小説-『洞穴』 第二章
二
授業というのは、伊代にとっての貴重な孤独の時間。勉強を家で効率よく済ませられる彼女にとって、学校での最優先事項は、休み時間に周囲の友達と話を合わせること、そして、教師たちから「成績のよく、素行に問題のない生徒」という評判を勝ち得て、それを維持すること。できすぎたら、同級生たちから浮いてしまう。かと言って、わざわざ反抗的な態度を取って教師から過度な干渉を受けるのは、彼女の平穏にとっては大敵。だから、彼女が本当はトップクラスの大学に余裕で入れる成績の持ち主であることは、友達には秘密だ。先生と話すときも、成績の話題を出すのは、教師・親・生徒の三者面談のときのみ。
「これで体育ができれば、伊代は完璧なのに」
余計なお世話、と彼女はそんな両親と教師のつぶやきを頭の片隅に追いやった。そこは、彼女の人生の中で起こった苦い出来事を積み上げた場所。一度そこに押し込めた記憶は、普段の平穏な日々を送っている間、まず意識の中には浮かび上がってこない。
「いいじゃん、健康なら」
彼女はそう溢し、五段階のうち、いつも評価が「三」の体育に結びついた意識を、片隅にしまい込んだ。
「いいじゃん、毎日見るわけじゃないんだから」
たまたま漏れ出てきた井戸の夢も、一緒に意識から消えていった。こうして、彼女の平穏は守られた。
「これ、わかるか? 金田」
世界史の先生は、クラスの全員を順番に当て、問題に答えさせる形式の授業を行っている。先ほど、一つ前の人が呼ばれていたな、と思いながら、伊代はすでに知っている答えを、自信なさげに答えた。他のクラスメートに合わせる形で、周りから浮かないように気をつけながら、口から発する言葉を短くすることを忘れなかった。
「ポーランド分割、です」
あえて「第一次」という言葉を省く、そういう手法だ。
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鮮道朝花の短編小説集
鮮道朝花は私のペンネームです。私の書いた小説を載せています。どうぞ、お楽しみください。 掲載作品: 『洞穴』『陰』『継承』『出会い』『淫獣…
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