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与田祐希 卒業コンサートについて/乃木坂ファンを終える日によせて

与田祐希さんの卒業コンサートが終わり、それと同時に私が乃木坂46のファンである時間も終わりました。握手会やミーグリに何度も通ったり、アプリに課金して特典会に参加したり、SNSでコミュニティの輪を広げたり、ライブに足繁く通ったり、そういうファンではなかったけど、確実に生活の一部でした。2015年の秋から2025年の春まで、中学生からサラリーマンになるまで、「今、話したい誰かがいる」を初めてラジオで聴いたときから与田祐希さんの卒業コンサートまで、9年半、長かった。

あるメンバーが卒業する、という知らせを目にするたびに心臓がキュッとして、目の前が真っ白になる感覚があった。与田ちゃんの卒業発表を聞いた時もその感覚があり、思わずその場に倒れ込んでしまった(その日、幕張メッセへ音楽フェスに行っていて、weezerを見た後だった。握手会のために何度か訪れていた場所だと後になって気がつく)。同時にやっと解放されるんだ、と安心している自分もいて、アイドルを見ながら人間のことをわかったフリをしたり、アイドルグループの歩みに勝手に青春や人生を重ねるところから抜け出さないと、一生絆されたままだという気がしていた。乃木坂を本当に好きだった時期は学生時代とまるまる被っていて、常に何かしらの出会いと別れのサイクルがあった。その頃と今の生活のリズムは大きく変わり、乃木坂が上手く生活リズムに組み込まれ切っていない感覚もあった。チケットを二日間取れてしまったことは一区切りをつけるタイミングだ、との啓示だと思った。

飛行機に乗り込み、そういえばここまで乃木坂を追ってきたけど卒業コンサートに参加するのは初めてだな、とか、福岡ってめちゃくちゃご飯が美味しいな、などとボーッと考えつつ過ごしていたら、すぐにライブが始まり、本当に一瞬で全てが終わってしまった。ライブ自体に不満があったらより良い景色を見るためにファンを続けようとしていたかもしれないが、そんな思いは微塵もなく、今は清々しさだけがある。

改めて与田ちゃんについて書くと、与田ちゃんが好きだった、というよりは与田ちゃんを通して乃木坂を知ったという実感が大きい。元々橋本奈々未のラジオを聞いて乃木坂のことを好きになったのだけど、やっと少しずつ乃木坂のことを分かり始めたタイミングで卒業してしまった。そこから乃木坂はどんどんと急な角度で大きくなっていった。拡大する乃木坂の渦中に放り込まれたのが与田ちゃんで、「逃げ水」のMVは1期生の威容を体感していくストーリーラインだったが、私もあの季節を通して乃木坂というグループが紡いできた豊かさを知っていった。いつからか乃木坂には別れの季節が訪れ、西野七瀬も白石麻衣も皆いなくなってしまったけど、与田ちゃんが言葉にする彼女たちに対する惜別の言葉には常に共感していた。当然、グループの中にいる人と私の感覚なんて天と地よりも隔てた違いはあるだろうけど、グループを見る視点を共有した、どこか同志のような感覚を勝手に持っていた。

だから、卒業コンサートで披露された曲が私の好みをほぼトレースしたような曲ばかりだったことが凄く嬉しかった。「サヨナラ Stay with me」、「僕のこと、知ってる?」、「キャラバンは眠らない」、「ハルジオン」、「錆びたコンパス」、「羽根の記憶」、「悲しみの忘れ方」、そして「何もできずにそばにいる」。与田ちゃんが乃木坂の「肝」だと思っている部分はおそらく私(というか多くのファンがそうだと思うけど)と近く、同じような視点で乃木坂を見ていたのかもしれない、と最後まで思えてしまった。

2日目、メンバー数人と与田ちゃんがそれぞれデュエットするコーナー。乃木坂のこれまでの楽曲がそれぞれの2人の在り方を語り直していた。何人ものメンバーの卒業コンサートがそうであったように。乃木坂のメンバーはやはり乃木坂46に収束していくのだと実感する。例えば井上和が上手く「やさしさとは」を歌えないことでその曲の機微がより際立つなど、ただメンバーが曲を歌わされているのではなく、ステージだけの魔法があちこちで生まれる。そう、こういう瞬間が生まれる乃木坂のことが本当に好きだし、最後までその瞬間に溢れ出てしまう人と人とのコミュニケーションやフレンドシップは偽物だと疑える筈もなかった。台本や演出を超えた人間の揺らぎから生まれる景色に、私はこうして絆され続けてきた。


「逃げ水」「全部 夢のまま…」「ひと夏の長さより…」「バンドエイド剥がすような別れ方」「私、起きる」、「錆びたコンパス」、2日間で印象的に披露された曲はどれも、なし得なかった未来、行ってしまった過去、など、今・ここから離れた何かを歌っている。そういえば与田ちゃんのインタビューを読むと「良く何かを諦めていた」というような言葉を見た記憶もある。「いつの日からか/僕は大人になって/走らなくなった」「どこへ行った?/あの夢」、と歌う「逃げ水」に表されるような、一度「諦める」ことを含めたいくつかの選択肢を踏まえた上で「今・ここ」の地点で泰然自若と構えている印象が与田ちゃんにはある。バラエティでの振る舞いも、覚悟に近いニュアンスの諦めを経由した上で足を一歩出すそれで、乃木坂工事中の沖縄ロケはそれが顕著だろう。最後の最後になって、彼女の奥底に持つ「諦め」のニュアンスに惹かれていたのだと納得した。

そういえば、橋本奈々未さんも同じようなことを言っていた。「足りないと思って…その足りなさがきっと今後の人生において大事になってくる想いになるんじゃないかと思います。だから、足りないということも多すぎるということもないと思います…。ちょうど良かったんだと思います」。諦める、とは少し違うニュアンスだが、あらゆる結果を受け入れた上で今・ここに立つ。そういう態度は私が好きになった与田ちゃんと橋本奈々未が同じく抱えている部分なのかもしれない。

ところで、個人的に今の乃木坂46の好きなところは、乃木坂46における「物語を編む」というムードから解放されている所だ。橋本奈々未が卒業したから誰が、西野七瀬が卒業したから与田祐希が、白石麻衣が卒業したから誰が、こうした「継承」を通したエモーショナルの喚起は5期生が入る前まで、乃木坂の楽しみ方の中心にあった。もう1期生が全員いなくなり、そういう楽しみ方が出来ないほどに景色は変わってしまった。ただ、それを逆手に取り、3期生以降だけで構成されている今の乃木坂46は乃木坂の屋号だけを大事に抱えつつ、より軽やかに過ごしている印象を持っていた。

だから与田ちゃんも過去のエモーショナルだけに頼ることなくこの2日間を終えられたのだろう。とにかく、今・ここにいるメンバーや今・ここの乃木坂への誇りが節々から溢れていた。過去の曲や過去のエピソードと正対した上で迎えた上で展開されるステージにおける今・ここの景色の豊かさや美しさ、そして楽しさ。


ここまでを踏まえて初めて、2日目の2回目の「逃げ水」の話ができる!逃げ水の2番をライブで聴くことは初めてだった。軽やかなギターのカッティングのフレーズを経た後のBメロに好きな一節がある。「やりたいことはいつもいっぱいあったのに/できない理由 探していた」、そして「君と出会って青春時代のように/夢中になれたよ」。この連続する文の中には"諦め→今・ここでの再起"への飛躍が起こっている。そして飛躍を踏まえたまま、サビでは「ミラージュ/僕が見ているもの/それが真実でも幻でも構わない」と目の前の可能性を全て肯定する。

卒コン2日目、この曲が最後に歌われる場面には、大園桃子がいた。スモークの奥に立つ、少し与田ちゃんより背の高いシルエットを見て鳥肌が立った。ライトに照らされ、大きな声が出た。あの季節にあのままアイドルを続けていたら…と思いを馳せてしまうような立ち姿の大園桃子がいた。このありえたかもしれない未来と、2日間で見せた確かな‘’今・ここ”を誇示できるメンバー、確実に年月を重ねた与田ちゃんの堂々とした立ち姿という現在、勿論「よだもも」として過ごしたあの頃。そんな全ての時間軸や可能性を引っくるめて提示されたあの瞬間のあのステージには、確実に魔法がかかっていた。

そして、それが魔法や奇跡じゃないと勘違い出来てしまうことが、私が乃木坂を追いかけ続けてしまった理由だ。この「逃げ水」を披露したあとに、大園桃子が与田祐希に「またカラオケで歌おうね」と言っていた。友達との些細な約束をするかのように2人はステージで言葉を交わす。この素朴さには、私の生きる場所と乃木坂という場所の中で交わされるコミュニケーションやフレンドシップの在り方が地続きだと思わせてしまう力がある。こうした願いや希望、あるいは勘違いを重ね続けた時間こそ、私が乃木坂ファンだった9年半だった。


結局、与田ちゃんがどう、とかではなく、ただ乃木坂という共同体の中で交わされる出会いと別れ、その狭間で生み出される人間同士のコミュニケーションの善性、それらが年月を重ね美しく紡がれ続けている景色に魅了されていたのだろう。

こうして乃木坂について文章で語ることをいつからか辞めてしまったけど、久しぶりにメモ帳と向き合ったらいくつも書きたいことが出ては消え、こんな文章になってしまいました。ツイートでもnoteでも、私は彼女たちについて語ることが凄く好きだった。書いていくうちに輪郭が定まり、なぜ彼女たちを好きなのかのピントが合っていく。

そして書きながら、橋本奈々未の卒業発表のラジオの次の日に廊下で友人と語り合ったこと、バーミヤンで与田ちゃんの写真集のオフショットを友人と見たこと、全国握手会で世界史の教科書を読みながら8時間待機列に並んだこと、与田ちゃんに受験を応援されたこと、コロナ禍の46時間テレビの「Sing Out!!」で泣いてしまったこと、日産スタジアムのライブの「I see…」でファンが爆発したこと、夜な夜なオタクのスペースを聞いたり少し話したこと、名古屋までライブを見に行ってつまんなすぎて怒ったこと、その後の神宮で笑っちゃうくらい楽しんだこと、神宮でのライブに行くまでの散歩で東京を噛み締めていたこと、そして今回の2泊3日が最高に楽しかったこと、色んなことを思い出す。色んな思い出がある。本当に乃木坂を好きで良かった。間違いなく、乃木坂46は私の青春のひとつだった。

君と出会って 青春時代のように
夢中になれたよ
-逃げ水/乃木坂46


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