小説『継承』 第三章
一 - 恨
許せない。
彼氏の高蔵寺実朝と別れて以来、龍岡聖羅は腸の煮え繰り返るような思いで毎日を過ごしていた。正確に言うと、「腸が煮え繰り返る」というのは月並みな言葉で、むしろ聖羅の腸は燃えて灰になるくらいの、激しい怒りの炎に焼かれていた。実朝は大人しくて内向的であり、聖羅にとっては従順な「彼氏」だった。
「自分の言うことを聞く男が、『自分を愛してくれる男』」
聖羅はそう考えるタイプであり、実朝は聖羅の高圧的なところに嫌気がさしたのだ。実朝は異性に対して積極的にアプローチをする人間ではなかったが、その「大人しくて内向的」なところに魅力を感じる女子は多かった。聖羅から離れた実朝が別の女子と仲良くなるまで時間はかからず、彼が聖羅の親友の春日井杏樹と付き合い始めたという事実に、全く不思議はなかった。
もちろん、当の杏樹には実朝と付き合う意思はなかった。杏樹は実朝に想いを寄せてはいたものの、彼が聖羅の彼氏だという事実が、杏樹にとっては自身の中で芽生えた恋を実らせるための障害となった。契機は、聖羅と実朝の別れ。初めは躊躇していた杏樹、幸か不幸か、実朝と杏樹の家は互いに近く、顔を合わせる日の方が多かった。
「今度、お茶でも、どうかな?」
意を決して声をかけた杏樹。実朝からの返答は、OKだった。
程なくして杏樹と実朝は付き合い始め、程なくして二人の関係は聖羅の耳に入った。
仲のよい、四人。彼女たちはたびたび集まってはお互いの近況から出発し、思い出話や昔の知り合いの卒業後の状況に立ち寄り、心休まるひとときを過ごしていた。
四人が育んできた温かい絆に、徐々に亀裂が広がっていった。
「ネットに、『殺人手順書』っていうのがあるんだって」
そんな危険な香りのする話をしたのは、司空楊花だった。
「噂だけど、その『殺人手順書』には、例の十年に一度起こる殺人の方法が書かれてるみたいだよ」
物知りの楊花の話だと、その手順書に従って殺人を行えば、捕まらずに済むとのこと。警察は手順書に従って行われた殺人を、例の十年に一度続く殺人と関連した犯行と見なすから、手順書を使って人を殺した犯人は逃げ切れるのだそう。さすがの楊花も手順書のサイトにアクセスする方法までは知らなかった。そこで同じ高校の友達に例の連続殺人の手順書について訊いてみたところ、
「確か、『殺人手順書』と『穢多』で検索すると、引っかかるんじゃなかったかなぁ」
手順書へのアクセス方法を知っている人が何人かいた。聖羅は彼らの情報を集めて統合し、手順書は検索して探し当てるものではなく、特定のサイトに自身のメールアドレスやSNSの情報を入力することで「入手するもの」であることを知った。
ある日の夜、聖羅は杏樹を呼び出した。場所は、彼女たちが卒業した中学校。
「どうしたの? 話したいことって」
聖羅に対して、杏樹は何の警戒心も抱いていないようだった。聖羅は
「わざわざごめんね。これでも飲んで、ゆっくり話そうよ」
と言い、睡眠薬入りのペットボトルを渡した。二人はブランコに座り、聖羅は話し始めた。数分経った頃、いとも簡単に、杏樹は眠りに就いた。
容易な作業ではなかったが、聖羅は小柄な杏樹を校舎裏、誰からも見られないところに運んだ。そこには、聖羅が事前に持ち込んだ、鉄パイプやナイフを入れた鞄が、校舎の外壁に立てかけられる形で置いてあった。校内にいる高齢の警備員が見回りで来ることや、不良少年たちが突然侵入してくることを想定し、ブラックとグレーのデザインのバックパックを選んだ。
聖羅は地面に杏樹を寝かせると、鞄から金属パイプを取り出した。
「よくも、実朝を」
否や、聖羅は杏樹をパイプで叩き始めた。渾身の力を、一打一打に込めて。
憎い、憎い、憎い、憎い、
一打、一打、親友の杏樹をパイプで殴っている間、聖羅が頭の中に思い浮かべたのは、実朝のこと。このとき初めて、聖羅は自分が実朝を深く愛していることを認識した。それは同時に、彼との別れが聖羅の心を深く傷つけ、その傷は忘れられない思い出となり、一生涯にわたって残ることを聖羅が理解した瞬間だった。
パイプを落とし、聖羅が次に鞄から取り出したのは、ナイフ。何度も殴打された杏樹が生きている可能性はほぼ皆無。それでも聖羅は恨みを込め、最後のとどめを刺そうとした。聖羅は杏樹の傍で膝立ちになると、
「くそっ、畜生!」
何の躊躇もなく、一気にナイフの刃を杏樹の心臓に向かって振り下ろした。
グサッ
確実な手ごたえ。聖羅はナイフを引き抜き、再び振り上げ、刺した。今度は、杏樹の脇腹。
グサッ、グサッ、グサッ、グサッ、
何度も、何度も、聖羅は杏樹の身体を刺した。胴体だけではなく、腕、脚、そして、顔。変わり果てた親友を刺しているとき、聖羅の頭の中で再生されていたのは、四人で過ごした日々のこと。時には喧嘩もしたが、そんなぶつかり合いを経たからこそ、四人は温かな友情を築くことができた。少なくとも聖羅はそう思っていたし、聖羅にとって杏樹は他の三人と同様、大切な親友だった。今まで築き上げてきた友情の重さは、杏樹を刺すたびに感じる反発力として、ナイフを持つ手から聖羅の元へと伝わった。聖羅は杏樹を殺したことでかけがえのない友の存在の大きさを痛感した。暗闇の中、聖羅の心の傷から出た涙は杏樹の血に混じり、一緒に地面に流れていった。
聖羅は最後に、「穢多之子」と書かれた紙札を杏樹の口と思われる箇所に入れた。聖羅は愛する人を二人も喪った。
二 - 妬
なんでアイツだけ。
絶やすことなく嫉妬の炎を燃やし続けているのは、大倉山由奈。彼女の胸を酷く掻き毟っているのは、厳島清五郎の結婚と、その結婚相手が五十村紗栄子だという事実。
入社以来、由奈は将来が有望で出世が確実な男を狙ってきた。当然由奈は外見に磨きをかけ、複数の男を候補に入れていた。彼女の候補の中で清五郎は第一位。自分の外見と男を落とすテクニックに関して絶対の自信を持っていた由奈に対し、清五郎は興味を持たなかった。
「人間は、中身が重要」
それが、清五郎のモットー。彼の眼鏡に適ったのは、由奈がライバル視していた紗栄子。入社間もない頃に女子社員同士の食事会で話したとき、紗栄子は清五郎を狙っていなさそうだったし、現に本人も「そこまでは、興味ないかな」と言っていた。そんな紗栄子の当初の発言が覆り、最終的に清五郎は由奈の方を振り向くことなく、紗栄子との婚約に至った。
「『殺人手順書』って、聞いたことある?」
先輩でキャリアウーマンの司空紫乃からその話を聞いたのは、抜け駆け狐の紗栄子とそんな女狐に引っかかった清五郎との婚約発表があった頃。
「詳細は知らないんだけど、ポストに手紙を投函すると、殺人の方法について書かれた冊子が送られてくるんだって」
最初は迷信の類だろうと思って一顧だにしなかった由奈も、周りの社員や学生時代の友達から情報を集めるにつれ、手順書の入手方法と、その大体の内容ついて把握することができた。
そして『殺人手順書』は、幸せの絶頂にいる紗栄子を地の底に叩き落とす計画を由奈に授けてくれた。
ある日の夜、仕事帰りに同僚に付き合って酒を飲んだ清五郎は帰り道、夜風で酔い覚ましをしようと、一人、ゆっくりと歩いていた。お酒には強い清五郎だったが、飲み会が盛り上がったこともあり、少しだけ、おぼつかない足取りだ。それでも由奈にとっては、絶好の機会だった。事前に清五郎の飲み会の日時を把握していた由奈は会場近くで待機をし、お開きになったところで行動を開始した。
人気のない夜道。清五郎が通勤で使っている駅を把握していた由奈は、彼がこの道を通るとわかっていた。清五郎の後ろから迫る由奈。酔いが回って高揚感に浸っている清五郎は、背後から狙われていることにすら気づかなかった。
グサッ、
最初、清五郎は何の音かわからなかった。ましてや、その音が彼自身と関係していること、もっと言うと、彼は自分が刺されたことにすら思考が及ばなかった。
グサッ、グサッ、
立て続けに刺され、痛みを認識し始めた清五郎。この段階で、清五郎は自分が何者かに背後から襲撃されたことに気づいた。逃げようとしてバランスを崩し、清五郎は倒れる。襲撃者はその隙を逃さず、仰向けになった彼の身体の上にのしかかる。
グサッ、グサッ、グサッ、
胸部、腹部、腕、脚、そして、顔
清五郎が襲撃者の正体が由奈であることを認識した頃には、すでに瀕死の状態だった。由奈は確実に清五郎の息の根を止めるため、急所となる心臓をはじめ、身体のあらゆるところを刺していった。清五郎のスーツは赤黒い血を吸ってびしょ濡れになり、白いシャツは鮮血色に染まった。おびただしい量の血だまりが二人を覆い、それは血の池地獄に落ちた、相思相愛の男女に見えた。
「これで、最後の仕上げね」
由奈は清五郎の口に紙を入れた。それは、連続殺人犯の印、「穢多之子」の札だった。
三 - 懲
全く、世の中は不公平だと、狩人辰子は心の中で嘆いていた。この世界は弱肉強食というのは確か。大河原両右衛門のような金持ちは贅沢の限りを尽くし、さらに大きな富を蓄える。一方で辰子のような平民、そして貧者は少ない収入をやりくりして質素な生活を送るのが精一杯。贅沢は、まるでおとぎ話の世界。そんな世の中に勧善懲悪など存在しない。国がろくに国民を取り締まらないものだから、両右衛門のようなならず者が富を得て、善良な一般市民たちに苦役が回ってくる。
「私の夫も、両右衛門に騙された」
「私の家族が貧乏になったのも、両右衛門のせい」
両右衛門が得意としているのは、詐欺まがいの商売。金になる話を持ちかけては安物の骨董品、不備の多い先物売買の権利、痩せて使い物にならない土地を高値で売り、さらには麻薬密売、人身売買、売春宿の経営にまで手を広げている男。それが、両右衛門。当然、ゆすりやたかり、嫌がらせを繰り返すことで目的の土地を手に入れる地上げも両右衛門の得意技。地上げに至っては、国も黙認している状況だ。
「私たちは、両右衛門のせいで家を失った」
「私たちは、農地を両右衛門に取られた」
両右衛門が富を増やすほど、彼への恨みは蓄積されていった。最初は少数の、力を持たない人たちの、数少ない恨み。恨みの数は増えていき、やがてそれは大きな塊となった。
「『殺人手順書』っていうものがあるそうよ」
どこからそんな話を聞いたのか、近所の司空さんが物騒な噂を持ち出した。
「家に『求ム』っていう文字を書いておくと、手順書が届くんですって」
今度は別のご近所さんが、入手方法を教えてくれた。どこからそんな情報がはいってくるのか、辰子には不思議でしょうがなかった。
「十年に一度起こる殺人の話って、知ってる? 『殺人手順書』には、その連続殺人のやり方が書かれているそうよ」
今年が、その殺人が行われる年らしい。辰子の中で、ある一つの考えが浮かんだ。これで、財産を取られた無念が晴らせる。
全く、世の中は不公平だ。
前夜、町の集会場には多くの人が集まっていた。辰子も含め、皆、両右衛門に恨みを持つ人たちだ。
「みんな、揃ったか?」
首領の押村龍三郎が言った。誰一人、欠けている者はいなかった。それぞれが掌に武器を持ち、心に無念の思いを抱いていた。皆の気持ちは一つだ。
「武器も、揃っているな? 札はあるか?」
前列の一人が皆の前で札を掲げた。それは、彼らにとっての切り札。
「安心しろ! これが成功すれば、『穢多之王』が我々を護ってくれる!」
「穢多之王」というのは、『殺人手順書』の著者だそうだ。これも、噂で聞いた話。一同の視線が、その札に集まった。
「準備はいいな! 行くぞ!」
一同は立ち上がり、両右衛門の屋敷へと向かった。
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