ずっと走り続けていたあの日の私
NH3829、21:30発 KIX(関西空港)行き。私は3年前まで約7年ほど毎日のようにこの便が出発するのを見届けていた。
出発した後、毎日動く歩道を時には歩き、時には走っていた。
早朝、日中、夕方、夜と動く歩道が見せる雰囲気は全く違う。
急ぎ足で搭乗口まで向かう人もいれば、すでに旅路がスタートし、足取りがなんだか軽やかで見ているこちらまで旅行に行くような気持ちになってしまっていたこともしばしば。
私は、そのどの時間帯も幾度となく歩いたり走ったこともあったが、
保安検査場も閉鎖し、搭乗口付近も空港関係者しかいない時間帯に毎日歩く時間がいつも特別な時間だった。
一日慌ただしくすぎる中で様々な思いが頭の中を駆け巡る。
まだ入社したての頃、失敗の繰り返しで幾度となく悔し涙を流した時、時にはクレーム等で辛かった時。3、4年経った頃は、業務にも慣れ後輩の育成に日々一生懸命で試行錯誤の毎日だった。
5年目以降くらいからだろうか。
動く歩道を歩いている際にふと自分がどこに向かっているのか、いつまで走り続けているのかわからなくなった。
こんなに大好きな仕事をしていて、充実していて生き生きしている自分が誇らしかったのに。
私は、どことなく真っ直ぐ続いている動く歩道から脱線したくなったのかもしれない。もし脱線したら次はどんな道が待っているのだろう。
そんな思いを抱いている自分がなんだかどことなく嫌だった。
20代を全力で仕事に注いだ。私は好きな場所で好きな仕事をしている。
その想いがずっと私を奮い立たせていたし、私を形成してきた。
気づいてしまった日からもうカウントダウンは始まっていたのだ
それから毎日、私はいつまでこの歩道を歩き続けるのだろうか。
自問自答する毎日が始まった。
問いを投げかけ、その答えはいつも出ていなかった。
この仕事から離れることも現実的では無かった。
ある時、ふとしたことから次第にそして最終的に離れるという決断に至った。何かのお告げだったのかもしれないと振り返るといつもそう思う。
そして私が空港を離れてから、少し経った頃だろうかコロナウイルスという今もまだ続く感染症が世に現れた。
私はあれからまだ動く歩道を歩いてはいない。
私は、今年に入りコーチングとの出会いがあった。
これは私にとって運命的な出会いだった。そして今では、コーチング を提供し、私と関わる全ての人に一度しかない自分の人生を精一杯味わい尽くしていって欲しいという願いもある。
空港は特別だ。様々な想いが交差する場所。
数え切れないくらい多くの人々と関わり、感情が動いた場所だ。
今でも私にとっては特別であり、私が歩んできた道のりでもある。
私は今、プロコースの旅路を歩き始めている。
そろそろ中間まで辿りつきそうな所だ。空港勤務時代、どこに向かっているかわからなかったが、私が今歩いている旅路は私を確かな場所に導いている、そんな気がしている。