いつも遠く、空をみつめる人
鶴
昨日のうちに ひと気ない森は
悲しそうに私に別れを告げた
春の喜ばしき再会の時まで
黄に染まりだしたその葉を落としながら
木の葉らは私の道をずっと覆い隠そうとした
音たてぬ金色の雨のように
そして木々はそっと囁いていた
私に 彼らのもとへ戻るようにと……
私たちには 別れることはとても困難だった……
不意に空から それとも遠い野からか
いと高らかに いと悲し気に うっとりするよな
鶴どもを呼びあつめる声が響いた
黄に染まったこの森から
色あせたこの空から
力強く大胆な羽を広げ
永遠の若き不思議の国へ
彼らは飛び立つために参集した
そして、己の悲しみを消すことなく
血をわけた木々とお別れをした
私のように 悲し気に別れを告げた
彼らの叫びが響いた 嗚咽のように
そして遠くへと 私を誘った……
ああ、血を分けた私の森よ! さようなら!
五月の最初の日まで
サヨナキドリが歌うときまでさようなら……
きみとの別れは残念だ
でも聞こえているの? 鶴の叫びはしきりに
私を明るく輝く遠いところへと呼んでいる!
(1888年)
エカチェリーナ・ベケートワ(クラスノーワ、1855-1892)は児童文学作家としてよく知られている。それとも象徴主義を代表する詩人アレクサンドル・ブロークの叔母としてだろうか? あるいは、ぺテルブルク大学の総長で植物学の権威だったアンドレイ・ベケートフの娘として? いいえ、誰かの娘や叔母や妻ではなく、ここでは私たちの詩人として甦ってほしい。
彼女は子ども向けのお話を書き、ユーゴーやディケンズを翻訳した作家、翻訳者でもある。当時の女性としては最高の教育を受けているが、病気のためにベストゥージェフ女学院を卒業できず、結婚して一年後、出産の際に亡くなっている。とても控えめな人だったという、体が弱いせいもあったのだろうか……。数少ない肖像画のなかで唯一こちらを見つめているものがいい。
詩では、ラフマニノフの作曲した「リラの花」(1878)がよく知られている。まだ若い時に書いた、みずみずしく花ひらく5月の詩と並べると、まるで裏面のように、ここに試訳を載せた「鶴」は、遠い空の向こうへと去っていく鳥たちとの別れを悲しみつつも、その歌=声が自分を呼んでいるといっている。みずからは羽を持たぬことを知っているベケートワが、別れの悲しみを引き受けて、長く厳しい冬のなかに取り残される失望が、けれども慣れ親しんだ覚悟として感じられる。
それにしても、彼女の詩には空へのまなざしが多い。夕刻の星、月、雨雲、蒼ざめた日没……すぐに空を見つめる詩人。遠い彼方に不思議の国があることを、おそらくリラの香りのなか、鶴たちに聞いて知っていたのだろう。