小説『深淵』 第一章

一 – The bereaved

暗闇を撮影した、その写真。そこに写っていたのは、黒一色の光景。現場で撮影されたその写真をデジカメのディスプレイ越しに見たとき、切澤琉子はそこに霊が写っていることを期待していた。しかし大学の友人、坂又源一が見せてくれたその写真には、ただの暗闇しか写っていなかった。カメラの前にあったはずの診察室は、欠片も写っていない。それも当然だ。古い病院の地下、懐中電灯を頼りに徘徊した廃病院の地下に、まともな明かりはない。廃病院での肝試しは、成果ゼロ。
「なんだ、つまんない」
琉子はそう言い、デジカメから顔を背け、学食の窓の方を見た。別に外の景色を見たかったわけではなく、単にどこを振り向けばいいか、わからなかっただけで。
「そんなもんでしょ、肝試しって」
源一は笑顔でデジカメを操作し、先週の肝試しの日に撮影した大量の写真から、おもしろそうなものを探している。
「どうせ、幽霊なんて写っていない」
端からそう思っていた琉子はデジカメのディスプレイを一緒に覗き込むことなく、彼が心霊写真の検索作業を終えるのを待っていた。
「これなんて、どうよ? 手術室、珍しい機械とか、器具が写ってるし。行った甲斐があるってもんだ」
ため息をつきたくなる衝動に駆られながら、こんなことで幸せを逃したくないと思い、仕方なく写真を見る琉子。室内は暗く、手術で使われるであろう機械も、輪郭がうっすらと見える程度。正直琉子は病院の写真の何がおもしろいのか、全くわからなかった。
「私は、もう写真見なくていいかな。そんなことより、留美子はどうなの?」
五鬼田留美子は源一の彼女。彼曰く「ここ数日、体調がよくない」とのことだが、留美子の体調不良は、肝試しの二、三日後から続いている。源一が肝試しを提案したとき、留美子は非常に嫌がっていた。琉子は、留美子の体調不良の原因は、源一が挙行した肝試しにあると考えている。
「治ってきてるってさ。さっき連絡があって、元気そうだったよ」
朗報にほっとする琉子。問題は源一と留美子との仲だ。留美子が肝試しに参加させられたことで二人の関係に亀裂が入るのではないかと、琉子は懸念していた。
「よかったじゃない」
二人は席を去り、それぞれ次の講義へと向かう。

「これ、やっぱり変化してるよな」
先週源一が琉子に見せた、黒一色だった写真。ディスプレイに写し出されている写真には中央に、直径一、二ミリの白い閃光が浮かんでいる。その閃光が写ったのは昨日のこと。
「半月前の肝試しのときに撮った写真を、整理してたんだよ。そしたら黒一色の写真がなくなってて…」
デジカメの中に保存された写真は、撮影時間の順番に従って並んでいる。そのことを考えると、黒一色の写真が変化し、その中央に白い閃光が点ったという結論になる。それが源一の主張だ。
「ヤバいよな、この写真。お祓いとかした方が、いいよな、きっと」
源一は身長百八十センチで元バスケ部のがっしりとした体躯の持ち主だが、神経の細いところがあるようだ。夏の真っ昼間の学食で、彼は恐怖に震えている。
「気のせいでしょ。先週見たときは、たまたま見えなかっただけかもしれないし」
その閃光は小さかったが、明らかに先週は存在していなかったもの。もしその写真がもともと黒一色だったのだとすれば、写真自体が変化していることを認めざるを得ない。
「それが心霊写真だった場合、気にすることによって悪影響が出るのでは?」
琉子はそう考えて、源一に「気のせいだ」と言った。幽霊や超常現象の類に遭遇したことはなかった琉子自身も、「そのようなものが存在するかもしれない」という考えを、頭の片隅では抱いていた。
「とにかく、そんな写真、早く消去しちゃったら? どうせ、大したものは写ってないんでしょ?」
琉子はこんな幽霊話を早く終わらせたかった。「心霊写真なんて、くだらない」という考えがあったから、そして出所のわからない胸騒ぎを、自分の頭から追い出したかったから。

電話の向こうの源一は、怖がっているというより、むしろ歓喜のために興奮している、と言った方がいい、そんな印象だった。三日前は白点程度の大きさだったその閃光。琉子がその日の昼間にその「元黒一色の写真」を見たとき、写真の中央で、白いものは縦に伸びていた白いものの上部に黒い点が横に並んで二つ、その下に縦の灰色の筋、さらにその下に、大きく縦に裂けた黒い影。琉子には、その白いものが、異常に大きく口を開けた人の顔に見えた。
「この写真の白いやつ、成長してるみたいだな。テレビ局に持っていったら、高値で買ってくれるかな」
彼が興奮している理由に対して呆れる琉子。もし写真が変化しているのであれば、それはお焚き上げか、もしくは除霊のようなものが必要だ。
「今日はもう夜遅いから、明日か、今週末、お寺かどこかに行って、相談しようよ」
彼女はそう勧めた。写真を消さなかったことが、不幸中の幸いだったのか。最初に写真の消去を提案した琉子は、心の中で安堵している自分がいることを認めていた。
「やっぱりこの写真、危険なのかなぁ」
三日前とは異なり、呑気に構える源一。琉子が相談を強く勧めても、源一からは事態の深刻さが感じられなかった。
「ちょっと、悪い。もう失礼するわ。なんか、留美子が話したそうだから」
留美子がそこにいるの? そう訊こうとしたところで、電話は切れた。琉子は言いそびれていた、写真のその白いものが、細面で切れ長の目の持ち主である、和風美人の留美子の顔に似ていたことを。

翌日、琉子の胸騒ぎは現実のものとなった。

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鮮道朝花は私のペンネームです。私の書いた小説を載せています。どうぞ、お楽しみください。 掲載作品: 『洞穴』『陰』『継承』『出会い』『淫獣…

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