしまい、結局学生時代は一度もグラウンドに足を運ぶことができなかった。
そんな時を経て社会人になり、しばらくしてからひょんなきっかけからワーキングホリデーでニュージーランド(以下NZ)に住むことになる。実はそこに行きつくまでも色々あるのだが、今回はすっとばしてまた別の機会に
このNZ行きがその後のラグ馬鹿人生に大きな影響を与えることになる。
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NZときくといかにもラグ馬鹿の選択らしいと思うかもしれないが、実はこの時点で私はNZがラグビー王国だということも、その国にAll Blacksがあるということも分かっておらず、それどころかNZとグリーンランドアイスランドの区別さえついてない状態で、漠然とどこかにある緑の国!?というわけのわからないイメージしか持っていなかった。
じゃあ、なぜNZへ行ったのか。答えは他に選択肢がなかったから。
これもまた後日に話そうと思うが、実はそんなNZのことを知ってからたった2ヶ月弱で移り住んだのだ。今思えばよくそんな短期間で大胆な選択をしたもんだと我ながら思うが、ここに『ある想い』と『覚悟』があったからできたのかもしれない。
当時わたしの父は病氣で長く入院しており、私は当初東京と田舎を往復しながら父の介護をしていたのだが、私の会社でのポジション的に無理ということになり、結局その仕事を辞めてバイトをしながら行き来を続けていたのだが、そんな時にいきなり海外へ行くなんて言い出したもんだから当然まわりは大反対。それを押し切ってのNZ行きだった。
そんな中でもただ一人、父だけが行くことにOKを出してくれた。父とは似た者同士だったからきっと私の氣持ちもわかったのかもしれない。
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そうして訪れたNZでの最初の町は都会で、ホストファミリーも優しくしてくれた。なるべく話すときはネイティブの人や海外から来ている留学生と話すようにして、出来る限り英語での生活を心がけていた。それでもどうしてもまわりに日本人が多いと日本語を使わざるを得ない状況が多く発生し、もっと英語のレベルが高かったら日本人の少ないクラスになれたかもしれないが、私レベルだと日本人もゴロゴロしていて日本人同士でたむろっている人たちも多く、日本語ばかりがとびかった。
わざわざ覚悟を決めて来てるのにこれで本当に来た意味があるのか、そんな疑問が常にあって、正直都会にいたその頃は毎日がつまらなく、もう二度とこの国にくることもないだろうなと思っていたくらいだった。
そのあと学校を卒業し私はファームステイという選択をするのだが、そこで問題発生。自分でリストを取り寄せ全部目を通し、その中から選んで自分で交渉して決めたのだが、私の英語力のなさから解釈をいいように捉えてしまったようで、現地の人達もそんなひどいの聴いたことがないというくらいのババをひいてしまったらしく、身の危険を感じて友達にこっそり連絡し救出してもらうということに。これも話すと長いのでまた今度に。
そのあと行ったFarmではかなりいろんなことを学ばせてもらって今でのその経験はすごく役に立っているのだが、そんなある日Farmに1本の電話が私に入る。
「急いで帰国しろ!」
航空会社に交渉し特別にフライトを取ってもらう。幸い席も確保でき最短で帰国はできたものの、なんせ遠い。迎えにくる親戚の話しぶりから状況が推測できた。とりあえずこれがギリギリの保存だから急ごうということで家路に向かう。
既に色んな人が詰めかけていて軽く会釈して中に入っていき、対面させてもらって思わずギョッ。こんなこと公の場でいったら本当はいけないのかもしれないが、今後身近な人を見送らなければならない人は圧倒的に多いと思われるもであえていうが、現実はドラマとは違う。正直私は「コワッ」と思ってしまった(ごめんやで~)。
というのも彼が目を開けていたのだ。しかも予想もしていなかった結構鋭めの眼光で。
話によると彼は病院にかけつけてるみんなを風呂にでも行ってリラックスしてこいと行かせててるあいだに旅立ったらしい。いかにも彼らしい。そしてどうやら最後まで私に会いたかったようで、その想いからかいくらやっても目を閉じなかったらしい。(そんなことってあるんやね。)
父が病氣で入院したという話は既にしたが、実は彼が倒れたのは当時私が転職してなかなか慣れない仕事と色んな人との板挟みの中で誰にも相談できず、心身共にかなり限界のところまで追いつめられていた時期で、今思えば彼が自分の体を張って私を救ってくれたのかなとも思える。
そんなこともあり、1つ目の大きなメッセージを受け取ることとなった。
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それから数週間後、すでに私は学校を卒業していたのだが友達の卒業に合わせて一緒に卒業旅行に行こうということで、すでにオーストラリアへ行くことが決まっていたので再びNZへ戻ることになったのだが、こんな時に旅行という氣もしないよなと複雑な思いをしつつ結局は旅行に行くことにしたのだが、その旅先で親戚の結婚式で訪れていたというKiwi(=NZ人)と出会う。一緒に旅行していた友達がNZで滞在してるFarmの人ということで紹介され、今度機会があったらいつでもおいでといわれその場はわかれたが、この後NZに戻りしばらく都会で働いていたお店のオーナーがお店をたたむことを決心したため、当初このあとワークビザに切り替えてステイするはずだったのができなくなり仕事もなくなってしまうので、急遽オーストラリアであったそのKiwiに連絡を取り、彼のFarmで住み込みで働かせてもらうことになった。
時に友達、時に父親、時に大きな子供といった感じでガチのケンカもよくした。のちに彼は大親友に、そして大の恩人になるのだが。
そんなわけでFarmでの新たな生活が始まっていくが、ここから運命のラグビーとラグ馬鹿人生の原点がはじまる。
そこは北島で一番高い山のふもとに広がるのどかな田舎街でFarmというのもあり、まわりにはあまり若者がおらず大半はやや年上ぎみの人達。
それでもさすがラグビー王国。ラグビーへの想いはみな熱く、夜中の2時過ぎであろうが車を走らせて友達の家に集まり、みんなで大歓声を上げながらうたって踊って大応援。試合が終われば帰って仮眠し、また普通に仕事に出るといった日々。NZでは年齢に関係なく生活の一部としてラグビーが浸透していて、まず試合のスケジュールをチェックしてから試合のないところに仕事を入れていた。
もはや単なる娯楽というより、国民の代表であり誇りの象徴でもあるチームが戦うということは重大イベントなわけで、そんな中で生活してたから自然とチームや選手たちに対するリスペクトだったり熱い想いも身体に染みついたという感じ。だからこそ選手の担う責任や重圧も半端なく、それゆえにこっちも恐縮するわけで、今でこそ一緒に写真を撮ったりすることもできるようになったが、当時はおそれ多くて近づこうとさえも思えなかったし、同じ空間で試合を観れるだけで十分満足だった。実際に初めて選手を間近で目の当たりにした時、私は緊張で震えが止まらなかった。
地元の試合[今でいうSuper Rugbyなど]でもAll Blacksのレジェンド級の選手たちがごろごろいてプレイしてるわけだから、そりゃ興奮するのも無理はない。
こうしてまわりのラグビーが純粋に好きな友達たちのおかげでどんどんラグビーの魅力へはまっていくわけだが、そんな中、はじめてのラグビーワールドカップを体験することになる。連日私は友達と一緒にTVにかぶりつき、内容は正直あまり覚えていないが、その時の興奮と大会のテーマソングである”Wolrd in Union”を聴いた時の強烈な感動は今でも鮮明に覚えているし、今現在もその影響を大きく受けている。当時はまだ英語もそれほど理解できてないから歌詞の意味もあまりわからずに聴いていたと思う。それでも感動したというのはきっとそこから発しているエネルギーと想いを感じ取っていたのかもしれない。
その後、私は次の大会時、大会のためだけに開催地へ移住することを決意する。いよいよ本格的なラグ馬鹿の始まりだ。そして2015年大会。この時も人生を賭けた大きな決意のもと現地へ飛んだのだが、その時一緒に行くと約束していた大親友の姿は残念ながら隣にはなく、その時を待たずして旅立っていってしまった。そんな友達の写真と共に100時間を移動の果てに、ミラクルを起こすことになる。友達も応援してくれたのかな。
ここで私は2つ目の大きなメッセージを受け取ることになる。
これまでもまわりにいたたくさんの大切な友達や家族たちから命と引き換えにたくさんのメッセージを受け取っていた。でも受け取るばかりでそれをどうすることもできずに握りしめていた。でも今度は私がそのバトンとして渡していく必要があるんだということに氣づきはじめる。
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時に思い出は心を癒してくれたり、嬉しかったり楽しかったことを思い出させてくれる。しかし時に悲しいことや辛いこと、思い出したくないくらい切ないこともある。
でも思い出は過去にとどまるためにあるんじゃない。
前に踏み出すのをためらっている背中を、黙って応援してくれてる応援団がただそこにいるだけ。
私はそう思っている。
大切な誰かがしたくてもできなかったこと。
それを一つでもいいからたくさん体験してみる。
せっかく受け取ったバトンだからそれをちゃんとまた大切な誰かに渡せるように、これからもしばらく走り続けよう。
いつも心に野心を。
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