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誕生日
こんリシェᜊ(˶ᐢ. .ᐢ˵)ᜊ
本日27回目の誕生日を迎えたと言う事で記念にnoteを更新したいと思い飛行機の中でメモ帳にしたためていたものをそのままペーストする。
ここ数年の誕生日といえば2年前は万葉倶楽部で過ごし昨年は大江戸温泉で過ごし今年は福岡で過ごすこととなった。
どれもいい思い出であり来年の誕生日もそうであるのだという確信が生まれている。
ここで誕生日にまつわる話でもしよう。
1月初旬、もしくは12月下旬の誕生日の者といえばある種呪われた存在なのかもしれない。
というのも、クリスマス、お年玉、誕生日…そうくればそれらのいずれかが省かれるかもしくは一括りにされてしまうかが生じてしまうからである。私もそうであった。
ゲーム機をソフトと複数のコントローラーと一緒に買って貰った年だった。誕生日プレゼントは勿論なかった。
だが、それでも祝われることには祝われたし母親の手作りケーキや料理も毎年楽しみであった。我が家の風習といえば、母親の手作りケーキとその主役の好物が振る舞われることであった。
そして、小学生の時の話をしよう。
その年はたまたま友達6人程で私のサプライズパーティーを開いてくれることとなっていた。
予め集まって友達の部屋を盛大に飾り付けケーキを用意してくれた友達、後から合流した私はそれの意味が子供ながらに分かっていた。
今思うと本当に可愛げがなかったと思う。部屋の扉を開けハッピーバースデー!の掛け声と共に弾けたクラッカー。今日の主役のタスキをかけられた私は「うん、知ってた」と一言、プレゼントを受け取ると感謝の気持ちを述べ王様席へと腰掛けた。今ならば心の底から喜ぶことが出来たのに。
何故、その年頃の人間は妙に大人ぶりたくなるのだろうか。(その行為が大人である訳でもないけれど)
その事が今でも心に残っていて淡い黒歴史となってしまっている。本当は嬉しかった。心の底から喜ばしかった。しかし、どうそれを受け止めていいものか分からなかった。素直になれなかった。方法が分からなかった。
誕生日は誰にでも等しく訪れる。
私は歳を重ねる事が決して悪いこととは思わない。若ければいいと言うものではないし、年相応の27歳という人間としての器をしっかり構えたいのだ。そうしていい歳の取り方をした時、きっと今の自分がより愛せると思うのだ。
今日も喜ばしいことに沢山の方から祝福の言葉を頂けた。全てに返せないのが申し訳ないが、どの言葉も心の底から受け止め素直に喜べている。私は成長したのだ。
あと私も3年で20代を後にする。
その時20代を振り返った時良かったなと思えるように日々努力を積み重ねていきたい。
誕生日もそうなのだが、私が麻雀を始めたのも1月である。今年で4年目に突入となる。まだまだ強くはなく平和も分からず点数計算も出来ないがいよいよ雀豪が見え始めてきた。
いい歳の取り方もしたいが麻雀も邁進していきたい。私の27歳は最高の年にしていくつもりだ。温かく見守って頂ければ幸いだ。