悪意の狂乱(終末・世紀末小説)
※長編小説、SF(ポストアポカリプス)、エログロ有り、未完
最新2024/11/19「36」追加 アオリ若干変更
友成純一に捧ぐ、
プロローグ『黙示録後の世界』
1
「顔だけは傷つけるな!ポン引きどもに値切られる」
年端も行かぬ少女の脆い肢体に腰を打ち付ける醜い肥満体の男。穴だらけ垢の滲んだソファーの上で少女を犯しながら、別の女を犯す若い男に言った。
少女は洋梨のような形に、腕と足を頭の上で縛り上げられており、苦痛に対して顔は窒息したかのように紫色に変色し、陵辱に対して泣くというよりも粘膜という粘膜から液体を送り出して抗っている。つまり汗や、涙、鼻水、涎、膣液を排泄のごとく送り出して苦しみ抜いている。
若い男が犯すのは、その少女の母親を床の上で「死んじまえと」罵倒しながら、殴りつけ犯している。
己と子供がむざむざと悪魔のえじきになっている今、この母親は何においても無反応となった。
強姦が行われている部屋は船内で、決して広くはない。
海賊船、失われたゾンビ号が人間狩りの戦利品を味見しながら、沖合いよりジェンガ島の港町へ向かっていた。
犯される2人、犯す2人の部屋にもうひとり、男が入ってきた。右手に符号の打たれた紙リボンを掴み、左手に泣き喚く少女の長い髪を掴んで。通信手だ。
「空賊団、骸狼(がいろう)より入電。村の男どもを無事マルタミ社に引き渡したそうです。帰国の船旅をお楽しみ下さい。っと」
「色男の空賊さまへ、俺たちブ男に、おいしい役をありがとよ。と返信しといてくれ」と、肥満男。
通信手は、重い籠を勢いづけるが如く、掴んでいる女の髪を思い切り引っ張り、部屋を後にした。
女は犯され、男は奴隷にされる。ここは新暦5011年。神々もが蛮族と化する時代。
空賊・海賊・山賊・市街のギャングは、ときに敵対し時に協力し、この世界で”2番目に価値のある資源”、人間の奪い合いを世界各地で繰り広げている。
こうした勢力から人々を守る国家や組織などは存在こそすれ、その全てをカバーできていない。世界地図すら失われているのだ。
海賊船内には、23人の女性が囚われていた。彼らが襲撃した名もなき島の住民だ。老婆老父は反抗し殺されたか、加えて奴隷として役に立たない者は「また作れよ」と言い放たれ、島へ残地された。
海賊は女23人を、空賊は男30人を、それぞれ商品として拉致し、それぞれの取引相手の先へと別れていった。
山賊も海賊の船に同行して、彼らのアジトの一つがあるジェンガ島の港に向かっている。
「ねぇ、親分。山賊たち、随分おとなしいですね?女の一匹ぐらい欲しがると思ったんですが?」
少女の母親を犯しながら若い男が問う。
呼吸に携わる器官のどこかが壊れたような呼吸音を発する少女を犯しながら、海賊の親方は答えた。
「もう、ジェンガ島はヤクザニンキョと呼ばれる息の長いギャングの勢力がもうじき統一しようとしている。ワイルドドッグが名前を骸狼と唐文字に変えたのは奴らに肖ってだと。
山賊は縄張りを追い出されたようなもんだ。俺達ともめて、仕事がなくなる方が嫌なんだろうよ」
今日、この時、船内の失われたゾンビのメンバーは親方を含めて5名、それに対して山賊は15名いた。
金をとるか女を取るか、悪党は勘定ができないと長生きできない。
彼らは、海賊船で原住民の女性に行われる暴力の宴に股座をいきり立たせつつも、船底の船室でおとなしくしている。
海賊の親方が、ようやく少女を開放した。
この醜い畜生は、絶頂、射精が目的でなく、ひとしきり痛ぶり抜く為に、陵辱を行っている。少女の顔色は抵抗の意思すら失われて赤紫から青白く変化し、肉体は汁液の分泌を諦めた。少女の目は絶望を讃え、隣で犯され続けている母親のことすら気にも止めなくなっている。
抵抗する意思を失ったとわかれば、親方はあくまで商品として丁寧に手足の縄をほどいて、牢屋へと連れて行く。
そして、また牢屋で次の女を選び出すと、方足を掴み、引きずって部屋に戻ってきた。力任せの無造作にである。
泣き叫ぶ女。海賊の親方は、また先ほどの被害者と同じような格好に手際よく縛りあげていく。
そこに通信手の男が、新しいリボン紙を持って血相を変えて戻ってきた。女は連れていない。
「親方!村の男どもが反乱を!マルタミ社の船が乗っ取られ、現在骸狼と空中で交戦!援護を要請しています」
「なんだと?糞!骸狼はこれからも取引できる相手だ。止む終えない。配置につけ!」
海賊たちは嬲っていた女たちを全て牢に戻すと、海賊4名は汎用の機銃台2門、対空砲台2門にそれぞれ1名づつ、親方は船の操舵および指揮のため、操縦桿と無線機の配置された操舵室にこもった。
2
海賊船のデッキで、雇い入れられた山賊たちは、各々の持つ不揃いの銃を装備して攻撃体制を取っていた。
これだけでは、上空からの攻撃に無防備の状態だ。
しかし、彼ら山賊が困窮の末に、海賊に従って捨て身の攻撃体制をとっている訳ではない。奴隷も、大事な家族が残っているこの船を、うかつに空中から砲弾で狙うまいという強気の読みで防御せず火力を発揮する方策を選んだのだ。
何よりも、失われたゾンビ号には、4門の高射砲が備わっていた。
やがて、上空より大きな飛空船の船影がぼんやりと姿を現した。
見聞の限り飛空船はマルタミ社のもので間違いない。葉巻型の輸送船だ。
交戦しているはずの骸狼のは離脱したのか、その場に姿が無かった。レーダーからも捉えられない。
空賊たちの飛空船が離脱に成功した事は何も不思議ではない。輸送機と、強襲機であれば機動力に雲泥の差がある。
親方は骸狼のアドレスに、通信手に変わって、電信機で簡単な「到着した」旨を打信する。周波数も合わせて無線も発報したが返事はない。
妙なのはマルタミの船では奴隷が反乱を起こしたとの事だが、当のその飛空船は、一切の混乱を感じさせえず停留している。
マルタミ社の連中が全滅してしまい、飛空船を運転できない原住民どものが右往左往しているのではないかと賊たちは一様に思い至る。
奴隷商団マルタミ社の無線周波数は、特に開示されている訳ではないのだが、失われたゾンビの親方は、裏街道で聞いた限り知っていた。いくつか候補があり、無線機の周波数を合わせて交信を試みる。
こちらは、失われたゾンビ号、応答せよ。と、お定まりの文言だ。
反応アリ。しかし、スピーカーから流れてきたのは、女がけたたましく笑う声。無線の要領などあったものではない。
女と言うよりも少女か?魍魎に憑かれたかのように笑っている。
キャッキャッギャー アーッハッハッハッ ウッフッフッフッフッ イーっヒっヒっヒ
この女性の狂笑は操舵室の無線機だけではなく、デッキや砲座のスピーカーで各々が傍受していた。
デッキにいる山賊たちは、気味の悪がりこそすれ、迎撃体制を維持する。
砲座の海賊の子分4人も迎撃体制だ。
しかし、親方から攻撃の言葉を待っていた、海賊の子分と山賊たちだったが、砲座に備えられた専用回線により、子分たちにだけ、親方からの「撤退」の言葉を耳にした。
一度、聞き直したが、「撤退」で間違えなかった。各々のコンソールのモニターで4人は迎撃でなく、撤退の為の砲撃モードに切り替えた。
だが、海賊船が推進力を反対方向に変える僅かな間、飛空船が急加速し、海賊船上空を通過した。一瞬と言えるその間、飛空船船底のハッチが開放される。
同時に上空に轟くのは男性の悲鳴。夥しい男性の悲鳴だ。捕らえられていた島の男性30人が、上空より、山賊のいるデッキ目掛けてばら撒かれたのだ。
1人50kg以上、延べで推定1.5トン以上の人間がデッキに叩きつけられる衝撃。
島民たちの悲鳴、山賊たちの悲鳴、既に区別のつかない悲鳴。そしてガラス板が砕け散ったようなすさまじい衝突音。人間の全身の骨が砕けた音だ。
デッキの山賊は為す術も無いまま、海へ飛び込んだか、人間を直接ぶつけられる形で壊滅した。数名は難を逃れたものの、デッキに取り残された多くはまだ息が残っており、うめきと血反吐を吐く音が、各々の頭部から発されている。肉塊と化した、肩から先が、大腿が、血の池と化したデッキでのたうち回り、ぶつかり合う音も多々発生している。
生き残りは救出を諦めて、自己防衛に徹する。
海賊の親方が、操舵室から見下ろすデッキに生み出された阿鼻叫喚の地獄絵図。見たこともない数の人体破壊。夜中にも関わらず白だったりピンクだったり赤だったりする無数の剥き出した骨の様子が見える。それらが群生するシオマネキの様に、動いてさえ見えた。
時折、そのカニのハサミのような人間の成れの果てが臓腑をからみつけて力なくそれを振っている。
通過した飛空船の底に、なんとかぶら下がっている男の影一つある。それも、ハッチが閉まると、腕の影がとても短くなって、海へと沈んで言った。
採算を度返しした、奴隷の人命を勘定に入れていない想定外の攻撃に唖然としながらも、機銃と砲門にて追撃を振り払おうとする海賊たち。船は全速力で航行する。海に落ちた山賊たちはそのスクリューのえじきになってしまった。
「親方!いったい、なんなんですアレは!」
先刻まで少女の母親を犯していた一際若い男が、有線機のマイクに懇願するように問う。ここまでは予想していないにしても、親方は何か心当たりがあるから撤退を命じたはずなのだから。
「撤退した理由は笑い声だよ!きっとブルータル・デビル・エリー……この海域で、100人以上の空賊・海賊・山賊、ゴロツキたちを姿かたちもなく消してきたジオとエリーの片割れだ」
ジオとエリー。この2人が壊滅せしめた海賊、空賊、山賊、都市部のギャングの被害なり関与なりあった現地住民らから伝えられた名前だ。殺人鬼と呼ぶには生ぬるい人面獣心の虐殺者。最大規模で三十人の組織をたった2人で壊滅させたと言う。どう言うわけか、手に掛かったものの死体は発見されておらず、神隠しにでもあったようなのだ。原住民も直接彼らを見たと言うよりも、「現れたと噂が立った頃には、賊諸共に消えていた」と言うのがジオとエリーの伝承に必ずつくオチだった。
「有名な話ですけど、伝説では?あいつらに、目撃者はいないんでしょうが?」
「よく知った奴は皆殺しにされているんだ。奴らはさっきみたいに、原住民の命を省みない。義侠心に駆られてやってるんじゃない。単純に、たった2人で、空賊・海賊・山賊から物資を奪っている最低最悪の賊だ。生き残った原住民たちからも空賊海賊以上の悪党だと。漠然とした情報しか残っていない。だが2人は、その漠然としか情報と照らし合わせても、確実にあの飛空船の中に存在している」
親方が厄災について語る頃、砲座の子分4人は、ジオとエリーが乗ってると思わしきマルタミ社の飛空船が追撃を止めてその場に留まっている事に気がついた。
攻撃は尽く命中しており、白煙が艇体から舞い上がっている。
「追ってきませんし、いままでの攻撃もまともに食らってます……引き返して撃ち落としますか?」
「いや、逃げるぞ。人間をばらまいて攻撃するような連中だ。他にどんな手を使ってくるかわかったもんじゃない」
親方の判断は正しかった。しかし、すでに詰めろがかかっていた。
骸狼の飛空船が海賊船のレーダーに捕らえられた。当初、戦線に戻ってきたのかと安堵する海賊たち。しかし、骸狼の飛空船がある程度近づくと、停留していたマルタミ社の飛空船も高速で海賊船に接近を再開した。
マルタミ社の飛空船にはジオとエリーが乗っていたのではない。エリーだけが乗っていたのだ。
ジオとされる男は、骸狼の方の飛空船を乗っ取ていた。
2台の飛空船が、海賊船めがけて、それぞれの軌道が十字になる形で、捨て身と間違いない突撃を仕掛けてきた。
海賊船失われたゾンビ号は為す術なく、推進する飛空船を撃墜できず、船体に重力とエンジンのパワーで突進してきた飛行物体の体当たりを食らわされた。少人数で動かす為に、最大限の機械化が施されていた海賊船の、シリンダーやシャフト、電装系統が壊れてしまい、砲台は4門とも動作が止まり、モニターはエラーメッセージを吐いていた。
飛空船がぶつかる直前に、小さな影が、それぞれの船体から放たれていた。おそらくは非常用のジェットパックで脱出したジオとエリーだ。
非常脱出用に限らずジェットパックは、総じて長くは飛べない。その上、奴隷を横取りするつもりなら、じきに海賊船のどこかに着地するだろう。
山賊の生き残りたちが、船内に逃げ込もうとしたが、キャベツ玉のほどの大きさの強化プラスチックの球体が、甲板を転がって彼らに近づく。マルタミの輸送船の残骸から10数に転がって出てきた球体の正体は、殺人テクノロジーの塊だ。
床を転がるように移動して、要すれば、宙を浮いて敵を追尾する。そして、低出力のビーム攻撃する。ビットと呼ばれる自動追尾兵器だ。
低出力の対人用兵器に分類され、発掘された古代兵器をマルタミ社が解析、量産したものだ。
山賊たちは、各々の武器でビットに対抗した。存外にいい勝負をするものだったが、ビットからのビームだけでなく、洋上から放たれたと思わしき実弾の攻撃により、次々と倒れた。銃弾は必中しているわけではなく、五分五分ほどの命中率だった。
失われたゾンビ号のメンバーたちは、ジェットパックで脱出したジオとエリーを闇夜の中に探す一方で、山賊たちが戦い倒れていく様子を見て、実弾はボルトアクションライフルでの狙撃とみていいと結論づけた。バトルライフルのセミオート操作でも不可能ではないだろうが、ジェットパックを背負って射撃できる銃だとボルトアクションとみていいだろう。
ビットが反応し、ビームを放ったところ、発光源に、スコープを導いて撃っているのだろう。
伝承された枯れた銃撃技術と、発掘された殺人機械を組み合わせた手法は、恐ろしいと同時に感嘆するものであった。
海賊の子分4名は、銃撃する小さな影を目で追う事は叶わず、ビットが彼らを狙う前に、ライフルの標的にされる前に、使えなくなった砲座から離脱。操舵室から親方も離脱し、海賊たちは船長室とその前の廊下へと立てこもる。
3
船長室へ侵入経路は、天井のダクトと、1本道の廊下の2つのみ。天井のダクトは船長が直々に守り、廊下は4人が柱や扉に身を伏せて銃を構え守っていた。
ジオとエリーの目的は奴隷にする女を横取りする事と見て間違いない。
銃器を用いず、飛空船を体当たりさせる手段は、果たして女奴隷の生命を配慮しているのかどうかについてはかなり疑問の余地は残るものの、男の奴隷を、砲丸がわりに使い潰したことを鑑みて他に理由がわからないのである。
しかも、奪った2つの飛空船を2つ失った今、この海賊船を乗っ取る以外に、ジオとエリーは、それを成し遂げる術を失ったはずだ。
2対5なら勝機があると考えるかもしれないが、10人いた骸狼と、30人の奴隷を引き取る為に最低でも6人以上はいたであろうマルタミ社合わせて機械武装もしていたであろう16人以上を、すでになんらかの方法で葬っている2人を相手に戦況は絶望的だ。
緊張が走る船内の廊下の床に人影がゆっくりと伸びてきた。武装したジオとエリーに違いないと海賊たちは考える。
だが、間も無く姿を見せたのは、血まみれで、顔面に酒瓶らしきガラスの破片がいくつも刺さった男の姿だった。空賊の骸狼のボス、ケルベロスの姿だった。
自他ともに認める美男子の顔は無惨な有様で、歩いてるというよりも足で這ってると言っていい有様だった。たすけて下さい。たすけて下さい。と虚ろな目と口の動きで訴っている。もはや空賊のボスの威厳はない。右腕は失われ、止血のみされたのだろうか?包帯が巻かれていた。
一際若い子分が、助けようと廊下の奥に進もうとした瞬間。船長室のドアが開き、親方は無情にも発砲。動くのがやっとのケルベロスを撃ち抜いてしまった。
彼は床に崩れ落ちた。
たたずを飲む子分たち。すると間もなく、ケルベロスの包帯が巻かれた右腕が爆発した。
彼は拳に爆弾を突っ込まれて人間地雷として廊下に送り出されたのだ。
ジオとエリーは既に、5人がここにいることを目星をつけていたと認めざる得ない。親方も、自分たちが5人しかいない事まで、ジオとエリーが把握していると悟った。ケルベロスの顔についた傷や失われた腕が拷問によるものだと考えた。
ケルベロスの顔を砕いた酒瓶を入れた桶か何かに顔面を突っ込んだのだろう。
親方は、一度、ケルベロスを船内に案内した事を後悔した。敵は「最後に立てこもるならどこだと思う?」と、痛めつけて吐かせたのだろう。もちろん、ケルベロスを案内した際に、そのような説明をした事は無いが、空賊のボスである彼なりの意見を引き出したのだろう。
最も、拷問から引き出した情報を完全に信じていない為に、生きた地雷として、送り出されたのだろうが。
思案する親方だったが、船長室の天井のダクトから、某の液体が漏れてきた。どこから注ぎ込まれているのか、可燃性の油脂だった。
親方は部屋を飛び出した。その続けざまにダクトから炎が吹き出て油脂の燃焼がする。
操縦室まで燃やすジオとエリーはもはやこの船を奪わずして奴隷をも皆殺しにするというのか?一体なんの為に?ジオとエリーというのはバケモノではないか?ドラム缶に丸太のような鋼鉄の手足をもつ、なんとなく人型に分類できる殺人ロボットかなにかではないだろうか?
燃え盛る船長室。怯える海賊たち。その廊下に、女奴隷たちが、おぞましい悲鳴を上げながら進入してきた。性奴隷にされるはずだった5人の女奴隷が、立て一列に並べられている。彼女たちの肩を一本の鉄杭で串材にれていた。逃げることも、列を乱すことも不可能状態だ。目隠しまでされて、銃を向けられていても止まる判断が利かない。
その背後にいたのは、年齢にして10代後半の黄色肌の人間の男と、黄色肌のミュータントの女だった。人間の男は、頓着のない黒い短髪に真っ黒な瞳。8m m口径のバトルライフルを肩に据えている。ミュータント女は青色の艶やかなロングヘアに金色の瞳、彼女は携えた12mm大口径のサブマシンガンを腰だめに携え、けたたましく笑いながら男よりも早く発砲を開始した。笑いながらというか、脳が理解を拒むような罵言を交えている。
先ほどまで彼女らを強姦していた海賊たちすら恐れ慄く事に、女奴隷5人を串刺しの歩く分厚い一つのヒューマンシールドに変えて、この少年少女は攻撃を仕掛けたのだ。
応戦する海賊たちの銃撃に肉という肉を貫かれ、命乞いをし泣き叫ぶ女奴隷たち。
海賊たちの背面はどくどくと注がれる燃え上がる油脂、前方からは、5人の女の肉の壁で守られた伝説の通り極悪人とされる少年少女。
海賊たちの死に際の意識は、だれの悲鳴か、どっちの銃声か曖昧なまま、眼前が暗転したものであった。
4
骸狼の飛空船にはちょうど10人のれるエアー式の非常ボートが、マルタミ社の飛空船には形は違えど10人分のエアー式の非常ボートがそれぞれに装備されていた。
燃やす予定の海賊船の非常ボートなど勘定していない。衝突に備えて、マルタミの輸送船の貯水タンクに、収縮した状態のまま放り込んでおいたのだ。
ジオとエリーは23人の性奴隷の内、18人を牢屋から出して、それぞれ9名ずつに貯水タンクから回収したボートを準備させた。その間に、間引いた5人を鉄杭で貫いてヒューマンシールドにした。
海賊諸共、5人の女性を蜂の巣にしたあと、それぞれのボートに少年が、少女が乗り、銃を突きつけ9人の交代でボートを漕がせた。
2人は人間以外の戦利品となった武器という武器を全身にロープで巻き付けて、携行していた。
火を放たれた船は燃え上がり、延べ55人の死体は、伝え話の通り無くなった。
女性たちは、完全に抵抗する心を失った。
少年少女は、虚言を交えて、故郷の男たちも、5人も無事だと伝えていた。
だが、誰も帰ってこない。しかし、逆らえない。
暴力沙汰に生きがいを見いだしている美しくも異形な少女の笑い声と、好きでもない仕事を終えたそれのような振る舞いの少年を前に、家畜の思考にならざるなかった。
ボートが向かうのは、ジェンガ島。ジオ・イニセン、エリー・マリスキュラがさらなる殺戮を計画する舞台だ。
1章『姦しい碧髪金眼のミュータント』
5
「話と違う」
満月の夜。新しくできる娼館に並べる奴隷を受け取りに来た男は、港湾の岸壁から望遠鏡で、20人ほどを乗せた船体がゆっくりとこちらに来るのを眺めて声を漏らした。
男の手下3人が、それを聞いて顔を見合わせる。
ジェンガ島の東端にあたるこの港湾は、ネディアという街に作られたものだ。いや、港が先にできて自然発生的に、国家に至らぬ武装集団による自治が始まり知らぬ間にネディアと呼ばれていた。その武装集団もつい先日、男のボスが所属する内陸の大組織に取って代わられ、住民は大なり小なり商売を変える事を迫られ忙しくなっていた。新勢力は金本位の貨幣経済を推奨していた為である。
男は勝ち馬に乗る形で、新たに娼館の支配人の職を得た。そして、この度、海賊が奴隷を受け渡すという話だったのだが、艀どころか2艘の救命ボートのようなもので奴隷が運ばれている。
この港湾の海水温度は高く夜から湯気が立ち込める。
湯気の中からボートを奴隷に漕がせて、姿を現したのは、やたら美人の碧髪金眼に人間と同じ黄色肌のミュータントが鞭と拳銃を携えてだ。
この美人というの必ずしも褒め言葉ではない。伝承上殆どの厄災の類は美人、美丈夫というのが相場だ。荒神、高位の悪魔、悪霊、魑魅魍魎。
海という生命の母、そして死の温床。ミュータントの艶やかな青い長髪が朝焼けと海面からの照り返しで煌めくも、鼻腔を通る湯気に死の匂いを強調するのだ。
ミュータントたちの多種多様な髪色、瞳の色は色彩異常によって生じるものであり遺伝はしない。男がミュータントを警戒するのは、程度に開きが多いが超能力を有している場合が多いからだ。炎を出したり、鍵を開けたり、酷いものだと人間の意識や記憶に干渉するという。役に立たないような能力もあるのだが、警戒する事に越したことはない。
ミュータントの女は、要領を得た投げ縄で、ボラードと係留でボートを岸壁に寄せ、鞭を空で鳴らしたのを合図に奴隷たちを岸壁から上がらせてコンクリートの地面に並ばせる。
奴隷たちの服は最低限の体裁のみとらせたようで、チグハグで、浮浪者然としていた。生活に最低限必要なものと、他人にはガラクタにしか見えない私物だけ、不揃いの麻袋みたいなのに詰め、財産と呼べるものは当然ない。これでも娼館に並べる性奴隷の扱いとしてはマシな方なのだが、一様に目が死んでいる……と、いうよりも壊れている。
余程の目に合わせれたのだろうが、そんな事は男には関係の無い事で、しっかりと働いてもらうつもりだ。
しかし、人殺しも人攫いもやってきた男だが、従順というよりも完全に人形化している奴隷たちを前に猜疑心が沸く。
ここまでの有様ははじめてで、このミュータント娘が何かしたのだろうか?まさか人心を意のままに使う超能力を全員に施したのではないか?
男明日から無慈悲に奴隷たちを娼館に並べるというのに、関係ない話だと自分に言い聞かせても、男は不安と、ミュータントの美貌から胃がムカムカとしてきた。
とはいえ、手を止めてはいられない。男はその思考を一旦他所へ置き、手下と共に奴隷の数や状態の確認作業に入る。
性病の症状がないか口と膣内を確認していく。
ズボンを下ろし、尻を突き出し、前屈みに口を大きく開けるように指示した。
男4人は2人2組でそれぞれ口と膣を担当する。
フィラメントの懐中電灯で照らしながら、一切の性の昂り無く作業をこなしていく。
痩せて尻穴が既に丸出しになっているものは淫唇をそっと広げて、尻肉の厚いものは乱暴に尻肉と淫唇を一緒くたに広げて病巣の有無を確認する。
その様を何もせず眺めるミュータントの女。目尻をだらしなくたらし、今にもせせら嗤いそうな口元をしている。奴隷の扱いに邪婬を滾らせているのではなく、穴を凝視する4人の方を滑稽に感じているのだろう。少なくとも男はそう感じていた。
延べ18名。肉体の健康状態は娼館に並べる分には問題なし。予定より4人少ない。手荷物に怪しいものはなかった。
数が合わない件はボスに事後報告すればいい。これは事前に打ち合わせてある。よっぽどの乖離がなければ貴重な奴隷(資源)の確保を優先するべし。と。
奴隷に限らず、本来の取引相手から横取りした商品を持ってきたら?この場合は商品を受け取った上で、相手を殺して金を回収する。ボスは取引相手の安否を手のものに確認させる。
今まで奴隷以外の取引で3度そういうことはあった。しかしその場合、相手も警戒しており自分たちを大きく見せる為に人手も武器も用意してきた。だから殺すのもその場でなく事後に確認を取ってからだった。
しかし、華奢な女1人で軽装だ。安物のコンバットブーツ、ジーンズに、防弾ベストを白いYシャツの上に取り付けている。右の大腿は素足に、腰ベルトから垂れた革製の小さなホルスターを巻き付けて収納する拳銃は6mmオートマチック。延長マガジンを使って40発入るやつだ。フルオート銃だとしても護身用、牽制用だろう。鞭は編み上げた革製で、手入れしたばかりか油脂の艶を帯びている。腰まで垂れたストレートの碧髪は美しいが、仮に戦いが始まれば邪魔で場違いさが際立っている。と、無防備に近い風体である。
こんな事は初めてで、男は海賊の件を探り出す為にも取引を続行する。
話してみるとミュータントは下品な女だった。女というより少女か?姦しい、けたたましい、そういう女だった。
「私が新顔だからってこの金額はないんでないの?それともこのピチピチギャルが珍しいカブトムシにでも見えるのかい?ええ?おっちゃん?」
終始この調子である。完全にこちらを舐めている。この発言も、本気で金額に不満を感じている様子がない。金色の瞳も軽薄な笑みをたたえている。だが悔しいかな、男は女への警戒を解けない。却って腹が読めない。舐めた演技で男を怒らせようとしているのかもしれない訳だ。
「ふざけるのをやめろ。ミュータント風情が人間のナワバリでまともに奴隷商できる訳ねえだろ」と、男が言う。
ミュータントの少女は大げさに肩を竦める、両手を泳がす。
「オーリック金貨36枚に、この紙幣はなんだい?こいつも36枚だ、どこで使えるのさ?」
「ジェンガ島とその近辺では使える。2枚あたりオーリック金貨一枚分としてな」
「かー、あんたらの縄張りで遊んで帰れっててか?バカにした話ね。わかったわ、今日はこの街の安宿に泊まって1週間後にはこの紙切れオーリック金貨44枚に増やしてから帰る事にするわ」
さて、控える3人の男たちだが、自分の雇い主が馬鹿にされている様は不愉快であるものの、雇い主の許可なく実力行使というのもまた、雇い主に対しての無礼である。
なにより、ミュータントの女が放つ異様に、雇い主同様にプレッシャーを感じていた。
アサルトライフルより重いのが不評な旧式の9mmサブマシンガンの重量が今日だけは頼もしく感じた。
もしかたしたらミュータントの女は姦しい演技をした囮で、他にも仲間がいるのではないかと周囲の警戒も怠たらない。
はて、さて、奴隷を連れていくトラックだけが遅れている。間が持たない。男は探り入れる為にも会話を紡ぎ、ミュータントの女の無礼な口上を許すことにする。
「一応聞いておくが、こいつらどこで買ってきた?」と、男。買ったというのは相手が女1人だからだ。仲間がいて攫ってきた可能性もあるが会話を紡ぐ為に言葉を選んだ。
「心配しないでよ。私たちミュータントの中には人間が憎くて憎くてたまらないココロの貧しい実力者がいる訳よ、この娘たちも、人間を蔑める為にとっ捕まえて、わからせてやって、私らコマ使いに売りに行かせる訳よ。ビョーキよ、ビョーキ。ミュータントのほとんどは私のような親人間主義。でも一部のミュータントが反人間なんで“こんなモノ”のしか売り物がないという……キャハハハハハ!」
クネクネと指をうねらせ、上品に腕を躍らせ、途中、下品に腰を振る。身振り手振りを加えて語る。
1人でしゃべって1人でわらっている。美形だから余計に気色の悪い光景だ。
付け加えるべきは、非常に絵になるのだ。それは極めて悪趣味な絵画で、作者の人間性が疑われる曰くつきの美人画だ。
「金貨が欲しいなら道化にでもなったらどうだ?派手なメイクでミュータントである事も隠せるだろう」
「おっちゃん鋭いね〜!私は帰ったら人間の奴隷がどんな目に合うかをボスに面白おかしく伝える道化の仕事があるんですよ〜ぐへへへ……て言っても、人間の交尾を馬鹿正直に眺めてその感想を伝えるなんて、コレほど割の合わない仕事は無いんで、この町の安宿でガッパをキメてオナニーこいて寝るわ」
話していると女の方からスキが出て来た。美女である事を捨てけば、下品な振る舞いから容易に想像できる。ボロ宿に安酒と麻薬を持ち込んで前後不覚のまま、カビ臭いマットレスに寝そべり、指で自分の女性自身を乱暴に虐め抜くのだろう。オナニーまでやかましそうだ。
「ガッパはうちの縄張りじゃ出回ってない。オグラならあるぞ?」
「えー、あれ肌荒れるから嫌いなんだよね」
男は女の発言に麻薬の使用を含ませたのは、スキがあるかのように演技しているからでは無いかと思い直した。オグラで肌が荒れるという副作用は聞いた事が無かった。それともミュータントにはその種の副作用が出るのだろうか?
不毛な腹の探り合いの最中、遅れていたトラックが到着した。子分の1人がドライバーに罵声を浴びせるが、ドライバーは一切意に介さず、平謝りで済まそうとしている。若い上に見た事ない顔だったので、どこぞの流れ者で道に迷って遅れたと男は見た。
ドライバーは男の手下ではなく臨時雇いだ。15人以上で叛意を保った奴隷であれば、頭1人手下3人では心許無い数だったので、ドライバーのみ雇い入れたのだ。
奴隷たちをトラックに乗せる。
恫喝するまでも無く、奴隷達はぞろぞろともがきながら幌屋根の荷台によじ登り、僅かな床面積に身をすくめて収まった。
取引はすんなり終わったのだ。
「こんごとも御贔屓にね。じゃ、さいなら」
ミュータントの女は、トラックと男たちに無防備にも背中をさらけ出し、岸壁沿いを歩み去り始めた。
それを見て男はすかさず懐の9mmオートマチックを夜空に向かって威嚇射撃をした直後に、銃口をミュータントの背中に向けた。
ミュータントの女は発砲音に振り返りながらも、既に腰を抜かしており、銃口を確認するやびっくり仰天の表情を見せ、次いで、既に抜けていた腰はもたなくなり、よろよろと岸壁から転落。
事幸い、自らが停泊したボートに着地しことなきを得る。
銃を前にした反応までやかましい様は、さきほどまで同一人物から与えられたプレッシャーによる男たちの緊張を解きほぐし、一気に滑稽さが極まった。
「どういうつもりだい!女を後ろから撃ってどうすんだよ!私も奴隷にするってのか?欲張り過ぎやしないかい?気色の悪い野郎どもだ!いくら私が美人だからって思いつくか!?」
ボートを揺らしながら大きく震えて女は叫ぶ。
ボート港湾からボート銃を向けて見下ろしながら男が本題を問う。
「海賊船が奴隷を連れてくるって話だったろ。あれはどうなったんだ?」
「なんで今聞くのさ!聞かないもんだから、話は通じてると思うだろう?海賊とは連絡がつかなくなっちまったのさ、急な話だから艀も用意できなかったし、奴隷の数も帳尻合わせになっちまったんだよ!お願いだからその物騒なのをしまってくれよ!海賊船なんか襲えるものかよ!仮にそうだとしても、あんたのとこのボスに確認してみなよ!私が帰って来なかったら、私の所のボスが黙っちゃいないよ!」
男は、実のところ、奴隷の出自までは把握していない。買って来たにしろ、誘拐してきたにしろ、そんな事までいちいち周知されていないのだ。
目の前のミュータントも、所詮はただの小間使いに過ぎず、この女も奴隷の出自まで周知されていなというのが真相に近いだろう。
口が達者なだけで、牽制する筈の6mmオートマチックすらまともに扱えていない。
尻餅をついた姿勢から、それをホルスターから取り出すのにロングマガジンが邪魔をして酷く手こずっていた。
「よくも散々コケにしてくれたな、2度とその気味悪い面を見せるな!」
男の剣幕にミュータントの女は、先ほどまでの威勢は消えうせて、一生懸命オールを振り乱しジグザグに沖へと逃げ帰って行った。2艘あったボート1艘はその場に残していった。
女に反撃の余地がなくなったのを見届けると、男たちは、トラックへ踵を返す。
そこには遅刻してきたトラックドライバーが、銃の構えを解いた姿があった。加勢しようとしていたように見えた。
男は、トラックドライバーをかなり鈍臭いヤツだと、呆れてしまった。遅れた事を挽回しようと焦りもあったのか、威嚇射撃の時に運転席から降りて銃を構えていた用だ。しかし、その位置から撃たれるとこちらまで巻き添いを食らいかねない。今その場で怒鳴りつけようとも思ったが、その辺はおいおい指導が必要だと心の中で思案するのだった。
6
娼館の一階を丸々使ったバーに、支配人として勤務する男の姿があった。
彼の制服は白地に黒襟のタキシードに黒のボウタイ。厳つい回転ベゼルのつつましいナイロンベルトの腕時計。テーブル越しに、土色のスーツに、黒いループタイ、金時計の老人と膝を合わせている。
娼館には2人だけでなく、18人の性奴隷、従業員、9mmサブマシンガンで武装し、防弾ベストで防御を固めたガードマンらもいる。
老人は、男のボスが所属する大組織の元幹部で現在は末席にいる人物。男とは面識があった。
2人は薄めのウィスキーソーダを何杯か飲み交わして、娼館の立ち上げから1週間経った現状の監査と、近々の動向について話し合っていた。
男が大量の性奴隷を仕入れたのは、この娼館を開業する為だ。
男のボスが所属する大組織が、この街、ネディアの有力者の排除、軟禁に成功した為、失脚した者の屋敷を娼館に改めることとなったのだ。無論、旧勢力への見せしめ効果も目論んでいる。
無法の世で、港は、旧勢力に様々な武器を与えていたのだが、内陸部で長い時間をかけて脈々と勢力を拡大しつづけた大組織が勝利する事となった。
港は、どこの誰とも知らない奴らが荷下ろしをする。だが、その場を陣取ればやりたい放題だった。港の使用許可を得たり、地元の奴隷の使用料も取る事など、他様々な事を強制できた。この世で2番目に価値のある人間の奴隷の差し出しも要求できた。そして、この世で1番価値のある資源、ゾプチック。殆どの飛空船、船舶の動力源、熱光線兵器の熱源となってるゾプチックも、いわんやである。些細な事でも従わない者は殺すだけだ。
その既得権益を保護するべく、時代錯誤にもジェンガ島の港はどこもかしこも、飛空船の離着陸を禁止していた。この半世紀の飛空船の技術の発掘改良が目まぐるしいものだった事に目を向けなかったかったのだ。
一方で内陸の多くの部族は、港が飛空船の離着陸を禁止していても、港の勢力が制空圏を取れていない事実に着目し、積極的に内陸部内で飛空船の離着陸を歓迎した。
内陸の部族は、港町の勢力の暴力に晒され、海路の交易を絶たれる事となったが、それが部族間の結束を生み出し、現在の大組織に成長する骨子となった。時は流れて今から10年前、自前の飛空船の配備から状況は日々、攻勢に傾き、島に存在する港を徐々に確保した。海路の交易も回復したことで勢いは増していく。そして、とうとう、湾岸勢力最大だったネディアが墜ちた。ジェンガ島は一つの武装勢力、大組織に統一された。
老人曰く、大組織は、善政と言えるシステムの構築を模索しており、成し遂げればいずれ小国家となり得るだろう。その旨で会話を終えようとしている。
大組織は、ネディアに限らず港町に住む市井の人々を、全く同じ待遇という訳にもいかないが、奴隷として使い潰すのではなく、自由人、シチズンとして扱う方針だ。
その一環で、この娼館は、奴隷の一応の待遇向上のモデルケースとして位置付けられている。港街ではこれまで娼館と言った施設すらなく、性奴隷たちはどこも使い捨て同然の扱いで、不治の感染症や、病気による醜形、加齢などで客が取れなくなると、文字通り、内陸の方に追いやるように、捨てられていた。これに問題意識を持つ人間はこの時代、ごく一部の地域に、ごく僅かしかいない。
日が暮れて少し経ちそろそろ、客入りの多くなる時間だ。老人は一席でも商売の邪魔をしないように、役得を貰い、引き上げる事にした。
示し合わせた通りに、ボディコンに身を包んだ、性奴隷たち。この娼館の娼婦たちが、2階の廊下の右翼左翼に等間隔に並んで出てきた。
娼婦たちの中には、この不愉快な仕事を受け入れきれずに、暗い表情のものもいれば、とっとと終わらせて、僅かばかりの分前を増やして貰おうと、やる気になっている者がまばらにいる。
ほとんどは考える事を放棄したような呆けたかのような無表情でいる。
老人は監査の延長で、役得に1人を無料で抱ける手筈だ。老人が1Fから見上げて娼婦を選ぶ最中、1人の娼婦が作った笑顔で、老人に手を振った。
老人は、迷うのをやめてその女性に決めたのだった。
娼館は300平米の土地に2階建て。外装は赤レンガで内部は木造。水回りを除いて完全なシンメトリー構造だった。元が屋敷だったので、1Fの玄関ホールは2階まで吹き抜けで90平米も使っている。ここが男と老人のいるバーに当たる。中央から階段があり、2階は玄関ホールを一望できるように、右翼左翼に廊下が続く。2階には10部屋の寝室、つまり売春部屋がある。男が仕入れた、18人の奴隷たちが、ボディコンに身を包んで右翼左翼の廊下に並ぶ。客は、1階からどの女がいいか黒服に伝えて、料金、一人1時間あたり銀貨10〜35枚を支払う。飛空船の交易で主流になっている銀貨は全て受け取るようにしているが、どうしても銀貨のネームバリューに応じて開がある。しかし、選り銭は組織の方針から禁止して偽物でもない限り受け取るようにしている。
当初は、大組織発行の紙幣の導入も検討されたが、現状、オーリック金貨を基軸とした約束手形のような扱いが限界であり、銀貨のみ受付となった。
1階のバーエリアでやる事は女を選ぶ事と、金銭のやり取り。目当ての女を待つ場合、酒とつまみの注文。と言ってもメニューはウィスキーソーダとナッツしかない。
1階の玄関口では、手荷物の預かり所を設けている。というよりも武器の預かり所だ。無法の世で、しかも、誰が誰やらわからない港町で、武器を携帯して入店させる訳にはいかないのだ。
しかし、今、役得にありついた老人。彼が腰に携えるビームブラスターだけは別だ。
この老人は、大組織の末席で働いており、ネディアに展開する商売の監査にやってきていたのだった。大組織の元幹部の彼は、一線を退いた際に、竣工したての、大組織の有する造兵廠が開発したビームブラスターの試作品を記念にもらったという噂だった。
「そのビームブラスターは、新しい造兵廠で作られてるというやつで?」男は世間話の一つとして聞いたみた。
「ああ、君の銃の腕前が凄いと聞いていたが、知識もあるようじゃな。こいつは試作0号機でな、正式版は少数生産で完成品は外洋の国の金持ちに売りに出してるそうじゃ」
「金持ちに売り出す?武器をですか?」男には金持ちが道楽で武器を買うという感覚が理解できなかった。
「こいつは、武器職人が、威力をただひたすらに追求した一品でな。ビームを3回圧縮して打つという特殊な構造をしてる。武器マニアを喜ばす為の武器じゃよ。お飾りの武器なら一線を退いたワシにもちょうどええわい。」
男は回答にイマイチ理解が追いつかないまま、とにかくその銃が、理想の運用から必要とされる開発でなく、威力への挑戦から開発されたものだという所までは理解できた。
老人に自らを売り込んだ女が、2階の階段の付近までやってきて、今度は手招きをした。歳の頃は28前後で、18人の中でも真ん中ぐらいで、肉付きがいいほうだ。
老人は、それに応えて階段を上がる前に男に言葉をかけた。
「君が、我々の構成員になれるように、親分のメィ・ディからもワシからも、会長に進言しておるよ。今後、政治的な組織になるが、それ以前に暴力でメシを食える奴じゃないとな、我々の仲間は務まらん。その点、君は信用に足る。先週も、ミュータントがここの奴隷を売りきた時、胡乱な空気を醸してたらしいが、見事な対応で覆したそうじゃないか。期待しておるぞ」
老人が、階段を登っていく。この女奴隷は、もう春を売る事に慣れたもので、老人の肩に寄りかかる。作った笑顔に甘えた声でエスコートする。それに対して気取った笑顔を見せる老人とともに、右翼の奥から2番目の部屋、9番室に入って行った。
奴隷たちは最初こそ嫌悪の表情に満ちていたが、嬌声を上げれば男がとっとと果てると理解するものが現れ始めた。そのまま何人か淫乱演じる事ができるようになってきた。キャストとしての質は上がっていると言っていい。
先の奴隷も、爺さん相手なら肉体的に楽なもんだと割り切ってやっている。
男は働き始めて初めてわかった 清潔や安全ほか云々は贅沢だが必須だと。今がまさにその状態だ。最初は娼館の支配人と聞いて気が進まなかった。港の売春は古いやり口で、ポン引きが性奴隷と並んで街路に並んで、金を貰い、武器を預かり、宿屋に多めの休憩料を支払うというやり口だったが、基本的に奴隷は当然として、ポン引きも危険にさらされるシステムだった。今はどうだ?全く違う、男の感想の領域でしかないが、性奴隷といえども、待遇が違えば効率的に稼げるように化けるものもいるという事がわかったのだった。質のいい奴隷に育てば買い取って貰えばいいし、客づけができなくなればどこぞに給事に駆り出せばいい。
奴隷の老人への文句なしの対応と、老人の笑顔から、自信に満ちた思考に浸った男だったが、老人の言葉が反芻する。そう、先週、ここの奴隷を引き受けた取引についてだ。
先週の取引の背景は少々特殊だった。
3週間前、海賊たちがどこかへ奴隷を調達に向かった。
内陸の大組織は、海賊が、どちらの側につくか確信が持てなかった為、彼らの不在を見て、有力者の排除と町と港の掌握を成した。この娼館の立ち上げ計画が公になったのはこの時だ。
海賊たちは3週間前に事前情報として22人の女奴隷が確保される予定であると、失脚した有力者の方には伝えていたようなのだ。
ボスは、元有力者から聞き出した情報から、男に買い付けを命じたのだが、海賊と連絡は取れなかったとの事だ。
奴隷はネディアの港から元有力者の采配によって、ジェンガ島の各地に弱小勢力に成り果てた街娼のポン引きどもに、将来捨てる為の売春に供されるのが当初の予定だった。もうその手の手合いに奴隷が来ることはない。
奴隷の数22人は略奪によるものとも、売買によるものとも取れる人数であっため、あながち碧髪金眼のミュータント女が言ったミュータントの奴隷商が海賊と連絡が繋がらなくなり、直売に転じたという話自体は嘘か誠か不明のままだ。
かと言って男がミュータンとの女を脅した事に罪悪感はない。老人の言葉で合点するがまさに胡乱、異常の類なのだ。しかし、今に限らず男は不意にあのミュータント美女の印象が喉に引っかかった魚の骨のように思考を遮る事が何度もあった。
美女の体をどうのこうのいう夢想ではない。ふと無意識になると背後に無言であの女が何をする訳でもなく突っ立ている。それはあくまで無意識下での誤認であり、振り返るまでもない。だが、その誤認、意識のノイズに気がつくと、背後の女は意識の底に消えていく訳ではなく、男の脳裏で大袈裟な身振り手振りでこちらを、馬鹿にした態度を取る。
嘘か誠かわからなければ、女がとった無礼な態度の意図もわからないままになってしまったからだろうか?男の中で答えは出ない。
男が諸々の思考に耽っていた所に、すっかり常連になってしまった若いトラックドライバーが入店してきた。
ここのしきたり通り、玄関手前の入場口に靴を預け、スリッパに履き替えている。入るなり、玄関の手荷物預かり所に武器を預ける準備まで終えている。そのあとはボディチェックを受ける。
娼館の玄関の手前には、増築された靴を預ける入場口を設けており、入場時に預かり金に銀貨10枚を渡す事になっている。
先にあった通り、以前の性奴隷の扱いはレイプ同然であり、そのような扱いはここでは御法度だ。狼藉ものが逃げられないように、そもそも変な気を起こさないように靴を取り上げ、預かり金でふるいにもかけているのだ。
ドライバーは驚くことにあれから1週間、毎日来ている。銀貨を溜め込んでいたようで、いつもバラバラの種類の銀貨で支払いをする。曰く、「ここは天国に一番ちかい」との事。
女を決めると1時間もしないで事を終えてさっさと部屋を出る。普通はなら、それで出ていくのだが、この男だけは毎度、バーでウィスキーソーダを注文して何やら思慮に耽ってから帰っていく。
選ぶ女は毎回異なり、2階の左翼の奥から1番〜3番の部屋を使っている。今日は2番、ちょうど老人の入った部屋の向かいに当たる。
彼の預ける武器は12mmのオートマチック銃。装填されている12x23mmのオートマチック用のカートリッジはハンドロードの形跡が見てとれた。被覆鋼弾だった。拡張弾頭を選択していないのは、先週の場所取りの悪さといい、銃の知識が不足しているからだろう。
銃のセンスの無さと、銀貨を溜め込む計画性、一方で娼館にどハマりして散財し続ける。何がしたいのかわからない男だ。若い男と言うが、べらぼうに若い。10代の後半といった所かもしれない。確信は持てないのだが。
矢継ぎに今度は、ベルの音がなり響く。バーカウンターの壁に付けられたハンドルとベルのついた奇妙な木箱から。
ジェンガ島に存在する数少ない電話機によるものだ。電話回線を敷設したのも大組織である。電話に出たカウンターの従業員は、電話の主は男に代われと申し出た。女性の声だった。交換手を除いて、ジェンガ島に敷設された電話回線を使える女性は、男のボス、メィ・ディぐらいのものだった。
「お疲れ様です。ボス……いえ、”組長”」と男。
「また間違えたね?まあいい。御老公は?お楽しみ中かい?」
「ああ、さっき、仕事を終えて、客室に入ったばかりですぜ」
「終わったら、娼館に待機させておいて。私も仕事が片付き次第、娼館に向かう」
メィ・ディの口調はかなり早く、焦りを匂わせていた。
「何かあったんで?」
「先週の取引、奴隷の仕入れ先がわからず終いになってたろ?思わぬ悪党の名前が出てきたんだよ」
「悪党?同業者って訳でなさそうですね」
「消息を絶った海賊は、空賊と組んで、どこぞの島から住民を拉致して奴隷にしたはずなんだ。ミュータントが仕入れたなんて嘘だったんだよ」
「それは……まんまと、騙されました」
男は悔しい反面、合点できた。ミュータントの女の存在が、思考に引っ掛かる現状に納得はできたのだ。
「奴隷を山分けにした海賊船も、空賊の飛空船も、奴隷商人の飛空船も、同時に消息を経っていたんだ。3台の船が消息を絶ってこの1週間。その海域の島々でジオとエリーの噂が出始めた。奴隷を引き渡しに来たミュータントの女はエリーではないか?その時は1人だったのか?男は?ジオはいなかったのか?」
男はジオとエリーという名前にピンと来なかった。
メィ・ディ曰く、2、3年ほど前から、周囲の島々の賊を襲撃して回ってる、イカれたカップルだという。
豪放好漢な義賊の類ではなく、無力な一般住民も平然と殺戮せしめるので、下手な賊よりも怨みを買っているらしい。
極め付けは基本方針が皆殺しであるという点だ。どうにも「欲しいものを奪う為殺す」のではなく「殺して奪ってから品定めをしている」ようなのである。
ジオとエリーが現れたという噂を耳にする前に、賊、住民問わず不審死が起こり、噂が耳に入る頃には頃には賊の集まりが海、空、山、ギャングを問わず消えてなくなっているというのだ。
消えた人数は200人以上に上ると言われており、その周囲で起こった不審死を合わせると更に跳ね上がるらしい。
それは少々、怪物じみており話に尾鰭がついているのではないかと男は思った。
「ついたあだ名がブルータル・デビル・エリーですか?残酷な悪魔……安直ですね」と、男。
「いや、直訳でなく意訳するなら”ひとでなし、鬼畜以下のエリーちゃん”といったところだね。ハルマゲドンだって架空の地名なのに黙示録とか堕天使って訳すだろう?」
「ジオにも芝居がかったあだ名は無いんですか?」
「エリーは派手に殺していると噂が立ってるが、ジオが死体を消す黒子的な役割をしているらしいのか、エリーだけの噂がたつことはあっても、ジオだけの噂がたつ事はないといった所だね」
「じゃあ、インビジブル・ジオってのはどうでしょうか?直訳すると透明野郎ジオですが、意訳して”そして誰もいなくなるジオ“」
男はちょっと得意になって言った。
「悪くは無いね」と、メィ・ディ。
「言っとくけどね、こいつらは、実在が確定したんだよ」
「噂じゃないと?」
「驚く事に生存者がいたんだよ。銃で撃たれ、腕を捥がれ、顔中にガラス片が刺さっているという酷い有様で、ジェンガ島の南の浜辺に打ち上げられていた。うなされながらジオとエリーの名を口にした。この生存者の意識が回復するのならば、彼はジオとエリーからの最初の生存者であり目撃者という事になるね」
メィ・ディはジオとエリーを探し出す為に、男と老人の二人に仕事を振り分けたいとの旨を伝えて、男との電話を終えた。
男は、ブルータル・デビル・エリーと言われてもピンと来なかった。ブルーの髪のエリーならあの女にピッタリだろう。あるいは道化のエリーならと。
長電話をしている間、他にも客が入り、外から帰ってきた部下が、電話を終えるのを待ちかねて、怪訝な表情でメモに走り書きをして無礼を許せよと表情で訴え、それをカウンターに置いて再び外へ出た。
電話を終え、エリーと呼ばれる女とミュータントの女の関連性を考えたのは殆ど一瞬の事だ。男は自分の部下が残した走り書きのメモに目をやる。
これを読んで、男は心の中で、次々に叫んだ。
トラックの運転手!先週の!そしてそいつはノコノコとこの娼館に客として出入りしているガキじゃねーか!まさに透明人間の如く!
その怒りの意識を刈り取るように、男に声をかける女の声。おどけた声だった。人を馬鹿にした声だった。
男は声の主が誰だか確信を持って、玄関の手荷物預かりに顔を向けた。
青髪のミュータント女だった。姿は先週とは打って変わって、髪型はロングヘアーからベリーショート。装いも新たに、髪の色より濃い青の紳士用のパーティードレス、パンプスはチャックで紫の色合いも加わる。6m mのロングマガジンを咥えるフルオート銃は相変わらずのホルススターで右腿におさまっている。それに白いベレー帽が加わる。完全に道化じみていた。
メィ・ディの電話。2番客室の透明人間。そしてこの酷い匂い。
先週の港での死の匂いではない。人間の血と臓物が花束の様されて差し出されたら、きっとこうなんだという、恐ろしい匂いだ。
目の前にいるのはブルータルデビル=ひとでなしの鬼畜以下だと男は初めて認識した。
7
俺は、吐き気のするような匂いという不安を振り払い、落ち着き払った態度で「おい誰でもいい”さっきの皿2枚”を”お湯”で洗う準備をしろ」と、誰にでも聞こえる声で言う。自分で自分を落ち着き払った態度というのは、それが本心から乖離した挙動だからだ。
9m mサブマシンガンを装備した、部下の中でも特に腕っこきの野郎が、階段を登って2階左翼の2番客室へ向かう。
俺は目の前の碧髪金眼の怪異の如き女を見据える。
「お嬢ちゃん、ここでは銃を預かる事になっているし、ボディチェックも、そこの若いのに受けてもらう」
声に凄みを持たせる。目配せだけで部下を動かして見せる。何とかこの女の舐めた態度を崩してみようと俺は腐心している。
手荷物預かり担当の若い子分が、獣欲をむき出しにエリーににじり寄る。スタンガンロッドを携えており、滅多なことでは、返り討ちにあうまい。
ここは娼館であって、普段、男のボディーチェックしかしていない、こいつに、この女で遊んで貰うことにした。
すると、全てを見通したような黄金の輝きが長いまつ毛に絞られて、両耳がぴくりと弧を描くように動く。ベリーショートになったので良く見えた。形の良い果実ような唇が、にゅっと横に伸びてカミソリと錯覚させる歯をのぞかせる。この表情を構成するパーツ群の美しさのせいか呪術の人形のように見える。
だが心を屈してはならない。ボスの言っていた200人以上殺した殺人鬼がこの女なら、この芝居がかった笑顔の裏に恐るべき殺戮や破壊の衝動を隠しているやも知れぬのだ。
前に屈んで、女は尻を突き出し、上体を弓形に、乳房を突き出し両腕を吊るされているかのようなレイプ拘束を彷彿させるポーズをとる。
チェックの直線がぐにゃり歪み、下半身の形がハッキリと分かる猥褻な曲線に描き直す。
首飾りが重力で吊るされる。錠前のアクセサリーではなく、本物の錠前をアクセサリーに使っているとは、何の意図か考えるだけ無駄だろう。
マゾヒスティックな表情の演技と、サディスティックな瞳からの嘲笑。おそらく後者は本心だろう。
6m mのフルオート拳銃を奪われ、体を乱暴にまさぐられ、それらを意に介さず、ミュータントの女は視線を俺に向けて再び宣い始める。
「いやね、交渉なら、自分が有利な状況でやらないといけないなと、反省してきた訳ですよこのティーンエイジ美少女ミュータント奴隷商人エリーちゃん」
俺はベストコンディションだという態度を取り繕うも、怒りと恐怖で女の口上は理解できない。だが、あっさりと名乗った。自分がエリーだと。ボスが言っていたブルータル・デビル・エリーだ。すなわち、人で無しで、鬼畜以下の、エリーだと。
若い子分は、ボディーチェックを続ける、エリーに荒い鼻息を吹きかけて、腰を無意識にエリーに擦り付けながら。ボディーチェックを受けるエリーは堂々としたもので、この子分が不憫なまでに滑稽に見える。
俺はカウンターの従業員と顔を合わせて「”ボス”の”モリンフェン”を”レシピ通り”に用意しろ」と告げた。
「もちろん”スパイスのたっぷり舌が痺れる”味付けですね?」従業員が付け加える。俺は無言で首を縦に振った。
暗号の意味は”ボス”の”目当ての客”が”店にいる”、”武器を持って加勢願う”
「お金払うからさ、私の分もお願い、食べてみたいわ、モリンフェン。どんな料理?」
体を弄られながら、エリーが偶然か何かを察したのか?そこまでは怪しいが、料理を所望した。
肝が冷えるとは正にこのことだ。それを悟らせまいと、俺は「いやいい、すぐに帰ってもらう」と食い気味に従業員に命じた。従業員はカウンター裏にある事務所へ向かう。電話がもう一台そこにあるのだ。
肉体の柔らかさが目に見えて理解できるほどの激しさだったエリーへのボディチェックが終わる。
「痛いだけで、全然気持ちよくなかったよ。ボディチェック」とエリー。
気だるそうに、全身に及んだボディーチェックなど恥にも屈辱にも無いという意思を見せた。強がりでなく、何だか、どうせ殺すんだと言わんばかりに子分を小馬鹿にしている。
「やり直した方がいいんじゃない……こんないい女の体弄れるなんてコレから一生ないよ?」
キャッキャと笑い挑発を続けるエリー。それに対してボディーチェックをした手荷物預かり担当の子分が、カッとなっちまってエリーから奪った6mmでエリーを殴りそうになった。
「挑発に乗るな」俺は子分を一喝する。
主導権をエリーに渡してはならない。子分はエリーを睨みつけ、6m mのフルオートを腰だめに構えてエリーと3歩距離を置いた。
さぁ、銃のお出ましだ。俺は瞬時に、戦況を改めて認識しなおす。
問題の2号室。エリーの仲間のジオという男が入ってる部屋だ。腕っこきの部下が一人、ドアの前まで到着し1階、つまりこちらの様子を伺っている。9m mサブマシンガンの安全装置は解除。当然のようにフルオート。2号室の扉を開ければジオに、今のままならエリーに撃てる状態だ。
2F左翼は、1Fのカウンターの上に廊下が通っているので完全に死角となっている。
2階の階段付近に、同じく9m mサブマシンガンを携えるガードマン2名が立哨している。2号室の中は無理でも左翼の廊下は難なく狙える。1階のエリーは俺が対峙しているので打つ事はできないだろう。
そして一階。エリーから奪った6mmフルオート拳銃を構える手荷物預かりの子分。もう一人9m mサブマシンガンを装備したガードマンが、カウンターの対岸に俺とエリーを挟むように立哨していた。エリーを撃つ事は難しくない距離だ。しかし手荷物預かりの子分に流れ弾がいきかねないので、安全装置はセミオートに切り替えている。
そして俺、9m mのオートマチックが一丁、タキシードの下に肩掛けのホルスターに入っている。
これは、いつでも抜ける。
事務所に向かわせた従業員も9m mのオートマチックを持たせてある。電話の為、ここにはいない。
9号室の老人が加勢する事はないだろうが彼は自慢のビームブラスターを持っている。2階の右翼。ジオのいる2号室の対岸だ。
客の一人がどこかの部屋に入っているがこれは見落としても問題ないだろう。
建物の外にある入場口にいるのは老人の奴隷。銃は持たせているが数の内には入らない。ポンコツだ。これから銃声が聞こえるまでこちらで何が起こってるかもわからんだろ。俺はその奴隷には女性が来た時はどうするかなんて教えてこそいないが、女を娼館に何も考えずに靴預かって上げてしまうようなポンコツなのだ。
さて、裏切り者ども。客の相手をしていない性奴隷ども15人が、廊下で雁首をそろえて、事の成り行きを伺っている。あいつらが一週間前に妙に大人しかったのは、ジオとエリーがここを襲撃したら逃してやるとでも示し合わせていたのだろう。
はっきり言ってそんなにも短慮だから故郷に帰れないんだ、頭も体も弱いから奴隷にされたんだ。
自然界が適所適材の生存戦略の元にあっても、人間の競争社会は弱肉強食だ。こいつらは俺たちの所有物である事を、今後きちんとわからせてやらないといけない。
問題はこの1週間ジオは何をしていたのだろう?娼館の構造について調べていたのだろうし、性奴隷たちから情報を得ていただろうが、大した情報を得られる訳でもあるまいし、さらに言うとエリーが今ここの来たのはなぜだ?
考えすぎると間がもたない。だが、こうなったらもう簡単な仕事だ、ポーカーフェイスでエリーと会話を試みる。
「なんの用だ?」と俺は、表情と乖離する唸るような声をエリーに投げる。
「もちろん用はあるわ、でもね、それより女の子の装いが新たになったんだからそっちを褒めてもらいたいね。あんたのくれた紙幣で仕立ててもらえたよ。素材もいいね。ここいらの新しいボスは外洋の金持ち国家と通じてるというのは本当らしいね。
髪はね、自分で切ったんだ。しばらく忙しくなりそうで、手入れしたり自分で愛でる時間がない。私があと2人ほしいぐらいだよまったく」
軽薄な態度は全て芝居だと言わんばかりにくだらないお喋を続ける。
呆れたような顔をする必要はない、俺はポーカーフェイスを続ける。自分の事を面白れえと思っているだろう女に、俺のつまらない仏頂面を見せつけてやる。
俺は仏頂面を演じるその後ろ手で、ハンドサインを9m mサブマシンガンを携えた3人のガードマンに送る。
すると各々、同志撃ちを避ける為に、その場から大きくは動かず互い違いに、位置調整をした。四人全員がエリーを狙えるようになった。
おしゃべり女め、ざまあみろ。お前がベラベラ喋ってる間に、ナルシストのお前が愛でる自慢の肉体は、二目と見れない蜂の巣より酷い挽肉にする準備が整ったんだ。
そう思うと少し、溜飲が下がった。目の前の女は、おしゃべりを続けている。
「例えばの話ですよ。あんたが店番している雑貨屋でもなんでも、そこに、何故か、とても隠して持ち込めるような代物でない工事に使うハンマーをもった男が隣に湧いて出た。そいつは私に愛の忠誠を誓っている。
なんでも言う事を聞く。ここの商品を私が合図を出すまで、店を壊し続けるっつたらアンタ、絶対言う事を聞くしか無くなるよねぇ?」
何を言ってるのか理解が追いつかない。わかるのは武器の使用を仄めかし始めたことと、武器を使うのは多分2階のジオというところだろう。
「あれ?もしかして理解を拒みますか?私ほどの美少女なら難しい話じゃない、愛の奴隷の1人や2人いてもおかしくない」
「その愛の奴隷ってのは今、ウチの女を食ってるようだが?あのウスノロは、扉越しのマシンガンに気がついているのか?」
エリーは、俺から思いもよらない返事が来た、そういう顔をした。しかしその後のこいつの破廉恥な言動こそ、こちらが理解に苦しむものだった。
「お前、アホなのか?そうか、アホなんだな。じゃあ、例え話は無しにしよう。その男に、お前ら皆殺しにされたくなかったら、私の言うことを聞けと言ってるの!」
アホだの殺すだの、一線を超えて発言に俺は容赦しない。懐から9m mオートマチックを取り出す。安全装置はオンのまま、頭をかち割る勢いで思いきり9m mオートマチックのグリップの底でエリーの脳天を殴ってやった。殴ってやったのだが、正直少し怖いと思った。華奢な体つきで、脳天への一撃をしっかりと受け流しやがった。頑丈な背骨が通ってやがる。猫科の野生動物を思わせるしなやかにして、したたかな感触を味わう羽目になった。
慌てない。ポーカーフェイスを維持して安全装置をオフ。銃口はもちろんエリーに向ける。
「こちとらのお願いはね、あんたと、あんたがさっき話してた爺さんと、一緒にうちのアジトの地下室に来て、大組織の情報を全部、裏側まで全部、教えて欲しいんだよ。誰も殺されたくなかったら、今すぐ武器を捨ててついてきなよ」
殴られた直後から首を鳴らしながら能書を垂れるエリーの言葉を理解する必要はない。こいつの言うことは破綻している。
お前、目が見えないのか?自分はどういう状況に置かれているか理解できていないのか?いや、このセリフは無しだ。
「生憎だな。俺のボスもお前に用があるんだよ。お前の演技力は評判だぞ」俺はポーカーフェイスを崩して見せて、エリーに調子を合わせてみた。
「ありゃ?私有名なの?どうにも、この仕事も型にハマっちまったようだね。やだわ〜」エリーは肩を竦める。
「そう言うな。ただ、今日、これから演じてもらいたいのは、”気狂いの大活躍”でなく、”気狂いの死”だ!」俺も役者のような能書を垂れてみた。どうせエリーにこの状況を覆すことなど出来やしないだろ。
「そう……」
エリーはそう呟くと、うずうずと、笑いを堪えだした。そして、踵を返して、首から垂らしているアクセサリーにしていた錠前を、玄関扉のハンドルにかけた。
「これで逃げられないよ!」
普通なら挑発に見えたと思う。だがエリーに挑発の意図はなく、宣言通り、交渉に応じなかった為に皆殺しの準備をしたに過ぎないという態度だった。
コレから起こることが楽しみだったのだろう。エリーの表情は嫌がとれたように、とても綺麗な顔している。演技じゃない。
次いで「やっちまいな!ジオ!」と、戦慄の咆哮を放った。地獄の釜が開く。
8
ほんの一瞬、俺はエリーを見据えるのを辞めて、2階左翼の2番客室に目を向けてしまった。部下が扉を蹴破っていた。しかし我が方の9m mサブマシンガンは見当違いな動きを見せている。銃声は無し。こちらから目視できないが、2番客室は男も性奴隷もいない。そうに違いない。
そう認識した直後、一つ奥の1番客室の扉が、内側から蹴破られる。女の、性奴隷の悲鳴が混じっている。それらは12m m口径の銃火器の轟音にかき消される。
男、ジオの姿は、暴れる性奴隷を盾に、到底隠し持ちようがない筈の12mm大口径サブマシンガンを脇に抱えて弾幕をぶち撒けているという信じられない、理解の追いつかないものだ。顔には目出しの白い布頭巾をしている。
サブマシンガンは古い時代のもので1分間に1000発以上発射するシロモノだ。こちらの4丁ある9mmサブマシンガンは1分間に500発程度。
2階の3人の9m mサブマシンガンは、奇襲のアドバンテージを得た倍以上のサイクルで撃鉄をしごく12m mの殺戮マシンの猛攻によって叩きつぶされてしまった。成す術なくだ。まったく信じられない。なんであんなものを持ってやがるんだ!?
そんな中でも9m m弾は3人が事切れる前にフルオートで発報されており、突如として出現した雨荒れの12m m弾が放たれた方へと、3門から合計三十発以上は届いたようだった。
しかし9m m弾を受け止めたのは、ジオによってヒューマンシールドにされてしまっていた、性奴隷の女だった。
流れ弾が、事の成り行きを見守っていた性奴隷たちの何人かにも当たってるようで、2階左翼の廊下は瞬時に阿鼻地獄となっていた。4秒間の出来事だった。
その4秒の間に、ジオが引き金を引いた直後、1階では手荷物預かりの子分が、エリーに向けてエリーの6mmフルオート拳銃の引き金を引いたが、こいつは罠だった。薬室が爆発して、掌が砕けた挙句に破片の行き先が悪かった。額を食い破り絶命した。
バカが、エリーの挑発に乗りやがって。自分の銃を使えばよかったものを。と思いつつも、これは俺も想像に及つかなかった。だが手口は簡単だ、薬室に手榴弾のような切れ込みを入れておき、カートリッジに爆弾用の火薬を詰めておく。それだけだ。しかしエリーはこれで自分の武器が無くなったのではないか?と一瞬だけ疑問符がついた。
自滅のせいで、1階の生き残った9m mサブマシンガンの射手は、ジオかエリーどちらを狙うか、一瞬、戸惑っていたがエリーに銃を向ける。
だが、その一瞬の隙に、エリーは、おそらく手品の要領で、手のひらかどこかに隠していた小型の拳銃、特に小さなコンシールド銃をあらわにした。先ほどまで己の肢体を自滅した子分にもてあそばせさせたのは悪趣味な挑発だけではない。レイプ拘束の真似事をして天井を向いていた両手。銃を隠しもつためにそこから意識を逸らすためにやっていたのだ。
エリーは片膝をついて、小型拳銃を両腕でしっかりと握ってガードマンの頭部を狙い撃ちにした。
6m m弾の発砲音だった。フルオートで7発放たれた。不恰好な銃で、フルオートモデルを切り詰めたものだろう。
直撃を受けたガードマンは目玉が二つとも飛び出しちまって、蓮の実ような顔になって、ふらふらとホールの奥の方へ、半ば痙攣しながら事切れるまで歩んでいく。運が良かったら、9m m弾を無意識に打ち尽くして、流れ弾がエリーにでも当たってたかも知れないが、同士討ちを避ける為セミオートのままで、天井に1発お見舞いして終いだった。
俺は哀れな子分の頭が蓮の実なっちまう直前にエリーに発砲しようとしたが、奴は撃ち切った6mmのコンシールド銃を手放して、床へと倒れ込む。
いや、倒れ込みながらこちらに振り返り、布に包まれた胸の膨らみから、グリスの塊のようなものがまとわりついた、切り詰めていない新たな6mmフルオートを取り出しているのが確認できた。
エリーは殺せる。だが、俺も死ぬ。エリーの死に際の6mmの魔弾とジオの追撃を考えるまでもなく、俺はカウンターの向こうへと俺は飛び込んだ。
間一髪。エリーの6mm弾は俺の革靴を掠めた。錯覚かもしれないが、とにかく掠めたのだ。
ついで沢山の酒瓶が小石当てられたみたいに静かに割れて、中身が飛び込んできたばかり俺の白いタキシードの袖を琥珀色に染める。
銃撃戦はこれで途切れた。銃声も納まるかと思ったが、2階でジオがまだマシンガンをぶっぱなしている音が聞こえた。カウンターの真上、こちらからも相手にも完全に死角だ。
マシンガンだけじゃない性奴隷たちの悲鳴もだ。断続的になった大口径マシンガンの銃声に混じって、
「話と違うわ!」「こんなのってないよ!」
のような、性奴隷どもがなり声。それ以外は、動ける者の悲鳴と、動けなくなったものの呻き声が、90平米ある2階から1階の吹き抜けに絶えず轟いていた。
それにまじって、エリーがカウンターの向こう側でテーブルを倒して、そいつを2枚目の重ねた盾に備えるジタバタとした音も聞こえていたと思う。
俺は、割れて出たウィスキーの刺激臭漂うカウンターの床で、この十数秒ほどで起こった殺戮がなんだったのか、いろいろ気がついた。考えたのではなく、合点していた。
ジオ、偽物のトラックドライバーの若者。こいつは、この7日間、足繁く店に通い、奴隷に託していた部品を集める。加えて小さなパーツと銃弾を運び入れ 2階1〜3号室の屋根裏で、サブマシンガンを組み立ていたのだ。
装填されているのは、12m m 被覆鋼弾にハンドロードの強装弾。毎日、預けていたハンドガンに装填されていたから知っている。
強装弾を使えばサブマシンガンの連射サイクルは向上する。スペック表では1分毎1000発だったが、1200ぐらいは出てたかも知れない。拳銃に使うとナンセンスだが、マシンガンに使えば、ここの人間を皆殺しにできる。
ジオのハンドガンにそれが装填されていたのは、奴が銃の知識に劣っていたからではなく、大量に仕入れた弾丸を流用していたに過ぎない。ただそれだけだった。
そもそも、あのサブマシンガンは重機関銃の思想と運用をダウンサイジングしたような設計で、俺たちの主力の9m mサブマシンガンよりも古い。ライフルより重く、部品点数も多い、だから奴隷18人+7回の来店で25分割にしてたいたに違いない。
今思えば、エリーが港湾で、奴隷の身体を改めていた時にニタニタ気色悪い笑みを浮かべていたのは、皮肉でも捻くれた趣でもなく、分割されたパーツが手回り品や服のどこかに隠していたのがバレなかった為だろう。
唯一、いまだに疑問が残るのは、あのマシンガンは薬室と銃身が一体形成されていたと記憶している。ショートバレルは存在しておらず、連発させるための燃焼ガスの内圧を保つ必要があるので、銃身を切り詰めると動作不良を起こす。持ち込むには無理があるかなりの長いパーツだったはずだが、とにかくどうにかして、完成させてしまった。そして今日、邪悪な計画を実行に移した。
結果、状況はこれ以上無いほど最悪だ。商品の性奴隷全て人質に取られた上に、1階のカウンターを除く全体に銃を向けられる位置に陣取っている。
カウンターと2階左翼を隔てる木製の天井にして、2階廊下の床板は分厚いが、何発も撃たれたらブロックバスター現象を引き起こして、弾が直下のここ、カウンターに及ぶ可能性も十分にあった。
さらに、その死角を抑えて、カウンターの向かえに陣取るのがミュータントの女、エリー。こいつの持ってる銃も厄介だ。
ジオのマシンガンが娼館全体の征圧を目的として運用されているのに対して、エリーは各個撃破に徹している。
6mm弾は人間の制止力に劣るが、貫通力は9m mに勝る。こういった極めて攻撃的な場面でも威力を十分に発揮する。遮蔽物の多い短い交戦距離で、ヘッドショットを狙いやすい。低反動からの集弾性の良さはいうまでもない。エリーのものはフルオートのハンドガンで、20発は撃てるはず。さっき、俺に10発は使ったので、残り10発前後といった所だ。
港湾で見せびらかすようにしていたものは、比較的大型なので暗器には適さない。護身、牽制用、奴隷が逃げようとしても殺さず捕縛するのにも最適なチョイスゆえに違和感はなかった。しかしそれを破壊する事と引き換えに罠を仕込んで一人殺す事に成功している。入手が困難なモデルでもないので有効運用と言っていい。
役目を終えて、床に転がっているもう一丁は、手品のテクニックと、色仕掛けでまんまと持ち込んだ。今エリーが装備しているハンドガンと同じモデルだが、マガジンと銃身を切り詰めたもので、1階ホールの最奥で事切れているサブマシンガンを携えた子分に使ったものだ。
その側に、エリーが俺を撃ったあたりの床に、白い油脂の塊が転がっている。
この油脂の中に、現在装備している6m mハンドガンを隠していたようで、若い子分の貪るようなボディーチェックを誤魔化すことに成功した。子分はエリーの体を堪能こそしていたが、本来のボディーチェックを怠ったとは思えず、この油脂の塊が中々に技巧を凝らしたアイテムのようだ。
ただ、俺が聞いた事があったのは、銃を人体に偽装して持ち込む場合、シリコンという高級な素材に包んで、肉体をかさ増し様にして用いるという話だ。エリーのそれは手作りのようで、油脂を整形に用いたという事になる。
そうか、油脂か。
エリーはミュータントだ、何か超能力が一つはできるかと思ってはいたが、油脂を自在に操る能力だとしたら地味ながら、現状のように脅威になり得る。汎用性の極めて高い能力だと思った。
良くもまぁ、尤もらしい解釈が脳内で、幾枚の仕上がりかけたジグソーパズルの様に、積み上がっていくもんだと思う。心臓の鼓動が、今や収縮運動のイメージからピストン運動の様に、脳から抹消神経まで、絶え間なく血液を循環させているせいだろう。寿命が縮んでいるに違いない。
「あんたの部下は手癖が悪いね!でもそいつは運がいい!こんな美女の体を乱暴にもみくちゃにした後で死ねたんだから!」
2枚のテーブルを盾に脳みその腐った女がキャハハ、キャハハと、胸糞の悪くなる笑い声を俺に聞かせる。自分で罠に嵌めて殺した俺の子分の死を愚弄するエリー。さぞかし気分がいいだろう。一言でまとめてしまうと、文字通り「蠱惑して相手を殺した」なんて芸当を見せつけてやってる訳だから。
怒りを通り越して、悪趣味の極地に呆れた。俺はそれを自覚できたので、冷静な意思を武器に状況の打破を試みる。
カウンターから一瞬だけ身を晒して、エリーが身を隠すテーブルの盾を撃ってみた。予想はしていたが貫通には至らない。元々、屋敷にあったテーブルで、豪華で分厚い。元の持ち主の生き霊が宿ったなら逆怨みも良いところだ。
無事に違いないエリーが、大げさに驚いた様な声で、理解の追いつかない罵倒混じりの口上を述べている。俺は既にカウンターに身を隠し、無視と決めている。
こちらが装填しているのは9mmの拡張弾頭。数的有利で運用するものであり、人間を殺めるのにうってつけだが、貫通力に劣る。
これはお互いさまで、カウンターの板には、いざとなった時、そう丁度今のような時のために、鉄板を仕込んでいる。エリーの6m mはもとより、12mmでも易々と貫通には至らないだろう。
光明があるのはジオの正体を見抜けず預かったハンドガン。12mm被覆鋼弾の強装弾が7発装填されており、エリーの方のテーブルの盾を貫通できるだろうが、このバーカウンターと手荷物預かりカウンターにはコーナーカウンターを形成する隔たりと、空間があり、遠すぎる。
バーカウンターには最終手段のソードオフショットガンが備え付けられている。こいつは本当に最終手段で、9発入りのバックショットが二発しか弾が入っていない。二発とも、テーブルにぶち込めば、貫通するかも知れない。
という事はだ、俺は右腕で9m mを構えてエリーが飛び出てくるのを待って、左腕でショットガンをぶっ放して燻り出せば、エリーを殺せるという訳だ。
そんな神技みたいな芸当ができる訳がないし、あまり派手にやると、今度はジオが2階の征圧の優先順位を下げてこちらを攻撃しかねない。
現にまたジタバタと、エリーが2枚重ねにしたテーブルの位置を調整している様が、音聞いてカウンターの中からでもわかった。2枚のテーブルを貫通させる事は不可能だ。
ショットガンは隠し玉であって起死回生の最強兵器ではない。
9
他に希望はある。2人の子分だ。
1人は表に出ていた。メモによると、ジオが成り代わるためにトラックドライバーを殺していた事がわかったらしい。俺がボス電話していた為、遠慮して、メモを残して現場に向かったか、関係者の元に向かったのだろう。
エリーの口上だと、屋敷の通用門2ヶ所の鍵をかけられているか、壊されているのだろうからすぐには中に入れまい。異変に気づいて今頃、周辺の大組織のメンバーや加勢してくれる住民を見つけに回ってるに違いない。
カウンターを担当していた子分が、電話を終えて事務所から、床を這って戻ってきた。9m mサブマシンガンを携えて。
こいつがもう1人の希望だ。大人しいもんだから、流れ弾にでも当たってくたばってないか、パニックを起こして縮こまってないか心配だった。
俺たちはカウンターの下で、充血させた目を合わせて、囁きというよりは潰した声で、このありえない地獄のような状況の打破について検討する。
「兄貴。体は大丈夫ですか?」
「ああ、お前は?まどろっこしい暗号なんかつかわんで、銃撃戦になったとボス……“組長”には伝えたのか?」
「それが、電話が交換所にも繋がらなかったんですよ」
子分の話に落胆してしまった。そういえば、事務所はよりにもよって、2階の2号室の真下だった。
電話線は街に立てた電信柱に高架させている。ジオの野郎だ。屋根裏でマシンガンを組み立ていたジオが、準備完了に合わせて切断したに違いない。
また、子分が言うにはやはり、通用口のドアは開かなかったという
さて子分に、銃撃戦については状況を判断する能力は無いだろう。銃の腕も俺の半分ほどだ。
「いいか、俺がショットガンを使ったら、フルオートで撃ちまくれ。これから俺は9mmを使うが、まだ撃つなよ?」
俺は頭上のショットガンを指差しながら、一つ決めた事を守らせるように言う。正直言って、これからやる事は賭けに近いが、彼には勝算があるよう聞こえるように含ませて俺は言った。従業員は力強く無言で首を縦に振る。
ショットガンを静かにカウンターの上に置く、銃口は当然敵方。9mmをカウンター対して水平に構えて、目線すれすれまで顔をだす。
エリーは防戦に徹しており、姿を見せる様子はない。
ジオは左翼の制圧を終えたのだろう。いつからか銃声がない。
制圧といっても安全確認に近い。途切れ途切れの銃声は、ドアを撃ち抜き室内に入り、ベッドを撃ち抜き、ひっくり返すぐらいの用途しかない。
高級娼館でもないので、シャワールームはない。確認するところといえばそれぐらいなのだ。聞こえていた銃声も、丁度そのイメージと合致する。
やつは盾に使ってた性奴隷の死体を一階に放り投げやがった。カウンターとエリーのテーブルの盾の間に死体が叩き落とされた。俺は、血飛沫の泡沫を受け止めながら、自分にポーカーフェイス、ポーカーフェイスと、銃撃戦の前の精神状態を呼び戻すように唱えた。
死体は無惨な有様で、ボディコンは血の漆喰を塗り固めたような有様。銃傷の様子は服の毛羽立ちよりも肉のささくれ立った方が目立つ表面をしている。落下の際に、首がへし折れて丁度、エリーの方を向いている。こちらから表情は見えない。そうだ、いいぞ。怨念を込めて睨むべき方向はそっちであっている。
「バカ!遠い!」
テーブル2枚越しのエリーが何か言った。意味はわからない。無視でいい。いや??今のも無視でいいのだろうか?芝居がかった揶揄や悪趣味が今の「遠い」という言葉から感じられないし、「バカ」はフランクでジオに言ったようにしか聞こえない。
エリーも気になるが、ジオは2階右翼へ移動するだろう、そうなるとカウンターは丸見えになる。身を屈めれば銃弾は直撃しないだろうが、被覆鋼弾による跳弾が恐ろしい。
襲撃ルートを1階と2階で分けていたのは跳弾による自滅もありえたかもしれない。どこまでも周到で仲のよいことだ。反吐が出る。
諸々、考えを巡らしていると、ジオは新たなヒューマンシールドを性奴隷の中から見繕ったようだ。新たな犠牲者も、盾にされたものの末路を目の当たりにしており、ジタバタと抵抗する足音に、カウンターの上の分厚い天板床板の軋む音がつづく。
甲高い女性らしい悲鳴は最初からなく、大型の類人猿が威嚇する時にみたボエーっという湿度の高い低音が鳴り響く。
途端、その悲鳴にならない悲鳴がブツリと途絶えて代わりにロッロッロッと、断続した嗚咽の小さな声に変わった。
ジオは発狂する女を完全なヒューマンシールドとして扱う為に、黙れと、言うことなく、真っ先に喉笛を握りつぶしたのだろう。
このジオという男は、エリーと同様に深刻かつ、エリーと対照的な精神病質を抱えているようだ。支離滅裂でいて合理的なカオスの性癖を有している。
頭上で起こる暴虐に気を取られそうになっていたが、目の前の、エリーが居座るテーブルのバリケードの上端から、安物の笛の音と共に、何かがビヨンと生えた。
俺は咄嗟に9mmでそいつを撃ち抜いてしまった。エリーの驚いた悲鳴が後に続いた。多分アレは、子供のおもちゃだった。笛を吹くと紙の筒が伸びるアレだ。名前はわからない。
「いや、すいません。今のにはビビった。あんたが勘が良くて凄腕のガンマンだってわかったから、お望み通りシリアスな銃撃戦にしよう」
悲鳴の後、エリーの口調が明らかに変わった。相変わらず何を言いたいのか分かりにくいが、ここから本気を出すという意味か?たわけた事を。
と、思いつつも、自分の実力を明らかにしてしまった事を、少し後悔する。これで油断を誘うのは無理そうだ。
エリーからしたら、アレを吹いた目的は、ジオに俺の居場所がどの辺か、探りを入れさせるためのデコイだったのだろう。自分で言うのもなんだが、小さなアレを咄嗟に撃ち抜く事ができるヤツは大組織にもいやしないし、それはボスのお墨付きなのだ。
エリーは身を隠しつつ、手斧を、2階左翼の廊下に投げつけた。どこに隠していたかは見当がつく。胸からは銃を出したが、おそらく手斧は尻にだ。ウンターの上の死角に消える前に、跳ぶ手斧にテカリがあったように見えた。油脂で固めてそれもミュータントの超能力で、男性の好む弾力を与えていたのであろう。
「ジオ!か弱い私にいつまでこんな化け物の相手をさせるわけ!私殺されちゃうよ!“こいつ”で“そいつ”を”わけて“ちょうだい」
こいつとはエリーの手斧、そいつとは、おそらく新たにヒューマンシールドにされた奴隷、それを、わける?
言葉通りの意味だろう、きっとそうだろう。だが、脳が理解を拒む。
脳が拒んでも、目の前に血の雨が降り出した。いや、それは雨のような優しいものではなく、積み上げられたオーク樽が割れて、熟した色の醸造液がとめどなく溢れ出したような激しい流血だ。
次いで、先ほど1階から2階へ手斧が跳んだ軌道をなぞるように、2階から1階へ紫色に変色した性奴隷の生首が、エリーの元へ投げ入れられた。
ヒューマンシールドにしていた性奴隷の首を刎ねたのだ。その証拠に、先ほどまでの潰れた喉の呼吸音や苦しみのこもった足音は聞こえなくなった。
銃撃戦の中で唐突に行われた人体破壊。そもそもの銃撃戦もそのはずなのだが、奴隷とはいえ、俺は人間生命への冒涜のような嫌悪感を覚えた。
9番客室のドアが勢いよく開いた。そこに俺は嫌悪感を消し飛ばす頼もしさを感じる。客室で女を抱いていた御老公だ。扉が開くと同時にすかさず自慢のブラスター発報した。
可視光線の閃光が俺の頭上、すなわちマシンガンを持った殺人鬼の元へ走り抜けた。
火柱と見紛うような火花が、90平米の吹き抜けを照らす。街のポンプ技師に習ったアーク放電というやつに似ていた。
殺人鬼ジオの一瞬うめいたような声が聞こえた。1階にできた死体1人に首を掻っ切られた人間1人分が加わった血溜まりに12mmサブマシンガンの銃身が落下した。
パーツの銃身がだ。それには、本来、その銃に存在しない、万力のような物が食らいついていた。仔細は不明だが、薬室と銃身をこいつで無理矢理繋ぎ止めていたようだ。血の池で、煙を上げ。周辺の血を凝固させるソレには金属の燃えたような跡があった。
頭上で、力強い足音が聞こえる。それは客室へ逃げ込んだようだ。ブラスターの光弾は、全く残念な事に、サブマシンガンに当たった事と、首のないヒューマンシールドによって、ジオに大したダメージは与えられなかったようだ。
「すまん!あと10年若かったら殺せたんじゃがの!ブラスターの癖にライフルみたいな反動じゃて」
上半身裸の御老公の謙遜とも残念とも取れる科白。
「上等ですよ御老公、ブラスターじゃなかったらあの銃は壊せなかった」
そう、ジオは殺し損なってしまったが、脅威となっていた、12mmサブマシンガンの猛威は排除する事ができた上に、御老公が9号室内から右翼の廊下へ、さらに身を移せば、手すりの支柱の間から、眼下のエリーを狙えるはずだ。
形勢がこちらに有利という空気が出来た途端、性奴隷の1人が、短慮にも、子分の亡骸から9mmサブマシンガンを回収して、中央階段に躍り出た。
そいつは十分にエリーの姿を捉えているとは思えない位置からサブマシンガンの引き金を引いた。
素人がフルオートでマシンガンを扱うにしてもお粗末な有様で、小さなストックを肩の上にのせて、左利きのせいか眼前に排莢口が来るというこれ以上ないほど最悪な構えだ。
引き金を引いた途端、部屋中に銃弾がばら撒かれて終わりだった。
10発以上連射した所によるとマガジンの交換までは良かったであろうに。
とは言え、流れ弾が恐ろしいので、俺も御老公も、再び元の位置に身を隠す羽目になった。
エリーが6mm銃をフルオートで10発撃ったのが聞こえた。姿は見えないが奴隷と対照的に見事な銃捌きだろう。
傍迷惑な性奴隷は、どこに銃弾が当たったのか判らないが簡単に事切れて、階段から落ちた。
また1階に死体が増えた。
「また1階に死体が増えた」エリーが俺の頭の中にあったフレーズを言い当てるように呟くと、無味乾燥な俺の思考とは対照的に、キャッキャッケタケタと小さな笑声が聞こえた。
この短い時間に何度も聞いてる中では、小さな笑い声だが、ひどくグロテスクな印象だ。いい加減、俺はこの人非人に対して食傷気味になってる。
しかし、エリーのフルオートハンドガンの残弾数がおかしい。雑魚相手に10発使い切ってしまった。
どこに隠していたか?体に例の油脂を使っても、予備のマガジンは無理だろう。一丁を手品の手技で隠していたのがその証拠だ。
となると、ジオだ。ジオは12m mの他にも、この1階にウィスキーソーダを飲みながら、6mmハンドガンのマガジンをテーブルの裏に貼り付けていたに違いない。
些細なトラブルはあったものの、数的不利が覆った事に変わりはない。
とにかくエリーを殺そう。ジオとエリーは深い仲とみて間違いないだろう。数的不利が覆った事をジオに伝えてエリーを人質にとるよりも、それに悟る前に殺してしまい、動揺を誘ってとどめを刺すべきだ。ヤツにアドバンテージとなる武器はもう何もない。
役割分担から装備を見ても緻密な作戦を2人で立てて、今日この日まで夜な夜な、作戦の成功の後を語らいながら、お互いの肉体を野獣の様に貪っていたに違いない。失敗の慰め合いは、あの世でやってもらう。
俺は子分と顔を見合わせる。
「青髪に金玉目玉の怪物は、テーブル2枚を盾にしている。俺はショットガンで一枚目を壊す。その間、セミオートでの援護と、2枚目はフルオートでお前が壊すんだ」俺は子分に一回で理解するように、それはもう恐ろしい貌をして伝えた。
時間がない、子分が首を縦に振る前に俺は、カウンターから上半身を晒した。
御老公にも何らかの合図を送りたいまであったが、勘の良い老人がこれから起こるのが最後の銃撃戦だと一瞬で察してもらうしかない。
俺はカウンターのソードオフショットガンを取って、続け様にエリーが作ったテーブルの盾を撃ち抜いた。貫通には至らず。しかし、その耐久力は目に見えて失われたのがわかった。子分が追撃に9m mマシンガンをセミオートで発射。その間に、俺はソードオフショットガンから貰った反動を打ち消して再び狙いをテーブルに定める。
銃声に呼び寄せられる様に御老公も姿を表す。目線は右翼廊下の床板。まだ姿が見えていないだろうが概ね眼下のエリーだ。
だが、エリーを狙うはずだった御老公のビームブラスターは、俺の頭上から、9番客室に向かって血まみれの斧が飛んできた為に、標的を切り替えざるえなかった。ジオが手斧を投げたのだろう。御老公は見事に斧を交わすと、咄嗟にジオに狙いを定める。
ジオのは所詮悪あがきだ。御老公なら、吹き抜け超えて向かえにいるジオも、眼下のエリーも、要すれば瞬時に標的を切り替えできるだろう。俺は冷静にショットガン銃身とテーブルを見据えると、ほぼ同じ着弾点を見据えて二発目を撃った。
テーブルの盾の一枚目が崩壊した。次いで子分が、顕らになった2枚目のテーブルを、フルオートで撃つ。貫通し始めるのは時間の問題だ。御老公も、おそらく部屋に隠れたジオでなく、エリーに再び狙いを定める。
俺はショットガンを放って9m mハンドガンを構える。エリーが飛び出たら打つ。
「楽しめ!小娘!」俺はこれだけの事をしでかした姦しい碧髪金眼の女ミュータントに憎悪を込めて叫んだ。
間も無く起こるだろうフルオート9m mの貫通、ないし強力無比なビームブラスターの一撃、仮にそれら逃れても、先ほどお前のおもちゃの笛を撃ち抜いた俺の銃で、今度はその腐り果てた脳みそを吹き飛ばしてやる!
「楽しむのは、お前たちだよ!」
エリーがそう叫ぶと、そういえば先ほど所望していた生首が、吹き抜けの宙を舞った。ちょうど御老公の眼前だ。
予期せぬ生首という残酷なオブジェクト。理解が追いつかない御老公。そこにエリーはすかさず、マシンピストルで生首を撃ち抜いた。
次の瞬間起こった事に、俺は驚愕し、唖然とした。生首が爆発したのだ。
脳漿や血液、眼球などが飛び出した事を、お上品に形容しているのでは無い、燃焼を起こして、爆風を起こして、爆発を起こしたのだ。
それは、オレンジ色の閃光を放ち、破砕した高温の頭蓋骨の欠片や、燃える肉片や体組織が、破壊力を得て、部屋のあちこちを攻撃した。
どことも分からない、頭蓋の構成物が、壁に刺さったり、床で潰れたちした。俺たちの体もあちこちを掠めたが、奇跡的に一撃ももらわずに済んだ。
しかし、眼前で、爆発をモロに受け止めてしまった御老公は、9号室の中に押し返された。驚いた声も聞こえず、狼狽する様子も見えず。間も無く聞こえたのは、先ほどまで御老公の相手を務め、9号室に身を隠していた性奴隷の悲鳴だった。希望が潰えた。そんな泣き喚く声だ。
若い頃、俺は汚れ仕事の片付けで、人間の頭蓋骨の裏側を見た事を思い出した。
頭蓋骨は産道を通った名残であったり、事故の衝撃を分散させるために、若干の亀裂が入っている事は、自分の額を指で意識して擦れば解る事だが、頭蓋骨の内側、つまり脳みそ側には、脳みその外側を走る血管の溝がさらに細かく刻まれている。
脳というモノが、油を多分に含んでいるかそういう医学的知見は俺にはないが、エリーの能力が油脂の性質変化であると仮定した場合、頭蓋骨の形状を理解し頭蓋骨を容器に見立て、脳を火薬の代替にして、即席の手榴弾に仕立てたのではないか?
だとすると、なんと恐ろしいヤツだ。ここまで見事に爆発させるには、いい塩梅を求めて指折りで済まない人体実験が必要だったろうに。生まれてこのかた戯れついでに、死体の首を切り落としておもちゃにして遊んでやがったんだ。 200人殺しているというのがいよいよ噂でも誇張でもなくなってきた。
この張本人たるエリーは、マシンピストルで生首を爆発させた直後、右翼廊下の下、すなわちは1Fホールの壁際に身を隠していたようだ。雰囲気だが間違いない。その位置で爆風を浴びることはまず無い。ほぼ正面を見据える俺たちからは、まだ形状を保っているテーブルに守られている形は変わっていない。
しかし、カウンターの端から身を乗り出せば、姿が見えるのでは?と思った矢先だ。
そいつは猿みたいに、左手で片手懸垂するように、俺たちの眼前にぶら下がった。音もなくぶら下がった。死んだ子分が使ってたハズの9mmサブマシンガンを右脇に抱えて、俺の右隣にいた子分に至近距離でフルオートの引き金を引いた。
そいつは、顔に被ったお粗末な作りの頭巾から、ウチで貸しているスリッパまで血塗れだ。ジオだ。御老公が動かなくなったのを確信して、子分の死体から9m mマシンガンを奪いやがった。
俺は無我夢中で、目の前で子分を挽肉にしている、布袋を被ったぶら下がり野郎、ジオを9mmで撃った。
撃ったはずなのだが、銃口から火が出ない、ならば銃声もしない。スライドが動かず、ならば排莢もされない。
指が動いていない。そればかりか腕じゅうが火傷のような痛みを訴えている。痛みを自覚すると同時に、目の前で腕の肉が爆ぜる。
6mm弾が2発。俺の利き手を中を焼いて通り抜けたのだ。
銃を保持できず落っことしちまった。暴発するも、カウンターの内板に銃弾がめり込んで終わり。ジオには何も起こらない。
マシンガンを打ち尽くすと、ジオはカウンターに着地する。次いで放心寸前の俺の顔面に、踏みつけるような蹴りを見舞った。
カウンターの床に倒れる俺。床一面の溢れたウィスキーには挽肉にされた子分の血が混じっていた。俺の鼻血もそこに混じる。
顔を上げると目の前にチェック模様のタイトなスラックスに包まれた細い脚が降りてきた。ウチのスリッパがぶら下がっている。
見上げると、膝から上、太ももから尻にかけてチェックの模様に卑猥な曲線を与えて、カウンターにそれらがのしかかっていた。
想像するまでもない。エリーが銃を俺の頭に向けてカウンターに座っていた。
意外だったのは、ジャケットの脇まで汗で濡らして、ニタニタ笑いは無く眉間に皺を寄せて、強烈な緊張感をたたえた金色眼で、照門と照星と俺の目と目のど真ん中を見据えている。
終わった。俺以外は皆殺しにされた。
たった2人の暴虐は見えない軍隊の侵略の如くだった。旧権力者から接収した館を、我々が娼館へと陵辱した矢先、1週間足らずで廃屋のごとき容貌へと陥れた。生き残った性奴隷たちからは非難の声すら上がらず、呼吸も満足にできない怨嗟のごとき嗚咽が力弱く鳴っている。
しかし、俺は闘志を失わずにすんだ。至近距離で9mmマシンガンを喰らわせて、どこから首でどこまで顔なのかわからなくなっちまった子分の亡骸を見た為だ。
右腕から撃たれていたと思う。反撃もできなかった。かろうじて飛び出した目玉が居た堪れなさ、無念さを訴えていた。
10
まだだ。ここで終わってはならない。どんなに目に遭わされようとも、せめて、動機だけは掴まないと死にきれない。7人と何人かの性奴隷の命を奪った、こいつら、ジオとエリーは、何を考えてこんな大それた殺戮を実行に移したのか?戦いの中の俺の諸々の推測が、その通りでなかったにしても、この猟奇を極めた襲撃に周到な計画性があるのは明らかだ。それはこの2人が考えたのか、誰かに依頼されたのか、他に仲間はいるのか、それともボスの聞いた噂は徹頭徹尾が本当で、たった2人で全ての事を成し遂げようとしているのか。
ジオは、カウンターに侵入し、俺の足元に転がってる、俺の9m mを拾い上げる。そいつをダボダボの作業ズボンのポケットに押し込めた。子分の9mmサブマシンガンは1階中央に転がる2体の死体まで投げて、懐の9mmハンドガンは反対のポケットにねじ込んだ。
次いで、やつは、ボウルの中に貯めてあったナッツを、カウンターの外に放り出して、割れてないウィスキー瓶を選び出す。
空になったボウルになみなみとウィスキーを注ぐと、割れてないソーダ瓶を取り出してなみなみに注いだ。血だらけの頭巾の口元をめくって、出来上がったそいつを胃袋に流し込んだ。
何を思って、視界を制限する覆面をしているのだろう?返り血を浴びない為だろうか?泥遊びをする幼い子供のように血飛沫を意を介さぬエリーとは対照的だ。
「あんたは気楽でいいね。こっちは大変よ。無茶苦茶手強かったんだよ。こいつ。隙が無かった」
血化粧の残るエリーの声が、覆面のジオに対して少し怒ってる様に聞こえた。
ジオはまだ、3分の1ぐらいは残っているだろう、ボウルをエリーに差し出すが、エリーは行儀が悪いのは嫌だね、とばかりに、棚に残っていたグラスを指差す。
ジオは何も言わずに、コップにボウルの中身を移してやった。ようやくウィスキーソーダらしくなった。エリーはそれを口に含むとジオに言った。
「ジオ、奥を見てきて頂戴。1人は表に出てたし他の奴は非番か夜出勤だったはずだけど、念のためね」エリーは囁き声で言った。
ジオはポケットの9m mを取り出し、マガジンを確認し再装填、スライドを引いたら一度撃鉄を戻して、その後ろを少し叩いてから激鉄を引いて、手際よく装備完了する。そのままバックヤードに足音も立てないで向かって行った。
「手間取らせくれたね」と、エリーは戦闘時と打って変わって冷たい態度だ。
俺は金塊を触った事はないが、金属だからきっと冷たいのだろう。エリーの金色眼もそんな印象を受けた。
「さっきから随分褒めてくれるな。おだてても何も出ないぞ」俺はもうは半分ヤケクソだ。
「この後で、お前には、うちのアジトに来てもらって、大組織とやらの事、全部吐くんだよ?断ったらあんたを含めて口封じに残った売女どもも皆殺しにして帰る」
「皆殺し?俺を殺したら金庫を開けれなくなるぞ」
「端金よ。ついでに貰えればとも思ったけど、もう諦めた。プランは9個用意してあるの。あんただけを連れて帰るのはプラン3よ」
やはりというか、ここの金を端金と言い切るような、つまりもっとデカい利益の見込めるシナリオをこいつらは、作ったのか、誰かからいただいているに違いない。俺は質問を続ける。
「なにを企んでいるんだ?答えられないなら、皆殺しにしてもらっても構わん。答えようがないからな」
エリーは、ウィスキーソーダを飲み干した後で答えた。飲みながら少し考えた様だった。
「お前らの組織の保有するSPAC装備を根こそぎ頂く」
SPACとは、装備者に超能力を付与したり、複雑な機構で戦闘を有利にする個人装備の総称で、中世の遺跡から発掘されるものだ。
俺からしたら、その計画はあまりにも大それたもので、意図せず閉口してしまった。俺には答えようがないと、幾許かの申し訳なさまで一瞬だけ込み上げた。しかし、それを悟らせてはならない。俺は大組織の最重要機密と言っていい、戦術兵器級の性能を持つものの含まれるSPACについて、ボスの持っている一つを除いては何も知る由は無いのだ。
もしかして、”俺を大組織の重要人物か何かと間違って”俺を捕らえようとこの殺戮を引き起こしたのか?
いや、落ち着け、そもそも、俺を誘拐するだけなら営業開始直後の娼館を襲撃する必要があるか?御老公が来たからか?いや、御老公が目当てなら戦況が戦況とはいえ、エリーは生首で作った爆弾をカウンターに投げ込んで俺を殺したはずだ。
考えを巡らせていると、エリー様子がまた違ってきた。悪趣味な口上が再開されるかと思いきや、それは想定の斜め上の発言だった。
「それにして、悲鳴、すごかった、あの死体も、ジオ……ジオ……まるで化け物だよ……女どもがオモチャ以下……ゴミみたいにズタズタにされて……私も、ぐちゃぐちゃに、バラバラにされてしまいたい……」
銃を持たない左手で自分自身を抱きしめるエリー。そこには恥じらいがあった。演技ではない。
ジオ本人には見られたくない様な淫らな妄想に興じている様だ。マゾの欲求なのか、暴虐の対象が自分自身に及んでいるのか、多分両方だろう。
俺がエリーの突然の邪淫の吐露に呆れたような気色が悪いような思いをしていると、7番客室から裸の男が飛び出したのがカウンターの中から、エリーの肩越しに見えた。
唯一生き残っていた客だ。俺がボスと電話をしていた最中に入店した者で、どの部屋に入ったまで把握できていなかった。この男は手足を老いさばらえた猫の様に動かしながら移動して、階段から転がり落ちた。
そして1階にできた女の血溜まりに、身を打ちつけた。そして恐慌する。それがなんなのか、わかっていたのか、今わかったのか、下手くそな命乞いをしながら、のたうち回るのが聞こえた。
エリーがそいつに目を向けている隙に、俺はカウンターの中でウィスキーとソーダで濡れてしまった、子分のメモ帳と鉛筆を拾う事に成功した。これも俺がボスと電話中に残されたものだ。
ジオとエリーに悟られぬ様に何か情報を書き残さなかればならないと思った。利き腕が動かないので単語しか残せないだろうが。
「安心して。カタギは殺さないわ」
言葉とは裏腹にエリーの貌は、先ほどまでの呪術めいた残忍嗜虐の笑顔へと変貌していた。俺に向けられていた冷たい金塊の様な瞳に煌々と熱っぽさが加わっていく。
冷たい瞳から、猟奇を湛えた瞳に戻っていくに、俺はそっちの方を真鍮色と例えれるようになった。こいつらがばら撒いた薬莢と同じ真鍮色に。
騒ぎを聞いて、頭巾のジオが一瞬戻ってきたが、詮無い事であるとわかると、無言で引っ込んで行った。
一生懸命、裸の男が血を這う音が聞こえる。血の池を泳いで渡って、行った先の扉には、このエリーが取り付けた、錠前という絶望がぶら下がっているというのに。
案の定、男は泣き喚き始めた。錠前にたどり着いたのだろう。
エリーはそれを見て満足げに、男を撃ち殺した。さっき言った事を反故にして。
男が殺されるまでの間、そのおかげで、俺は、いくつかメモを残すことができた。左手で紙面を見ていないので、ちゃんと書けているか不安が残るが。
「今の人間は関係ないだろ。戯れに殺すような真似をして何が面白いんだ」
エリーがこちらに来て銃を向け直すと、俺は間も置かず、半分ヤケクソのままにやりたい放題のエリーに毒づいた。
「面白いよ」
即答する様は、まるで悪魔だ。当然だと言ってのけた。
「あんたもジオみたいな事言うんだね?いや、アレよりタチが悪いな。ポン引きが美少女にドートク語ってんじゃないよ?路頭に迷うよ?」
今度は思春期の少女が説教はうんざりだと言った。
「あははは!ひとごろちは!たのしいンだじょー!あへー!」
あげくの果てに頭の足りない童子の真似をする始末だ。
1週間前から先ほどの銃撃戦まで、ツラ以外は最低を更新し続ける胸糞の悪くなる糞女。
「これでブルータルデビルか。俺から言わせれば”ブルシット”デビルだ」
俺は思った事をほぼそのまま口にした。
見てると胃液が上ってくる邪悪な笑顔を湛えたまま、エリーが自身の胸元に手をやる。隠していた銃を取り出した時に少しはだけていたシャツの、残っているボタンを外し始めた。それは男性の手癖を思わせるほど、あっという間に、ボタンを外し終えてしまう。
「安心しなよ。殺す前の冷やかしで見せてやるんじゃない、聳え立つ糞ってのを見せてやろうと思ってね」
颯爽と言わんばかりに、女性の尊いはずの柔肌を惜しげもなく晒す。
だが薄衣の中に控えていたのは、「痛々しい」「かわいそう」「禍々しい」などという言葉で足りない、猟奇を三昧した残照だった。
一つ、彼女の胸には、両肩から両脇腹にかけて襷掛けのように抉られた後があり、そのせいで、乳房の膨らみ始める位置が脇よりも下になっていた。
一つ、右の乳房は縦に裂かれ、左と合わせて大小中3つのパーツからなっていた。
一つ、左の乳房には虫の棲家にも見える、たくさんの小さな孔がびっしりと跡を残し、そうした穴とは逆に、膨らんだイボのようなもの多々ある。
一つ、乳首は、左は失っており、右も、歪に変形し、肉腫のようなものが張り付いた形になっている。
一つ、母親との繋がりを残してる筈の臍も、摘出されたのだろう、失なわれており、腹部の筋肉から内臓が割り入って、内臓の凹凸らしきものが皮膚越しに所々に見えている。
一つ、腹部には他にも焼鏝の跡や、パイプのようなモノで何度も内臓を掻き分けるように、刺された傷が残っている。
この異形を晒した時に、どろりと油脂が剥がれ落ちた。それが普段の体裁を整えているようだった。ボディーチェックも、殺された子分の恍惚の表情を鑑みるに違和感が無かった物と思われる。
その他、数え切れない細かい傷も、油脂の残り分で、個々が憎々しく反射している。
とどのつまり、彼女の裸体には、女性の尊さが悉く破壊されていたのだ。筆舌に尽くしがたいという言葉があるが、それらは全て彼女の肉体に、誰にでも読める形で記録されている。
正直言って度肝を抜かれた俺を、当のエリーが嘲笑う。
「戦士の古傷を憐れむな、失礼に値するぞ?立ち上がっていいから良く観るんだ」
エリーに言われるがまま、俺は、動かない右腕を庇いながら棚にもたれかかって、立ち上がる。メモ帳と鉛筆は、背中と棚の間に挟んでうまい具合に、拾い上げた。
エリーは先ほど自らが殺めた、男性を指差して宣った。
「お前は戯れに殺したと言ったね。よく見ろよ。錠前の前に両膝を着き、錠前に神に祈り縋るような姿を」
遺体の様子は、癪ながらエリーの言う通りの姿をしている。
今、エリーは、錠前で俺たちを閉じ込めた瞬間に見せた、芝居気のない付き物の取れたような綺麗な顔をしている。誰もが平伏する美貌を備える頭部から下には、虐殺の果ての廃墟が如き光景をぶら下ている。このアンバランスは、宗教画の、なにがありがたいのか理解できない高位の天使の様な構造だ。それが、子供がおもちゃを自慢するように語りかけてくる。死体と壊れた自分の肉体を被写体にしろ、目に焼き付けろと言わんばかりに。
「神に祈ってる場合かよ!ここにいる美少女にもう少し丁寧に命乞いをしてりゃあなぁ!どうだい?戯れでは、この芸術は成り立たない!」
この短い時間で何回か、こいつに心でも読まれているのかと疑う局面が何度もあり、俺は背筋が凍りそうになる。命乞いが下手だなと確かに俺はさっきまで思っていたし、芸術という言葉も、エリーの全体の容姿をちょうど宗教画に例えていた。
上等だ俺は無神論者だ。昨日の今日で、坊主に殺されたって、それが変わりはしない。
「いや、お前は憐れまれるべき人間だよエリーちゃん?その腐りかけの体も、間違いなく腐った脳みそも、金持ちの国に行って病院で見て貰った方がいい」
皮肉っぽく言ったのだが、俺は次の瞬間、何かが頭の中で弾けて、怒鳴り声で直ちに付け加えた。
「そこで一生、キチガイどもの糞尿の傍で壁を舐めて死にやがれ!」
「体が腐ってるのはいいとして、キチガイのジオと一緒にされたら私泣いちゃうよ?私は賢くて可愛いんだ!」
その後、神経を逆撫でするようなキャピキャピとした口調はなりをひそめ、淡々と自身の悪逆を早口で絶賛する。エリー。
最近になって、私の殺しが、戯れでなく芸術だと、理解できてきた、云々
バカと天才は紙一重というが、凡人に見分けがつかないだけで、バカと凡人は大差ないというのが、芸術の世界の理だよ、云々
凡人は私の事を色情狂のサディストだと思うだろうがそれは違うのよ、性の喜びとは違う云々
などなど、仔細については脳が理解を拒んでいる。
演説しながらしっかりと構える銃口の奥に、薬室に佇むボルトネックの真鍮の薬莢が、第3の金色眼の如く、俺を冷たく睨んでいる。
エリーは銃こそこちらに向けているが、身振り手振りが加わり、真鍮色の3つの目が俺を見下したり、睨んだり、流し目を向けたりしてくる。
これは3つ目の悪魔が宗教の経典を読んでいる悪夢かなんかではないか?そのうち、こいつは俺に、復唱することを要求して、頭をおかしくしようと試みるのではないか?
「ま、この辺にしておこう」
こと幸いおかしくなる前に演説は終わった。エリーはシャツのボタンをかけて、襟を正す。
「あんたに裸見せたの知ったら、ジオが嫉妬してお前を殺しかねないからね。お前とはこれからしばらくお喋りをするのに忙しくなりそうだ」
お喋りとは、拷問か。上等だ。
お嬢ちゃん?正統派のハードボイルド小説なら、拷問された主人公は生き残るのが相場だよ?悪趣味な演出家の出番はないんだ。
2章『地獄に堕ちた極道ども』
11
「娼館で銃乱射が起こり、逃げ出した性奴隷は、乱射した一味の1人であるミュータントの超能力で、頭の中に爆弾が詰まってる」
真夜中だというのに、ネディアの住民、港湾の出入り人はこの話題で持ちきりになっている。街を見下ろす少し欠けた月光。月影がちょうど人の眼のような形をしている。夕方から起こった惨劇、そこから始まる騒動の一部始終に釘付けになっているかのように、月は人口8000人ほどもある街の妖気を得て喜色満面かのように爛々としている。
月だけではない貯水塔や、電波塔、灯台といった、港町の高層建築物に、無断で登る向こう見ず達が、「どこで?」「何が起こったのか?」に、ついて囃し立ている。各所の管理者たちは、この野次馬どもに対して、実力行使に出ようと準備を進める。
向こう見ずな者たちは分別なく、高所であるにも関わらず酒や薬物を食い散らかしていた。馴染みでも初対面でも赤くなった顔を合わせればデタラメな知識、受け売りで、銃や刃といった得物の自慢をしあう。そして、今の騒動に乗じて眼下を彷徨う路上の弱そうな人間や、防御の薄い商店家屋を、餌食にしようと嘯き初めている。
この手合いに、散弾銃しか持ち合わせていない管理者たちは時間の多くを奪われるだろう。
一方で灯台は、街の新しい支配者、すなわち大組織の大幹部の命令により、一台のトラックが近づいていた。サブマシンガンとセミオートライフルで武装した構成員6人と、拘束された4人の男たち。黒い鎖と、ボルト締めの枷、頭にはずた袋を被せられ固く拘束されている。荷台の脇に男たちが収まり、中心には、大きな木箱が載せてあった。この木箱は大幹部の直命で載せられた、古い血の痕跡があるものだ。これは一人の人間が一刻に遺したものでなく、拭っては血を浴び、拭っては血を浴び、これが幾重にも重なった血痕の束である。
トラックは幌もなく剥き出しでこれらを乗せていた。
スピードを増す物騒なこれの向かう灯台に限っては、大組織の至急の催し事の為に、高く登った者から逃げるなり殺されるなりして、容易く片付けられるだろう。
時を同じくして、街には3台の木炭自動車は縦列で、港湾へ向かっている。
悍ましい虐殺の起こった娼館の現場検証を終えた、大組織の大幹部とその配下5名たちだ。
並んで中央の車両に助手席に、頬杖をつく豪奢なドレスのようなものを身につけた小麦色の肌の女性がいる。爆弾にされた、娼婦・性奴隷の話題でもちきりの街頭の住民どもを、眉間に黒々としたシワを刻んで車の窓から睥睨していた。
彼女の着る物が、豪華なドレスでなく豪奢なドレスのようなものというのは、生地も装飾も洗練され虚飾されたものがなく、これを着古そうとしていると答えても一切の疑念の余地ない物を着ているのだ。一方でそれは前開きで全身を包む長い貫衣で体を包み、太く厚みのある帯で、前開きを重ねた、あまり見ない原始的な構造の服だった。
唯一、華美にも思われたのは、両手、両袖のフリル。やわらかい三重のフリルが、女性が頬杖をつく険しい表情の傍で、美しい黒髪のポニーテールに並んでたなびいていた。
彼女の名はメィ・ディ。彼女は、ジェンガ島の統一勢力となった大組織に所属する。朱雀組という一派閥のボス、組長の肩書きと、唐文字のコードネーム、角町赫奕(かどまち かぐや)が与えられている。
街を新たに支配する実力者、大組織の大幹部とは彼女の事である。
大組織は、唐文字という、いにしえの言語をネーミングに積極的に採用している。構成員のコードネームに及ぶそのルールは当然、大組織本体にも適用される。
大組織の名は、神能会(じんのうかい)。
唐文字の件以外にも、独自の文化を形成し勃興した、側から見れば奇天烈な大所帯である。
それらはジェンガ島外洋の先進諸国で研究される古代の文献に出現するいにしえの国際犯罪組織、ヤクザニンキョと呼ばれるものに類似していた。
類似するも、ジェンガ島で彼らがヤクザニンキョを脈々と続けていた訳ではない。ヤクザニンキョのエッセンシャルを、飛空船での外洋国家との交易、交流の中で持ち込んで、ジェンガ島内陸の各部族の統合を成り立ちに持つ組織であった。
ヤクザニンキョは、暗黒のゾンビ時代よりも遥か前の、飽食の法治時代にすら、堂々と名乗りあげるジンギ詠唱という蛮習と、それに伴う無慈悲な殺戮をもって縄張りに悪徳を振り撒いた。秘密結社とする事を良しせず、悪の貴族として無制限の快楽の追求、伴う堕落と放蕩、破壊と凌辱を量産し人類生命を悉く荒廃させた。そうやって自らが人々を陥れる乱暴狼藉を喜劇のように語る一方で、無軌道に暴れているどころか一国の軍隊の如き統制力を、どの時代においても組織の最大の強みにしていたとされる。
今や、こうした矛盾した組織像が文献に残るのみである。
勃興した神能会は、悪の貴族達の先例に漏れまいと、野蛮な儀式や狂気じみた掟で統制を行っていた。
他の組織のような合理性は欠くも、軍隊のように統制された異形の大組織として、いよいよ島の一強勢力に成り上がったのだ。
メィ・ディが深く思慮に耽っている間に3台の木炭自動車は、街灯の無い岸壁の近くまで来た。
邪悪なるものに立ち向かう為、その邪悪に囚われた思い人を救う為、推理と不安の思考網の往来によって、彼女の瞳は暗澱としたものになった。
日頃、ブラウンの瞳は覇気を讃え、一派閥の長として目端をきかせてているが、今はドアガラスの向こうの常闇と区別がつかない。
しかし、その瞳は、かつて性別に関わらず“ギロチン男爵”と恐れられた、現在の地位に上り詰める前の、凶暴極まる活躍に伝えられた姿の、ほんの一端でしかないのだ。
12
暗い思考に取りつけれたメィ・ディにとって、何よりも気掛かりなのは、行方不明になった娼館の支配人、クロード・マイナーの事だ。凄腕のガンマンでもあった彼が殺されるならともかく、行方不明になった事が信じられなかった。
また、彼女とクロードが御老公と頼っていた、神能会の直参の構成員にして元幹部の老人、アイスマン・マグリオットの遺体は、顔面が爆ぜて焼けていた。
焼けていると言っても、見たことがない奇妙な、表面のみが黒焦げになり、赤い肉が割れて見える焼け方で、噂通り、ミュータントの超能力で爆弾に変えられた、人間の頭部の爆発の被害を受けたものと思われる。実際、娼館には首の無い性奴隷の死体が一つあった。
彼女が角町赫奕のコードネームの名の下に率いる朱雀組は、娼館で起こった殺戮の現場検証を終え、娼館の中で起こった事の仔細には緘口令をだしている。
現場には、8人の男の死体と、7名の女性の死体。男どもは行方不明となったクロードの部下が多くを占め、女達は娼館で働かせていた性奴隷だった。
男性の内一名は、一切関係のない一般人だった。全裸だったので性奴隷を抱いていたところ、逃げ出したものの流れ弾を喰らったのだろう。もう一人はアイスマンだ。
一般に大虐殺と形容していい惨状で、そこには床に血の水鏡がいくつか用意されていて、組長の角町赫奕ことメィ・ディは、それの血生臭さと死体から漏れた排泄液の悪臭で、自分の強張った表情を意図せず何度も見る事ができた。益々硬くなる表情の麦色の肌の色まで確認できた。という有様である。
緘口令も虚しく、既に街の話題になっている頭の爆発する性奴隷が、少なくとも10人町に潜伏しているという異常自体については、目撃者の証言による。
次の通りである。
娼館の様子がおかしいとわかってから20分後。
館の周辺には、騒ぎを聞きつけて人々が100人ばかりまばらに集まっていた。流れ弾を喰らいたくないので、まばらに。だが、100つ前後の頭は皆、館の方を狙うように向いていた。
武器を持って集まった神能会関係者らが救出の為に施錠された娼館に突入しようとした矢先、裸の性奴隷10名ほどが飛び出してきた。
彼女らの何人かが、2つの担架を抱えていた。服など持ち寄って作ったであろう即席の担架が2つだ。
一つは裸の性奴隷と見て間違いないが、五体満足な者たちと違って、全身は布で覆われ、顔は蒼白としており、死んでいたようにも見える。おそらくは深刻な容態。
もう一つは、出血こそあったが無事と言っていい。ただし、精神の均衡を失ったのかひどく抗っており、ベルトか何かで担架に括られ、覆面で顔を覆っていた。
娼婦と担架につづいて、両手を上げる黒髪の作業着の中年男性と、こちらも両手を上げる派手な服の黒い長髪の背の高い少女が飛び出してきた。
二人は口々に「まだ中に銃を持った4人組がいる!」と、叫んでいた。少女の頭からは血が出ていたという。
この二人が飛び出して間も無く、担架に乗せられた血だらけの女性の、頭部が爆発炎上したというのだ。生存者たちの正確な人数も、怪我の具合も、はっきりとはわからない頃に。
後でわかった事だが、その直後に銃声と紛うように仕込まれた、連発仕掛けの爆竹が娼館の中が破裂した。それが仕込まれたベレー帽が現場に残されていた。
現場は騒然となり、混乱の中、脱出した裸の性奴隷らは散り散りに逃げ出し、男と少女、担架の一つが、現場から無くなっていたという。
犯人は裸の娼婦を解き放ち、担架に転がるそのうちの1人を、有象無象の群衆の前で爆発させてみせた。
そうすると、後は、頭が爆発するかもしれない娼婦が、誰の助けも得られないまま町中で逃げ隠れする事となる。誰も信じられないまま、特に男に怯えながら。
まともな神経のレイプ魔なら、爆発するかもしれない女に手出しはできず、幸か不幸か娼婦達は殺されることも攫われる事もない。
その娼婦たちが存在するだけで、街に程度の低い混乱、いわば恐慌状態の入り口のような、治安の悪化が始まる。裸の娼婦の捜索と、混乱に乗じた強盗などの対応に、この土地の新たな支配勢力、すなわち神能会朱雀組の人員を割く事となった。
おそらく、担架のような物に括られて連れて行かれたというのがクロードだという推測に、メィ・ディとしても角町赫奕としても達した。
目撃証言と現場の様相から、それ以外に考えようが無かった。
より厳密いえば、クロードが生きているという体で、この事態の収拾について、これから部下たちに指示の出しようが無かった。メィ・ディにはクロードが死んでいる前提で気など毛頭無いのだ。
敵の術中に陥った者達の目撃証言だけでは、どうにもならない所だったが、現場検証中、メィ・ディは、娼館で2つのメモを発見し、これを、当面、自らが持ち歩く事とした。
一つはクロードが自由の効かない中、残したと察せられるもので、バーカウンターの中で見つかった。利き手が使えない事がうかがえ、決死の思いで書いたであろうこのメモは、もうかけがえの無いものだ。もう一つはそれっぽく書かれた偽物。一階の隅で、顔面を蓮の実のように撃ち抜かれた死体のそばに置かれていた。
クロードのおぼつかない文字で書かれたメモは次の通り。
メモを見るに、この事件を仕掛けたのは、事件が起こる直前にメィ・ディとクロードが電話で話題にした、ジオとエリーによるもの。たった2人の暴挙である事は間違いないと見ていい。
あからさまな偽物は、次の通り。
クロードのメモと、ジオとエリーの残した偽物の内容、そして目撃証言を精査すると以下の通りとなる。
・ジオとエリーは豊富な武器と十分な資金を持っており、金目当てでなく、神能会の保有するSPACを奪おうと画策している。
・ジオとエリーは拠点がある。拠点があるならこの襲撃は周到な計画的犯行である。
・拠点があるなら、この襲撃が2人によるものであっても他に協力者、ないし黒幕がいてもおかしくはない。
・ジオは特徴の薄い男で、エリーは青い髪と金色の目をしたミュータントで油脂を変化し操る超能力を保有している。仔細は読み取れないが、クロードはかなりエリーの能力について見抜いていた。
・2人とも10代〜30代への変装を得意としている。エリーは黒髪のカツラを用意してる。
・ジオもエリーもクロードも、神能会の保有するSPACを2人が狙っていると明記している。
・ジオとエリーは、偽のメモで、旧勢力のユニーダ商会と新勢力神能会の衝突を企てており、ミュータント4名、それも特に強力な、爆発、念力、読心の能力持つ凄腕をユニーダ商会が招き入れた事を仄めかすような嘘を残した。
以上である。
計画の全貌は不明だが、偽物のメモに記載されたユニーダという、ついこの前までネディアを支配していた組織の名前から、ジオとエリーは、あわゆくば、旧勢力の残党と新勢力である神能会を争わせようという魂胆が見え透いている。
メィ・ディは、まだ見ぬジオとエリーに憎悪を燃やす。
クロード好みのつまらないハードボイルド小説にありがちな同士討ちを画策しているのだが、余りにも稚拙で吐き気する、胃が痛い、はらわたが煮え繰り返る。ジオとエリーは狂っているなんて生ぬるい、脳みそが腐ってる。と。
だが爆発、念力、読心の超能力を持つミュータントがいるという虚偽のメモに、存外にジオとエリーは、幼稚なところがあるものだと、角町ことメィ・ディは怒りつつも思い至っていた。
3つの能力が判然したミュータントが組んでいたという話は後にも既に殺された4人組以外にない。嘘の登場人物にしても、もう少し真実味のある人選は無いものかと彼女は思うのだ。
クロードのメモには10代〜30代の変装がジオとエリーは得意とするとしているが、実年齢は10代なのかもしれない。
脱線するが、既に死んでいるミュータントの4人組についてはジオとエリーなど足元に及ばない、神話の存在だ。以下の通り。
ネディアほどの大都会は狙わなかった。奴らは、人口600前後の比較的裕福で武装もしている島に、洗脳した使い捨ての部下と共に侵入し、そこの住民を、老若男女構わず美醜を問わず快楽の為に犯し、惨たらしく殺し、あまつさえその人肉を喰らって、140日前後かけて、いけにえの絶えない大饗宴、猟奇変態地獄を繰り広げたのだった。
奴らが戦略規模の大量破壊爆弾で、某島諸共木っ端微塵にされるまでの間、大凡3000人の人間を、その鬼畜の宴へ贄した“事実“。
何せ、人肉食は、4人の各々が好物とする部位しか食べなかった上に、原住民に無理やり食い残した隣人成れの果てを供したところで、結果はいわんや。つまり、住民全員が犯され嬲られ食われた痕跡がどこにもかしこにも残されていたのだ。
外洋の帝国の諜報機関が、その凶行に目星をつけていた。そして宴に興じている間に帝国軍が、先の爆弾を使い始末したという。
暴力が支配する時代でもここまでの悪逆を貪ったのは後にも先にもこの4人だけだ。いや、後に続く存在があってはならないだろう。
新進気鋭、10代説浮上のジオとエリーの噂にしても「死体が消えている」というのに。
以上。ここで本題に戻るに、ジオとエリーは死体を残す、残さざる得ないことに不安でもあったのだろうか?
なので、4人が実は生きていたかのような強引な嘘を残したのではなかろうか。
ともすれば、ジオとエリーに共犯がいたとしても、この襲撃に関しては、ジオとエリーが主犯格と見て間違いない。計画の中にこんなあからさまな嘘を交える事は、第三者ないし監督者が介入すれば、修正させるだろう。
また、クロードのメモ通り金目当てで無いというのは明らかで、娼館の金庫を狙った形跡が無かった。
金庫を狙っていたら、殺されてしまった元幹部、アイスマンから奪った特注のビームブラスター、.44ハンドキャノンで金庫の破壊を試みたであろうからだ。
しかし、しかしだ、ドレも、コレも、娼館を襲撃した事に説明がつかない。
だが、その説明がつかない中で、ジオとエリーは神能会の保有するSPACを全てないし、いくつかを狙っているという。
この件と接続性を見出せない目論見を、自分たちで虚言のメモを残し、経緯は不明だが、クロードもメモに書き残しているのだ。
そこで、メイ・ディは、娼館の襲撃もSPACの話も陽動だと考える。神能会のSPACを狙うというのはブラフで、ジオとエリー、そして協力者は他に目的があって、神能会のSPACの使い手を封じて、ジェンガ島内でなにかやらかすつりだろう。
メィ・ディはそこに思い至った途端、自分は既に陽動されて、事態の収拾までネディアに縛りつけられる事が、敵の計画の中に含まれるのでは? と、考えた。
もうここまで来ると、思い至るパターンは無数に増え、事態の収拾は神能会全体を巻き込む騒動として取り扱う事となる。
こんな時クロードがいれば相談できたのにと、考え疲れてきたメィ・ディの脳裏によぎる。
自分の弱気をわかったメィ・ディは、ジオとエリーの抹殺に、散漫になっていた思考の焦点を改める。
背後に陰謀があったとして、ジオとエリーは、この娼館の虐殺だけでなく、これから起こそうとしている大事の主犯格とみて間違いない。
主犯格のこいつらさえ始末すれば、計画の全貌は解明出来ずとも、残された黒幕なり協力者が計画を放棄する公算が高いのだ。そして、何よりも、朱雀組組長の立場で、クロードの救出を並行して命令可能な唯一の手筋が、ジオとエリーの捜索と抹殺だからだ。
メィ・ディは、押しつぶされそうな、胃がキリキリとする思考の大部分とは別の、いわば心の均衡を保つ安全地帯、聖域と言われるものの奥底で、クロードの名を呼んでいた。
それは、クロードが特別優秀な部下だからではない。特別な人だからだ。汚らわしささえ覚える有象無象の同業者の異性のなかで唯一、温もりを知っている男だからだ。
13
クロード・マイナーは、娼館から連れ去られる際に即席の担架へ拘束された。今は椅子のような竹製の拘束具に縛り付けられている。
臀部が空洞になっている。その代わりに、太ももや腰回りで体を支える工夫されてしまった構造だ。局部への拷問や、拷問に伴う失禁の際に手間をかけないように。
こいつはジオとエリー特製の、拷問椅子だとクロードは思い至る。
普通は股座が縮む思いだが、彼は眼前の光景を記憶に焼き付けようと、眼光をいきり立たせていた。口に詰められた不潔な臭いのする雑巾を噛み締め、脳から眼球に血をかき巡らせる。
彼は、灯りの燈ったジオとエリーのアジトに居たのだ。
灯りが燈ったのはトラブルだったようで、ジオは女2人に「なにをやってるんだ!」と怒っている。
愚鈍なトラックドライバーを演じていた頃の弱々しい掠れ声はどこにもなく、何度か喉を潰した嗄れ声をしていた。どこぞの軍属、少年兵であったのかもしれない。賊や、神能会の腕っこきとは趣の異なった迫力のある発声だ。
女は2人。1人はエリーでもう1人はジオとエリーの逃走の途中から手を貸していた。
口の不自由な女性で、フードのついたボロを纏っており年齢はわからないが、歳老いた印象を受ける。障害を持っている事と服装から見て女性は奴隷と見ていい。
協力者はいてもおかしくないと思っていたが、ジオとエリーが奴隷を召し抱えていたのはクロードとしては完全に想定外だった。
この老女のような奴隷が現れた経緯については少し遡る。
娼館のバーカウンターで、ジオとエリーは側にあった雑巾をクロードの口に突っ込み、頬にタオルを巻いて、猿轡にした。
直後、クロードはジオとエリーの唐突なディープキスを見せつけられた。彼がゲンナリしていると、ジオの顔が30代の、皺が刻まれ初め、潤いに飢えた始めた肌に変わり、エリーはキスを終えて自身の両頬を両手で潰すように強く揉み込むと、明らかに童顔になった。エリーの権能により、ジオとエリーは皮下の油脂をそれぞれの設定年齢に合わせて変装する事も可能だった。
化けたジオは1F中央の血溜まりへ、エリーは銃を隠していた床に転がる油脂の塊へ身を移す。ジオはいつの間にかカウンターから盗んでいた包丁で、女性の死体から、頭の皮を手早く剥く。人間の黒毛皮となったそれをエリーに投げつける。
エリーは油脂を拾うとポマードのように、青いショートヘアに塗りたくっていた。ジオから受け取った血濡れのカツラを装着し、黒髪に化けた。しっかり張り付き、エリーが油脂の性質を変化しない限り、簡単にははずれないのだろう。
その後、クロードは、ジオとエリーが身につけていたベルトで手足を拘束され、ジオのつけていた覆面を前後逆に被され、視界を奪われる。
そして彼が聞いたのは、数発の銃声と、エリーの罵言混じりの性奴隷たちへの命令だ。生き残った者は、一階におりてきて裸になれと。
その間も、ジオがバーカウンターの足掛け管を壊す音が聞こえ、次いで、ジオが肉と骨を叩き切るような音が聞こえた。またしても遺体の首を切り落としたものと思われる。
ほどなくしてクロードは、性奴隷達の服と足掛け管で作られた即席の担架に、余った服から調達されたであろう布で拘束され、担ぎ出された。
彼が外気に触れた事を実感する間もなく、ジオとエリーが出鱈目を叫ぶ声と、彼より先に出た裸の性奴隷達の方から、エリーの作る生首爆弾の爆発音が。矢継ぎに娼館の中から大きな爆竹の連続する破裂音がした。
おそらく全裸の奴隷達が散り散りに逃げた。クロードを乗せた担架は、地面に落ちるとすぐに、変装したジオとエリーに連れさられ、どこからともなく現れた、荷台を引いた三輪車だかの荷台に乗り込んだ。
この時に、口の不自由な奴隷がジオとエリーに合流したのだった。牽引する三輪車だかの側に、聞き取れない、老女の声のようなものが聞こえた。
三輪車だかが、停止すると、クロードは窮屈な荷台から、ゆったりとした荷台に載せ替えられた。
3tトラックの荷台だった。クロードを乗せた荷台にジオが乗って、運転席に口の不自由な女、エリーは元の三輪車だかを運転し一度、二手に別れた。
今、ジオと奴隷は、アジトに到着し、クロードを竹製の拷問椅子に拘束し終えて、三輪車だかで戻ってきたエリーとアジトで合流を果たしたのだった。
なお、三輪車だか、という乗り物の正体については、視界を奪われたクロードが聴き分けた限り、エンジン音でなくモーター音だった事に加えて、がらんどうの木炭装置の圧力容器らしいもこが静かに響いていた。側車付きの二輪車で、側車にはダミーの木炭装置を乗せているのだ。
正体はゾプチックを燃料にして走る、外洋の大国の軍隊が使うような正真正銘のバイクだ。高性能なバイクをそのまま走らせると、悪目立ちしかしない為、このようなデチューン偽装を行なっているのである。
アジトについた頃にはすでに、エリーの能力は時間切れのようで、アジトの灯りの中で、ジオとエリーは元通りの容貌に戻っていた。
大人というには幼く、子供というには過ぎた凶暴さが滲み出た容貌に。
しかし、エリーが被っていた生皮のカツラは、ピッタリと彼女に張り付いていた。
彼女は、それを取り外す為に、意識を集中して、頭部に自らの手をかざす仕草をした。クロードにはそう見えた。
生物の体内の油には、制限時間があるようだが、死体や、精製された油脂であれば、制限時間はもっと長いようだ。
ともすれば、頭を爆発させるあの技は、生きた人間には使えない公算が大と見ていいだろう。
女奴隷について話を戻すと、彼女のの声はエリーだけが聞き取れているようで、3人は意思の疎通はエリーによって賄われていた。
奴隷の言い分は、暗くて作業に支障をきたすという旨と、エリーの言う事は素直に聞くようだが、ジオの偉そうな言葉使いの命令を素直に聞く気は無い。と、言った塩梅だ。
さて、クロードが目に焼き付けようとしているのは、老奴隷と若夫婦のお定まりの寸劇めいたものではない。
部屋の様子だ。彼は脱出の為に、もう一つはジオとエリーの陰謀の全貌を知る為にだ。
仲間か、より大きな敵の存在が控えている可能性は捨てきれない。
クロードは目に入る情報を、血の巡りより早く脳に植えつけていく。
正面の壁に手書きと思わしきジェンガ島とその近海の地図と、ネディアの地図が貼ってあり、付随して沢山のメモが貼ってあった。襲撃の計画を企ているのだろう。文字の内容は彼の位置からでは読み取れない。
クロードから見て右手の壁面は、おそらく厳密には壁ではない。無数の竹棒の断面、竹の環(わ)が犇めいている。
ここはおそらくガレージか工房で、表向きは竹の加工所となっているのだろう。
クロードは連れ去られたものの、ジオと女奴隷が回り道をせず、最短ルートでアジトに戻った場合、おおよそ街のどこにつくか想定していた。この積み上げられた竹が面積を定めている部屋を見て確信する。その中の候補の一つである工房が軒を連ねるエリアだと。
少しばかりの勇気がクロードの心に燈った。
左の壁際には、棚らしい棚はなく、あっても腰ほどの高さの質素なもので、ほとんどの物は床から積み上げられているか天井から吊るされている。
クロードの目につく物から順に、武器は長物が傘立てのように、拳銃やナイフやわずかばかりの擲弾が下駄入れに手を加えたような棚に収まっていた。
読書の習慣あり。十数冊が壁際に積み上がっている。奇妙なのは、どの本も、読んだページを破っている形跡があった。巷では大抵の本が貴重だ。だが、ジオとエリーはアジトも転々とするだろうから持ち運び易いように、加えて長期間保存や足がつくような売却ができないからコレに至ったと思われる。
工具箱が4つもあるが、統一感がない。なので盗品だろう。いくつかある調理器具も盗品だろう。ここだけではなく、裏手か表に竈があって、そこにも調理器具があるものと思われる。この部屋には保存食を作るための燻製機と、ボール型でキャスターのついた炭火のグリルがあった天井の壁沿いに垂れた紐で、それらで作られた燻製肉、燻製野菜が吊るされている。
他に吊るされているのは、服が多い。ほとんどが女性用で、エリーのもの。男、ジオの服は3着ほどしかなく、髪型から察するに服の頓着はない。ポケットがたくさん欲しい少年のままで感性が終わっている。
先刻、クロードの子分を皆殺しにした銃弾工場は何の頓着もなく床に無造作に転がされている。
ハンドロード、リローディング、プライミングのためのツール群、ひとまとめに床に置かれている。側の紙袋はおそらく火薬が入っていて、中に乾燥剤と共に保管されているに違いない。
やはりというか、ラジオとラジオを改造した受信機と、神能会が抗争の際に使用していた無線機と、ソレを改造した無線機を用意していた。傍受しかできないだろうが、ジオとエリーにかかれば情報が恐ろしいまでの武器になることは想像に難く無い。
神能会の無線機にいてっては抗争の過程で、20kgもある車載の無線機であるにも関わらず、10台以上が行方不明になっていたり壊れたりしていたのでジオとエリーの手に渡っていても不思議ではない。
拘束されたクロードの目の前にある、部屋の中央に据えられた、巨大な円卓は、殆ど磨かれていない古い合板で作られており、真ん中に大きな釣鐘用途の金属の輪がある。人力で動かせる代物ではない。汚れ用から、食事から武器の手入れ、そして、3面見える壁のクロードから見て、右一面を埋め尽くす竹の加工など、机が必要な事のほとんどをここで行なっているようだった。
円卓の端にノートが二つあった。彼の位置から内容は判別できない。側には一冊の本が広げてあった。
至って普通のノートと、90度傾けて書かれたノートがあった。
普通のノートは綺麗な字でびっしりと書き込まれており几帳面さが窺える。
90度傾けたノートは両端に余白が残されており、おそらく捲り続けると一直線に、その思考か情報の流れ辿れるようにできているのだろう。
ある一党独裁政治の島の党代表がこの書き方をしているという事で有名なヤツだ。
が、字が汚い。それを指摘するには勇気が必要なほど汚い
前者はエリーのナルシズムだか自己顕示欲だか露悪趣味が垣間見える完璧な日記だろう。誰に見せても恥ずかしくないというか、犠牲者なり他者をせせら笑いながら書かれているであろう嗜虐の書だ。
後者はジオの手記だ。先刻、生きた娼婦をヒューマンシールドとして完璧な物にするために、怒鳴ることも無く喉を潰した合理性と支離滅裂から一端を覗かせた異常性は、このノートにモロに出ている。蛆虫のような文字もどきの踊りは有益な情報を書き溜めており、左の空白に後日、整理番号などを記載し、右の空白に何らかの成果をようやく書き込むのだ。
膨大な殺しをやっておきながら控えめに。憎悪の書だ。
本の方の中身は、こればかりは期待はずれにもクロードも読んだ事があった香辛料の本だった。畜生のジオとエリーも、飯は食うに違いないので、何もおかしな仕掛けはないだろう。
ジェンガ島の各所で採れる香辛料は質が良く生薬としても交易されるので、この香辛料の本が転がっていてもあり得ない事ではない。
なんにせよ、驚くばかりだ。非常に贅沢なのだ。
家具が無いでせいで、秘密基地然としたこの空間は、どこぞの義勇軍、植民地抵抗団のアジトさながらの充実度だ。
殺して奪い取るという手段の是非を隅において、この2人ほど物質的裕福さを勝ち取っている者が、この街に他にいるだろうか?
2人が何の迷いもなく、この贅沢な生活を送るのならば、SPACを狙うのは当然の帰結と言っていい。
もっと稼ぐ為にだ。
それと、今後、SPAC所有者に対抗する意図もあるだろうか。
クロードは自問する。自分がギャングになりたくて人を殺したか?女を犯したか?贅沢がしたくてやってきた事ではないか。こいつらも何も変わりない。
黒幕の存在がどーだのこーだのというのは、クロードは徹底的にありとあらゆるものが破壊された事に納得いかない為に、理由を求めていたに過ぎなかった。
残念ながらというべきか、手帳や壁のメモの内容まではわからないが、書いてある文字の癖は、ど汚いジオと文字までナルシズム垣間見るエリーの2人分しか見かけなかった。
大量の武器にしても 「噂を聞いた頃には賊ともに消えていた」というほど存在の秘匿に長けたジオとエリーは、外洋にある大国の闇討を専門に行う少人数の戦隊がごとく作戦に応じて武器を使い分けている。というよりも使い潰していると考えれば、決して数は多い訳では無い。
2人にSPACが渡れば、娼館の件など比にならない虐殺・略奪に至るのは必至だ。
他にも室内には、クロードでは情報の咀嚼が追いつかない物が色々とある。
3本のチェーンソーが大、中、小、二体の竹だかなんだかの木製の鎧のようなオブジェらしいもの、得体の知れない瓶詰め、一見なんの変哲もない染料のペール缶、机から外された暇そうな万力、化学の調合セットだと思うビーカーに低音バーナー、恐らくベアリングの磨かれた球いくつか……
あれやこれやと、目を忙しなく右往左往させていると、言い合いを終えた3人の内、奴隷の女性が、クロードの顔を覗き込んだ。
「ヒュリョーロ!はい!はんはらゃ!ひっほうなほほもにょほちかまえたんらね!?」
奴隷の女は歯が全部抜けている。そればかりか内側から裂けた頬袋に、撚り合わせなおしたような縫合で、唇らしいものがなくゴカイだかミミズが何匹も顔を這っているような中に、何もない真っ黒い孔が見える。そこから、安物の笛みたいな無様な高音の声を漏らすように発している。
興奮し、顔に這いずるようなグロテスクな無数の曲線に血が通う。その生き生きとした様に、裂傷を逃れた下地の肌のみずみずしいこと。老婆なんてとんでもない、もっと若い奴隷だった。
この奴隷が、どうしてこんな顔になったかは、クロードには身に覚えがあった。ジェンガ島の南の漁港、エンデューラという街の既存勢力と神能会の衝突がもっとも苛烈だった5年前の事だ。
まだ組長の座にいない彼のボスのメィ・ディは、憎悪のままに装備した9mm膨張弾で、対抗する勢力をクロードと共に撃ち抜いて回っていた。神能会が空路からの交易で得たものだった。
膨張弾はそもそもゾンビを撃ち殺す為の弾丸で、人間に使うと、いわんや、目の前の奴隷のように、肉体の内側から数十本のコルク抜きで、肉を搦て毟り抜いたような酷い有様になってしまった。
ホローポイントやソフトポイントいかに人道的な弾丸か。膨張弾を面白がって使う悪党もいるにはいるが、制止力にも殺傷力にも劣る。そもそも値段が高い。何よりこれが味方に当たった事を考えると、こいつを生きた人間との殺し合いで使うのはデメリットが多すぎる。
メィ・ディの憎悪の根源は、彼女が子供の頃、性奴隷としてセリにかけられたのがエンデューラだった為だ。
ジェンガ島に奴隷として連れてこられた彼女は、心身共に追い詰められて内陸へ捨てられた性奴隷の1人だったのだ。そこから神能会朱雀組隷下の内陸の組織に保護され、彼女は抗争の尖兵として育てられた。
街と組織の2年間に及ぶ大規模な衝突の折に彼女が”ギロチン男爵“と呼ばれるようになった一つの理由が、この極めて悪質な弾丸を採用した襲撃を悉く成功させていった為だった。
エンデューラの勢力がどこで何をしているか正確に伝えた内通者がいたのだ。
それこそがクロードだった。かつて彼は神能会と港湾勢力の二重スパイだったのだ。元は港湾勢力のスパイとして朱雀組の隷下の組織に潜伏していたが、朱雀組に属するメィ・ディにバレた。
彼は彼女に籠絡されてしまい、二重スパイに仕立て上げられる羽目になった。しかし、存外、クロードは乗り気で二重スパイになった。というのもメィ・ディの持つ朱雀組とその支配組織である神能会の懐事情と、彼の持つ双方の情報を照らし合わせるに、港湾勢力はこの頃から既に、神能会に対して分が悪くなっていたことがわかったのだ。
仕入れた値段の張る銃弾を打ち尽くして、クロードが漁港勢力の方に潜伏した折には、エンデューラは住宅に商店、工場等そこかしこが野戦病院のような有様であった。
漁港の勢力は、ギャングや商人だけでなく労働者、職人、漁師らが結成した自警団が抗争に参加していた為である。
クロードは力尽きた構成員達の死体を弔う為の汚れ仕事をやっていた。当時、彼は、自らが齎した戦果に対して、笑いを堪えるのに苦労したりもすれば、原型を留めていない顔面からはみ出た頭蓋骨の裏側や、止血の邪魔になって切り捨てられたイソギンチャクのように変貌した手足などといった、グロテスクな人体損壊に怖気がしたりと、二重スパイ活動を反映したような、精神の倒錯を繰り返す日々を送っていた。
クロードが欺瞞工作に勤しむ間、メィ・ディは、車輪のついたギロチン台を自作した。クロードの新たな情報を元に、野戦病院めいた町中から、次々に負傷者や手足を失ったものを、手下と共に街頭に引きずり出していく。
抵抗する者、かばう者に、件の膨張弾を手足に撃ち益々苦しませた。
彼らは、メィ一味の駆るトラックに死体の如く、無造作に乗せられ、牽引されるギロチン台へ順番も決められず送られたいく。
トラックは移動しながら、敗北者たちをギロチン刑に処していった。
そのギロチンに静寂はなかった。
首を刎ねれば、モーター音がチェーンギアと唸り声を上げて、金属フレームの上部に刃を納めた。次々に敗北者たちの首に処理を施していくと潤滑油が乾いたレールの甲高い音が加わった。
いよいよ動作が緩慢になると、メィ・ディはギロチンの歯に溶接された運搬用のハンドルで、全身を蝶番のように忙しなく動かしてそのギロチンを休ませようとはしなかった。
その姿はギロチンを操作しているというよりも、ギロチンに取り憑かれているようだった。
無力化した者たちの命を度にメィ・ディは憎悪に目を曇らせていった。
彼女の傍らのギロチンは、スポンジで出来ているのではないかと錯覚するほどに病人やカタワの血を、面白いように啜っていた。
彼らを匿っていたものの多くは、その家族だった。男手を殺され、親族の未来に貧困を強いるメィ・ディの移動するギロチン台。
漁港勢力の側に潜み、残された者たちの怨念の籠った、泣き叫ぶ声がクロードには二重の意味で堪らなかった。
やがてメィ・ディは、当時の朱雀組の組長を失脚させ、自分がその地位に収まりたいという野心を明かした。
当時の組長は薬物と女に狂う腑抜けで、エンデューラの侵攻に大きく遅れをとっていただけでなく、神能会の傘下の4つの組織、朱雀組、蒼猩組(せいじょうぐみ)、皚鯨組(はくげいぐみ)涅武組(げんぶぐみ)の中でも最も力を落としていた。
クロードは、便宜的に神能会と港湾勢力の二重スパイと表現されるが、実質的にはメィ・ディを真の主人とする朱雀組前組長と港湾勢力の三重スパイという難題をこなして、前組長を排除し、その信用を勝ちとり、新体制の朱雀組に引き入れられる手筈となった。
娼館の支配人の地位など可愛くもない腰掛けに過ぎなかったのだ。
悪党2人は、呪われた殺戮と野望の権謀術数の裏で、秘密を共有した関係を長く続けた。そして獣欲を経て、人と人として心を通わせるようになったのだった。
だが、男と女の凶行の成れの果てが、いたずらと呼ぶには悪趣味がすぎる運命のカラクリによって、新進気鋭の極悪コンビに召し抱えられたいたのだ。
この奴隷が、言葉に難儀こそすれ、朱雀組への恨みを端に、相当な助言を行なっていたと考えるべきだ。
娼館の襲撃は、朱雀組を狙ってやった事だということだ。クロードにはこの奴隷が黒幕とは思えないので、ジオとエリーはSPACを奪う為に、まず最初に朱雀組に弓を引いたという意図はあったはずだ。
「にひィーひゅはいの!うりゃぎちものなのら!」
目の前に親の仇を見つけたように。否、本当に親の仇でもおかしくない。クロードを前にして怒りと興奮で、ジオとエリーの奴隷の顔についた無数の銃槍は、まるで得体の知れない触手がクロードを捕食しようと蠢いているようだった。
「落ち着いてよ。何言ってるかわからないよ?」
エリーが自分の僕に対して、聞き取れないと言うのをはっきり聞くや、クロードは久しぶりにホットした。
クロードとメィ・ディが男と女の関係だという事が、噂でも流れていたら、人質としての価値があると見做されて朱雀組の足を引っ張らないかが彼には心配だった。
安心したのも束の間、女奴隷は、エリーに囁くように、クロードについて何かを伝え始めたようだ。
クロードは猿轡の裏で、凍りついた表情になって事の成り行きを見守ることしかできなかった。
エリーが奴隷と話している間に、天井から太い鎖に繋がれたフックが降りてきた。ジオがウィンチを操作して、部屋の中央、クロードの目の前の円卓の釣輪に引っ掛けようとしていた。
エリーが、奴隷に確認するように、作業するジオに聞こえるように、奴隷の発声を、言葉にして言った。
「こいつは朱雀組の中で腕っこき。よく捕まえられましたね。朱雀組の懐事情や兵隊の数。SPACの事も知ってる筈。やりがいの出る拷問になりますよ」云々。
随分喋ったはずだが、奴隷が言うクロードの話は非常に断片的な事ばかりだった。
型通りの言葉を並べるのに自分の事を熱心に話していたというのか?クロードには安心どころか、再び不安と猜疑の念が胸中に渦巻く。
そんなクロードに向けて、女奴隷が「地獄へようこそ」と眼でものを言っていた。
14
部屋の中央にある大きな円卓。切り株のような太い一本足で、中心にボルトで固定された目立つ鉄輪がある。それが天井から降りてきたウィンチに引っ掛けられて、吊り上げられた。
円卓だけでなく、カーペットまで持ち上がった。浮いたカーペットの面積は、円卓よりも一回りほど大きい。
重力で垂れるカーペットの淵のせいで、クロードからは見え難いものの、徐々に浮いていく床材の底には、いくつもの土嚢がロープやネットで括り付けられているのがわかった。
何人かいても人力で持ち上げることは難しいだろう。
仮に、床下から這い上がり脱走を試みてもネットの所々に付けられた鈴が、その動きを知らせるようだ。
今、鈴はチリンチリンと小気味良い音を鳴らしているはずが、底の見えない見えない空洞のせいで、クロードには、ゆっくりと恐ろしく聞こえた。
テーブルの下に隠されていた円形の縦穴は、内側面に、竹の直管を隙間無く並べたもので覆われていた。
直径3mほどある縦穴は、この竹の壁を備え、身体を突っ張っることもできず、中から見たら聳えているであろう竹の壁は、噛みついたって、それを削って足場を作ることも叶わないだろう。
どのぐらいの深さがあるのか、クロードから見てわからないが、最も低予算かつ確実な構造の牢獄だと彼は悟った。
ジオがウィンチで吊った円卓を納めたり、その他諸々の所要を進める間に、エリーが手際良く、クロードを拘束する竹の拷問椅子の端々をロープで括っていった。これからクロードを穴に吊るして降ろすために。
準備を終えたエリーは、クロードにおもむろにと、わかるようにおもむろに、彼女の体格と不釣り合いの、8mmバトルライフルを、竹箒のように纏められた武器の束から取り出すと、クロードにこれみよがしと、わかるようにこれみよがしに、銃床を彼に向けて構えた。
娼館でクロードに大きなタンコブを貰ったお返しだ。
「良かったね喜びな!その理容チェアーに座ったら、あっという間に男前だよ!」
アハハハハとエリーが笑うと、あっという間に、クロードの顔はアザと擦り傷だらけになり、みるみる腫れていく。
畜生以下の女は、クロードの顔に傷が増える度に喜色満面になって、彼の顔面をライフルの銃床で何度も殴る。
一度殴ると勢いづいて、竹の椅子の背もたれが撓る。それがすぐさま元に戻るタイミングでまた殴る。
バトルライフルの中のピストン稈が、連続で撃鉄を鳴らすような、カラクリみたいに噛み合った、冷たい動作を何度も繰り返した。
「8mmでへばってんじゃないわよブ男めが!目の前の美少女は9mmで殴られたんだぞ!」
キャッキャキャハハと、1kgに満たない銃尾で殴られた仕返しに、5kg近いライフルで殴っておきながらコレである。
ジオは得体の知れない瓶詰めと、赤い染料の詰まったペール缶や、ハッカか何かの清涼薬の臭いの漂う壺を机の上に並べ終える。
エリーは教会や寺の釣鐘を鳴らすようにクロードを銃床で叩きのめしている。
それをジオが制止する。彼女の顔に平手打ちを見舞った。
「遊んでる場合か!今日の仕事はまだ残ってるんだぞ!この馬鹿女が!」エリーを怒鳴りつけるジオ。
フヒヒと、エリーは口の血だか、頬の火照りだか、ジオの大声だかを、実に美味そうに堪能し、クロードへの加虐を終わる。
そのころ奴隷が下駄箱のような棚から、ボックスマガジンが引き金よりも前についてる古い銃を3挺と、クロスボウ1挺を取り出して準備を始めた。クロードにも口径がわからない銃だった。
ジオは不機嫌な表情はそのまま、黙々と、十特プライヤーの波刃ナイフで、クロードの左手首の腕時計のナイロンベルトを切断し、クロードから腕時計を奪った。
ジオはそれの両面少し眺めると、なんの感慨もなく縦穴の中に捨てた。
クロードは怒りを覚えるも、理由はわかっていた。安物のゼンマイ時計で大まかな時間しかわからない2針のおもちゃだからだ。ただし、防水性能だけはしかっりしていたので彼は気に入っていた。
次いでジオは、エリーの括ったロープをたぐって、クロードを、穴の底スレスレにぶら下げた。
穴の深さはそれほどでもなく、4mほどあった。
宙吊りのクロードの額は竹の壁に当たっていた。クロードから、地上の様子を見る事はこの位置からはもう叶わない。
女2人が忙しく次の仕事やらを準備する音と、男1人が操作するウィンチの音。テーブルを兼ねたこの牢獄の巨大な蓋が頭上に迫る音が、クロードには残酷で攻撃的なものに聞こえる。当然だ。彼らの言う仕事とはクロードが所属する予定の、自分の伴侶と呼べる女性の統べる朱雀組に更に危害を加えるものに違いないのだから。
彼を捕らえて離さない竹の拘束椅子は恐ろしいことに、宙吊りになると腰椎が軋む。エリーが括った場所に秘訣があるのだろう、しかし全員に力を込めれば、腰椎へのダメージはそれ以上蓄積される事はない。
クロードを眠らさない為の仕掛けだろう。眠らさない、飯を食わさない。痛めつける以前の拷問の基本だ。
ウィンチの音がゆっくりとしたものになっていく。やがて、部屋からクロードにとどく照明のわずかな明かりも、ウィンチの音と共になくなった。
15
クロードは、未開の島に今も残るという食人族が、文明人を捕らえた時、きっとこんな檻に入れられるのだろうと、ジオとエリーを野蛮人に見立て、暗闇の中の自分の境遇を皮肉る。
ある空賊の冒険譚の本に食人族の犠牲者とされる写真があった。エリーみたいに切り刻まれた女の死体の写真がだ。
正確には、骨みたいなので出来た鈍いフックで、乳房を貫かれて磔にされたり、肛門だか性器だかから木杭で貫かれて、舌と共に口から杭先が飛び出ているといった塩梅の写真だ。
嘘だか本当だか、そもそも食人族の仕業なのかもわからないものだが。
ヤツらはクリトリスを切断して漬物にして、酋長に献上しているという。エリーの性器も体同様に原型は留めてないのだろうか、それとも、性欲処理の肉便器用途に残されていたるだろうか。
殺されかけたり、殴りまくられてたせいか、クロードはこんな陰気な事をご機嫌に考えていた。
腫れぼった目が闇に慣れてくると、針の外れた腕時計の回転ベゼルが、持ち主を裏切り、嘲笑うかのように、空虚な残り時間を示している。無限の牢獄にいるのだぞと。
その事と、陰気な脳みその使い方、下らない時間の浪費と貴重なシナプスの消失感、とどめに顔面の激痛に、だんだん腹が立ってきて、彼は我に帰った。
ジオよ、俺が元気になったのは恩知らずのガラクタと、人の心を持たないお前のミスおかげだ、と。彼は1人でありながら皮肉った。
他にもミスをしていた、迂回せず直進ルートでアジトに戻った事。
何よりも、この忌々しい竹の椅子みたいなのの拘束中、何かをとちったのだろう、頭巾が取れて、部屋の様子を拝見させてもらった事もだ。
まだ何かミスを絶対にしているはずだ。クロードは自己を鼓舞する為にでなく、確信を持って頭上のジオとエリーのアジトで見たもの仔細を思い出したり、なにか無かったか振り返りを試みる。
脱出についてだが、おそらく、このシンプルにして最悪の縦穴さえ抜け出す事ができれば、後は容易だ。ジオとエリーに奴隷1人除いて仲間の気配が無いなら、追っ手の心配もない。
それどころか、あの畜生どもは本日2件目の何らかの襲撃を企てている。ものすごくタイトな計画だ。自分が脱出した段階で、計画が破綻したものと見做され、何もかもを放棄して、ジオとエリーの方が逃げ出してもおかしくないとも思える。
今なら、クロードを吊るしている何本かのロープもある。これを辿ればあるいは。
しかし、振り解こうものなら、腰椎があらぬ方向に反り返って、下半身が永久に動かなくなる事は明白だった。
チャンスは拷問の最中しかない。が、至難の業だとクロードは思い至った。彼にわかる限りのジオとエリーの性格が故にである。
まず、エリー。クロードの顔に鋭い痛みを残す、銃床打撃を加えていた先程は、鼻っ柱の立った余裕の表情だったが、ジオに平手打ちを喰らうと、うっとりとしたメス犬の顔に成り下がっていた。べらぼうの美人は、子供が落書きするように人間を痛めつけて喜んでいるが、こと恋人から受ける折檻に大人の喜びを見出している。
娼館でも見せたジオに粉々にされたいという拗れた発想から見ても、性愛癖はマゾヒストかバイストフィリアと見ていい。
敵の下半身事情をこの場で考察するのは不適切だろうか? クロードにとっては大真面目な考察で、エリーは性的な意味でサディストではないかも知れないので、拷問に我を忘れエクスタシーの渦の中で、脱出の隙が……という、有り難い展開から、程遠いという訳だ。残酷な悪魔(ブルータル・デビル)の性分を、より厄介に思うのだった。
むしろ、クロードの目に焼きついた一寸刻み五分試しの拷問の痕跡であろう切り刻まれたエリーの肉体は、苦痛を受けることも与える事も熟知している事にとんでもない説得力を持っている。
エリーが裸を見せたのは、虚仮脅しでなく、今ここで、その事を思い出すように先読みして怖がらせる為だったのかも知れない。と、考えると尚のこと。
サドとマゾは同居するという説を採用しようにも、クロードの直感では、エリーの嗜虐欲は性愛から遠いもっと幼稚か原初、根原的ナニカに起因いているようにしか思えないのだ。性欲と違って拗れていない破壊衝動のままにというべきか。
エリーの欠点は、むしろ、ご主人様以外に残忍である事が愛だと思いこんでいる典型的な野蛮人であると言うことだ。
童貞的な愚鈍愚純の価値観。だが、凄みのある陽気な演技力。暴力の中に垣間見える幼さ原始性。顔面と肉体と精神の全てが矛盾している。
結果、享楽どころか道楽で人を殺す。壊れた嗜虐欲を剥き出しに生きる露悪趣味のソシオパスだ。
そこに隙が生まれれば、何か、神経を逆撫でする台詞を使って誘導できれば、あるいは、脱出は可能かも知れない。
だが、一番厄介なのはジオだ。奴は真性のサイコパスだ。労働の一形態の中に殺人がある。用があれば平気で人を殺すのだ。あの男の腐った脳みその中では殺人や拷問といった、大仕事、大暴力が、清掃や荷捌きといった取るに足らない労働の隣に並べられている。
体を切り刻まれているエリーにとって、顔は唯一彼女の女性の象徴だろうに、平手打ちを与えるとは、容赦がなさすぎる。
ただし、エリーの素行不良は、ジオに同情する余地はあるのかも知れない。
未だに不可解な事の一つに、娼館でエリーが行った交渉が、とても雑だった事がある。
これはエリーが意識して、銃撃戦に持ち込んで、暴虐の限りに心酔する為だったかも知れないのだ。当然、ジオにその胸中を明かさず。
12m mマシンガンを扱えるのは体格的にジオしかいない為、消去法的にエリーが交渉に出ざる得なかったのだろう。
過去にもエリーからこのような作戦変更を余儀なくされていたとあれば、殴らずにはいられないのかもしれない。
そこを考慮しても、この冷酷さが赦されてる関係性から見るに、奴隷を含めた3人のリーダーはジオだとクロードは見抜いていた。
エリーが延々と喋ってるせいで、口数が少なくなってたが、トラックドライバーを演じていた間、クロードはジオが無口だという印象はなかった。また、陣中でエリーが作戦変更をする事があっても、襲撃全体の目標達成に至るまでの主導権、つまり戦略単位の意思決定はジオにあったと言える。
まだ若いのに、なんとも恐ろしい悪党だとクロードは眉間に皺を寄せる。
危ない橋を渡ってる事を自覚してる筈なのに、ジオとエリーが悍ましい殺戮を安易と行うのは、そうした双方向性の人格異常もあるのだが、ジオの無駄の無い、悪く言えばタイトな計画に、エリーの虚飾された、良く言えば余裕のある演出を加える事で完璧な隠蔽繋がってきたのだろう。
ここまで、サイコパスとソシオパスの番(つがい)と書けば、冒険小説の出来損ないに登場する悪役程度には聞こえはいいが、要するにメンタルカタワカップルだ。ポンコツを2人並べたって、既にミスを重ねている。絶対に綻びはまだある。彼は、これ以上、執拗に恐る事はないと自分に言い聞かせる。
やつらは一体どこからきたのだろう?いつからジェンガ島に、頭上にあるようなネグラをこさえたのだろう?クロードはジオとエリーの道程を推測し始めた。
ジオとエリーの悪行道程を辿るにあたって、その参考になりそうなものが、アジトにあった武器の束の中あった。
クロードが興味を引いた7.5x33mm弾という非常に稀な銃弾を扱う、フルオートライフルとオートマチック拳銃が2挺ずつあったことだ。
7.5m m弾は、某海域を納めていた小国が、国民皆徴兵を実現する為に、拳銃とライフル弾を兼用に運用されたものの、その国が滅んで使われなくなった。
余談であるが、この弾丸は威力が12mm拳銃弾の倍で、6mmライフル弾の半分。射程距離もライフルの半分だ。
この銃弾はライフル弾だがボルトネックではない。つまり9mmや12mmの拳銃弾同様薬莢にくびれはない。しかし、全長が33mmと、ライフル弾同様に銃弾が長い為、拳銃は左手で、右腕とグリップを包み込む独特の握り方を要した。
この件からみてもジオとエリーは、賊たちを襲撃しながら旅をしているというのは、噂話から想起してしまうミスリードだ。旅をするなら普及弾である6mmか9mmの拳銃弾を選択するだろうし愛用の銃もあるだろう。
武器を溜め込み、使い捨てに近い扱いができるのは、拠点を持つ事に慣れているからだし、過去に7.5mmのデッドストックが出回っていた地域に住んでいた事も現物が示唆している。
7.5mmの銃は、ジェンガ島から北東に1500km離れた地域に出回っていたので、例えばこのアジトを起点にして入手したとは考えにくい。
よって7.5mmの銃を入手してから1500km未満を紆余曲折ありながらも移動してジェンガ島を新たな拠点にしたに違いないのだ。
移り住むにあたって、古いの拠点のあった場所まで、引き返すようなルートは取らなかったと考えていいだろう。噂と共に消えていたというのだから、もしも再び現れでもしたら、巷で流れている噂は、もっと内容が違ってたはずだ。
用意周到さがある事は明らかで、このジェンガ島で神能会という組織が優勢である事や、各地で起こった大きな抗争、外洋の先進国と交易を結んでいる。といった島の背景は聞き及んでいるだろうし、神能会の無線機は2台とも抗争のドサクサまぎれに盗んだのではなく、港湾勢力の敗残者から買い取ったあたりが妥当だろう。あの、口の聞けない奴隷もそのツテで見つけたのかも知れない。
彼らの保有する沢山の武器の中に6m mライフル弾を使用する銃が無かった。意外とも思ったが、意図的に神能会と距離を置いていたとすれば、納得できる。
各国の軍隊と警察が積極的に採用し、銃も銃弾も、市場から国家が買取まで行っている。市場から消えた銃弾だ。
神能会では、会長直下の戦闘部隊で採用され、順次、配備されるとのことで、造兵廠では生産が追いつかず、やはり買取で対応している。
つまり6mmライフル弾の運用はジェンガ島とその海域では神能会が寡占しつつある。
6m mアサルトライフルで武装した所で、入手経路から足がつきやすいと諦めたのだろう。
ここからはクロードの先入観が多分な推測になってしまうが、ジオとエリーは長くとも9ヶ月以内に、エンデューラ付近からジェンガ島に侵入し、5ヶ月にネディアにアジトを作ったと思われる。
10ヶ月以上前だと、噂話に対して、空白期間が長すぎる。仮に空白期間をこの海域で埋めていたら、すでにジオとエリーの噂話が生まれていた筈だし、名前が売れてしまえば神能会の保有するSPACを奪うという、難題を達成するのは困難だ。計画を放棄し、島からいなくなっていただろう。
また、上陸して、かなり早い段階から、神能会の中でも朱雀組を狙った計画を立てていた事になる。
組織がメィ・ディの新体制になってから、他の隷下3団体と比較すると、どうしても日が浅いから狙われやすい。
そして朱雀組はエンデューラの住民に恨みを買っていた。口の聞けない奴隷や、通信機を入手した件を見ても、朱雀組を攻撃するとあれば、主犯にはならないも、無数の被害者たちが情報や物資を提供したに違いない。
情報が手に入りやすかったから狙ったとも言えるのだ。
神能会の保有するSPACを狙っているというのはブラフで、朱雀組を狙った計画だったら? ありえない話でもない。この場合狙うのは、組織の保有するゾプチックや金塊とみていいが、そうなると計画の全容は計り知れない。
全てではないにしろゾプチックなり金塊の輸送力を動員する必要があるからだ。アジトの中には武器しかなかったので、SPAC保有者を襲撃するという話の方がクロードの見聞の中では辻褄があった。
多くの背景を推測した事で、娼館の襲撃は、狙ったのではなく、消去法的なものだったと考える方が自然になった。
思えば、売りつける性奴隷に武器のパーツを持たせるというジオとエリーの狂気のアイデアは、娼館を襲撃するという目的に対してリスクが高すぎる。
それが何かは分からないが、ある条件をクリアする為に、朱雀組とネディアの街を混乱に陥れる必要がジオとエリーにあった。
その先の目標が、神能会のSPACを狙うにしても、朱雀組を攻撃するにしても、あの娼館に奴隷を売りつける機会は逃さない手はないと踏んだのだろう。
そこで、強引かつ何の利益もない娼館襲撃計画を急遽立案したのではなかろうか?もちろん、急遽というのは相対的な話で、一ヶ月以上は準備諸々、時間をかけているはずだが。
次に、クロードは、エリーがアイスマン老か自分に、聞きたい事があるからついて来いと、雑な交渉ゴッコの時に言っていた事を思い出した。それは、計画の精度を上げる為に、朱雀組の内情をさらなる情報を引き出す為だろう。
だから、先ほど、エリーは興奮する奴隷の言い分をひた隠しに、おさだまりの文句をならべて見せたのだろう。
拷問にシナリオがあって、拷問が始まる前に、2人がクロードについての情報を、拷問が始まる前に詳しく知ってしまうというのは、何か体が悪かったという所だろう。
ともすれば、クロードにとって最悪のパターンは、ボスのメィ・ディと、男と女の関係である事を知っていて今後は人質に取られる場合だった。
もしその場合、足を引っ張るぐらいなら、俺は…… と、クロードは思い至るに、柄にもなく熱い決心があった。まだ、それは確定した事ではないにしてもだ。
つい熱くなってしまった事を自覚したクロードは、思考を一旦整理した。
・ジオとエリーの企てている計画は非常にタイトなもので、クロードが脱出すれば計画が破綻をきたす可能性は高い。
・ジオとエリーはエンデューラからジェンカ島に入った為、朱雀組を攻撃する計画を企てる事となった。
・仔細は不明だが、目的を達成する条件を整える為に奴隷を奪い、娼館に武器を隠し入れる計画を企て実行した。
・輸送手段について何も見えないため、ジオとエリーがSPACを狙っているということで間違いはない。
しかし、ジオとエリーはなぜ竹屋を隠れ蓑にたのか? とクロードに新たな疑問が浮かんできた。
偽装の為に竹屋を始めたのは商売敵がいないからという目論見もあるのだろうが、そもそも竹に需要などない。
竹は、太古の文献に家具や道具に加工されたが、現代では有毒植物に進化しており、態々加工するなんて考るのはよほどの物好きだけだ。
最寄りの竹林は、ネディアから見てゾンビの縄張りをまたぐ場所にある。最寄と言ってもネディアから20kmも距離があり、竹を持ち帰るには迂回するか、ゾンビの群れを相手にするしかない。
時間か銃弾を浪費して中々面倒だったに違いない。
しかして、考える事にも、腰椎の為に体を強張らせる事にも疲れてしまったクロードは、竹の壁に預けていた額に意識を傾けた。まだ青々とした竹の、日の当たらぬ地中に埋められた、冷たい感触だけが、今の彼の癒しであった。
静かに静止していると、竹管の空洞の中に、本当に微かな振動が起こっていた事に彼は気がついた。
クロードは慌てて頭部を捩って、耳を竹管にあてがった。こもった音でこそあるが、頭上のアジトの会話が聞き取れたのだ。
クロードは心の中で歓喜する。
やったぜ!あのクソガキども!お前らのミスを拾い集めて、袋のネズミに追い詰めてやる!
そして、また新たに怖気を覚えた。
ジオとエリーの本日の次の仕事は、被差別街道、貧民窟の私娼通りを襲撃する。というまたしても女や弱者を狙う卑劣な計画だった。
おそらく、娼館の時と同様に、裸の娼婦を、次は私娼に街中を走らせて混乱をさらに強化するのだろう。
ジオの嗄れ声が聞こえてくる。
「女どもわかってるだろうな?派手に暴れるなよ。手早く終わらせてずらかるんだぞ。娼館の件とは関係ないように思わせるんだ。私娼どもは殺したら殺しただけこっちに損だぞ。わかってるだろうな?」
続いてエリーのヘラヘラ声。
「わかってる、わかってる。だからレディ2人で貧民街の私娼窟を襲うってね。水タンク車を使うのは一石二鳥だね。すぐに消火にできないと思い込んで、エリーちゃんの権能、バッドテイスト謹製の火炎瓶をジオが配り終わる頃には、もう事態は朱雀組だけじゃ抑えきれない。神能会本体に応援を要請しないと、収拾がつかなくなるよ」
バッドテイスト、エリーが自らの超能力につけた名前だろう。
ミュータントは自分の能力に名前をつけて、呪文のように唱える事を繰り返す事で、その超能力の質を上げていく。どういう理屈かは不明だが、祈りというか精神力とでも言うべきものを引き出すために詠唱する。
しまいに名前を唱える事もなく、いつでも使えるようになる。
やがて、応用技に名前をつける。
「短時間にブレインデッドを詠唱無しで2回作っている。こんな事は初めてだから、もう今日はエリーの超能力は当てにできないぞ」
バッドテイスト、悪質な(油の)調合。
ブレインデッド、脳みそで殺す。
女の子らしからぬドスの効いたネーミングだ。クロードはエリーの超能力が油脂を操るものという、非常に厄介な代物だと予想してはいたが、アイスマン老を屠った技は、大業だったようだ。
「俺たちが潜伏できるのは長くて1週間が限界だ。神能会が編成をそれまでに完了させて、このアジトも見つけ出すだろう」
長くて1週間。腹のたつ事にジオの読みは正確だとクロードは認めた。それがわかっていてなぜ、性奴隷や娼婦たちを利用して街を混乱に陥れようとしているのかこの畜生は?
「だから、今日から3日以内に、カタをつけるぞ。万が一、2日以内に見つかったり、計画が破綻すれば、何もかもを捨ててジェンガ島を脱出する。その場合、ミザリー、お前の安全は保証しない。忘れるな!」
ミザリーは奴隷の名前だろう、クロードはそこを聞き流してしまった。驚愕のあまりだ。
メィ・ディこと朱雀組組長から要請があったところで、神能会が十分な戦力をネディアに投入できるのが、3日はかかるからだ。ジオとエリーはそれまでに何かを起こそうとしている。
認めたくない。だが、クロードが長々と考えていた事の答えが出揃ってしまった。ジオとエリーは、朱雀組の娼館を襲い、朱雀組の縄張りを混乱に叩き落とそうとしている。それからの3日間で最も隙が大きくできる人物は朱雀組組長、角町赫奕(かどまち かぐや)ことメィ・ディをおいて他にない。
そして、竹。この世で、ギロチンと最も相性の悪いであろう、硬質線維の植物だ。狂って竹を集めてるんじゃない。ギロチン男爵と戦う為に、竹をよろずの罠に加工しているのだ。
そして、エリーの手に、意のままに人間の首を切断する装置が手に渡れば、ブレインデッドは最悪最強の超能力に変貌する。
最初に狙われているのは、ボスの、愛しいメィ・ディ、ギロチン男爵のSPAC”フライング・ギロチン”だ!
16
朱雀組組長、角町赫奕は、組の腕自慢の男5人を率いて、輸送船第四ビースト号へ。
彼女らは木炭自動車ごと入船し終えた。
船内の応接室へ進む、女だてらに黒服の5人を率いる、豪奢な原始ドレスを羽織る褐色肌の美女。
だが、美貌に不釣り合いな暗澹とした瞳は、ここに邪悪な企みを持ち込んだ事を隠す気が微塵も感じられない。それ故に堂々とした足取りだった。
彼女らを乗せた船は、沖合に向けて前進している。この輸送船はネディアの旧勢力、ユニーダ商会の頭目、ヌーダ・ボスホスと配下の幹部6名を軟禁する海上監獄となっていた。
この輸送船は、もともと4隻あり、ジェンガ島の東西南北の港にそれぞれのドッグを持ち、周回していた。ジェンガ島を外周する輸送船が4隻必要だったのは、島の内陸と制空権を神能会が掌握していたためである。現在は2隻が輸送船稼働し、この第4号が監獄として使われている。1隻は10年前に、神能会が入手したての飛空船の空爆により沈没した。
ユニーダ商会の男7人は、軟禁といえど、衛生設備に、娯楽用品、嗜好品、書物など、潤沢な道具と設備が一通り揃っていた。
沖合に出た船内に、看守役の姿は殆ど見えない。ヌーダを含めた7名は、船内のスピーカーから流れる、看守のアナウンスに従って、応接室に移動する。
全員がゆったりとした、ポケットを切り取られた不揃いの作業服であった。よく洗われているものの、取れない汚れがそこかしこにこびり付いていた。
だが、ヌーダの作業服はやや窮屈そうなものである。食糧供給もまだ安定していないジェンガ島の昨今において、見事というべきか、奇妙というべきか、群を抜いた肥満体を誇っていた。作業服も2名分を縫い合わせたものとなっていた。
彼らはヌーダを含めて船内の生活に携わる労務は平等に課せられていた。しかし肥満体が邪魔をしたことと、代々続いた稼業が彼を幼少より雑事から遠ざけ、軟禁先のここで労務が殆どこなせず、元部下たちが庇う形で、清掃や洗濯といった労務の仕上げを行なっていた。
船の応接室は、大所帯が来ても対応に困らない面会室として機能していた。とは言え、今日は囚人全員が呼び出された為に、やや手狭になっていた。
長卓の両端に、角町組長と、ヌーダ元会長が収まった。それぞれの背後に、5人、6人の男たちが控えている。
挨拶もないままに、角町が開口一番を切った。
「座りなよ。見張りウチの子分の仕事だ。椅子はちゃんと用意してあるんだからさ」
言われるがまま、ヌーダ商会の幹部6名は3対、対面するように、長卓に収まった。
彼らは何とも居心地が悪い。否、生きた心地がしない。角町組長は、かつて、自分たちが関わった、拉致した奴隷出身である事は間違いないそうで、その美貌から性奴隷であった事は間違いない。
そして、その美貌に関わらず、ギロチン男爵なる不釣り合いな異名を冠するに至った経緯は、聞くに及ばずである。
ソレの正式な名前は、その場の誰も知らないのだが、誰もが、ギロチン台で人間の首を無慈悲に固定する枷のようなソレを嵌められたような、死刑宣告のその後の時空に意識が飛ばされていた。
角町は、ネディアの町で起こった事を仔細に話し始めた。
朱雀組の非正規でこそあれ、重要メンバーが拉致され、上位団体の神能会監査役が殺害されるという凶事だった。
現場は、抗争に破れた、目の前のボスホス家の私邸を接収・改装した娼館で、娼婦も何人か殺された。
生き残ったものは、犯人の1人であるミュータントの超能力で、頭部が爆弾のように弾け飛ぶようにされているらしく、裸で町中を逃げ回っている。
メンバーの残したメモと、犯人の一味が残した偽のメモを、手掛かりとしてここに持ってきた事も。
過去に、エンデューラで市井の人間まで殺戮した角町が、硝煙の霧が立ちこめる血の池地獄を語る。しかし武装した構成員を配置した娼館を襲撃し、一方的に殺戮せしめたという信じがたい手口は、彼女のものとはベクトルの違う狂気と残忍さを伝えるのに他に適役がいないであろう内容だった。
実は、この場に居合わせた7人は、陸地に残っている構成員からのレーザー光線を使った非常に簡単な信号で、街で起こった事の一通りは、この件の限らず知っていた。
なぜ、娼館が襲撃されたのかについては、犯人の動機が不明だったものの、二重スパイのクロードや、先代と直に殺し合いをした古株のアイスマンといった、かつてユニーダ商会が辛酸を舐めさせられた比較的重要人物を狙ったものだと角町組長の話から知る事ができた。
そして、ユニーダ商会の関与が仄めかされている、メモは犯人の作った偽物だという事を強調し、語ったことにはわずかながら安堵の感情が湧いた。
「あんたらの仕業じゃない事はわかってるよ。ヤリ口が汚すぎる、少人数が武器の火力に任せてね、戯れに人も殺してる。そんな感じだったよ」
「ああ、そもそも、そんな事をやってのける手練れはもう、あんたらが殺し尽くしちまったからな」
ヌーダが口を開いた。皮肉になっていない皮肉をこめていたが、憎々しさはなく、静かな声だった。体格に反して彼の地声は高い。
「多分、汚いやり口を見せつけるまでが、計画なのさ。大胆なだけだと思いたいけど、緻密な計画かもしれない」
物憂げに応する角町。
「何か綻びは絶対にある。例えば”人間は一つも善業を行わないで生きる事は不可能”なんだ。心が耐えられないからじゃない。他人と他人がなにも関わりのないところでどういう訳か他人を意図せず助けてしまっているような事だらけなんだ。それが人の世の摂理だ」
ヌーダは次のように続けた。
借金を返せない男がみせしめに、路頭で殺された。後日、この男の埋葬を前に、男がかつて関係を持った女性数名への害意と具体的な計画について記述された紙一片が見つかり、女性らが難を逃れた。
だけでなく、この件による埋葬の延期により、手にかけた男が、仕事の不手際を疑われ、雇い主から身を隠していた所、潜伏先で放火魔と鉢合わせし、火事場泥棒を狙った計画的な放火が未然に防がれた。
だけでなく、この下手人は、この時、手負の放火魔に刺されてしまい、後日息を引き取った。埋葬夫は、男がベルトに縫い付けていた、殺しの報酬の前金の銀貨に手をつけた。雇い主が、墓を暴いて渡した前金をせしめようとしても何も出てこない。埋葬夫を問い詰めようと盛場へ向かうと、銀貨を証拠金にした賭けで負けて、ボロ雑巾のように痛めつけられた埋葬夫を見つけ、命だけは助ける結果となってしまった。
「キカンスキーかい?」と、角町。彼女は、この寓話みたいなのを知っていた。
「そう、ミザルド・イワヌコフ・キカンスキー。法治時代末期の哲人盗賊」
ヌーダは哲学というよりは寓話のような話で、口数を稼いだ。
続けて、大問題に発展しそうな頭が爆発する娼婦についての見解を述べた。
頭部を爆発させるといいう超能力は、脳みその油分を、性質変化させて爆弾に仕立てたものだ。また、それは死体の生首に限った話とも。
牛、羊、豚、竜、禽、果ては猿の脳みそまで食った事があるヌーダは、クロードの残した、ミュータントが油脂を操るというメモから確信を持って言った。
生き物にもよるが、脳味噌の形成材料は50〜70%が油分でできているという。
しかし、それが、油分らしい油分になるには、脳の活動が停止していないといけない。つまり死人の脳しか爆弾に変えることができないと推測していいとも。
ヌーダは、猿の脳だけが、口に合わなかった。この猿の脳味噌は”生き造り”だった為、味が全く異なり、食に適さないというのだ。
加熱された脳は総じて濃厚な味わいとサラリとした食感だったが、生の脳は生臭さと刺激臭が凄まじく舌がピリピリと痺れたほどだという。
なんとも贅沢で悪趣味な根拠を持ってきたものだと、角町は、呆れつつも、その説を信じることにする。
つまり今、裸で逃げ回っている性奴隷が爆発する心配はないのだから、もはや捨て置いて、クロードの捜索と犯人の抹殺に全てのリソースを投入しても良いのでは? と、思案していた。
ただし、ヌーダはミュータントが第二の能力を獲得する場合、これを警戒すべきと付け加えてきた。
ミュータントは、メインの能力に劣るものの、別系統のサブ能力を獲得する場合があるというのだ。
多くのミュータントは獲得に至らない。多くのミュータントはその事すら知らない。しかし、ミュータントが、生来の能力を極めた場合に、獲得することがあるという。
生首を爆発させる能力。油脂の性質変化の行き着く果てが、生物の臓器の油分を変質させるものだと考えれば、娼館を襲ったミュータントが第二の能力を獲得していてもおかしくはない。
ヌーダは敵の全貌は決して明らかではないと付け加えたのだ。
角町は、クロードからミュータントの超能力が進化するような話を聞いたことはあった。
脳味噌を爆弾に換える能力がまさにそれだと思っていたが、ヌーダの言い分は、どうにも勝手が違う。
脳味噌を爆弾に変えるほどの実力があればもう一つ隠し玉の能力がある可能性があると。
とはいえ、もともと使い勝手はいいものの、それほど強力とは言い難い油脂の性質変化の下位に当たる能力であれば、それほど戦闘において脅威でもないだろうと算段する。
警戒するに越した事はないが。
「それにしても、ジオとエリー……エリー・マリスキュラ、ブルータル・デビルがジェンガ島にいたとはな……」
これまで、猿の虐待料理のくだりにしても、蘊蓄を披露することで軽快になっていたヌーダの口調が、明らかに、重々しくなった。ジオとエリーという名前の悍ましさに平伏するように。
角町とヌーダは、それから、この事件の犯人であるジオとエリーについて話した。
角町からは、クロードの残したメモ、ジオとエリーの置いた偽のメモ、現場検証の考察。
ヌーダからは港町の情報網から知り得たジオとエリーの信憑性の高い情報。
それぞれが知り得ている情報のすり合わせを行った。
まず、修正した認識は、ジオとエリーが拠点を持たないで、宛てなく、賊を襲撃しているという先入観だ。これは、噂話が悪影響を起こているという所だ。
ジオとエリーはその足取りさえわからないものの、拠点を持ち、計画的に、それも務めて、合理性を持って賊を襲撃してきたというのが、今回の娼館襲撃で、はっきりとわかった事だ。
皆殺しにしたあと、選り好みを行なっているというのも、戦利品を抱えて拠点へ戻るために選別を行っているといった所だろう。
そして、この2人は、凶暴性や異常性を剥き出しにする以上に最悪な事に、狡猾な社交スキルを持ち合わせている。
孤島の原住民や、街の雑踏から計画の立案に必要な情報を自分の足で拾ってきている。
市井に溶け込むなり、害意を消して過ごしているので、住民たちが賊を証拠も無く殺している事に、想像が及ばない。
変装や、カモフラージュ、暗器のスキルもあり、これはエリーのもつ、ミュータントの個人が発現させる固有の超能力、油脂の性質変化によるものだと推測の域こそ出ないが大きいと思われた。
そして殺めた数は、300人を超えているであろうと。
角町は200人と聞いていたが、それは、噂話の中で、消えた組織の数と接続性無く語られた、不安定な数字だった。
消えた組織数が30〜35という噂があり、賊の構成人数の中央値が、10としても、実態は多くの組織がそれに満たないもの。ジオとエリーも常々10人を超える組織を襲撃していたとは考え難く、10人に満たない組織を襲撃していたとすると、10人に満たない集団を30ほど潰したとして300人は下回る。
ただし、消えた組織の中で最も大きかったのが、ジェンガ島より北東に1500km離れた海域を荒らしていた30数人いたという敗残兵の集団だった。
そこを加えると、300という数字がかなり近似値になると、ヌーダは300人説の根拠として示した。
その30人ほどの組織はガンプ小隊を名乗る、滅亡国家から在野となった元軍人が結成した空賊だったらしい。
派手な大立ち回りはせず、武装の数を背景に脅迫を行い、島々の原住民から物資を差し出させていた。
彼らも死体は見つかっていない。彼らが行方不明とわかった頃にジオとエリーの噂が持ち上がったのだ。
しかし、かつてガンプ小隊が略奪を行った街や島の周辺で、住民が次々に鉛中毒に苦しめられた。
その時期と、ガンプ小隊が消えた時期が重なった。
鉛流出の疑いのあった、缶詰工房は、鉛中毒が起こるのをまるで見越していたように、奴隷と雇い主が共に消えており、工房は燃えて無くなっていた。
一見、不幸の連鎖にしか見えない空賊の行方不明と、鉛中毒と缶詰工場の夜逃げ。
しかし、鉛中毒が、屈強な空賊30人全員に、いきなり重篤な症状を引き起こし、30人まとめて行方不明になったというのはおかしな話だ。
だが、この一件に、ジオとエリーが拠点を構えて賊を襲撃していたなら次のような仮説を立てる事ができる。
ある時期から、ジオとエリーは小さな工房を持つ缶詰屋を営みながら、店番、缶詰製造を奴隷にでもやらせて情報を集め、小さな賊を襲撃し、目立たぬように2人で贅沢な暮らしをしていた。
並行して狙っているのは、近くの海域を荒らしている元軍人の空賊団。正面から戦えば2人では絶対に敵わない。
この小さな工房をもつ島も、脅迫されるかもわからない。
そこで、あらかじめ奴隷に命じて、粗悪な商品をあえて作らせたり、捨てさせたりせず、備蓄させておいた。
やがて、30人の大所帯に脅迫が迫っていると風の噂で聞けば、待ってましたとばかりに、粗悪な商品の在庫を解放する。
加えて、襲撃の当日。脅迫に応じた従順な住民たちが差し出した物資の一部に火を放ち、粗悪な缶詰を奪う確率を上げた。
しばらくの間、2人は被害者ヅラを下げて、街の人々と、脅迫され差し出した物資について、断腸の思いを吐露しあいます。そうして生活苦を理由に2人は、奴隷をある日、売却、つまり手放しました。
さて、2人が住み慣れようとしていた街に鉛中毒者が現れたではありませんか。
2人は、工房を放火して、入り江にでもある隠れ家から武器を満載した艀を出した。あるいは、絶壁に隠してあった武器を満載した飛空挺で、あたらしい拠点へと移動しましたとさ。
その道程の、鉛中毒に苦しむ元軍人たちを、虐殺することを忘れずに。
死体がない件について、ここで一つ、この仮説の筋に最悪のパターンの一つを生成してしまう事になる。ガンプ小隊を待ち伏せている期間に、調達していた缶詰のお肉はなんだったのか。
17
ジオとエリーの目的は、SPAC強奪の為に街全体を混乱を陥れる事だろう。というところで話がまとまった。
あわゆくば、旧勢力のユニーダ商会と新勢力の神能会を争わせようという魂胆なのかもしれないが、どうにもここが稚拙なのが、角町にもヌーダにも気になった。
かつての殺戮集団のミュータントが生き残っていたかのようなメモ、そしてユニーダ商会の名前。
明らかな偽物のメモに残されていた。思えば、あわゆくば、というよりも情報を錯綜させる為だろうか。
今ここで、角町とヌーダが会談する事を見越して一網打尽にしようとしているのではないか?と、脳裏によぎりこそした。だが、この一ヶ月、海上監獄となっているこの船が錨泊する海域と空域に、不審な兆候などなかった。
襲撃の企ては無いと結論を出す他なかった。
ヌーダは、この会談の機会に、通したい条件を語った。それを決して必死さを悟られぬよう、調子を変えず、高く静かな声のままで。
「奴らはコントロールできない事を嫌う筈です。何よりも、おそらくたった2人で立てた計画は恐ろしくタイトなものです。ですので、もしここで、完璧な連携をユニーダのメンバーと朱雀組方で行えば、自ずとSPAC強奪計画が中止される可能性があるわけです」
ヌーダの指摘は正しかった。ジオとエリーは再現性の無い、大博打を打っているに等しい状態だ。
しかし彼が切り出した条件は、事実上の釈放要請でもあった。
稚拙な工作から、はっきりしている事は、ジオとエリーが神能会とユニーダ商会が手を組んで治安維持に努める事を絶対に避けて通りたいという事だ。
角町もそれは判っていた。だが角町は淡々と、次の通り返した。
「あんたらと完璧な連携は不可能だが、ウチで完璧な支配なら可能だね。」
完璧な支配。旧勢力ユニーダ商会の関係者現在の扱いは捕虜同然であった。この海上監獄にしてもそうだし、はっきり言って、丁重に扱っていた。
だが、それらを取りやめて、”ジオとエリーを殺すためだけの使い潰しの兵隊”として不眠不休で戦ってもらう事を、この発言は意味していた。
「いや、待て、手を組もう、事態の収拾を有線しよう」ヌーダは声も表情も焦っている事を隠せなかった。
焦るのも当然だ。角町は馬鹿ではない、にも関わらず優先順位がおかしい。
角町は、抑揚をつけて言葉を放つ。
「お前らにはウチの軍門に下ってもらう。自由人、シチズンの待遇も無しだ。事態を収拾する為に、お前ら、港湾の住民、全員奴隷にする」
「そ、それは大組織の方針に反するのでは!?」
ヌーダの指摘は正しい。神能会は、人的資源の消耗を抑えたいというところが本音だった。
時間をかけて、神能会の下位に法律・生命・財産の価値がある事は不文律として、ジェンガ島の乱世を終結させ、政(まつりごと)らしい事に乗り出す。それが組織の大方針だった。
「痴れ者めが。ガキの使いじゃないんだよ!後で会長に処分されようが上等だ。私がこの街の最高権限者だ!会長が私を殺すまで、それは変わる事はない。お前ら、これから、弾除けになって死ぬクズどもが、神能会の方針を語ってんじゃねーよ!」
角町は荒げた声を出す。その勢いのまま、長卓の上に飛び乗った。直後、肩をいからせて、上半身をはだけさせた。
原始的な構造の衣服なので簡単に、肩から乳房、うなじから背中が露わになった。
角町の肉体は、かつて性奴隷にされた頃の性病の痕跡、痘痕がそこかしこに残っていたが、それを除けば、くびれた腰つきに、男の手のひらには収まらない乳房に、肉芽と呼ぶには逞しい大きな乳輪と乳首が備わっていた。
諸々含めて、そそるプロポーションの持ち主だった。しかし、あまりにもフリーキーな造形が彼女の背中に存在しており、屈強な男性をも萎縮させてしまうのだ。
彼女が背負うのは、ヤカンのような鎧を着たレッサーパンダのアクロバットサーカスらしきもの、そのクライマックスを描いたタトゥーだった。
それもどうやって施したのか検討もつかないような精緻さで、まるで人皮をキャンバスにした水彩画のようだ。
神能会の構成員は、組織への所属をタトゥーで示す。これ自体は珍しいものではなく、他の組織や部族でも見られるものだった。だが、普通、組織への所属を示すタトゥーは、胸部や頭部、手足にそれを暗喩する記号を彫るというお定まりのものだ。
神能会が異質なのは、極彩色で背中一面を塗り固められた絵画の如き巨大なタトゥーを採用していた事だった。こんな手間も暇も、何よる根気が必要なものを享楽的な暴力集団がなぜ完成させる事ができるのか検討もつかない。
他にも奇妙な文化が多く、制裁においても、制裁の執行人でなく、被制裁側が自らが人体を切断するオトシマエという掟がある。細かいものを出すとそれはもうキリがない。
角町は、長卓の上で、抑揚の無い独特な、詩のようなのを歌い始めた。身の毛もよだつジンギと言う名の唄だ。
ジンギ詠唱による”ジンギ ALL KILL”。ヤクザニンキョのヤクザニンキョたる蛮習の中の蛮習である。
これから起こる殺戮に至った経緯、そして殺戮を起こす者の身の上を語る地獄唄。
要求が受け入れられるか、完全降伏を示す以外に、ジンギ詠唱とその後の大虐殺を中断させる術はない。
ジンギ詠唱者の本人が、唄を間違えれば、殺戮を取りやめるどころか、軽率なジンギ詠唱による恫喝を行ったとして、組織と親兄弟分の名誉を破壊したと看做される。
その汚名を濯ぐ為に、詠唱の失敗者は、その場で自らクロスを描くように開腹し、内臓の破壊えを行う。腸や胃などの消化器官を、ゆっくりと掻き出して、腎臓、脾臓、胆嚢、肝臓に指を立てて抉り取る。肺や心臓は、自らを長く苦しめて殺すために決して触れない。
自殺と呼ぶには生ぬるい、オトシマエの中でも最も惨たらしい、カイシャク儀式を行うのだ。
何者も、どこも、理解ができない。ジンギ詠唱にもそれに付随する死の儀式は、はっきり言って何の意味もない。ヤクザニンキョの蛮習の典型で、これを甦らせた神能会は”猟奇で動く組織”であって間違いがない。
ただし、ジンギ詠唱を妨害するものがいれば、部下か同伴した仲間か、あるいはたまたま居合わせたヤクザニンキョが、その妨害者を問答無用で殺害して良い事になっている。
ユニーダ商会側の7名は、次々に起こる、神能会構成員幹部の異常極まる恫喝行為に、顔だの声だの手振りだの全身で狼狽していた。
「待ってくれ、俺たちは何も知らない」とメンバーの1人が弱々しく声を上げた。
すると、組長の詠唱の妨害にならないように、伴奏するかのような独特の調子で、角町の背後に控える子分の1人が、その声に応えた。
「ゴクドー 6人に うそをつくのは よくない」
なお、ゴクドーとはヤクザニンキョの一人称で、謙遜語である。
ユニーダ商会の7人は顔を見合わせてしまった。「何も知らない」など大ホラも良いところだった。陸に残した工作員からのレーザー光線の簡単な信号で、船外の、ネディアの街の時事から、神能会の情勢まで把握していたのだ。
その様子を見て、角町の子分の1人は、今度は大声を張り上げた言った。
「とぼけるのも大概にしろ!地獄でヘヴィメタルなオスシになりたいのか!?」
オスシとはビネガーライスとおかずをあらかじめ混ぜ合わせた兵糧のレイピがあり、ヤクザニンキョがこう呼ぶのだった。
ユニーダ商会の面々は、奇妙な恫喝に、ピンと来なかったたが、ヘヴィメタルという言葉から武器、おそらくは銃を撃つ用意があるということは即座に理解した。
そして、外部との交信をしていた事が黙認されていた事も、ヌーダもユニーダ商会の幹部も悟った。
別の子分が、部屋の隅に、円盤のようなのを投げ置いた。フリスピーほどの大きさのそれは、小型の立体映像の投影装置だった。おそらくは先進国からの輸入品だろう。
失敗すれば死。暗澹した瞳を血走らせ、額に、乳に、臍に汗を溜める角町のジンギ詠唱。
その地獄唄を背景に、先の投影装置に映され出されたのは、ギロチン台に拘束される男たち4名だった。
距離があるせいで、カラーの立体映像は乱れたが、白黒に切り替えられると、4人が誰なのか、船内の幹部たちは、はっきりとわかった。
彼らは今日まで、交代で街で起こった事を、レーザー光の信号でヌーダ他幹部たち6人に伝えていたユニーダ商会の構成員たちだった。
白黒とはいえ鮮明な、立体映像が何度も途切れた。周期的に強い光の介入し、真っ白になるのだ。
7人はこの周期の間隔に、強い既視感を覚えた。投影装置を設置した角町の子分が、次は望遠鏡を取り出すと、長卓の端に座る商会の幹部の両目に突き出した。商会の幹部は、座ったまま望遠鏡で部屋の窓越しに、身の覚えのある光の方を覗き込んだ。
間違いない。幹部たちにレーザー信号を送っていた4人が、灯台の展望台でギロチン台に拘束されている。
どういう訳か、日頃、何人も処刑している訳でもあるまいに、年季の入った1台に加えて、3人まとめてギロチンにかける事ができる3つ首枷孔に、巨大な刃が1枚ついたのがあって、4人まとめてギロチン台にいたのだ。
光の周期の間隔は、望遠鏡で見る灯台の灯りとズレがあったものの、それは投影装置のタイムラグだ。
望遠鏡でそれを見た幹部が、ヌーダに目配せをした。その表情は諦観したものだった。
「わかった!降参する!煮るなり焼くなり好きにすればいい!」ヌーダは悔しさを滲ませながらも、降伏を受け入れた。
止まった。ジンギ詠唱が止まった。卓上には、乳房を霰もなく曝け出したタトゥー美女の姿があるだけになった。
角町は、恥じらう事もなく堂々と衣を正す。命拾いしたユニーダ商会の幹部たちにそれは、女神のようにさえ思えた。
ただし、再び椅子に腰掛けたその姿は、正確には死神だった。
彼女はフリルのついた両方の袖を勢い良く振った。
その直後、長卓で、角町の姿を畏れ敬い見つめていた6人の幹部の首が、消えていた。
消えた首は、角町の前に、長卓の上に並んでいた。6つの生首は、血色も残り畏怖の眼差し称え、彼女から目を離さないままだった。
再び彼女が袖を振ると、6つの生首は、ヌーダの眼前まで長卓を滑っていった。
6つの血の道が机上に敷かれる。6人の肉体から噴水の如く湧き出る血は、対面で合流し、3本の歪な血のアーチが生首が敷いた街道の上に掛かった。
それが角町の暗澹とした瞳が輝きを取り戻し、黒と赤の壊れたコントラストの魔界の情景が瞳に投影されていた。
文字通りの血煙で角町の視線から遮られていたのは、1人生き残ったヌーダだ。顎が外れたように、呻きとも叫びとも取れる発声を繰り返す、人間離れした肥満体の男。
先ほどまで血の残っていた幹部たちの生首から血が抜け落ち、眼前の主に、表情の無いたわけたような白目を向けていた。
「今のは粛清さ。ジンギ ALL KILLではない。要求を聞かないでジンギ詠唱が完了していたならヌーダ。あんたと灯台の手下たちも皆殺しになっていたのさ」
いけしゃあしゃあとわかるように、いけしゃあしゃあと、角町はヌーダに言った。果たして発狂寸前の獣じみたい巨漢に伝わっているのやら。
悍ましい光景に、角町の配下5人は、顔を曇らせながらも、今日一番の大仕事が終わった、それに近い安心感を味わっていた。
室内でいまだに立体映像に、ギロチン台にかけられた4人の姿があった。粛清の終わりを船員が無線で告げると、彼らが解放される様が投影されていた。
「この距離で白黒とはいえ鮮明なら、もっと近かったら、カラーでも綺麗に映りそうだね」
この投影装置の実戦投入は初めてだった。実際、灯台の灯りで白く途切れるという軽微なトラブルで済んだものの、故障に備えてヤクザニンキョたちは7本も望遠鏡を持参していた。
これがうまくいかず、格好がつかなかったら角町のジンギ詠唱はどうなっていた事かと、組長の演出過剰気味の趣向にハラハラさせられた。
角町は、血濡れた両袖のフリルを、もう一度勢いよく振って、その血を払った。
朱雀組組長、角町赫奕が神能会から賜ったSPAC「フライングギロチン」は、暗器型のSPACで、普段は服の装飾品に擬態する6枚の回転ノコギリだった。
18
6人の死体は、サメか竜の餌になった。
船は再び港に入り、ヌーダを乗せた木炭自動車が、船舶のドックから吐き出されるように、街へと向かっていった。
角町こと、メィ・ディらを乗せた残りの2台も程なくして、船から、港から、去っていった。
ヌーダを載せた車が先を急いだのは、街のラジオと、街頭のスピーカーで、件の娼婦たちの頭が爆発するというのは限りなく可能性が低い話を、拡散させる為である。
角町が本来、この役を引き受けなければならないし、沽券に関わる。だが、新しく支配者となった朱雀組よりもユニーダ商会の情報の拡散力、信頼度という点を考慮した結果、ヌーダのこの役を命じた。
角町が拙速な動きに出ているのは、拉致され行方不明になったクロードの捜索を急ぐ為だ。
かつてのユニーダ商会の構成員たちを、ヌーダの号令の下に、四六時中捜索に回す。元々、ネディアはユニーダの縄張りだった、街でローラー作戦ともなれば要領を得ているはずだ。
やがて、角町赫奕ことメイ・ディは、男6人の首を跳ね飛ばした、邪悪な高揚から逃れるように、クロードとの出会いを思い出す。
6年前、先代の組長の側近が、内陸の部族の有力者と義兄弟の契りを交わした。
神能会には義兄弟になったことを内外に知らしめるための儀礼として、同じ釜で炊いたライスを食べるカマノコメという儀式があった。
ところが、神能会への忠誠と組織の会長との隷従の契りを交わす、乾杯の儀式と勘違いして手配した不届き者がいた。その者は、その日の内に、両手の親指をオトシマエすることとなったが、それでは済まない。ライスに限らず食材の調達が困難な昨今だ。
期日まで残り2日。儀式の中止ともなればカイシャクする者が出てくる。それも1人や2人ではないだろう。
しかし、当日の朝に、ライスの調達を叶え、儀式は完遂された。調達に成功したのは若手も若手の構成員だった。
それがクロードだった。
当時、角町は末端の構成員であり、本名のメィ・ディを組織内でも名乗っていた。短時間でライスの調達に成功した、クロードが港湾勢力のスパイだと逸早く見抜いた。
朱雀組は斜陽だった。保護された性奴隷のメィ・ディも組織の兵隊に取り立てた程だ。
立身出世を叶えた今となっては、この登用こそが大きな起点となったわけだが。
当時、彼女だけが義兄弟に入る男がどうにも信用できなかった。
結果から言えば、男の正体は彼は港湾勢の手引きで、ここに来た内陸の小部族の裏切りものだった。
内陸の部族たちの全てが神能会の軍門に大人しく下った訳ではない。
包括主義的手法で、他の部族たちが暴力集団神能会へ変貌した事。一神教である塹壕教会の布教活動を建前とした土着信仰の殺戮と破壊。空路の確保で齎された価値観の変革に抗うこともなく、この小部族は潔く滅びようとさえしていたのだ。
結論から言えばこの義兄弟、先代の組長の側近と内陸の部族の有力者こそが、真の意味での裏切りものだった。長年にわたる、港湾勢力との抗争の中を生きて、組織を斜陽させてしまい、神経をとっくに擦り切らせてしまった先代の組長に、麻薬と性奴隷を提供することで呆けさせ、この2人は組織の実権を握ると放蕩三昧を始めたのだ。
5年前、メィ・ディの行ったエンデューラでの移動ギロチンによる殺戮劇は、自身を性奴隷に堕とした私的復讐心も強くあったが、何よりも、組長、側近、部族の有力者に対して行うクーデターに参加してくれる人間を見定める絶好の機会でもあった。また、組織の朱雀組の動向を芳しく思わなかったアイスマンがメィ・ディを支援した。
エンデューラのギロチン事件と、朱雀組のクーデターの成功の裏には、メィ・ディによるクロードの懐柔があった。スパイである事を見抜いた事から証拠を集め、突きつけるた。加えて女性であることを武器に、彼を籠絡し二重スパイから完全な自分個人のスパイに改造したのだった。
籠絡はしたものの、彼女とて、諜報の指南や房中謀術の心得もなく、クロードがスパイである事や自身がクーデターを計画している秘密を共有しているうちに、強い恋心を抱いてしまったのだ。それはお互いに。
時代が平和なら、この2人はもっと違う出会い方があったのではないかと夢想もするだろう。
が、今まさに、血に飢えた獣、否。だれかの悲鳴をはっきり聞かねば眠れぬ、畜生以下の生態の存在が現れた。それと対峙せねばならない。夢を見る余地もなく血まみれの馴れ初めと、野望の道程を振り返る。
灯台の光が彼女の暗い瞳に、ブラウンの色、そして意識を現代に引き戻した。
「クロード……絶対に見つけ出す」1人、回想を終えて決意を新たにする。
しかし、どうした事だ?車がネディアの街を往くも、街の様子が変だ。
人々がバラバラの方向に逃げているようだった。規則性がないものの、各々は真っ直ぐ走っている。その逃げ方は、まるで家に火を放たれ飛び出したような様である事は共通していた。各々が何某の被害を受けた場所が異なっているかのようだった。
何よりも、誰も彼も火を見て怯えた顔つきだった。
車内のヤクザニンキョたちは顔を見合わせる。もしや連続放火ではないかと。しかし、車の窓を開けて、空を見てみても、大きな火災が夜空を照らしているという様子もなければ、焦げ臭い匂いも届いてこない。
ただ、何か、油のようなものの匂いが、仄かに感じられた。
今の彼らに油と連想させるものは一致していた。人非人のミュータント、エリー・マリスキュラ。
そのミュータントの権能が油の成分を意のままに組み替える事ができるものではないかと推察されている。
逃げ惑う群衆に変化があった。普段は街頭を現れる事を避ける、貧民窟の、普段ろくに水も浴びていないようなのが加わってきたのだ。一部は全裸だ。彼らは貧民窟の方を背に、一直線に走り抜けていく。
その中で全裸の少女が、助けを求めながら彷徨っている。少女どころか幼女で、親とはぐれたのだろうか?
先行するヌーダらがラジオや町内のスピーカーで「娼婦の頭が爆発する恐れはない」というおふれを出せていないはずだ。
少女を保護しようと、角町は、車を止めさせた。かつての自分を想起させたとと言うまでもないが、娼婦の頭が爆発すると言うエリーの仕掛けた虚辞のおかげで無事なだけだ、いつ襲われてもおかしくない。
逃げまどいながら人々は、車から現れたのが、神能会の大幹部、この街の新たな支配者である角町であると悟ると、彼女らを避けつつ、何かから逃れようと走り続けた。
少女に歩み寄る角町だったが、少女の顔面が蒼白としていく。彼女が暴力集団の長の一人である事を幼いながらも解っていたのだ。
その少女の背景、約500mほど先の群衆のそばで、ややこもった破裂音がした。
すると、細長い火柱が最寄りの2階建ての建物よりも高く上がった。オレンジ色の炎が、黒い煙と決して交わることなく絡み合い渦巻いていく。
爆風らしいものはほとんどない。それどころか、風が黒煙とオレンジの炎の渦に向かって流れ込んでいる。それはつまり酸素を際限なく消費しているせいで、炎は勢いを落とさず延々燃えている。化石燃料かそれに近いものがこの炎を絶やさないように。この現象はナパーム弾と呼ばれるものの爆炎に似ていた。
迂闊に水で消化しようものなら、余計に炎が広がるだろう、専用の消火剤を使うか、燃え移らせないようにして燃え尽きるのを待つしかない。
おそらく、街のあちこちで、コレが爆発している。焦げ臭い匂いがしなかったのは、空気が逆流していたためだ。
夜空に炎の光が照り返さないのは、黒煙に巻かれているためだ。
火柱の出現と共に、勢いを増す群衆の逃走。しかし彼らは、角町と3台の黒い自動車だけを、器用に避けて走り抜けていく。ちょうど、裸の少女が、群衆の裂け目の起点となっていた。
眼前の暴力と権力の執行者と、周囲の大人が炎と同じように彼らを恐れ、避けて逃げていく様子に、裸の少女は精神の均衡を失い、とうとう泣きじゃくる。
少女の弱々しい泣き声は、すぐにかき消された。3人の男が、ボロを纏った右目のない、頬のこけた若者を追いかけ始めた。すぼらしい貧民窟の住民らしい格好だった。
3人は各々、ナイフだかカミソリだかを手に持ち、追いつきざまに、若者の背中を切りつけて言った。瞬く度に4人とも血まみれになっていく。血だらけのボロで身を包むように若者が地に伏せてしまうと、3人のうちの一人が懐から拳銃を取り出し、若者に向けた。
こいつだ、こいつがやったんだ。貧民窟の連中が街に妙な火炎瓶を置いて回ってるんだ!
明らかに謂れの無い理由で銃を向けたれた若者。ボロの中で震えている。命乞いもままならないまま、彼は拳銃で撃ち殺された。逃げ惑う群衆は気にも止めず、若者を殺めた3人もその中に姿を消した。
はっきり言って猟奇に駆られた殺人だ。群衆心理で相変した、死への恐怖が、生への執着へと変わり、人々を猟奇に駆り立て始めている。
いたたまれない裸の少女が泣き叫ぶ、明らかに謂われない殺人行為、そうした弱者らへの憐憫なくヤクザニンキョ達を避けてわれ先に逃げる住民たち。それらを引き起こしている毒々しい柄の火柱。
その光景を、部下を殺され、自らも血の粛清を行いながらも、今日一番邪悪だと感じた角町赫奕。
部下の前にも関わらず、口から胃液を漏らした。文字通り反吐が出たのだ。
断腸の思いである。クロードの無事よりも、ジオとエリーを殺す事を最優先に動かなければ、これからもっと深刻な被害が出るに違いない。
ブルータル・デビルは脳みそが腐った悪党などと、侮っていた。敵は透明な、そして誰もいなくなる軍隊だ。
19
ネディアに属する貧民窟はインフラの届かない地域に形成されている。
住民たちはなけなしの金や、交換できそうなクズ鉄など出し合って、ネディアの貯水塔から、放水車に入れる水を購入していた。これは火災時の消防車を兼ねており、貧民窟の中で容量の半分しか払い出さない。
私娼たちが、10名ばかり、貧困窟の入り口で、焚き火を囲いながら屯している。はっきり言って容姿に恵まれた女性たちではない。厳密に言えば女装した男娼も含まれていた。どれも、できるだけ着飾った乞食ども、と言う風体だ。
醜女らは夜闇の中で虚ろいでいる筈だが、焚き火が与える影の加減で、皆表情が嗤っているかのように見える。
貧民窟の外からも中からも、その様子は平素より「魔女の宴」の誹りを受けていた。控える警ら番の微睡む表情も、それに釣られて地獄の獄卒が目を細めているようにさえ見える。
焚き火をが燃える場所は石やレンガが敷かれ積まれた炉になっていた。貧民窟では、火の使用が限られていた。こうした炉が建物の隣接しない場所で、朝の炊事など、その場所場所で決められ時間のみだ。
冬場にあっても、警らが行われている特定の場所で暖を取る以外に認められてはいない。かといって皆が皆、守ってるわけでもないが。
私娼たちの溜まり場のみが、警らを絶やさず、一年中暖を取れる場所となっていた。
街の娼館で殺戮があった事は彼らの耳にも届いている。おこぼれが貰えるなどと、私娼たちは露程(つゆほど)にも考えなかった。殺人鬼がまだ捕まっていないのだから。
平素は水タンク車として運用されている放水車の帰りもまだであった。
放水車はトラックとトレーラーで構成されていた。リアトレーラーに50tの水タンク・放水ポンプ。ポンプは化石燃料で駆動。
牽引するトラックは神能会も使っているゾプチックで動くものだ。
トラックの荷台は機関銃を据えた、移動式の詰所になっている。
貧民窟の男性の中で腕自慢のものが、交代で警ら番を引き受けており、このトラックは持ち場のうちの一つで。
1800人ほどが貧民窟に居住しており、
決して、水は綺麗なものではない。15kmほど離れた場所にある沼のそばで穴を掘って湧く水の方がまだ綺麗だろう。
しかし、消化の用途と、川までの距離を鑑みて、現在の運用に落ち着いている。
水の購入にあたって、集金に応じないものには当然配られない。
金の払えない者に加えて、足りない分は沼の側で穴を掘る必要があった。
放水車が戻ってきた。それは、スピードを落とさずに私娼たちの屯する焚き火場に向かってくる。
私娼たちと警らの者は焚き火場から自ずと離れていった。ブレーキが故障したのだろうか?トラックの前方に装備された排障バンパーが、下ろされて、地面を抉りながら、土を巻き上げながら突っ込んできたので、焚き火台はバラバラに、さらに土によって鎮火された。ともあれ、停車には成功した。
私娼たちは焚き火場から離れた位置で、聞き慣れないエンジン音を聞いた。厳密に言えば、今のように遠巻きに週に1回、メンテナンスの際にこの音を聞いていた。聞いてはいたのだがこの時まで気にも留めなかった。
消化ポンプが駆動している。
おそらくは誤報の火災を聞きつけて慌てて帰ってきたのだろうか?街では殺戮による混乱が起こっているので、間違いが起こってもおかしくはない。
普段、慎重に操縦されていたトラックが、50tもの水を仕入れてスピードを出して、ブレーキが壊れてしまったのではないだろうか?
警ら番がトラックに近付いていく。
焚き火がなくなり、私娼たちの表情は醜く悲壮な本来の相貌なった。そこに今起こった小さな事件で、不安と緊張の強張りが加わっていた。
獄卒のように見えた警ら番も、炎の見せた幻にすぎず、これで腕自慢なのか疑わしい痩せ躯である。
貧民窟どこも、燃えてはいないのだから、直にポンプは停止されるだろう。そう考えている内に、エンジン音を奏でる放水車から、近づく警らの者と、私娼たちにめがけて、液体が放たれた。
彼女らは一様に「どういうつもりだ!」と怒りを露わにするが、水の質がおかしい事に気が付く。
ほんのりと赤味を帯びていて、冷たく感じた。水よりも明らかに冷たい。
無学なものでもわかる。燃料が最初から熱かったり、水より暖かいなんてことはあり得ない。燃えやすいということは比重が軽く、揮発性が高いという事。
つまり、今、彼女らに浴びせられた液体は、燃種はわからないものの、一般的に燃料の特徴そのものだった。
運転席にいる、昼でも無いのにサングラスをつけた何者かが、タバコに火をつけていた。
火をつけていたのは、ライターでもマッチでもシガーソケットでもなく、クロスボウに装填された矢の羽に灯された火だった。
実際のところ、それの順序は逆だった。タバコの先から、矢の羽に火を灯していたのだ。
紫煙をくゆらせながら、運転席のそいつは、ヒビの入ったフロントガラスを足蹴で砕いてしまうと、近づいてきた警らの男を、火のついたクロスボウで撃ち抜いた。
撃たれた男は爆発するように炎上した。黒い煙にオレンジの炎が人体にまとわりつき、地獄でなければ聞けないような悲鳴が、貧民窟の入り口に轟いた。
私娼たちは目の前で起こった恐ろしい光景に、咄嗟に濡れた服を脱ぎ捨てて、その場から逃げ出した。貧民窟の方には戻れなかった。
放水車を、放火車に変えた狂人らは貧民窟の方にトラックごと移動し、消化ポンプで液体をばら撒いて回っている。
火をつけられた哀れな警ら番だが、燃焼の凄まじさは衰えを知らない。地獄に仏というべきか、燃焼の凄まじさで窒息して事切れたようだ。身を焼かれる苦痛からは早々に解放されるも、炎が尋常ならざるスピードで臓腑まで達したので、凄まじい悪臭を放っている。
逃げ惑う、全裸の醜女たち、貧民窟の人間も、放水に当てられると、皆が一目散に服を脱いで、貧民窟から逃げ出した。
否、貧民窟から逃げられる人間は全て逃げ出した。何らかの拍子で火が上がれば、何かの燃料で濡れていようがいまいが、こんなカラカラのゴミ溜まりなど、たちまち燃え尽きてしまう。
蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う、不潔で悪臭を放つ貧民窟の住民たち。
この事態を仕掛けた張本人は、タバコ、厳密には紙巻きのガッパと呼ばれる麻薬をふかしながら。トラックを運転している。
ケバケバしい赤いジャケットに野暮ったい厚布のスカートを腰に巻いていた。そいつは、女性の筈だが、わざと濃いメイクを施し、カツラだと一目でわかる金髪のカツラをつけているので、男娼のようにさえ見える。サングラスのせいで表情もわからないが、それらの仮装じみたものでは隠しきれない、整った美しい顔が垣間見得ている。
牽引され揺れる中、懸命に消化ポンプを操作しているのは、ゾンビを模したマスクをつけた、おそらくは女性。なるべく満遍なく液体をばら撒いている。
「ああ、つまんない、つまんない」
トラックを運転する仮装じみた美女が、気だるい口調で言った。すると紙巻き麻薬の吸い口がほぐれてしまったので、親指と人差し指を握り、紙巻を窄める。再び大きく紫煙を吸い込む。
燃料の側で紙巻麻薬を吸う姿は、なんと命知らずな事をと、誰もが思うだろう。
しかし彼女らが撒き散らしている液体の正体は燃料などではない。
真相として、撒き散らしたのは、タンクの水に比して少量の赤染料とハッカ油で、色味と涼感を加えてだけのただの水。
警ら番が炎上死したのは? それは、クロスボウで放たれた矢の先にのみ、燃料の入った水風船がくくり付けられており、羽についた火に引火したものだ。
これも厳密に言えば燃料ではない。今トラックを駆る、悪鬼の如きミュータント、エリー・マリスキュラがバッドテイストと名付けた自身の権能、油脂の性質変化で作り出した、炎燃性油脂。生産活動や移動を目的に精製された燃料ではなく、破壊殺戮活動そのもののための油脂だ。軍隊ならともかく、個人でこれを運用してしまうのは彼女はその権能を最大限に発揮している証左だ。
エリーは、リーダーに「目立つな」と厳命されていた事を思い出すも、内心では「くそ、あの機関銃でどうやって遊んでやろうか?」と後部の機関銃について、ガッパでパキパキになっていく脳みそで考えながら運転している。
自分はリーダーを、ジオを愛しているし、リーダーの基本方針にも従う。だが、あの男の不安障害を解消させる為に私も生きているのではない。やりたい事をやりたい時にやる。好きな事だけで生きていく。
最悪な事に、貧民窟の中でもおそらくは頭の悪かったであろう知恵遅れと子供達の集団をエリーは見つけた。
ゴミの山みたいなのの天辺に逃げ延びて、狼狽することしかできず、自ずと集まってできた子供と知的障害者が屯しているのを見つけてしまったのだ。
そこにトラック近づけて止め、エリーは後部の機銃台へと素早く身を移した。ルンルンと尻を振りながら「こいつは殺人科で履修済み得意科目だぜ」と、構造を知っていたこの機関銃への銃の装填を手早く終わらせる。
後部のトレーラーで、放水を懸命に行なっていたゾンビの面をした、口の聞けに奴隷のミザリーは、トラックが停止してからの異変に気づいて、トラック、というよりも機銃台の様子を伺う。
すでに、お嬢様と慕うエリーが、クソッタレのDV野郎の下衆主人ジオの命令に背いて、機銃を狼狽するゴミ山の知恵遅れや子供たちに向けて掃射を開始していた。
悲鳴がゴミ山からこだまする。知恵遅れがたまらず、子供を盾に生き延びようと試みるも、子供もろとも13m m重機関銃弾で貫かれ、肉体のほとんどを喪失した。
子供達の多くは、乱れ撃ちにされる重機関銃の凶弾から、なんとか逃れてさえいたが、衝撃波だけで皮が抉られていた。
知恵遅れの大人たちは男も女も、的が大きい分、次々にミンチにされていった。
「おお! そうか音楽だ!! 音楽が見えるよ!ミザリー!」
こう叫ぶ頃には、畜生以下のこの女は、何も狙わず、がなり立てる機関銃の銃身を、指揮棒を真似て乱舞させていた。
どこに当たるかもわからない大口径弾の中を逃げまどう貧民窟の不浄の子供たちを聖歌隊に見立てていた。
「さんオブざビッチども!鼻水垂らしたまま死にたくなかったら!私と一緒に歌えぇぇい!天国でも地獄でも聞こえるぜこのシャウト!」
などと言いながら涎を垂らしヒャハハハと嗤うパキパキのエリー。ゾンビ型の面体越しに、それを見た奴隷のミザリーは、その麻薬と陶酔と暴力性を剥き出しにした異常な様に、ありあえない感想を抱いた。
「なんて、綺麗な、顔なんだ」と。
この頃、ネディアの街のあちこちで、酒瓶から火柱が、ほとんど同時に上り、本物の火災が相次いだ。
貧民窟からは火が上がらなかった為、逃げ延びた貧民たちが疑われ、次々と住民に殺されていった
大分あとでわかった事だが、酒瓶は、火炎瓶のような物で、化学反応の遅延が一種の時限装置として機能していた。
この為、たとえ1人でも、町中の目立たぬ場所にこの酒瓶を置いて回ることは、可能であった。
猿のように飛び回れる男なら尚更。
20
「娼婦も私娼も、頭が爆発するなんて事は起こらない。相次ぐ連続放火にしても、塹壕教会の擲弾兵による襲撃だ」
街のスピーカーから、ラジオから、ようやく、かつての街の支配者、ヌーダの御触れが出た。
とはいえ、住民たちは理性的に行動できる状態ではなくなっていた。
神能会の台頭により、多かれ少なかれ、食い扶持を得る手段の変更や修正を強いられていた不安定な情勢だった。そんな中で、裸の貧民が逃げ回り、なんの前触れもなく火柱が登る異常な市街となってしまった。20余名の人間が訳の分からないまま殺された。12時間も経たない内に起こった事だ。
かくして住民らの猜疑心は頂点に達していた。夜明け前の深闇で、些細ない事で銃刃沙汰や奪い合いがそこかしこで始まっている。もっとも深刻なのは、火柱の発生による住民の自主避難によって生じた、住居等建物の乗っ取り案件で、これに至っては銃撃戦まで発生している。火事場泥も平然と行われている。
ラジオ塔から1km離れた位置に、朱雀組が新たに作ったアジト、というよりも建造中の要塞とでも言うべき拠点が存在していた。
ヌーダは今日より、指揮所に軟禁され、不眠不休でジオとエリーの捜索の指揮を執る。要すれば、その都度ラジオ塔へ移動する。
塹壕教会の壊滅と、ジオとエリー抹殺の最大の一手をかけるべく、準備と根回しの為にアジトに戻った角町。
内装も終わっていない、殺風景な大広間。現在は会議室として使われている。この大会議室にすしづめとなって角町の帰りを待っていた部下たち。
その多くが、この後、明朝に行う大作戦の準備の進捗状況について伝える。
大作戦は、ユニーダ商会粛清以前の決定事項だった。ヌーダは、この大作戦の精度を上げる為の布石にするために、隷下に据えられたに過ぎない。
進捗の把握が終わると、角町の手の者達が、ジオとエリー、クロードの居所を探ろうと各々持ち帰った情報を報告した。
エンデューラの一角に、エリーらしい青い髪の女が1ヶ月前から住んでいるという情報。
エリーらしいのが、そのエンデューラで、神能会皚鯨組(はくげい組)が試験的に営業していた服屋で、挑発するかのごとく、普及に腐心する紙幣を用いて悪趣味なスーツを仕立てていた事。
ジオの目撃情報が、娼館周辺に偏っていて、ろくに情報が引き出せなかった事。
貧民窟の水タンクを兼ねる放水車が襲われていた事。犯人はジオとエリーの特徴に一致しないものの、状況を鑑みるに変装した本人か許力者の可能性が高い。
そして、ジオが化けていた本物のトラックドライバーがどのように殺されていたかについて。
殺されたトラックドライバーの家は、まるで留守かのように一週間以上、静寂を保っていたと言う。
男の身につけていたもの以外、何も手をつけられていない。
異常だったのは遺体の状態だ。多分、腐乱臭を防ぐ為だろう、臓器を抜き取られたいた。挙句、水浴び場の天井に裸の死体が吊され、下に置かれた火鉢で燻されていた。鼻を抉られ、そこからだろうか、眼球と脳も抜かれいた。そばに重石を乗せた甕ががあり、死蝋化が進捗する消化器官を除いた内臓が貯めておかれていた。
おそらくは、殺害後、すぐさま上に吊るして、甕で血を受け取った。その後、内臓を、屠殺するかのように抜き取り、甕に入れた。
消化器官、俗言う白い内臓以外は、内臓はエリー・マリスキュラが油脂の性質変化を応用して死蝋化を進めさせたのだろう。
死体の下で硬い炭を焼き、遺体を燻すような形にして、消化物や糞尿を包む白い内臓だけを持ち去った。
死体を丸ごと運ぶでもなく、バラバラにするでもなく、埋めるでもなく、「一週間だけ透明にする」と言う大替案を採用しているあたり、ジオとエリーの計画がいつ破綻してもおかしくないタイトなものである事と、まるで問題解決の、頭の体操のように導いた死体処理だった。
ジオとエリーのアジトについては、必ずしもネディアという訳でもなく、エンデューラという可能性も捨てがたい。なおの事、普段変装しているか、身を潜めているであろうエリーはともかく、娼館に毎日出入りしていたジオの足取りが掴めないのは、理解に苦しかった。子分たちが手を抜いているとは思えない。
子分たちは推測であるものの、ジオが身を隠して素早く移動できた理由を発見していた。
似たようなサイズで、なんの変哲もない作業服らしいのが何着も、町中の屋根の上や屋上の目立たない場所にあったというのだ。中には、殺されたトラックドライバーのものもあった。
つまり、ジオという男は平素からスティッポー(鳶職)のように、建物の上に登り、町中の至るところで着替えながら移動していた。
服が貴重ゆえに、身なりも顔のように覚えられるこの巷で、特徴の薄い男が、特徴の薄い服に何回も着替えられたらそれはもう誰だかわからなくなってしまうのだ。
なんとも贅沢な方法で自身を隠してきたのだ。
先の死体処理の方法といい、元出ゼロの人肉缶詰を作っていたであろう過去が、いよいよ現実味を帯びてきた。
服屋に出入りしたのは、一定数いたものの、服を仕立てたのは名簿にポーリン・シュンという黄色肌の女一人だったという。黒髪にサングラスだがとんでもない美女だったそうだ。間違いなくエリーだ。一週間前に、依頼が入り共和国から仕入れた生地であつらえた。
よりにもよって、ポーリンという女は服屋に口止め料を払っていた。普及の努力虚しい紙幣なんぞではなく銀貨10枚前金、出来上がりに10枚の合計20枚も。
曰く、朱雀組とビジネスをしたかったが、生憎、機嫌を損ねてしまった云々。
いただいた紙幣は、使わなきゃマズイのだろうけど、監視されているのはごめんだ云々。
出来上がった翌日まで、共和国製の生地で服を仕立てた事を上に報告するのを待ってくれないか云々。
あんたの親分は白鯨組?だろう?迂回して、西の軍港の玄武組に別のビジネスをもちかけたいんだよ云々。
かつて、角町はクロードと共に、ネディアの男手を大量に殺戮した。そのために朱雀組と揉めたという人間に協力的な感情を持ってしまうのだ。
さらに、ネディアの実行支配者となった、皚鯨組の広井雪二(はくげいぐみのひろいゆきじ)組長が、労働産業を回復というよりも創出するために、紙幣の普及のために、神能会への求心力を改善する為に、様々なビジネスを試行錯誤していた。服が貴重にも関わらず、贅沢すぎるとも言える仕立て屋の居る服屋もその一つだった。
角町は内心で毒づいた。余計な事をしてくれたもんだ、雪二のアル中めが。と。
余談であるが、角町はネディアでなくエンデューラを縄張りに持ちたかったというのが本音だった。しかし、住民感情に配慮した結果見送られる事となった。
こうして、諸々の情報を受け取ると、角町は自分たちの部下にも休む間も与えず、街へと出撃させた。
今の事態を収束させるべく「かつてユニーダが、捕吏(ほり)や徴税人として協力を依頼し、支援していた宗教団体、塹壕教会の僧兵たちが神能会への聖戦を仕掛けた」というシナリオを、これから明朝までに用意する事となった為だ。
たった二人の男女によって引き起こされたことなど、口外できようはずが無い。ならば、いっそ、残存していた旧勢力の一角をここで潰しつつ、人海戦術で二人を見つけ出す筋を見つけたのだ。強引ながら、冴えた選択肢だった。
今、神能会、朱雀組の構成員が街に出ているのは治安回復の為ではない。ネディアに根を下ろし、その処遇を保留とされていた塹壕教会幹部の拉致と、関係者の居場所の確保に向かっている。
角町は、組長として、明朝の大作戦最後の調整を行う。上空監視のための飛空船の手配と、事前に計画していた大作戦実行の決裁を神能会の最高幹部から頂戴する事だ。
神能会の飛空船は、直下組織の麒麟宗と黄竜宗のみが現在のところ保有している。
神能会は、4つの組とその隷下組織、2つの宗、1つの会で構成される。
2つの宗には、4つの組と1つの会とは根本的に異なる点があった。それは、この2つの組織は、利益を上げない。否、上げてはならないのだ。純粋な暴力装置と、その後方支援と、必要な調略を担当していた。
寡頭制度下の戦闘集団の保有からの近代的軍隊の保有。その過渡期に出現したのがこの2つの宗だった。
それぞれが、ガシラーという称号をもつ神能会の最高幹部が最高責任者として配置されていた。戦闘部隊の麒麟宗にNo.2ヤングガシラー、ロジスティックスの黄竜宗にNo.3のブラザーガシラーが。
角町は、2人の側近と共に、自室に籠ると、電話を取り継いだ。女性の交換手から、少年ともつく若い声に変わった。
「ネディアじゃ物騒な騒ぎだね?会長が外遊から戻ってきたら、何かしらの処分は避けられないかもしれないよ?」
「覚悟の上です。全くの不覚を取られました」
「角町から、不覚をとるなんて、正直言って、信じられないんだよな。そこにも残ってる塹壕教会や、様子見にしていたユニーダの連中じゃないにしろ、こんなことをやってのける奴はこの島にはいないよ。不謹慎を承知で言うが、会長か、僕ぐらいのものだよ」
少年の声は、角町を相手に飄々とした口ぶりだ。この男こそが神能会ブラザーガシラー、兼、黄龍宗総長・戌亥義剛(いぬい よしたけ)である。
外洋の金持ち国家こと、ビトー共和国からわざわざこのジェンガ島に入植してきた。本名をバッキー・ハーンと言い、黒色肌の少年で、歳は18になったばかりだった。
神能会がジェンガ島を統一した後の、外交戦略とロジスティクスのブレーンとして3年前、つまり15歳の時に招き入れられた。ギフテッド、天才児というやつで、既得権益を確保する軍属が幅を効かせる共和国の体制で、己の才能を活かせないと見切りをつけ、自分が裁量を持てる新天地を求めた。
そして新体制かつ暴力的な統治の共同体を、神能会に見出した。そして入植して間もない頃に、神能会本部に組織運営のアナリストとを自称して乗り込み、会長と弁舌を交えた。そして、弁舌に敗れながらも彼は会長の軍門に下る決意を固める。会長も言いまかしつつも彼の頭脳を評価し、直ちに組織のNo.3に任命したのだった。
角町赫奕ことメィ・ディは戌亥が嫌いだ。若くして抜擢された事を僻んでいない。むしろそこはそことして尊敬の念も無い訳ではない。確かない知識と弁舌で持って会長に臆せず意見を述べ、その頭脳を買われたのだから。
メイ・ディはバッキー・ハーンに、自分自身の出自と、彼の出自の乖離に激しい嫌悪を覚えるのである。
誰もが羨む、なに不自由ない生活を送っておきながら、祖国を値踏みして、コントロールできない暴力装置と見て、自ら捨てた。家族を説得し共に入植したのだから恐れ入る。
しかも、塹壕教会の手引きで入植が叶ったにも関わらず、その塹壕教会を、このジェンガ島から一掃しようと企てている張本人なのだ。
塹壕教会の排斥には賛成だが、よくやるものだと、得体の知れないものを感じるのだ。
どうにも深刻なサディストだそうだ。共和国を捨てて、暴力的な発展途上の地域に身を置いたのは、全て欲求を満たす為でもあるという噂だ。
「単刀直入に言うぜ。狙われてるのはきっと角町赫奕、あなただ。会長が面白がってフライングギロチンをギロチン男爵に与えてしまったのは迂闊だったよ。君のSPACがどんな能力か、検討をつけて狙っているに違いない」
戌亥義剛は、角町がジオとエリーの存在を現状、言及していないにも関わらず、犯人の思惑を言い当てたのだ。
神能会の保有するSPACの中で、運用されているものは、蒼猩組(せいじょうぐみ)、皚鯨組(はくげいぐみ)涅武組(げんぶぐみ)そして朱雀組の組長がそれぞれ保有している。
これら全てのSPACを狙っていたにしても、順番で言えば、暗器である事以外にアドバンテージのないフライングギロチンが最初に狙われてもおかしくはないのだ。
朱雀組の、3人まとめて殺す一見不要なギロチンの制作も、彼女のSPACもギロチンである事を秘匿する為でもあったのだ。
角町とて馬鹿ではない。自分が狙われている事は、消去法的に理解していた。クロードが拉致されたのも、それが理由かもしれないと。
角町は、いよいよ本題に入る。
「捜査の増員に合わせて、目障りな塹壕教会を、“移動裁判所“にかけたいと思います」
移動裁判所。それは、丸1日かけて町中の反乱分子を、罪人として市外に晒し公開処刑を加える見せしめの虐殺だ。
首謀者と協力者、配下、奴隷がいれば、首謀者をまず最初に晒し、そこを起点に、渦線を描くように街に罪人を晒していく。渦の外側から、奴隷、配下、協力者のように首謀者の意図を理解している順に遠くから、首謀者に銃声や悲鳴、断末魔が近づいて聞こえるように処刑が執行されていくという鬼畜めいた見せしめだった。
電話越しの戌亥は嬉しそうな声だ。
「ずいぶん急だね?今回の騒動の濡れ衣でも着せようってのかい?」
「左様です」
角町の単刀直入な返事に対して、戌亥が続ける。ごもっともな意見だが、少年の声に私怨が滲み出ている。
「塹壕教会は白色肌人史上主義かつミュータント差別主義だから、将来的にモメるのは必然だよ。エンデューラ付近の解放区に至っては教条主義が徹底してるし。能力・実績主義の僕らとは合わない。あいつらはミュータントだけでなく、黒色黄色も白色に包括された存在。白色肌の下位互換品だと考えてる。要が済んだら島から消えてもらったほういい」
角町が思うに、この少年は、肌の色でこの教会に差別された事がよっぽどトサカに来ているらしい。入植の手引きの際にも散々な事を言われたのだろう。天才にも関わらず、割り切りができていないあたり、子供っぽさよりも、サディストの面が垣間見えた。
「ただ、塹壕教会を攻撃するなら一つだけ、懸案事項があるね」訝しそうに言う戌亥。
角町は、戌亥の言葉選びが引っかかった。
「懸案?懸念でなくて?」
戌亥は直ちに答えた。
「破戒僧が……ここ5年で632人殺してる化け物が、どうやらジェンガ島に向かっているらしい」
632人。これはジオとエリーの噂話ではない有名な話だ。勇者を自称する、身の丈2mを超える塹壕教会の破戒僧がいて、たった1人で戦いを挑み勝利し、磔にした賊や悪政を敷いた首長の数だ。
ーーー勇者。それは己の肉体を人外の領域まで鍛え上げ、暴力が支配する無法の地に乗り込んで、悪を滅ぼし、正義を示す至高の存在ーーー
角町の頭に、キカンスキーの言葉で最も有名な一節がよぎる。
懸案事項については、破戒僧の接近を察知するよう、神能会全体はもとより支配領域に達するとして、角町は明朝より移動裁判所を行うことの承認。真犯人を捜索する為の飛空船と人員の差し出しの要請。全てに戌亥からの了解の返事を得る事ができ来た。
真犯人の目星が、近海で噂の立ったブルータルデビルであること。つまりジオとエリーである事は、どこかのタイミングで話さなければならないが、それは移動裁判所が終わった後でもいいだろう。と角町は考えていた。
角町はたった二人に翻弄されている事を伝えるのも腹立たしかった上に、相手が大物と判断されれば、戌亥が介入するであろう。そこは避けたかった。
しかし、角町の思惑は外れた。戌亥はすでに介入する気だった。
「飛空船の編隊が終わり次第、直ぐにでもそちらに行くよ。なんだか、ほったらかしにしてたら僕も後で会長に詰められそうな気がするんだ」
その飄々とした声を聞いて、角町は諦めた。渋々、どこから話そうか分からなくなってなっていたと、断った上で、ジオとエリーについての詳細も電話越しに話す事となった。
戌亥は角町の言い分を傾聴していた。そして、飄々とした声は鳴りを顰め、思慮深い大組織の幹部の声になった。
「そいつらは、イレギュラーなどではない。あからさまな外敵脅威だ。共和国と関係を強化した神能会に対して、ジオとエリーを装った、帝国軍の特殊部隊による作戦かも知れないぞ?」
角町がたった二人に翻弄されている事を見くびるどころか、戌亥は、ジオとエリーの脅威を、角町同様に軍隊じみたものだと認識するに至った。
「角町組長。移動裁判所に専念してほしい。つまり、地上の捜索を。私は、上空監視と街の封鎖を徹底する。約束する。明日中には、ジオとエリーを君が見つけ出せるように全力を尽くす」
嫌悪感こそ拭えないが頼もしい少年だと、角町は短い時間で戌亥の評価を改めることになった。
3章『移動裁判所あるいは特別行動隊』
21
それは「地獄への進軍」としか形容のしようがなかった。以下はその仔細である。
太陽が上がる前、ネディアの街では、ラジオでの声明虚しく未だに卑人狩りが堂々と行われた。女たちは本当に頭が爆発しないかどうか確かめるなど、言いがかりをつけられて路頭で次々に陵辱されていた。男は銃弾が勿体無いとばかりに棍棒類で撲殺された。子供がどこかに監禁され、後々奴隷として働かせるよう虐待を受ける、子供のものであろう籠った悲鳴だけが街中にこだましている。
それ以前より起こっていた、火事場泥棒や、家屋の乗っ取りなども解決の余地を見出せない。
もはや、武装し平素住民に暴虐を振るっていた、旧ユニーダ商会のメンバーや、朱雀組、神能会らの関係者の方が理性的な有様だった。
朱雀組は、この事態を見越して「毒を持って毒を制す」という方針を昨晩から決定していた、そして今、夜明けに準備が整った。
”移動裁判所”と呼ばれる血の粛清が始まる。
裁判所と名ばかりの処刑部隊の構成は、ブラックスーツで統一されたアサルトライフルで武装した朱雀組100名の精鋭部隊と、武装した新品同然のトラック2台。それぞれの荷台には歪な、不揃いの鉄管が溶接された隙間の大きいジャングルジムのような構造物を抱えていた。中には、武装した朱雀組の構成員たちが全方位に攻撃できるよう、控えていた。
ジャングルジムの中に入る事で、一台当たり50名も収容を可能にしていた。
後続する一台のジャングルジムの上部に、天蓋のようなものが設けられた席があった。朱雀組組長、角町赫奕が、その席に収まり、マイクからスピーカーを通して、町中に死刑宣告を下して行った。
天蓋と椅子は彼女の衣服同様に豪奢な作りだった。
神能会は、普段は木炭自動車を使うなど、外洋の武装勢力と比較しても質素な行動を心がけているのだが、それは予算が、この度のような殺戮マシンの配備優先ということを平素から物語っているのである。
スピーカーから流れる角町組長の声に応じて、ヤクザニンキョたちはジャングルジム様の構造物から、幾度となく出入りし、建物から住民を引きずり出して、ジャングルジムの外側に拘束する。ジャングルジムは素早い展開と、離脱。攻撃と防御と拉致に一役買っていたのである。
別働隊として、徴用された旧ユニーダ商会関係者296名がおり、本当の騒乱の首謀者であるジオとエリー、二人に拉致されたクロードの捜索に当たっていた。
すでに3人一組、90班に対して余り26名が10箇所の指揮所を開設し、各個に町中の建物を虱潰しに捜索を開始していた。
この度の裁判は、塹壕教会の礼拝堂の前から開始が宣言された。昨晩より続く騒乱の首謀者にでっち上げた塹壕教会の司教を、晒しものにする所から始まる。
この司教にでっちあげたのは、たった2人の小僧どもに神能会朱雀組が蹂躙されている事実の隠蔽と、すでに邪魔になった塹壕教会を潰す為だ。
そして、反乱分子である塹壕教会の構成員、関係者、そして昨晩の騒乱で、乱暴狼藉を働いたと一方的に死刑宣告した市民らに、死刑を実施し、順番に、司教の元に戻っていく。
司教は、部下や同僚たち、ついでで処刑されるゴロツキどもの悲鳴を聴きながらそれを待つことになる。
死刑を宣告された者を、先の者と同様に一度ジャングルジムに拘束した後、所定の位置で解放すると、スコップを手渡し、銃を突きつけ、自らの墓穴を掘らせる。
それは、厳密に言えば、墓穴ではない。この後、首だけを街頭に晒して、埋められることとなるのだ。
銃を突きつける朱雀組の組員は、昨晩角町が屋敷に戻ってから、塹壕教会関係者の住居より、予め、処刑対象の拉致に当たっていたものたちだ。トラックの100人と別に100人ほどがいた。
朱雀組の組員たちは、町の各所で起こっていた家屋の乗っ取り事件に介入した。家屋の本来の持ち主であるかどうかなど関係ない。立てこもっている側、路頭から攻撃する側、有利な方について荒事を終わらせ、敗者をトラックが通り過ぎた道まで引きずり出すと、銃を突きつけ、スコップを手渡した。
他には昨晩の窃盗に夜明け前から増えた強姦など、適当な理由をつけて、目についた者を同様に、トラックに拉致して、所定の位置で降ろして、穴を掘らせていった。
本当にやったかやっていないなど関係ない。とにかく住民どもに大人しくなってもらう為だ。
例え戦争や天災に巻き込まれようとも、神能会の縄張りで好き放題暴れたら、死あるのみ。それさえ住民にわからせる事ができれば、何でもいいから痛めつけて殺すのだ。
大通りで、死刑宣告を続けながら前進する2台の武装トラックのボンネットの前方には、排障バンパーが取り付けられている。
さらにその下部には、地面スレスレで回転する大きな十文字の刃があった。
頭だけを出して自ら掘らされた穴に埋められる住民たち。気がつけば、頭の全てがトラックが通った轍の間に収まっていた。
この後、死刑宣告を受けた者は、罪の軽い者から重い者の順番に、ギロチン男爵こと角町赫奕の、地を這うギロチンの餌食となるのだ。
最後の死刑宣告を終えて、港を目前に、武装トラックが進行方向を変えた。逆戻りが始まろうとしている。
天蓋付きの椅子から見下ろす角町の眼下で泣き喚く住民は、最後の死刑宣告を受け、もはや穴掘りなどできないほどに錯乱しており、手あまりとなった数名のヤクザニンキョが素早く穴をほっていた。
角町は、その様子がはっきりと見える事に気がついた。狂乱に貶められた常闇が終わりを告げ、街は静かに夜明けを迎えていたのだ。
ジェンガ島の東海岸に面するネディア湾が照り返す朝日が、角町ことメイ・ディのブラウンの瞳を明るく照らし、小麦色の肌の美しさを讃えた。
ブラックスーツの組員たちは、直射日光の熱にさらされ始め、正直うんざりとしていた。
メイ・ディは朝日に向かって、クロードの無事を祈りそうになったが、もはやそれが叶わぬ可能性も理解した上で、荒ぶる魂を隠しもせずに、移動裁判所による死刑執行開始を宣言した。
22
礼拝堂の前で、一番最初に死刑宣告を受けた塹壕教会の司教が穴を掘らされている。ヤクザニンキョ2人にアサルトライフルを向けられた彼は、彼らの袈裟にあたるレザーのトレンチコートのまま、今、穴を掘り終えた。本来、儀礼用だった豪華なスコップはすでにボロボロだ。
ジョナス・マックダラー2等司教。齢57歳。白髪にシワの刻まれた白色肌で、コートを着てスコップを振う姿に、油断ならない鋭気を発散していた。しかし、その表情は穏やかだった。グリーンの瞳まで荒野の街に不釣り合いなまでに緑々しく穏やかだった。
彼の信仰の大半は、捕吏である事に費やされた。ユニーダ商会と組んで治安維持にあたっていた。
無論、それは教会と商会の権益を保持する為の暴力装置という訳だが、欲に塗れたネディアの街の有象無象の野蛮な住民たちを制御し、物質的繁栄に貢献したのもまた事実であった。
ともあれ、年齢にも関わらず、司教が強靭な肉体を保っていたのは、塹壕教会の僧侶が皆、修行の一環として独自の格闘術を研鑽しているからでもある。アサルトライフルを構える朱雀組の組員2人も気圧されている。
脱線するが、そもそも、塹壕教会がどのような宗教についてであるが、概ね次の通りである。
遠い昔、まだ地球に陸地の多かった時代、時の国家元首や軍閥の長たちは遠隔操作の爆撃機や殺戮ロボットを国家総動員体制で生産させ、大量破壊爆弾を撃ち尽くした。それは天変地異や陸地の変形を齎し、内地の非戦闘民の有色肌の人間の被害が拡大。元首や将軍職は失脚し、亡国の一途を進んだ。
一方、屈強な人種という理由だけで、前戦に送られた白色肌の兵士たちが、塹壕を掘って生き残ったと主張する。
とにかく彼らの経典ではそうなっている。古代において大量破壊爆弾の応酬となった戦争、塹壕戦を中心としていた戦争、殺戮ロボットを使った戦争、これらの時期に大きな隔たりがあるはずだし、原始から中世の人間たちは肌の色で国境を決めていたので、脆弱な有色肌が内地にいて、逞しい白色肌の人種だけが戦場に送られたなどという事も考え難い。
そもそも地殻変動の原因は戦争ではなく別にあることは明らかだ。
戦争の話の後に続く「白い肌の人間の姿をした唯一神」「人類の財産を簒奪するミュータント」「白い肌の人間の逞しさ」側から見れば、バカに単純な教義だが、暴力による勢力拡大を正当化していたため、土地の有力者に徴税や捕吏として僧兵を提供することで定着し、信者数の数はともかく広い分布図を持っていた。
以上。
塹壕教会の信仰の象徴は、交差する、クロスを描く2本のスコップの意匠。
朱雀組だけでなく、神能会はかねてより、機会があれば、秘密裏に塹壕教会の関係者を殺害していた。しかも、その信仰心を陵辱する為、意匠であるスコップで、今回同様に自らが生き埋めにする穴を掘らせいた。
宗教家にとって確実な死への恐怖など、建前であっても信仰心や教義で穿ち越えた恐怖だ。自分たちの死だの、神能会の暴力だの、全て神の下に些事だというのだ。
これに対して、神能会という新勢力の武威を示すには、もはや殺す前にこの宗教を陵辱せねばならない。
何も、陵辱とは女性でも男性でも肉体をレイプする事に限らない。屈強な肉体を練った軍人でも頑強な精神を得た宗教家でも、その象徴や、積み重ねてきたリスペクトを自らの手で汚し貶めるよう強要し、実行させ、それにより命を奪うという悪辣な手法で辱める。
神能会の構成員は、その意にそぐわぬ存在に、無力感を叩き込み、怨嗟に満ちた断末魔を心地よく堪能するのである。さらにヤクザニンキョの蛮習で、こういった惨殺が滑稽死の喜劇として扱われ語られる。ヤクザニンキョにとって死体蹴りは忌むべきどころか嗜むものなのだ。
こうして、礼拝堂から港まで走るトラックの轍に、夜明けまでの間に地面に埋めらた人間は延べ84人に登る。その上空に、飛空船の船影が近づいてくる。強襲機5隻、補給船1隻の編隊だ。
朱雀組は、これの接近を許す。それは神能会直下の組織、黄竜宗だからだ。
黄竜宗は、この移動裁判所が始まる少し前から、陸地にも、武装した部隊を配置し、街を監視し始めていた。
移動裁判所から、誰も逃れられぬように、ネディア街を封鎖するためである。
補給船の船底にあるレンズが朝日でギラリと反射する。レンズを通して、船内のモニターがネディアの街を一望する。
船内は決して広くはない。多くは補給物資で満たされており、モニターを覗くのは3人。段違いで設けられた空間がコックピットになっており彼らの眼下にある。パイロットは2名だ。
モニターにトラックの轍がはっきりと写っていた。重量物と武装した50人を乗せた2台のトラックが作った轍は、通常の轍よりも深々と、地面を抉っている。右輪と左輪の轍の間に、まばらに人間の頭部が生えていた。皮肉にもそれは塹壕のようにも見える。
「朱雀組による死刑執行、準備が整ったようです」
「街の封鎖は完了しました」
補給船の中で、電信機が打刻した符号の内容を読み上げるのは、ブラックスーツの神能会黄竜宗の構成員。
それを、聞き受けているのは、彼らのボス。戌亥義剛総長だ。
「了解。我が飛空船隊もあと10分もすれば街の上空に配置完了すると送ってくれ。」
戌亥は、空中で補給が全てが完結する編成にした。
ジオとエリーにしろ、二人を騙る特殊部隊にしろ、飛空船を奪われれるリスクを考慮すればこれが最適解だった。
補給船は指揮所を兼ねており、5機の強襲機が街を直接警戒する。ゾプチックを燃料とするゾプチックシステムが動力源となる乗り物、輸送手段は飛空船に限らず、1年以上、その燃料を補充する必要はない。
補給船がカバーするのは人員の交代と、食料、弾薬、衛生環境の維持だ。補給船はおおよそ三日分の物資を詰め込んでおり、事が長引けば、輸送船が交代の人員と物資を運ぶ手筈だ。
轍の終わり、港の手前で2台のトラックが屯している。どうやら、わざとモーターを空ふかしにして歯車の音をがなりたてているようだ。
移動裁判所の方が先行して動くようだったが、ここに戌亥の意思は介在しない。
戌亥が引き受けているのは、町の封鎖と上空からの護衛だ。
移動裁判所はあくまで、このネディアの支配を、神能会会長から賜った朱雀組の角町組長が、審判を下すものだ。
戌亥は、成り行きを見届ける事と、封鎖で設けた検問に、ジオとエリーあるいは特殊部隊が現れないか確認するのみだ。
死刑執行を始めるまでもなく、街は静寂していたのだが、この後、新たな騒乱が巻き起こる。
23
地を這うギロチンを携えたトラックは、処刑を開始した。自らが残した轍の上を通って、礼拝堂へと向かう。
首だけを出して、悲鳴を上げる犠牲者たち。共鳴するように述べ84人の犠牲者たちは町中に恐怖に満ちた断末魔を奏で始めた。
静寂した街に戻ってきた悲鳴、しかし昨晩の有象無象の雑多な悲鳴とは趣の全く異なる。畏怖を秘めた84の悲鳴はトラックのモーター音、轍をなぞるタイヤの音でも消す事はできない。しかしその恐怖の悲鳴は、少し、ほんの少しづつ、小さくなっていく。
排障バンパーの下に取り付けられた十文字の回転刃が、易々と決死の悲鳴を上げる首を刎ね飛ばしていった。
頭は、胴体というよりも道路から刈り取られように見えた。巨大な刃の勢いか、人体が姿形を強く維持する作用の反動か、あるいはその両方か、首はそのどれもが、天に昇ろうという勢いで地面から高く飛んだ。
直ぐにトラックに直撃し、轍の中に戻って、粉々になるか、轍から外れて、皮の膨れ上がった生首が残された。
鋤のような形をした排障バンパーは、10人も殺さないうちに、勢いよく吹き出た鮮血を浴びて、真っ赤に染まっていた。
普段はカラカラに乾いた土の道路が、血を吸って、轍にぬかるみのようなものを作っていた。
角町は眼下に繰り広げられる虐殺に、無意識に居心地の良さえ覚えていた。
建物という建物の、窓という窓から、この世の物ではないものを目撃してしまった有象無象の、臨界と呼べる感情のこもった視線が、そして街に訪れた静寂という成果物が、裁判官として処刑に立ち会うこの仕事が、思惑通りにジオとエリーを別働隊が発見できるだろうかと言う不安を和らげ、高い確率でクロードを失うやもしれぬと言う悲しみを慰めてくれた。
トラックは勢いを落とさず、あっというまに次の10人、述べ20名の悲鳴が大音量となった頃合いだった。
無線機を背中に背負った組員がジャングルジム状の構造物の中にいた。見ての通りの通信手で、喉から放り出したような叫び声だった。
「組長!上空の黄龍より電報です!街の包囲が突破されました!」
地を這うギロチンの虐殺を、睥睨していた角町が眉を顰めた。心の中で「あり得ない」と第一声。黄龍宗総長の戌亥の事は嫌いだが、警戒を抜かったとは思えなかったのだ。
矢継ぎに叫び声で報告が続く。
「塹壕教会の、金属甲冑で身を固めた、バイク部隊、10騎がこちらに向かっています!」
電報の通り、街では、10台のモーター音が、トラックの轍を探していた。
轍を見つけたそれは、轍の上に、10条の異なる轍を作っていく。
モーター音は軍用と見て間違いないバイクの物だった。バイクが大型な上に、操縦者たちの異形が加わり、相当の重量がタイヤにのしかかる。これにより移動裁判所のトラックの残した轍よりも、細く、同様の深さがある10条の直線を描いて前進する。
首まで埋まってしまった罪人達が次々に助けを求めるも、彼らは気にもかけず進軍を進める。悲鳴が途切れたと思えば、新しい轍の側で、脳漿をそこかしこぶちまけていた。いっそ移動裁判所のギロチンにかかった方が苦しまずに済んだだろう。
操縦者達は一様に、金属のプレートアーマーを着用し、バイクにはロケットランチャーや機関銃を備えている。棒状の擲弾を無数に帯革に括り付けて、腰からぶら下げていた。兜にある一条の線の中には人間の眼が見えるが、その異形から、誰が見てもこの10の騎士のようなのを人間とは確信できない。まるで古代の遺跡から飛び出した、鉄でできた化け物だ。
しかし、バイクのハンドルを握る、プレートアーマーの五指だけが人間だと証明できた。
街で散開していた朱雀組の組員。バイクの接近に気がつくと、3人のヤクザニンキョが一様に、物影に一旦隠れると、各々の銃で、プレートアーマーに重火器を携える、大型バイクの集団に発砲を試みるも、効果はなかった。
プレートアーマーはガランドウの、礼儀用や古代のインテリアといった代物ではなく、鍛えられた鋼の戦争甲冑だった。効果がないとされる鉛玉は、肉眼では確認できないものの、跳弾するどころか砕け散っていた。
プレートアーマーにバイク集団は反撃すらしない。反撃の必要がないからではない。塹壕教会の信徒たちは、辛酸を舐めさせられた神能会の戦法は折り込み済みだった。
発砲を虚しく終えた3人のヤクザニンキョの頭上に、建物の屋根の上にいた禽(トリ)が、一蹴のもとに空高く飛び上がり、錐揉みに降下する。
禽(トリ)は、翼開長10mほどの小型種で、人類が調教に成功した種の中でも、特にポピュラーな種だった。羽は土色系統に染料が、まだら模様を描くように染められれおり、どうやら荒野の中で迷彩色として機能するようだ。
ヤクザニンキョは垂直降下する禽に「食われる」と直感的に予想したが、禽は背中に、トレンチコートを身につけ、バトルライフルを携えた塹壕教会の司祭を乗せていたのだった。バイク集団同様に、帯革に棒形擲弾を巻き付けている。
2人のヤクザニンキョが、錐揉み降下する、巨大な鳥の背中に乗った僧兵の放つ、8m mのバトルライフルの銃撃になす術なく、屠られてしまった。
これによって、禽(トリ)は着陸する事なく、隙を見せずに、羽ばたき急上昇すると、隣の建物の屋根へと姿を消した。
一人残ったヤクザニンキョは一瞬の出来事に、反応できなった。そればかりか、禽の描いた美しいほど残酷な軌道に気取られていると、僧侶が静かに投げ置いた棒形擲弾のえじきとなった。
棒形擲弾には贅沢にも火薬がたらふくにく汲まれており、残された死体と見分けのつかない肉片と成り果てた。
爆発の起こった道路に隣接する家屋も爆炎によりボヤが起こり、静寂が打ち消され、おっかなびっくり、近傍の住民とともに砂袋を振り撒き消化活動にあたる。
硝煙に人肉の焼ける臭いを燻らせた狼煙が上がり、ヤクザニンキョたちは示し合わせたかのように戦闘体制を整える。
まず、禽に乗った僧侶の戦法に対抗しようと、ヤクザニンキョ達は近傍にいた仲間たちと一度、9名で密集陣形を取ったが、それに対抗するのは、プレートアーマーのバイク集団だった。密集陣形にロケットランチャーで攻撃を加えた。
発射音に気がついて、ヤクザニンキョは散開するも2名が直撃を受け爆裂四散する。悲鳴はない。
生き残ったもの達も、重機関銃の牽制を受けて反撃に移れない。禽らと、バイク集団はこのように連携をとって、追手を払いのけて轍の跡を進んでいく。
こうなると、バイク集団の後方がガラ空きになる。ヤクザニンキョはこの隙を逃さまいと、マシンガンや拳銃で攻撃を試みる。
そこに、つむじ風のごとく、3頭の馬が颯爽と建物と建物の隙間から現れた。騎乗するのは6m mライフルを構えた詰襟の軍服姿の3人。
彼らは一瞬だけ呆気に取られたヤクザニンキョを射殺し、銃線の外にいるものは馬が蹴り殺した。
瞬く間に3頭3人の騎馬班が屠ったヤクザニンキョは5名。
死人らとは反対方向に散開していた2名は背を向け逃げ出していた、ライフルで狙えば馬上からでも狙える距離だったが、騎馬班はそれはしなかった。
すぐさま別班の騎馬兵が現れて、馬に踏み殺されるのが見えた。
彼らはの武装は、軍服の下に近代的な防弾ベストと6m mライフル。文字通りの騎馬隊が、散開したままのヤクザニンキョや、先ほどの騒ぎで、戦線から離脱しようとしたヤクザニンキョを馬上から撃ち殺してまわっていた。
彼らも、帯革の上に、棒形擲弾を多数巻き付けていた。
彼らの仕業だろうか?街の太い道路に面する建物で擲弾が爆発し、小さな火の手があちこちに上がっていた。
街に散開していたヤクザニンキョや、奥まってところにいた旧ユニーダ商会のメンバーなども砂を用いての消化活動に参加せざる得なくなっていた。
こうして、街に散開していたヤクザニンキョ達は軽装だったものの、戦力が分散されてしまった。
ただし、移動裁判所のトラックに集結する100人のブラックスーツのヤクザニンキョは、6m mアサルトライフルや、バイク集団に引けを取らない火器を装備している。
かくして移動裁判所である2台のトラックにて待ち構える100人のヤクザニンキョと、10台の戦闘バイク集団とそれをサポートする騎禽兵(ききんへい)と騎馬兵に構成された塹壕教会の僧兵軍団との戦いが早朝の市街にて始まったのだ。
24
ネディアの上空の補給船。その司令室のモニターに、バイク部隊の出現から一連の騎禽兵(ききんへい)と騎馬兵による朱雀組構成員へ殺戮を確認できた。
黄龍宗総長、戌亥が司令室の席で叫んだ。彼には珍しく、少年相応の声だった。
「ホーリーグレネイル!?悪名高き特別行動隊!塹壕教会の開放区にでも潜伏していたのか!?」
彼らは、ホーリーグレネイル隊。塹壕教会の僧兵軍の内の擲弾兵の部隊だったが、いつからか、”特別行動隊”と呼ばれ兵種も任務も理解不可能な名前になっていた。
塹壕教会の布教活動に邪魔な勢力を大小、組織個人を問らず始末する、拠点を持たぬ虐殺と略奪の部隊に変貌。布教活動の後方で、虐殺・略奪・誘拐などといった蹂躙を”特別に”黙認された集団となっていた。敵対勢力の非道を偽装するマッチポンプや、偽旗行動も彼らの仕事だった。この時代にあってこの組織で強姦だけが御法度とされいた。
宗教的理由というよりも、とても官公庁的な、あくまで事業的な、まるで機械がやったような冷たい虐殺を演出する事が目的だった。
この度、彼らがホーリーグレネイル隊と識別されたのは、彼らがかつて、特別行動隊と呼ばれる前に身につけていたプレートアーマーを、久方ぶりに着用していたためだ。
特別行動隊は、ジェンガ島の南端にあるエンデューラの街と、このネディアの街の北西にある造兵廠の間に位置する解放区に潜伏していたとみていい。それも長年にわたって。
解放区は、今まさに処刑しようとしているマックダラー司教を失えば、降伏を促せると希望的観測を持っていたが、完全に当てが外れた。
これほどの武力を温存していたとは、神能会全体として思い至ってなかった。
解放区にはさらなる戦力が蓄えられていると見ていい。
騎馬隊は3人3頭班で、おそらくは4班12組。
飛空船より遥かに低い位置で飛行する禽(トリ)4羽、背中に乗るのはバトルライフルを携えたトレンチコートの塹壕教会の司祭格。騎禽兵は建物の屋根から屋根へ移動し、小休止を挟みつつ撹乱と奇襲を行っていた。
各々の装備品の帯革に、無数の棒形擲弾。彼らもホーリーグレネイル隊、すなわち特別行動隊と見て間違いない。
そこに10台のバイク騎兵が加わる。
警戒にあたっていた、黄龍宗が特別行動隊の接近を許したのは、ズバリこの編成に秘密があった。
4羽の禽が、地上を歩きつつ、土色の迷彩色を塗られた翼を傘様に広げて彼らを覆い、上空と、地上から完璧な偽装を施して移動してきたのだ。4小隊に分かれて接近していたであろう。
そもそも、ネディアの街は、城郭都市でもないので、完全封鎖は不可能だ。警戒と武装が手薄になっていたラインで4小隊が合流すると、禽の羽による迷彩を捨て、例のプレートアーマーのバイク部隊がロケットランチャーによる砲撃と機関銃による弾幕を展開して、一丸となってネディアの街に雪崩れ込んだと言う次第だ。
特別行動隊が現れたのは、ネディアの街と言うよりも、移動裁判所を襲撃するためといっていいだろう。
マックダラー司教の救出が目的だ。生き埋め状態の住民の生死は厭わず、朱雀組による虐殺を止めるためではない。
戌亥は、強襲機5機ともに、迅速な騎禽兵の排除を命令した。
通信機に、分かっている限りの敵戦力を伝えていた男は、咄嗟にマイクのスイッチを切った。
「朱雀組の組員諸共、殺してもよろしいですか?」と通信機の向かえに座る男。
戌亥は、少年ににつかわしく無い、諦めのついた声で返答した。
「放っておいても、禽か馬かバイクに殺される、既に戦場だ。交戦距離での同志撃ちは許す」
同志撃ちの許可がでた。これから朱雀組の組員の安否は配慮されず、強襲機が禽を追い立てる。4機が各々のターゲットを追尾し、1機が各個撃破の為、遊撃に回る戦法だ。
無線機のマイクのスイッチを入れ直すと、男はおさだまりの要領で発報する。
「黄龍より、上空の敵の排除を優先する。不幸にもそちらの組員が、町に散開し、交戦状態に入っている。遺憾ながらそちらの組員の犠牲は避けられない。生存の配慮は不可能である」
どうぞ、と補給船の通信手が発報を終える。まもなく、朱雀組側の返答があった。
「朱雀より、了解。本件における犠牲は一切追求しない。ただし、組員各々の緊急回避行動については、こちらも一歳責任を持たない事を承知するように」
朱雀組は敵の突入を防げなかった事を非難する事もなく、組員の犠牲まで許した。
これは、移動裁判所自体が、武装しているとはいえ、上空への戦闘に向いた編成ではなかったためだ。
塹壕教会の僧兵が襲撃してきたことは断片的な情報からわかった。その規模については角町は把握できていないものの、無線で届いてきたバイクの集団だけであるはずがない。複数の兵科で攻撃を仕掛けていると見抜いていたからだ。
何より、神能会の現場のツートップがお互いの犠牲や消耗を巡って衝突するのは、特別行動隊の思うツボだ。この戦いにおいては連携を堅持することを最優先にしなければならない。
角町からすれば、警戒の不備については事が終わった後清算する他無い。
4羽4人の騎禽兵4組に対して、黄龍宗の飛空船5隻に勝利の分はある。それどころか、禽では飛空船に対処できないだろう。
上空の警戒と、市街を俯瞰した警戒が手薄どころか、なくなってしまうものの、騎禽兵を屠るまでの短い時間、
もしも、さらなる援軍が、飛行船の警戒の解除を待っていたら?飛空船の内、4機は、デコイとしてダミーバルーンを残しておく事が出来た。
よって、短い時間内に騎禽兵を排除さえすれば、3隻の飛空船が上空からの警戒に戻り、移動裁判所は地上での防御戦に集中しつつ、上空の黄龍宗の2隻の飛空船の援軍を迎え入れる事ができる。
問題は、短時間で戦いを終わらせるには、飛空船は小型の強襲機とはいえ、地上スレスレで市街を飛び回る禽が相手と言うのは勝手が悪い。という点だ。
そこで、戌亥は、たった今、ユニーダ商会から騎禽兵一組あたりに20名の旧ユニーダ商会の人員を使う事を思いついた。
「角町組長と直接話したい」
戌亥の言葉に、通信手は直ちに通信の準備を進め、電話の受話器型の端末を差し出した。
受話器越しから迫力のある女性の声がする。
「角町です」
どうぞ
「お互いの部隊の損耗を最小限に抑えるために、ユニーダ商会の所の、ジオとエリーの捜索班から80人、差し出して欲しい」
どうぞ
「ジオとエリーに偽装した、帝国軍の特殊部隊の可能性についてはそちらの懸念事項であって、その為に人員を割いていたのだが?」
角町は流石に怒りを滲ませる。
どうぞ、彼女がいう前に、マイクが途切れた瞬間に戌亥が割って入った。
「特殊部隊の可能性はゼロになった。バイク部隊のバイクは帝国軍のバイクを改造したものだよ。帝国軍が、塹壕教会の司教を助ける為に、秘匿しなければならない特殊作戦で、自分たちの存在を露呈するなんて事はしないはずだ」
どうぞ
云々
どうぞ
云々
今、無線で通話をする。ネディアの上空と地上にいる大組織の幹部は、以下の情勢について認識を共有している。
神能会はビトー共和国から国家承認を得よう動いている。国家承認にあたって神能会が、共和国に支払う代償は、共和国への制空権・制海権の譲渡の約束。
この共和国の活動圏の拡大を、些細にも許さない勢力が、カーツ帝国の保有する陸・海・空軍である。
帝国軍としては、一連の条約を破言にさせる為には、神能会の支配は、いまだ完璧なものではないとして、国家承認を認めず、じわじわと弱らせてから、ジェンガ島に乗り込むという筋書きを立てているようなのだ。
それまでの間、内部の不穏勢力である塹壕教会を支援、騒乱が起こればそれに乗じて戦うように今回のような武器も提供していたのだろう。
塹壕教会だけではない。島の中に潜伏する反神能会を行動原理とする人間や小集団をまとめたり、近海で活動する空賊や海賊にだって武器の供与を行っている可能性があると見ていい。
帝国軍は、それらの事前の準備の進捗状況が一定の基準を満たしたので、前哨戦として特殊部隊による街の騒乱を差し向けたのではないか?というのが戌亥の仮説だった。
角町も、ジオとエリーの存在については確信し、エンデューラの反神能会派の存在が二人をフォローしているのだろうと考えていた。だが、この2勢力を包括するように帝国軍が裏で糸を引いていてもおかしい事はないとも考えていた。2人が主犯にしろ、2人でやるにはあまりにも無謀、というよりも無茶苦茶な攻撃を、躊躇いの痕跡なく行なっているからだ。
仮に、塹壕教会と帝国軍による2正面作戦だとして、塹壕教会からすれば司教を危険に晒さなければならないし、帝国から見れば、不正確な計画で手駒を消耗した上に、手の内を完全に晒した事になる。この段階で前哨戦、欺瞞作戦として成り立っていない。想定しえる戦略目標と一致していないからだ。
以上。
「ジオとエリーが現れたのは、帝国からしたらとんでもない誤算だったろう。手駒にするはずだった塹壕教会の暴発を許す結果になってしまったからな」
どうぞ
「事の次第は理解しました。人員80名、これが”神能会同士でもっとも傷付かずに済む犠牲”であるなら信じましょう」
25
「畜生!俺たちは禽の餌にされたんだ!」
全てを悟った頃には遅かった。神能会の畜生どもは、三叉路の真ん中に追い立てた俺たち諸共、禽と背中に乗った僧兵を殺そうとしている。
騎馬兵たちの姿が見えなくなったのは、俺たちに恐れを成して逃げ出したのではない。旗色が悪くなった事を理解して、オプションの作戦に移行したに違いない。
今、上空で2隻の飛空船が13mmの重機関銃をぶっ放している。10分前……いや、5分も経っていないかもいれないが、姿が見えた時は、援軍にきたものだと思った。違う。
散開していた朱雀組のブラックスーツの組員たちが集結して三叉路を完全に封鎖してやがる。
三叉路の路面にとどまらず、建物の中から、六方、十二方より、拳銃やらサブマシンガンから、9m mの鉛玉を俺たちにお構いなしに撃ち込んでくる。
禽の背に乗っていた騎禽兵は、地面に降りて、8m mのバトルライフルを腰だめに、目の前にいる俺たちを攻撃し始めた。戦意を喪失していることなどお構い無しに。
禽は、大きく翼を広げて、大きくて気色の悪い、弦楽器が壊れたような声をあげている。
羽ばたこうにも、13m m重機関銃を喰らったせいで、2本の脚で地面を蹴るような動きに合わせて羽をばたつかせている。半狂乱状態だ。
その禽に背を向けて、バトルライフルを乱射する僧兵に対して、いっそのままに懐に飛び込んだやつがいたが、狂った禽が嘴で、ひと突きにした。皮も肉の削げたのが一瞬見えた。すかさず嘴に捕らえて丸呑みにされた。
13m m、8m m、9m mの銃弾の見本市みたいな惨状で、俺たちは蜂の巣になってく……
昨晩より。
街は狂った騒ぎだった。その中で、たった2人で殺し屋みてーなことをやってるガキ(ジオとエリーという名前らしい)を神能会、朱雀組の命令でユニーダ商会の元メンバーたちが捜索を開始したらしい。
神能会だか朱雀組だかの黒服の構成員(ヤクザニンキョというらしい)が、俺の家までやってきて端金を見せて、今日一日言いなりになって働け。と、命じてきた。俺はユニーダ商会とは縁を切っていたが、断る事は許さないと。
この黒服ども、キ印しかいない。笑いながら人殺しの話をするし、指や耳を自分で切り落としたという理解できない行動を組織ぐるみでやっている。そこに最新の装備と、戦闘訓練を積んでいるのでたちが悪い。
敵うわけもなく、俺は泣く泣く、2人の悪党の捜索に参加した次第だ。
あまり長いされても、共和国の偽造身分証の作成を試していた事がバレるのも怖かった。(最初はこれがバレたから自宅に乗り込まれたと思った)
捜索にあたっての武器は、自前のショットガン。朱雀組が武器を片っ端から接収したので、9発入りバックショットが13発しか残ってない。
正直心許ないまま捜索が始まったが、キ印どもの女親分、ギロチン男爵カグヤ・カドマチが、移動裁判所を明朝に開始するという噂が流れ、街の連中は屠殺場に並べられた豚みてーに、騒ぐのをやめて、街は徐々に沈黙していった。
お陰で心許ないショットガンの出番は無くなった。
淫売のカドマチは、たった2人の捜索に随分御執心のようだが、どうにもクロードが捜索してる悪党2人に拉致されたらしい。
ザマァ見ろ、クロード・マイナー。港湾連合の裏切り者め。腕のいいガンマンだったが、所詮はスパイ。朱雀組の下っ端以下のポン引きに成り下がっていやがったが、誰もお前への恨みを忘れてなかったんだろう。
ジオとエリーという奴らはとっくに、街を脱出していて、今頃、誰かに引き渡されたクロードは寸刻みの五分試しに切り刻まれているんじゃないだろうか?
そう思うと、この不毛な街狩りが、疲労はともかく滑稽なものに感じられた。
3人1組で行動していた。指揮所を中心にしらみ潰しに無人有人を問わず、建物の中を捜索した。
俺たちの班には小さい無線機が貸与されていた。10班に一つが大きな無線機を貸与され、指揮所に小さい無線の情報をかいつまんで報告する要領だった。
突然、無線から、移動せよとの命令があった。俺たちの班以外にいくつかが、同じ場所かソレほど遠くない場所へと移動するように命令が発せられているのが傍受できた。
示された場所向かう。すると街道に、移動裁判所にかけられた人間が、生首みたいに首だけ出して埋まっているのが照らされていた。側からも遠くからも悲鳴が聞こえてくる。
泣き喚きながら、恨めしそうに、その場を駆け抜ける俺たちを、絶望の眼差しで虐める。
やめろ!やめろ!俺たちは関係ない!
それも、これも、全て神能会の畜生どもがやった事だ。一思いに仕留めやしないキ印に俺だって心底、気分の悪い思いをしている。
市街を走り、示された場所へ。そのうちに出会したのは、騎馬兵と交戦する朱雀組の面々だった。
そこは、移動裁判所に用いられている街路から、少し外れた三叉路で、朱雀組の連中の死体がすでに転がっていた。
その辺にあった木箱や看板、椅子などで、バリケードのようなものを取り繕うとしていたが、あまり効果はないまま戦況が膠着していた。
騎馬兵はどうにも塹壕教会のものらしい手縫いだか手書きだかのワッペンが防弾ベストに据えられている。
忌々しい神能会の連中だが、命令の意図を読むまでもなく加勢せぬばなるまい。あとで、あいつらの仲間どうしでやってる、指だの耳だの切り落とす遊びに参加させられるなり、より酷い目にあうことを思えば。
人差し指をチャンバーのあたりに沿わせて、ショットガンの照星を騎兵に向ける。照門へ片目を誘おうとした時だった。
おそらくは、無線で傍受した合流するはずだった別班が、建物の屋根ほどの高さを飛ぶ禽に追い立てられていた!
「なんてこった!」咄嗟に声に出した時。俺はまだ、禽が禽としか認識できなかった、つまり塹壕教会の僧兵の騎禽兵だとまでは見抜けなかった。咄嗟にショットガンを、禽に向け直してしまった。
すると、禽の背中には、トレンチコートを着た塹壕教会の僧兵がバトルライフルでこちらに発砲してきた。
咄嗟にしゃがんだ俺の隣で、ボウガンを構えていた仲間がフラフラと膝から崩れ落ちた。
禽はどこかへ姿を消した。
ボウガンを持っていた仲間は、顎が千切れて、呆けたような眼差しを空に向けたまま事切れていた。
禽に追われていた仲間と合流し、現在5人。続けざまに、騎馬隊と銃撃戦を繰り広げる朱雀組の所に、6名の仲間が加勢した。
ユニーダの仲間が11人に、朱雀組の連中が5人、流石に、3組では旗色が悪くなったと騎馬隊は思うだろう。と、考えたのも束の間、
近傍の建物の屋根に降りていたトレンチコートのバトルライフル野郎が、朱雀組が屯している辺りに発砲していた。
気取られた一瞬の隙に禽が、錐揉み降下で、朱雀組の一人を捕らえて離脱した。
騎馬隊は、錐揉み降下によって銃撃が途切れた隙を見て散開し、連携の取れていない15人をアサルトライフルで乱れ撃ちににする。
俺たちは反撃の手段はないかと、道路の脇で身を屈めていると、上空から、朱雀組とは別の神能会配下の組織(名前はわからない)の飛空戦が、機関銃で別の禽を追い立ててここまでやってきた。
「やった!援軍だ!」
俺がそう叫んでる間に、最初からいた禽は、トレンチコートの僧兵を足で掴んで飛び去っていった。
続けて三叉路の一方から、もう一隻飛空船が機関銃を放ちながらやってきた。
2隻の飛空船は、追い立てた禽から、挟み撃ちにして仕留めようとという算段のように見えた。
だがしかし、地上に目を移すととんでもない光景を目の当たりにした、2隻目の飛空船は、禽を撃っていたのではない。追い立てられているのはユニーダの仲間たちだった!その数は7人に上る。
その様子に気がついた、朱雀組の連中は、示し合わせたように、三叉路のうち一つへ、にまとまってずらかってしまった。
呆れるやら悲しいやら、自分の心細い思いを吐露する前に、追い立てられた禽を地上から放たれた可視光線が直撃した。雷のようなジグザグ模様を描いていたので、おそらくはライトニングパルスと呼ばれる兵器だろう。雷みたいなので相手を感電させる。燃費が悪いのと、装填(充電?)に時間がかかるので積極運用はしていないだろうが、神能会がこれを持っていても不思議なことはない。
ライトニングパルスをまともに受けた禽は、宙の上で動けなくなり、俺たちの目の前、三叉路のど真ん中に墜落した。背中には例の如く、トレンチコートにバトルライフルの僧兵。こいつはどういう訳か無事だった。
「巻き込まれたくなかったら、さっさとそいつらを始末しろ」
飛空船の1隻から、スピーカー越しに無慈悲な命令が伝えられた。
そして合計2門の機関銃が火を噴く。標的は禽だけじゃない。
禽だけじゃなくて、俺たちにも向けられているも同然だった。
俺は全てを悟ったのだった。禽の餌にされたと。
そして、今、今際の際にて。
あっというまだったのだろう。うんと長い時間、銃弾の嵐の中にいた筈だが、朝日はまだそう高く上がっていない。あっという間だったのだろう。
角地に立ったガラクタ屋の影が長く伸びて、動けなくなった俺の体を優しく冷やす。
そういえば、禽の断末魔のようなのが聞こえた。
どうにか動く眼球だけでその方を確認してみる。はっきりと、見えた。鳥のバケモノのくせに、市場に並べられた魚みてーに、真っ黒い澱んだ目がギョロリと開き、人間でいう所の牙みたいなのが、人間でいう所の舌にビッシリと生えていて、それが大きく開いた口からだらりと溢れている。
側にはトレンチコートを着た、僧兵がいるのだが、こいつはなんとまだ生きていやがる。
が、様子が変だ。まるで人形劇の人形にようにカクカクと動いている。
その様子を見てか、周りの黒服のキ印軍団も、狼狽している。
最後の力を振り絞って、棒形の手榴弾を投げているようだが、動きがやはりおかしい。
投げる時の動きがバネ板のようで、まるで投石機のようだ。
人形。機械。俺は走馬灯に合わせたかのようにこの光景から、ガキの頃の記憶を思い出していた。
ソレは、俺が子供の頃、遺跡から出土し、大変な騒ぎになった。
ジェンガ島の南東の小さな島で、人間そっくりのロボトロイドが発掘されてしまったのだ。
大人たちは島にあったありったけの火薬や油、銃でそいつを壊そうとした。
まだ動いていなかったそいつは、小さな島の小さな街が全てを出し尽くしたしまった事を嘲笑うかのように起動した。
そこからの記憶は断片的だが、忘ようとして忘れられた、肉塊と化した大人の死体や、黒焦げになった人間の匂いが鮮明に思い出される。
最後はユニーダ商会の雇った海賊たちが島の住民を接収し、艦砲射撃でそのロボトを再び機能停止に追い込み、海に捨てたという顛末を聞いた。
数千年前、人類を絶滅寸前に追い込んだ、人間に偽装した殺人機械”エリミネーター”。
塹壕教会に限らず、宗教勢力が共通の敵と認識する、人型ロボトロイド。
塹壕教会は、どう言う解釈変更を行なったのか、エリミネーターを発掘し、その戦力に加えたと言うのか?
最後の最後で、おかしな陰謀論めいたものを、目の当たりにする事になるとは、
26
朱雀組率いる移動裁判所の2両のトラックは、移動裁判所を継続していた。この頃、述べ40名の首を刎ねていた。
欺瞞作戦。あたかも塹壕教会特別行動隊の襲撃に気がついていないかのように、処刑を遂行し続けていた。
一見、無策にも見えるが、特別行動隊=僧兵たちの目的が、マックダラー司教の救出であれば、移動裁判所を停止すれば、僧兵たちの思う壺というのは事実であった。
移動裁判所のトラックが積載する、ヤクザニンキョをすしずめにしたジャングルジム様の構造物。
彼らにとって、最も理想的なのは、敵方バイク部隊の陣形に関わらず、自方トラックの左右は問わずジャングルジムが最大の面積を晒す、側面から集中砲火をすることだ。
しかしトラックとバイクでは最初の陣取りは言うまでもなくバイクの方が優勢だ。
戦闘は確実にバイク部隊が有利な陣形から始まってしまう。であれば、戦闘中に、側面からの集中砲火を行うか、バイク部隊が機動力に勝るのを逆手にとって、敵陣の後方を取るしかない。
なお、朱雀組のアサルトライフルは旧式で、現在主流に置き換わりつつある6m m弾対して、7m m弾という口径は大きいものの、性能の劣るものだ。
これは、朱雀組が保有できた武器工房の設備や従業者のスキルに限界があったため、旧式の生産を継続せざる得なかった。
街の各所で騎禽兵との戦いが始まっていた。
ジオとエリーの捜索隊から差し出したユニーダ商会の連中が捨て石になってくれた事で、足止めに成功している。
この状況で未だに、角町赫奕は、天蓋付きの豪奢な椅子に座している。これもまた、欺瞞作戦の一環。気づいていないフリを貫き通しているのだ。
彼女は、建物の影に、無線で聞いた騎馬兵の姿を見えた。
まさか、移動裁判所のトラックに騎馬兵が突入することはあり得ないだろう、様子見をしているか、斥候として、情報を伝達し、バイクの陣取りをサポートしているに違いない。
なにより騎馬兵は接近しようものならフライングギロチンの一振りで始末できる。問題は、プレートアーマーを着込んだバイク騎兵だ。プレートの構造や厚みよってはフライングギロチンでは切断できない恐れがある。
内部に鎖帷子を仕込んでいるだろうが、角町は、表層のアーマーさえ通れば、それについては一歳問題ないと考えていた。フライングギロチンの使い方に秘訣とよべるものがあったからだ。
「本当によろしいのですか?組長だけでも離脱するべきでは?」
と、彼女に問いかけるのは、上空の黄龍宗と無線応答があった頃から、側に控えるようになった通信手。
角町は最初から最後まで前線で戦うと組員たちに告げていた。
「組長の私が心配していない事を、子分のお前が心配してどうする。初手は向こうが有利なだけで、こちらに分がある。何より、私にはSPACがある。自分の身ぐらいは自分で守れるわよ」
角町に心に揺らぎはなかった。移動裁判所の邪魔を企てる痴れ者は即時粉砕であると。
最後尾の位置に角町の座る天蓋付きの椅子を乗せる形で、2両のトラックが進む。このあたりは地盤が固く、ここに移動裁判所の罪人を置くことはできなかった。建物もバラックだらけで、貧民窟に次いで、住居状態が悪い。
交差点を通過した。ここから先はしばらく直進道路が続く。地盤が柔くなる頃には基礎を持った軒並みが増え、もうすぐ人間が生きたまま埋められた街道に戻っていく。
すると、先頭車両から警笛が鳴り響く。パー、パ、パ、パの4音が繰り返される。
2台それぞれのトラックのドライバーは、運転席の排障バンパーの位置変更のボタンを押した。
すぐさま油圧式アームが駆動して、ボンネットの前方に据えられていたバンパーが、運転席の手前までせり上がった。
これより視界は、元より存在した、運転席の鉄格子に重なる形で、鋤の型のバンパーの隙間から見えるものに限られる。
2台のジャングルジムか各々、身を乗り出して進行方向を確認する黒服の戦闘員、ヤクザニンキョたち。
彼らの通った道路の脇で、ロケットランチャーによる爆発が起こり、機関銃の弾がすぐ横を通った。
いよいよ特別行動隊のバイク騎兵部隊がその姿を現したのだ。
正面V S正面の戦いから始まる。バイクは大きく蛇行しながら、ロケットランチャーや機関銃を乱れ打ちに接近する。とはいえ、バイクを運転しながらの攻撃なので、途切れ途切れだ。
トラックのバンパー上がった事で、地面を這うギロチンは無くなったが、ここから先の、地面に埋められた住民たちについては、バイク部隊の車輪のえじきになっていた。
誰も数えてはいなかったがすでに、この戦闘中に、地面から出た頭の幾つかが、鋼鉄の塊のような鎧で身を覆う僧兵を乗せた大型バイクのタイヤに踏まれて爆ぜていた。
繰り上げたバンパーによって、運転席はなんとか、ロケット弾の爆風と銃弾を防いでいるが、当たり所が悪ければ一巻の終わりだ。
攻撃を受ける、先頭車両のドライバーは瞬きもせず、歯を食いしばり、ハンドルを握る手のひらに爪が食い込み、後続の2両目との車両間隔に全神経を注いで均等な速度を両足のペダルで繰り出している。
朱雀組は、決死の形相のドライバーの真上、つまりはキャブの導風板の際まで身を乗り出して、正面から1門の13m m機関銃でのみ対抗している。対抗というよりも牽制だ。
銃弾が何発か、バイクに跨る極厚の甲冑男に当たってくれたものの、少し揺らいだり、引き金を引くのを休ませる程度の効果しかない。
僧兵の機関銃はバトルライフルで使われる8m m弾のようで、8人がこれを装備、2人がロケットランチャーを装備していた。当然、朱雀組の装備する13m m弾の方が威力で勝る上に、車上からの射撃なので安定する。
今は、接敵面積に不利が生じているが、2台合わせてジャングルジムに、13mm重機関銃が6門用意してある。側面からの銃撃体制が整えば一網打尽にできる可能性もあるのだ。
とはいえ、交差点を通過してからしばらく一本道が続き、双方は間もなく交差する。トラック側は、バイクに肉薄された状態になり、重機関銃は十分な効果を出せないだろう。応援できるのは旧式の7m mアサルトライフルと、組長のSPACだけだ。
なお、朱雀組の組員であっても、組長のSPACが一体なんなのかについては詳しくは知らされていない。
敵をほぼ一撃で殺せるSPACであるとの事だが、果たして、この鋼鉄の甲冑と高速を誇るバイクに敵うのか。
対するバイク部隊は自慢の擲弾を、ジャングルジム内部に向けて投げつけくるだろう。
ジャングルジムの上中下に、ヤクザニンキョが並ぶ。左右どちらでも対応できるように片面に18人。36人が配置につく。残りの14人は13m m重機関銃の準備や、撃たれた後の補充の人員、そして擲弾を投げ返す要員として中央に待機している。
いよいよ双方、正面対正面の戦いでは決定打の出せないまま、陣が交差する。
前方車両のドライバーも、後方車両のドライバーも、この瞬間を待っていた。
この瞬間をもって下される、角町組長の采配を待っていた。
後方車両の後端、ジャングルジムの上の天蓋が角町自身の手によって取り払われた。
角町から見て、10を数える蛇行するバイクを駆る甲冑の騎士たちが、13時の方向に寄りかかった。
「11時!」角町の甲高い怒号が、灼熱を纏うモーター音と銃声の数々の中で、確かに響き渡った。
一見、バイクの騎士団は、トラックから見て右側に傾れ込むものと思われた。
だが、これまで各々好き勝手に蛇行し乱射を続けていた10台のバイクの騎士たちは、一糸乱れぬ動きで、急制動。 加えてハンドルを進行方向に目一杯に切って、地面を滑るように移動し、一瞬でトラックから見て左側へと展開した。
そしてすかさず、初弾のロケットランチャーが1両目トラックの左側面に待機するヤクザニンキョへ向けて放たれた。砲手2名が同時に発射した。が、2発ともロケット弾は見当違いの方向へ飛んでいった。1発はトラックを跨いだ家屋に当たり、もう1発は行方すらわからない、着弾爆発の音だけがどこかか聞こえた。
この砲撃は、軌道すら安定せず、まるで片手で撃ったかのようだった。
かのようだったのではない。本人の意思と関係なく片手で撃っていたのだ。
ロケットランチャー手2人の、砲身を支えるている筈ずだった左腕の肘から先が切断されていた。角町はフライングギロチンで、頑強そうなアーマーが甲殻類の腹甲様に重なっていた頸部を狙う事を諦め、可動域の大きい関節部分に狙いを絞ったのだ。さらに、2枚の回転ノコギリが、右回転と左回転をして、重なり合うように飛んできたので、鎖帷子も安易と切断し腕を切断するに至ったのだ。
この段階でフライングギロチンは少なくとも4枚が放たれていた。そして切断した片腕を連れて角町の元に戻ろうとしていた。
2騎のバイクは、片腕で操縦がままならず。挙句、先頭車輌のキャブの上の13m m機関銃で狙い撃ちにされる。道路脇に追いやられ、建物に激突し戦線から離脱した。おそらく死んだ。仮に生きていても、片腕を失う深傷を負い、バイクなしであの鎧で満足に動き回ることは不可能だろう。
同じ頃、ジャングルジムの側面でヤクザニンキョたちが、残る8騎のバイクにアサルトライフルを乱射していた。だが7m m弾は、バイクに跨る鋼甲冑に全くと言っていいほど通じていない。
事実、ヤクザニンキョの銃撃を意に介さず、8騎の鋼甲冑は、腰に巻き付けた帯革から、棒型擲弾を抜き出して、ジャングルジム様の構造物に向かって投げ入れようとしていた。
しかし後方のトラックが、角町の采配で、先頭車輌の左側に陣取ったバイク部隊に突進を仕掛けてくる。
突進するトラックは、運転席まで上げていた排障バンパーをボンネットの中腹ぐらいまで下ろしている。
つまり、回転刃の巨大ギロチンが、バイクに跨り爆弾を握る甲冑姿の僧兵たちの胴体から上の位置にあった。ギロチンは甲高いモーターを鳴らして高速回転を再開している。
バイク部隊は、すぐさま散開した。5台は後続車輌と建物の間を、3台は先頭車輌と後続車輌の間に潜っていった。
同士撃ちを避ける為、ヤクザニンキョはジャングルジム上段の者だけが、バイクを見下ろす形で挟み撃ちにアサルトライフを撃ちまくった。
それでも鎧は貫けなかったが、バイクの後輪を駆動するシャフトや、ハンドル付近のマスターシリンダーを破壊する様子は、鉛玉に雨というよりも鉛玉の霰だった。
中段、下段のヤクザニンキョたちは金属製の盾で凌いでいるものの、流れ弾に跳弾が飛び交い、何人が苦悶の声を上げている。
トラックとトラックの間を走る3台のバイクは、往生際に擲弾を炸裂させようとした。
ひび割れたサイドミラーでそれを見た先頭車両のドライバーは機転を効かせ、後続車両に挟み込む様に、ハンドルを右へ、ついで僅かばかりに左へと切って、幅寄せした。
騎上する主(あるじ)の意思に関わらず、ボロボロになっていたバイクはとうとう損壊をはじめ、騎士たちは3台の車体もろとも、広大なタイヤハウスに誘われていった。
2つある巨大な後輪の1つがバーストした。ゴムから凄まじい黒煙と、バイクを構成する金属の塊から火花が上がった。
その直後に、空転するホイールから吐き出されたのは、金属にも関わらず血の滲んだ、鎧とバイクが絡み合った、有機的と見紛う構造の残骸だった。
一方、5騎のバイクがなだれ混んだ、後続車両の左側は、バイクは肉薄し、牽制に銃を乱射するものの、早々に離脱していった。
残りの5騎で、2台のトラックの背後を取る為だ。
双方、スピードを上げて前進するに、鎧のバイク群があっと言う間に、トラックの後方へ。
バイクの後輪が土埃を巻き上げて、地面に円を描いた。いにしえの言葉に聞く、アクセルターン。
瞬く間もなく、180度回転に成功する。
だが、180°の高速回転を終えた途端、2騎の鎧の首の火花が散った。
残る3騎に何が原因かは目視できなかったが、火花を吹いた2騎鎧の首のあたりから、血が溢れて出てきた。
角町赫奕のフライングギロチン。残り2枚のギロチン刃は、地面に潜伏していた。2枚交互回転のみならず、待ち伏せ攻撃も可能だった。
バイクが後方に移動すれば必ずUターンする。その隙であればこのトラップギロチンが発動してくれるだろうと読んで角町は、11時方向に采配を出した時に地面にセットしていたのだ。
流石に彼女も、大型のバイクが鎧武者を乗せてアクセルターンを成功させると思いもしなかったが。
2枚のギロチンは切断には至らなかったものの、2人の首に深傷を負わせて、角町の元に戻っていった。
丁度この頃、最初に放った4枚のギロチンが戻ってきた。
角町の腕に、どういう仕組みか、使っている彼女にもわからないが、装甲に覆われた肘から先2本の左腕が彼女の胸に届いた。
それを抱えると、彼女は忌々しいソレを捨てようと一瞬思ったが、念のために後で調べようと、ジャングルジムの中にいる眼下の子分に投げ渡した。
先頭車両は先行し、移動裁判所の完遂を急いだ。後続の角町らの乗る車両が、残存するバイク部隊の3騎の殲滅に当たろうとした。
突然の襲撃にも関わらず、移動裁判所の進捗も、特別行動隊の殲滅も何もかも順調と言っていい内に進んでいるかに思えた。
27
人面獣心の人殺し達は、13時間ほど前より続く、死と破壊に塗れた恐慌・混乱状態を、ネディアの街に招いた。
彼らは街の工房が連なる区画にある竹工房に偽装したアジトに潜伏している。
ジオ・イニセン、エリー・マリスキュラ、そして2人に召し抱えられた奴隷のミザリーだ。
朱雀組が騒乱を収める為に、移動裁判所と呼ばれる大規模な粛清に動いた。ここまで大事に発展したのは、彼らにとっても想定外であった。
このため、エリーは単身、あらかじめ見つけていた安全を確保できる、とある高層建築物に身を潜め、移動裁判所の成り行きを見守る事となった。
アジトに残るジオとミザリーは、捕らえた朱雀組の非正式な構成員クロード・マイナーへの拷問と、朱雀組組長、角町赫奕ことメィ・ディからフライングギロチンを奪うべく殺害する為の罠の最終調整に勤しむ事となった。
ジオが、アジトに作った大きな縦穴の牢獄から縄梯子って出てきた。背中には、糞尿の混じった土を袋に入れてぶら下げていた。
上がり切り、縦穴の淵に立つと、腰に巻いていた紐で、縦穴の底に残した物を引き上げる。括られていたものは大きな万力だった。作業台か何かから外された役目を終えたような古い万力だ。
ひどくやつれた声の呻き声が、縦穴の底から聞こえてくる。ジオとエリーに囚われたクロード・マイナーだ。
縦穴の真上、アジトの天井には、ロープやネットで固められた幾つもの土嚢の上に絨毯、絨毯の上に太い一脚の机、そしてそれらを貫く鉄輪。縦穴の蓋となる重量物が、ウィンチのフックからぶら下がっている。
ジオは部屋の隅の操作盤に移動し、ウィンチを操作して、縦穴を塞ぐ。
縦穴が常闇に戻る刹那、クロードの呻き声が、一際大きく放り出した様に聞こえた。どう見ても、人一人では動かせない量の土嚢の塊でできた底には、用心深く幾つもの鈴がぶら下げられていて、それ自体は小気味良い音を奏でるものの、縦穴から聞こえる呻き声と合わさって、ひどく冷たい音色となっている。
そして蓋が閉まると、呻き声と共に、鈴の音もアジトには届かなくなった。
ジオは、鏡、ハサミとカミソリと、エリーの権能で精製された美容用の油脂の入った瓶を、牢獄の蓋としての役割をしている机に並べて、散髪を始めた。
その様子を不満そうに見つめるのは、鼻から下が肉腫の塊になっている女奴隷のミザリーだ。
机に、チョークだか蝋石だか白い柔らかい石で「拷問するんじゃなかったのか?」と彼女は書き込む。石で殴り書きにされたソレは呪いの文字のようだ。
ドンドンと、足で床、というよりも蓋を叩くミザリー。自分の、女性の顔をズタズタにした張本人であるクロードが痛めつけられるのを楽しみにしてた。というよりも、今日この日を生きがいにしていたというのにジオは30分ほどで地下から出てきた。
ミザリーの変わり果てた顔を見れば、誰にでも解る悔しさを理解できないジオは、簡単な仕事もこなせられない子供を威圧する様に答えた。ちなみにであるが、奴隷のミザリーの方が年齢は上だ。
「お前、骨折して、しなるギブスをつけられたらどう思う?万力で、あいつの肘から先と膝から先の骨を砕いてきた。あの椅子、竹でできてるだろ?しなるギブスで骨折した場所を支えている状態だ。こうしておけば、今晩まで、直接何かするまでもなく放っておいたら、その、いいだけだ。わかるだろ?」
クロードを全身に力を入れておかないと、自重で背骨が折れる様に縛り付けて吊るされた状態で長い一夜を明かした。
今、疲労困憊の上に背骨が軋み切っている。その状態でしなるギブスに例えられる竹の拷問椅子に、手足の骨を砕いて縛り付けられたとあれば、結果は想像に難くない。
元々、朝からの拷問はエリーが行う予定だった。しかし事態が大事に発展したため、エリーは情報収集に走る事となった。
予定ではお嬢様と慕うエリーとミザリー、共に縦穴に入って、一晩中眠れなかったクロードに拷問を加える。
ジオはフライングギロチン強奪の最終計画であるメイ・ディ暗殺に向けて、最後の準備を整えると言う手筈だった。
ジオは、以前より所有していた骨董品のカセット式のテープレコーダーで、万力で手足を砕かれていくクロードの肉声を録音していた。
こいつをミザリーに渡せば、少しは散髪に忙しい自分に構うのをやめてくれるのだろうが、クロードを痛めつけた肉声は今晩にでも使う可能性があった為、ジオは渡すのを諦めた。気に入って手放してくれないとなると面倒だったからだ。
ジオは、散髪をしながら、不満そうなミザリーに延々と、えーっと、あー、など交えて話し続けた。
不満か?俺は最初から反対だった。あの馬鹿女の拷問だと、与えるのは苦痛と”恐怖”だけだ。あの男には、苦痛以上の”不安”を与えなければならない。不安は人を自殺にまで追い込む事ができるが、恐怖は死ぬよりも辛い分、寧ろ生きる勇気まで与えてしまう。云々
拷問は体力を奪ってから始めないと効果がない。それでいうとお前がバカに拘るあのガンマンだかポン引きだかは、鍛えているのか、まだまだ体力がある。エリーが撃ち抜いた右腕の傷も、驚いた。再生が始まっていた。まぁ万力で砕いてやったからもう大丈夫だ。云々
時間が許せば、仲良くなる事が一番いい。拷問なんかするよりもよっぽど有益な情報が手に入る。云々
子供に犬の躾方を教える様に、ジオという男は口の聞けない奴隷に、自分なりの勝手違いのない拷問の講釈する。
ミザリーは気が滅入ってきた。これまでこの男は、人の神経を逆撫でする事をワザと言ってるんだと思っていた。どうにも違うらしい、こいつは本気だ。真面目だ。それも極端に。
高揚などという言葉と無縁の、抑揚のない口調でこんこんと、「決して勝手違いな仕事はしていないから大人しくしていろ」と拷問について講釈を垂れている。
加えて、これはミザリーの勝手な解釈ではあるが、奴隷ごときに諸々の知識を教助する俺はなんて優しいご主人様なんだとまで思ってそうで、ますます彼女は不愉快だった。
以前よりエリーお嬢様がこんな、イカれたエゴイストに夢中なのは思春期の悪い病気に違いない。と、ミザリーは結論づけている。
ジオの散髪が終わった。特殊のない男は、側頭部のみ髪の毛を残した禿げ上がった頭に、ダクトテープで補修された黒い細い縁メガネという冴えない容貌になった。
ミザリーは、前々からジオの顔を、特徴のないバカそうな面だと思っていたが、獣の顔の区別がつかないのと同じで、誰もこいつの顔が覚えられないというのが真相ではないか?とこの時思った。
本人自身が、何の感慨もなく自分の姿を醜く加工した。皮膚や髪の毛を自分という人格に付属してるモノとしか認識していないのだから当然だ。この精神にのみ自分の準拠を定めてる点はある意味、究極のナルシストとでもいえようか。
続いて着替えるのは、毎日洗濯用の濁った水で洗い、毎日日光に晒したような、ジオに恐ろしく似合わない清潔感だけが取り柄の様なグレーの詰襟の作業服だった。
お前は今日も今日とて清潔だから命拾いしているんだぞと、母親だか嫁だかの言いつけ通りに生きていますといわんばかりの、作業服で、力の無い薄ら笑いを浮かべている。
女性を小馬鹿にしていないと出てこない発想の元に出来上がった冴えない男のコスプレだった。
化けたジオは、所要と雑務を書いたメモをミザリーに渡し、再び机に向かうと、戦利品の武器の分解作業に入った。
分解を試みるのは娼館を襲撃した際に手子摺らされ、襲撃を終えて手に入れた、神能会直参の老人の強力なビームブラスターと、2週間前に襲撃した奴隷商団の飛空船にあった殺戮ビットだ。
殺戮ビットの方は、この2週間の間に武装と外装を外され、センサーと歯車などが剥き出しの状態まで分解されている。
初めて分解に取り掛かった高威力のビームブラスターは、奇妙な構造をしている。
通常、ブラスターは、形状に差こそあれど、実弾の回転式拳銃やショットガン、ライフルの様に、グリップと発射機構は独立した構造となっている。
このブラスターについては、実弾の自動拳銃のマガジンのようにグリップ・握把の中に、燃料・弾薬となるゾプチックのカートリッジが収められている。このため自身の所有する7.5x33mm弾のハンドガンほどではないが、握るにはやや太い。ただしゾプチックの充填については、高濃度の圧縮は行なっていないようで汎用のブラスター用ローダーで行えるようだった。
冷却機能について、実弾拳銃のスライドに似た動作を行う。リコイルを行うスライド動作のそれがライフル並みのストロークを持っており、一撃打つとこれが大きく後退して廃熱を行い、冷却してまた元に戻るという仕様だった。
これではビームブラスターと実包の悪いところ取りだ。だが、ジオは危うく殺されそうになりながらコレの威力の高さを知っている。
昨日のことについては自分でもよく生きていなと思うのだ。
アーク放電のようだった、首を切り落として性奴隷を念の為にヒューマンシールドにしていなかったら、自分が吹っ飛んでいただろうし、頭巾をかぶっていなかったら顔を火傷していただろう。
何よりも、老人は、安全装置のそばにある調整弁を最弱にしていた事が今回分解を試みたことで分かった。
エリーの必殺技、ブレインデッドによって作られた頭蓋骨爆弾の爆発を受けて死ぬ前に「ライフル並みの反動だ云々」言っていたのが聞こえたが、調整弁が少しでも強側に振られていたら、マシンガンも性奴隷も爆ぜることなく貫通し自分が爆発炎上していただろうと肝の冷える思いだ。
ジオは実弾の拳銃でいう所の薬室、チャンバーや引き金、レシーバーのあたりの分解を試みるが、早々に匙を投げた。独自機構と言っていい。自分の知識ではどうにもできないと判断した。
木製のグリップカバーの裏に「11.6.吉日 ムートン造兵廠ニテ バネッサ・ハーン」と名が彫られていた。
この恐らく女性名の人物が製作者であれば、会って話を伺うか設計図を奪ってでも手に入れたいと考えていた。
ムートン造兵廠は、自分たちが竹を調達している竹林よりもさらに北にできたという神能会の造兵廠だ。
ここは造兵廠というよりもちょっとした軍事基地の様相らしく、ヤクザニンキョを戦闘員として鍛え直す訓練を施したり、従わない内陸の部族を捕虜にして捕らえてあるらしい。また近傍にはゾプチックがまだ採れる遺跡もあるとか無いとか。
ジオはブラスター本体に思考を戻す。最大出力で、どのぐらいの数の光線が撃てるのだろうか?
射程距離は?メンテナンスの必要頻度は?次から次へと、自分の命を危うく奪うところだった武器への疑問が尽きない。
アジトの周辺がざわついてきた。ジオはそれに気がつくも、沈黙と武器の整備を意図的に優先する。朱雀組が捜査員を使わしてくるのは想定の範囲内。
自分らのアジトにもやってくるだろう。それを見越して、頭頂部の毛を剃り落とし、無害そうな男に化けたのだ。
あとはのらりくらりと、とぼけ腐って会話を繋いで怪しまれず出ていってもらうだけだ。
竹の毒抜きをして共和国に工芸品として売りつける商売を思いついて入植してきたと、短慮な商売人のふりをするだけでいい。
だが、どうにも様子がおかしい。朱雀組の連中が来たならば、ここいらにいる職人たちは半ば諦めムードで、捜査員を受け入れる筈だ。だがどうにも、捜査員と、住民たちと口論が起こっているようだ。
捜査員たちは、神能会や隷下の朱雀組の構成員ではなく、雇われた誰かという事か?確かに、今、移動裁判所のせいで人員は裂かれているだろうが。
用事を済ませてくれているはずのミザリーが戻ってくると、ひどく状況が悪くなったと目で訴えてきた。
ジオは、自分が凡夫である事を強調する様に、恐る恐ると分かる様に恐る恐る、玄関から表へでた。
捜査員は、ジオの予想に反して不揃いの装備だった。
1人は9m mマシンガンを携え、黒いツナギを着用。1人は短パンにランニングシャツという薄着に、軍隊がつけるような弾帯弾倉のベルトがわりに電気工事用の工具差しのベルトに不揃いの拳銃を5挺もくくりつけていた。
1人は大きな無線機を背負い、何やらプラスチックの左右対称に多くの孔の開けられた、骨董品の白いマスクをしている。ストレートグリップのセミオートライフを装備していた。
彼らは旧ユニーダ商会から遣わされた捜査員の3人だった。
28
街路にはガレージのシャッターラインをはみ出した竹の束が犇めいている。
3人は、ガレージの脇の、モルタル壁と竹束の隙間でできた廊下のような所から出てきた男を、獲物の品定めをするように眺めていた。
側頭部に毛を残した禿頭に、テープで縁を補修したフケのついた黒縁メガネ、それらに不釣り合いな、清潔そうな作業服を着た、凡夫に化けたジオを。
「自分から出てくるとはいい度胸だ」
3人の内の1人から酷く野太い声がする。それは、スキンヘッドの頭部全体を覆うような白いマスクからくぐもって聞こえる。
白いマスクは、左右対称に幾つも開いた穴があり、有機的とも無機的とも捉え難い。あえて言うなら骨のような印象もあるが、大凡の生物の骨格が持つ特徴は一切無い。
白いマスク、野太い声の主は、セミオートライフルを腰だめに構えている。他の2人は、そいつの子分だか弟分だかの様で、自ら喋る様子はない。
左手の甲にユニーダ商会の正式な構成員である事を示す、老婆のゾンビのバストアップが描かれた赤いタトゥーが彫られているのは、この声の野太いマスク男のみだ。
ジオは、ユニーダ商会のボスがラジオに出て、街での乱暴狼藉を止めるよう呼びかけていたのは知っていた。だが、まさかユニーダ商会のメンバーで捜索隊を結成していたとは思ってもいなかった。
来たとしても朱雀組か神能会の連中がくるものばかりだと思っていたし、もう少し時間がかかるだろうと甘く見積もっていた。
よりにもよってユニーダ商会の連中が捜索に乗り出すのはジオらにとって一番考えたくない展開であった。
やはり、昨日、殺戮現場に残した偽情報のメモ書きでは、神能会とユニーダ商会の仲違いに持ち込むのは、難しかったかっとジオは悔やむ。
放逐された旧勢力とはいえ、この街で長年支配勢力だったのはユニーダ商会の方だ。
こういった街狩りで要領を得ているのは新勢力の神能会よりもユニーダ商会の方であって、言うに及ばずジオらにとっても商会の介入は厄介だった。
だが、ジオには検討がついた。目の前の連中は、半ば神能会・朱雀組に脅されてやっているのだろうと。簡素な装備はおそらくは私物であって、統一されていない事が見てとれたからだ。
白いマスクの男がジオに問う。彼の声は、素の声である事が疑わしいほどの低音を発っし続けている。
「ここはいつから竹屋になった?そもそも、なんで竹なんだ?」
ジオは気圧された様なフリを加えて、質問に答える。
「半年ほど前からだよ、竹を加工して、外洋の豊な……共和国に売ろうと思ってるんだ。あんたらには、その、言いにくいが……神能会が共和国と販路を確保しているからね。毒を抜いて、家具にしたり道具にして売りたいんだよ」
3人はジオの指を見る。節くれだった指だ。硬い竹を加工するのだから当然だろう。
だが、半年よりも、もっと前から鍛えられた指に見える。もっと言えば、まるで物心ついた時から屠殺業に従事していた様に見えなくもなかった。
3人のリーダーらしいのが、質問を変える。白いマスクは低音でわずかに震えている様にも見える。
「半年より、前には、何の商売をしていた?」
「この島に来る前は、妻と家畜の屠殺と精肉を。空賊が島を襲って、商売相手の家畜が皆殺しにされてやめた。食料不足で、元いた島からは出て行かなければならなくなった」
ジオらが命を狙うメィ・ディが推理した通り、ジオとエリーはここに来る前は、襲撃した賊の死体を缶詰にして売り捌くという凶行中の凶行を行っていた。彼女の推理についてジオらは知る由もないが。
この際、缶詰工房での生産と販売を、当時召し抱えていた奴隷に任せていたので、2人はまさに屠殺と解体の担当者だったのだ。
なお、ジオとエリーに限らず、食糧難から人肉を食すものは珍しくない。が多くは、習慣的な食人行為、カニバリズムは行っていない。共食いに由来する諸々の健康被害や不治の病を患うことを恐れてである。
質問は続く。
「どこからきた?」
「かなり離れますが、ハッセン島というところです」
ジオは、嘘をつく時はデタラメよりも、事実を交えて話す事が多い。咄嗟の嘘を取り繕う事が難しい事を知っているからというところと、実体験を交える事で、嘘という演技に緊張感を与える為である。
ハッセン島は、30人近くの空賊が消えたと噂の空域の中にあった。白いマスクの声の低い男は、それを聞くなり、白いマスクの鋭さを感じる顎先で宙を切った。
示し合わせたように2人の取り巻きが、ズカズカとガレージに竹と壁の間にできた狭い通り道からジオとエリーのアジトに入っていく。
ジオは不安げとわかるように不安げに、その様子を目で追う。
「いやとは言わせんぞ。子分が出てくるまで、お前はここにいろ!」
ジオはびくついた演技で、目を丸くしたつもりになって、それほど背丈の変わらない白いマスクの男を「見上げている」と暗示をかる。俺は目の前の大男に、禿げ上がった頭から見下された弱者なのだぞと。
「ジオとエリーを知っているか?」
この作ったような低音声を決して面白がってはいけない。
これは、つまり、獣の唸り声の様に低いのであって怖がらなければならない。
獣、こいつは、神能会に使い捨てにされる哀れなチンピラなどではない。
こいつは、どこぞの野蛮な呪い師の一行に寵愛される恐怖の人喰い狒々だ。顔を覆っているのは口枷のようなものだ。
ジオは、脳内で、取るに足らないと思える白マスクの男を、このように設定し直してから答える。
「屠殺屋だった頃に聞いた話だが、たくさん人を殺している2人組としか……」
用意していた、この回答は悪手だと、ジオは、口述した直後に気がついた。ジオとエリー、自分たちの引き起こした殺戮の中で大規模な事件がハッセン島付近で起こった、ガンプ小隊という空賊30人前後に、自分たちの人肉缶詰で鉛中毒を引き起こさせ、弱った所を皆殺した事だったことを思い出したからだ。
ハッセン島に住んでいたというからには聞いた話では済まない。ジオとエリーの噂についてはむしろ知ってなければならない。
そこで、ジオはハッとした素振りを加えたから聞いた。あたかも、凡夫の推理自慢の様に。
「もしかして!昨日の娼館の事件に関係が!?」
大きな声で、話題を広げつつ、先ほどの矛盾点から遠ざける事にする。ジオの方から、ジオとエリーの話題を振った。
自らの凡ミスのせいであるが、白いマスクの向こう側の眼球が、ずい分遠くにあるとジオは感じた。
すると、間もなく、血相を変えて、アジトを漁っていた子分が飛び出してきた。短パンに腰から不揃いの銃をぶら下げた方だ。その手には、先ほどまで所持していなかった長物の銃を抱えている。
「おい!この武器はなんだ!」
全く武器がないのは不自然だったので、ゾンビ街道を通るための護身用という名目で、9m mピストルカービンを目立つところにあえて置いておくようにミザリーに指示を出していた。
ジオは大袈裟に身振り手振りを加えて答えた。
「竹林に行く途中でゾンビの縄張りがあって、そこを通らなきゃならん時があって、つまり、その、ただの護身用ですよ」
愚かにもジオはここでも、軽率な回答をしてしまった。
ジオはソレが見つかった時に用意していたセリフを吐いたが、今、子分のランニング男が握っている銃は、8m mのバトルライフルだったのだ。
ゾンビを殺すにはオーバーな装備な上に、8m mライフル弾は在庫切れだった。
そもそも、血相を変えて飛び出してきたというものの、恫喝以前に、本当に怯えているともとれる様子だ。重機関銃ではないにしろ、これ一つでも武装勢力でもない限り所有している事がおかしい代物で、もうこの時点で、目の前の男は、バカそうな竹取ではない、あからさまに怪しい人物となってしまった。
「おい!絶対におかしいぞ!束だ!武器を束にして隠してやがった!」
もう1人、ツナギ姿の男が、屋内で叫んでいる。
白いマスクの男は、ジオに部屋の中を案内するように恫喝した。
ジオ、白いマスクの男、短パンの男がアジトにいそいそと入っていった。街頭の様子を、住民たちは、各々の家の窓から見守るばかりだ。
アジトでは、ミザリーが仰向けに倒れ、黒いツナギの男に胸を踏まれ、サブマシンガンを向けれていた。
ミザリーは慌てて、ラグの中に武器をまとめて放り込んだ挙句に、どうにかしようとしたようだが、間に合わず、ここに捕えられてしまった。カービンとバトルライフルを取り違えたのは単純に慌ててそうなっただけだろう。
ジオはミザリーを責めるつもりは毛頭ない。与えられた仕事は十分テキパキやっていたし、最低3時間の睡眠はしないと、自分たちの体も持たないほどに、昨日は人を殺めるのに忙しかった。
まだ時間に余裕があるだろうと大事な隠蔽仕事を奴隷に押し付けた自分の非だと。
何よりも、神能会の捜査が想定よりもはるかに早く及んでしまったのが想定外だった。
「命だけはお助けを、その武器は売り物です。通りがかった海賊にでも空賊にでも、まとめて売りつけようって考えてたんです、お許しください」
ジオは、奴隷なりにミザリーを心配しつつ、苦しい嘘をついた。
何せ武器の内訳は、8mmの旧式のバトルライフルとボルトアクションライフル。ポンプアクションのショットガンに水平二連ショットガン。サブマシンガン、9m m、粗悪な12m m一挺。9m mピストル弾カービン2挺。ハンドガン、6mmが1挺、9m m3挺。珍しい7.5m mのアサルトライフル2挺とハンドガンが1挺。
異常な量の武器だ。ラグ1枚によく収めたものだ。
ソレに加えて、”物だらけ”の部屋の異様にユニーダ商会から遣わされた3人は目を白黒させてしまっていた。はっきり言って贅沢な生活ぶりなのだ。
骨董品の白マスクの男が、積み上げられた本の上に置かれたいたノートを開いていた。
「これ、誰が書いたんだ?」
90度に傾けられて記入された手縫いのノートだった。ジオのものだ。
「うちの奴隷のものです」と、ジオ。
ミザリーは首を縦に振って話を合わせる。
「そうか、奴隷風情がなんで外洋の革命家のノートの書き方なんか知ってるんだ?」
話を合わせるミザリーも敵の意見ながら、そういえばそうだと思う。ジオの野郎はなんでケッタイなノートを作ってる?書き方に由来がある事も初めて知った。
「知りません。私は字が書けません。嫁がじきに戻ってくるので、その件は私に聞かないでください」
幸いと言うべきか、ジオの悪筆により内容は理解できない。
ついつい革命家云々の蘊蓄を述べようとしていた白マスクの男だったが、教養のない子分が、そもそもの仕事に大きな進捗を見出した。
「これ机?机なのか?全然動かないぜ!」と短パン男。
「この鉄輪!多分、天井のウィンチで動かすんだ!ここに何か隠してやがりますぜ」
ミザリーを踏みつけたまま、ウィンチと天板の鉄輪に気がついたツナギの男が伝えた。
そう、様子のおかしい机。牢獄への入り口となっている、床と一体化した机だ。
「金庫です!武器の密売で溜め込んだ宝石、金、銀貨をしまってるんです!」
ジオは咄嗟に嘘をついた。
しかし、もう、ジオが何を言い繕おうが三人の行動は決まっていた。
白いマスクの男は、ジオの腹に銃床を叩きつけた。呻き声を上げ、うずくまるジオ。
そして、無線機のスイッチを押した。
「こちらーーー」
お定まりの無線要領で通信を開始する。声は低いままなので相当聞きづらいだろう。
ミザリーは、ツナギの男から一瞬だけ解放されると、白マスクのライフルの銃線上に、うずくまったままのジオと並んで床に伏せるように命じられた。
「おい、ウィンチはどうやって始動するんだ?電源は?」
短パン男が、部屋の隅にある、ウィンチの操作盤の10キーを指さす。
「5963。スタートを押して5963、エンター」
ジオは弱々しい声で答えた。彼は、床の方を向いて、目を深々と瞑っており、ミザリーはソレをみて、こんな時に頼りないと心の中で嘆く。
短パン男が操作盤を動かし、ツナギの男が、ウィンチを天板の鉄輪に引っ掛けた。
直後にジオは、「あとは、自動で、天井が……動きます」と、2人に告げた。
ツナギ男と短パン男は、浮き上がった床の淵に並んで、机で隠されていた、地下の解放を待つ。
無線で何やら白マスクは報告を続けている「武器を溜め込んでいる工房がみつかりました」と。
そして、「他にも”まる”が期待できます」と、ジオは白マスクが無線にも関わらず、小声で何かを伝えている事を聞き逃さなかった。
ジオはいまだに演技を続けていたのだ。
チリン、チリン。小気味良い鈴の根の音が聞こえる。淵に立つ2人は、なんの為の用心だ?と不信に思う。
そして、縦穴の中を見る前に絶句し始めた。
男の呻き声が聞こえるのだ。小気味良い鈴の音が、今は薄寒さ覚える高音をつらつら並べるだけだ。
呻き声全くもって、リンチに上げられ、殺されそうになっている男の声、そのものであった。
男2人は、ウィンチが上がり切る前に縁から、縦穴を覗きこむ。
縦穴には金品など一切ない、わずかに糞尿の匂いがある。聳り立つ壁は竹を並べて作られていた。
金庫や武器庫だなんてとんでもない、これは檻だ。
鈴の音のやんだ今、2人に聞こえるのは、爆発寸前の、己の心臓の鼓動だ。
そして、死角となっていた、2人の眼下、絶壁の真下に声の主がいた。
竹でできた壁の端に、服を奪われ、椅子に縛られて激しく身を捩り、赤紫に色に手足を膨張させ、血の涙を流し、猿轡をされ咽びつづける男がいた。
「ク、クロードだ!」
「なんてこった!クロードだ!」
捜査員3人は、目の前の男こそがジオとは思わず、手を動かす事と、へそくり勘定が趣味の凡夫と思い込んでタカを括っていた。
結果、思いもよらぬクロードの発見に戦慄してしまった。
白マスクがあわてて無線機で、この事を本部に伝えようと、マイクのボタンを押した。その直後である。突然ウィンチのチェーンが弛緩し、縦穴の淵にいた男2人の真上に落下した。同時に部屋の照明が切れた。
砂袋が所狭しと括り付けられた蓋の落下は、凄まじい衝撃で、2人の即死は確実だ。砂袋が破れて砂埃も舞う。照明の消えた暗さも相舞って、アジトの中は何も見えない状態だ。
ウィンチは、特定以外の操作がされると、てっぺんで落下するように、ジオの手によって細工が施されていたのだ。
そして、これを待ち侘び、目を深々と閉じていたジオだけが闇に目が利いた。
ジオは自分とミザリーを捉えていたライフル銃を掴み取ると、まるでベーゴマのようなスピードで上体を捻る。
次の瞬間には、膝を床に立てた姿勢のまま、下腹部の筋肉を収縮し床から飛び上がり、一気に白マスクの懐に飛びこむ。ジオは銃身を左脇で固めて、銃口は今、彼の背中より向こうにある。
しかし、ジオの奇襲虚しく、ジオと白マスクで取り合いで銃を握り合う硬直状態となった。
白マスクの声は決して凄む為に声色を変えたものなどではなく、地声だった。
ジオと組み合う今、銃を奪い返す為に、力を振り絞るその声は雄の大型の類人猿、或いは伝承に伝わるオーガのを彷彿とさせる。人の声でありながら轟音と形容できる恐ろしいものだった。
対するジオは、歯を食いしばり、振り回さんとする銃を動かさまいと、ひたすら黙って耐えていた。
状況を察したミザリーだが、ジオを助けようにも、暗闇と砂塵で目が効かない。
さらに、暗闇の中に、奪い合うライフルの銃声が加わってきたので、ミザリーは身を縮ませて壁際にたどり着く事を祈って這い出した。
なお、壁際が安全という保証があるわけでもない。
ジオは、火を吹くセミーオートライフルの銃身を、左脇で固めている内に、右手で、ライフルの引き金付近、トリガーガードと呼ばれる、引き金と指を覆う鉄環のラッチを外す事に成功した。
ついで、引き金のやや前の上にある、薬室付近をしごく。すると、長いスプリングと共に、薬室内部の部品がいくつか飛び出して、銃声は聞こえなくなった。
銃の異変を認めた白マスクは、銃を諦め、手放した。銃はジオが奪ったところで使いもにならないと判断したからだ。その機転で、ジオの首根っこを掴む事に成功した。
ジオはそのまま、床に叩きつけられ、白マスクが馬乗りになる。
暗い砂塵の浮かぶ部屋で、太い腕が、ジオの首をへし折ろうと、床に深々と刺さっていると錯覚させるその様は、白マスクの放つ低い轟音の唸り声と併せって、牛鬼の頭が、地面に向かって突進しているようにさえ見えた。
しかし、あまりにも突然に、あまりにもあっけなく、白マスクの攻勢が止まった。牛鬼云々の姿は明らかな錯覚で、白マスクの男は、ジオから自ずと離れてフラフラと見当違いの方向へ歩いていくと自ずと、床へ倒れた。
戦いを制したと確信したジオ。彼は息も絶え絶えに照明のスイッチを入れた。
ミザリーも場の空気が変わり、男たちの形勢が逆転し、戦いが終わった事を確信して、目を開いて部屋の様子を伺う。
憎きクロードが監禁される縦穴の蓋は、当初の位置から頭ひとつ分ずれて、床に伏していた。4本の足が激しく痙攣しているのが見える。
そして、白いマスクの男が、背負った無線機を下敷きにして仰向けになって倒れていた。
マスクの、目の孔から、ホゾのようなのが入った突起物のある鉄の棒が伸びている。考えるまでもなく、目にこれを突き立てられて脳を侵されたのだろう。
ジオが、白マスクの男のセミオートライフルを組み合いの中で、分解した時、スプリングと共に、リコイルスプリングガイドと呼ばれる長い鉄の棒が飛び出した。
ジオは、そこに固執していた訳ではないが、それが手に入れば、それを穴の多いマスクのどこか、言うまでもなく最も大きく開いた目の孔を最優先にそれを突き立ててしまう算段があった。
そして運よく、男の眼孔を突き刺す事に成功した。マスクを掻い潜り、左目の涙腺から斜めに入ったそれは、小脳だか脳幹を貫抜いて、散々低い声を轟かせたいいた白いマスクの男を、虫の息に変えたのだ。
29
……せよーーー応答せよーーー応答せよーーー
男が仰向けに倒れた事で、下敷きになっている無線機から、お定まりの催促の声が、ノイズ混じりに鳴る。
ジオは、ミザリーの前で「月曜日に生まれ 火曜日に祝福を受け 水曜日に嫁をもらう」と死んだ男の声を真似た。
メガネはライフルを取り合っている間に部屋のどこかに消えていた。
ミザリーは、首を横にふる。似ていない。
ジオの地声も大概嗄れているが、倒した白マスクの男とは、元々の声質が全くことなっていた。
そこでジオは、骨董品のカセット式テープレコーダーをポケットから取り出した。
クロードを拷問にかけて、苦悶の声を収録した後に、まだだいぶん尺が余っている。
「酷く暴れたので始末していました、武器と、はした金以外、何もありません」
ジオはテープにこの言葉を吹き込むと、再生スピードを変えて、死んだの男のものに似た声の調子を合わせた。
ミザリーが首を縦に振る。
いよいよ、無線相手に偽装を試みる。
ジオは、6m mハンドガンを拾い上げ、そばの銃弾を装填。念の為に無線の持ち主に確実な死を賜った。
白マスクの顎の下から脳みそめがけて撃ち抜くと、一瞬脳天が尖った。舌に口蓋、分厚い頭蓋骨を貫けず、脳を破壊してそこで銃弾が留まったのだ。ゴポゴポと空気の溜まった配管のような音を立てながら、白いマスクの隙間から血が溢れ出す。
無線機のスイッチを押した。ついで、テープレコーダーを低速再生。
「酷く暴れたので始末していました、武器と、はした金以外、何もありません」
ついで無線機から応答。
「”ホシ”の拠点は複数あってもおかしくないらしい。そいつらが協力者であった痕跡がないかその工房の調査を継続せよ」
ジオは、短い言葉を録音機に吹き込む。「”マル”をどうしましょうか?」
先ほどと同じ手順で、無線機に低速再生。「”マル”をどうしましょうか?」
無線から反応がない。ジオは「マル、マル、かね、かね」とテープに吹き込む。
無線機のマイクに向けてテープを低速再生。「マル、マル、かね、かね」
すると、怒声混じりの応答が来た。
「ばか!わかった、俺が向かう!待ってろ!777!777!」
ミザリーは、キョトンとした目をジオに向けている。
ジオはミザリーに向き直って、素の声で答えた
「マルは、現金や貴金属、宝石の隠語だ。大金の、な。ユニーダ商会が無線で使う、な」
ジオは、マルについて答えたが、元々港湾勢力の側の住民だったミザリーはそれぐらいの事は知っていた。
彼女が理解できないのは彼が「マルがある」と伝えた思惑だ。
そんなミザリーの意を組めないジオは、無線機の上で天を仰ぐ死体の、顔全体を覆う、骨董品の白いマスクを拝借した。
人口繊維の混ぜられたプラスチックでできたそれは、銃弾から身を守る防具ではなく、おそらくは、原始人どもの格闘技か球技で使われていた防具だろうと検討をつける。
内側ついた血を袖で拭い、被る。後頭部に5本もある調節紐でフィッティングを済ます。
息苦しさはない。が、文字通り血生臭い。それに不快だ云々は言ってられない。
死体の衣服も血で汚れてしまったので、ジオは変わりの服を見繕うが、
エリーが持ってこそいたが、サイズが合わず使われなかった碧色のポロコートを拝借する事にした。
これはジオにはやや小さい代物だったが、マスクが使えて、服が使えない現状、戦利品を着込んだばかりと言う体裁を整える方がまだマシだった。
これらに加えて、背中に無線機を背負って、分解してしまったセミーオートライフルに変わって、ピストルカービンを手に取る。そしてジオは一旦、アジトの外に出た。野次馬たちを追い払うためだ。
ジオの予想通りで、竹が犇くガレージの前には、人だかりができていた。
短い時間の間に、牢屋の蓋がウィンチから落下したすごい音や、銃声がしたのでこれは当然だった。
竹とモルタル壁の間を通って、白いマスクにタイトなコートを着たジオが現れた。
野次馬たちに、彼が恐ろしい異形の存在に見えた。白マスクの男の様子が随分変わったぞと口々に話した。
おそらくは、たった今、人を殺してきたんだと。いつからか入居していた竹工房の主人を殺してきたのだろうと。
マスクを奪い捜索隊のボスに扮したジオは、野次馬たちに睨みを効かせる。
白いマスクの、暗い眼孔の中で、一際真っ黒な何かが、野生的というよりは機械的に飢えを訴えているようだった。
ジオは、空動作で無線に話しかける「ここの住民は全員怪しい。応援を頼む」と。
それを見ると、蜘蛛の子を散らすように、近傍の自宅へと退散していった。
ジオは踵を返して、アジトの中に戻り、ウィンチの操作盤へ。
操作盤に向き合うジオ。実際のテンキーの番号は、「1」→「3」長押し。これだけだ。
電源ボタンがそもそものフェイクで、この装置はバッテリーで常時通電しており、停電時にロックがかかる仕組みになっていた。
何かを隠すにしても、常時通電と、停電時ロックは理にかなっていたし、一見間抜けな2けたの暗号も、咄嗟の行動でのミス防止であり、罠については最後の切り札として仕掛けておいたのだ。
こうして復旧したウィンチが、下敷ききなっていた捜索員の2人から、牢獄の蓋、兼アジトのテーブルを取り除いた。
痙攣は止まっていたが、驚く事にまだ息があった。ジオは忌々しげに「ごくろーさん」と言の葉を述べて6m m弾で2人の後頭部を撃ち抜いた。
偶然、ツナギの男に放たれた銃弾は眼球の裏に周り、目玉が飛び出した。
縦穴の真下にいた、クロードにその眼球がぶつかった。
その途端に、昨晩より噛み締め続けられていたクロードの猿轡が、とうとう噛み切られた。
先刻、万力で、四肢の骨を砕かれ、手足を内出血で膨張させ、血の涙を流していたクロードは、大きく息を吸い込むと、しゃっくりのようなものを押し殺して一喝した。
「畜生ども!狂った悪魔め!お前ら人間じゃねぇ!」
啖呵を切ったクロードだが、エリーにある悪趣味ながらも、余裕や猶予などという悠長なものは、頭上で殺人に労するジオには存在しない。
「ブスどものマ○コの汁吸ってクソ垂れるしか能のないポン引きが風情が!俺様に云々ぬかすな!」
つづいて「うぎー」などなど、ジオからは言葉にならない罵声の紛いの叫びが出る。
ジオは、誰のせいで面倒な仕事が増えたと思っているんだと逆恨み状態なのだ。
怒り任せに、工具箱を縦穴に投げ入れると、ミザリーにランタンを差し出す。
「ミザリー!殺すな!もし殺したら、こいつの役は、お前に演じてもらう事になるぞ!」
白いマスクを被ったジオの剣幕の恐ろしいこと。ミザリーは醜く哀れな肉髭を震えさせ、小便をちびりそうにったが、このいけすかない主人が降ろした縄梯子を伝って縦穴に入って行った。
縄梯子でミザリーがクロードへ向かう最中に、ジオは3人の死体を投げ入れた。元々港湾勢力の側にいたミザリーにとって、袂を分かったとはいえど、ユニーダ商会の3人の死体が、ゴミのように捨てらる様子には恐怖を感じた。
挙句に、ジオは、直ちにミザリー諸共、ウィンチを操作して牢獄の蓋を閉じてしまう。くどいようだが、アジトのテーブルを兼ねるこの蓋に、ジオは椅子を取り寄せて座り込む。
マスクを外すと、ジオは汗ばんだ、側頭部を剃り残した頭を抱えた。
無線のやり取りをどう着地させるかについてだ。
”マル”の云々は、咄嗟の嘘だ。
無線の相手が、ここに辿り着く前に、遠ざけておく必要がある。
ジオは、状況の整理を始める。
殺した捜索隊3人のリーダーは、無線で通話する前に準備をしていた。よく考えればおかしな話だ。無線の周波数、チャンネルなど基本的には固定だ。それをわざわざ弄っていた。
これはつまり、現在の周波数は正規の指揮所ではなくどこか別の指揮所につながっているに違いない。
小声で喋っていたし、現在設定されている周波数は、本来、始末した3人が使うはずのない指揮所につながっているはずだ。
また、神能会を出し抜いて別働隊を設けることは考え難い。どこかの指揮所に、頭のキレるやつを1人おいておいて、そいつが捜索に乗じて掠奪と横領を働くように別途指示を出しているのだろう。
「マル」云々は、そもそもジオから言い出した話ではなく、リーダーが自ら「マルが期待できる」と調整後に無線機に語りかけた内容だ。
ユニーダ商会の意思によるものか?考えたみた。神能会に言われるがままのユニーダのボスのヌーダに求心力は無くなっている。つまり、規模は不明にしろ、この朱雀組や神能会を出し抜くような掠奪は、全体の規模に対して少数の派閥が行っているのだろうと。
ジオの手元には、紙切れがあった。白いマスクの元の持ち主のポケットに入っていたものだ。紙切れには、4つの周波数がメモされていた。
現在無線機はチャンネル4の周波数だった。トルグには3つまでしかチャンネルを設定できなかった。
ジオは試しにチャンネル1に合わせてみる。423MHz。
「……に次ぐ、移動裁判所を襲撃した一派は現在半壊状態にある。朱雀組は移動裁判所を引き続き継続する。引き続きジオとエリーの捜索を願う」
無線の内容に、なるほどと、ジオは思う。
朱雀組が、移動裁判所を妨害されているとあれば、掠め取った品々の横領など絶好のタイミングではないか。
襲撃されている事については、意外にも思わなかった。なにせ、移動裁判所を行うにはあまりにも急すぎた。反発を受けても不思議ではない。
ここまで慌ててる理由は見当がつかなかったが、俺たち、ジオとエリー以外にも反神能会の人間が関与していると考えるのがむしろ自然だ。採算など度返しで破壊と殺戮をあの娼館で実行したのだ。
某島を襲撃し、海賊どもが手にいれた奴隷どもを奪う企てを聞いてから三週間かけた大仕掛けだったのだ。たった2人だと思われたらなんの為にしんどい思いをしたのかわからなくなってくる。
トグルを2、2chにおくる。内容が切れていたが、鮮明に移動裁判所の襲撃と、脅威排除について1chと同じ内容だった。
つづいて3ch、ノイズがひどかったが、はっきりと恨み節が届いてきた。
「……畜生め!俺たちを売りやがったな!上等だ!トリも!モグラ坊主どもも皆殺して、お前らのケツに首を突っ込んでーーー」
モグラ坊主とくれば塹壕教会の僧侶への差別語であった。
とどのつまり、朱雀組の移動裁判所を襲撃しているのは、禽と塹壕教会の僧兵である事を事を示していた。禽は僧兵が調教したものと考えていい。
間抜けにも、ユニーダ紹介の連中は、朱雀組の弾除けか鉄砲玉にされて、たくさん殺されたのだろう。とジオは哀れむ訳でもなく、途切れた無線側のユニーダの側の人間の最後をぼんやりと思い浮かべる。
ジオは、いまコチラに向かっている無線の相手を騙す方針を決める為にも、エリーが戻ってきたらどうするか今のうちに決めてしまう事にする。
ここから先、無線機と、戻ってくるエリーが事の成り行き、移動裁判所の成否を伝えることとなる。
移動裁判所が失敗したならば、ミザリーとポン引きをこのまま捨て置いて、直ちにメイ・ディを混乱に乗じて抹殺しSPACフライングギロチンを奪い取る。当初計画していた竹林に誘い込む以上の一千一隅の大チャンスだ。
移動裁判所が成功していたならば、すべての予定を前倒しにして、今夜、竹林に朱雀組を誘き寄せてメイデを抹殺してフライングギロチンを奪い取る。
そのために、最後に街と竹林をひと往復を達成しなければならない。神能会の包囲網の中を。そこで“マル”の移送を口実に、無線越しのユニーダのメンバーを騙す他あるまい。
また、移動裁判所の失敗に乗じてこの後、街中でメイディを始末する場合であっても、逃走経路の一つとして、”マル”の移送を用意しておくに越した事は無い。
無線の相手が、最後に復唱していた777は、指揮所から飛び出して、こちらに向かってくる、上役が持ち出したトランシーバーの無線番号を暗号化したものだろう。
777、しかし、万に一つ、傍受されていたら。777を足し引きした数など当てにならない
素早いやり取りが必要だ。だから複雑な暗号は使えない。+7+7+7、もしくはー7ー7ー7だ。
3桁の計算だった怪しい。ジオだって実際に件の2桁の暗証番号を使うぐらいだ。
たったの一桁7だった場合、うっかり傍受されかねない。ともすれば、数百MHz帯の中で下2桁か少数点以下なども含まれるだろう。
他諸々、単純であっても無数のパターンが出てきてしまう。そこで。ジオは4つの周波数をもう一度眺める。
ジオはピンときた。
縦読みすれば300台が346だけだ。
400台は混線の危険があり、500台、600台、700台は朱雀組と神能会が他で使ってる可能性がある。
200台だとラジオと混線する。とすれば、おそらく300台。が空けてあるはずだ。
ここから、21を足した367、21を引いた325のいずれかではなかろうか。
「こちら竹工房、問題発生」すでにお定まりとなった、骨董品のテープへの吹き替え。
それぞれの番号に、低速で内容を発報する。反応があったのは、325の方だった。
「どうした?」
「ーーーが、苦戦しているようで集結中。元の位置へ戻って欲しい」
ジオは、無線の頭が切れたように吹き込んだ。暗号通信下での朱雀組、神能会の呼び方がわからなかったからだ。
「が、苦戦しているようでコチラに集結中。元の位置へ戻って欲しい」
無線に応答がない。
「戻って指示を願う」慌てそうになるが、落ち着いて吹き込み。
「戻って指示を願う」無線機にスピーカーを向けて低速再生。
まだ反応がない。ジオは心が早まるも、低い声に偽装することを大事にしろと言い聞かせて、
「街の外へマルを連れ出す案も考慮願う。」と吹き込み。
「街の外へマルを連れ出す案も考慮願う。」低速で再生した。
無線から応答があった。
「了解。こちらから次に送るのは123、123。工房の調査を継続せよ移動は許可しない」
無線を終える。気がつけば、元々汗ばんでいたジオの額には冷や汗のようなものが加わっていた。
復唱していた、123は、交互にプラスマイナスが変更している恐れがあったが、こと幸い、アジトには、合計4機の無線機がある。
それらは、壁一面を覆っている島の地図と共に、壁の隅に並べられて大きな幌布を被せて隠されていた。
幌布を取りはらい、それぞれに候補ととなる周波数。現在の周波数325からプラスマイナス6、元の周波数346からプラスマイナス6を設定した。
あとは、エリーが帰ってくるまでに、ブラスターと、ビット兵器を、思惑通りに改造して、エリーが帰ってからやろうと思っていた諸々の積み込みを、あらかじめ終わらせればいい。骨はおれるが、1人でおわらせよう。
ジオは、その前に、大事な事を思い出した。今残ってる側頭部の髪を剃り落とし、スキンヘッドになって、白いマスクの元々持ち主に合わせなければならない事を。
捜索隊の乱入でどこかに、退けられれてしまった理髪セットを探し始めるところから作業は再開された。
移動裁判所と特別行動隊の激突で、大混乱に陥る、ネディアの街で、この工房の一角だけが静寂を取り戻していた。
30
移動裁判所と特別行動隊の死闘によって引き起こされた大惨劇。
工房地帯の一角を除いて、悲鳴と銃声が延々とこだまする街道に、ただ1人沈黙を保ち続けた男がいた。
あろうことか、その男もまた、この移動裁判所にかけられ、他の罪人の謂れを受けた住民同様に首だけを出して、地中にいる。
そして、彼の後頭部から後に並ぶ、頭部は一つとしてない。
彼に埋められた場所は、ネディアの街でも高層建築物にあたる彼の職場、塹壕教会の礼拝堂である。
いま、彼の沈黙は破られた。
「すまんな、お前たちは一生懸命なのに、瞑想の時間は守らせてもらった」
ジョナス・マックダラー2等司教である。
旧式のアサルトライフルを突き付けていた、ブラックスーツの2人のヤクザニンキョは、破られた沈黙に対して、口車だ、虚仮威しだ、と自分に言い聞かせるが、格闘術の熟練者である司教の沈黙に先ほどまで気圧され気味であった。
「宗教家の言う事は従わなくてもいいが、傾聴するのがマナーだ。皆んなそれで飯を食ってるんでな」
口を開き始めた、微笑みを交えている。シワを刻んだ顔、口調は穏やかだだ。
2人は銃を構えて、お望み通り傾聴、というよりも、司教への警戒心を最大にした。
ただでさえ、町中から悲鳴と銃声が鳴り止まないというのに、何を穏やかに説法を始めようというのか?
なにを考えているのか?
信仰心などという、神頼み、験担ぎ、の時にさえ一片も芽生えぬ理解できない心のありようが、こうも、こここまで、この状況で、人間を穏やかさせるというのか?
「よくやってるよ、お前たちは。神への冒涜は、信仰あってこそだ」
己の状況も、陥れたも神能会の所業も、全て神の導きだというのか?
「世を呪う狂信から本当の冒涜が始まるのだ。拙僧もかつて、冒涜の道をあるいた」
暴力の蔓延するこの世界を呪わぬ者はいないだろうに、まさか、この状態で勧誘しているのか?
「だが、その贖罪が叶うのは、今日ではない」
否であった、途中からは司教自身の話であった。
「未だに……贖罪の日に至るには……破戒がな……足りぬのだ……」
はっきりとした、穏やかな口調が、なりを潜め、何か答えを探しながら途切れ途切れに言の葉を並べる。徐々に徐々に司教が、思慮の世界に沈んていくのを目の当たりにする2人のヤクザニンキョ。
沈んでいくのを見るに、今埋められているこの状況が、心身一体の修行のように見えてしまう。
移動裁判所は、1両目車両が先行した事で、滞りなく進捗していた。礼拝堂の真下に埋められた、狂信に浸るマックダラー2等司教を目指す。
31
塹壕教会の特別行動隊、ホーリーグレイルは半壊状態に陥ったものの、移動裁判所を取り仕切る朱雀組にとって油断を許さない状態はつづいていた。
禽が2羽、まだ屠られていないという所と、僧兵の騎馬隊が健在で、街への放火も止んでいないと、上空の黄竜宗から無線で情報を得ていた。
生き残っている禽の内、1羽は一度交戦状態に陥り負傷して姿を消した。もう1羽については交戦を避け、姿を見せたり消したりしており所在がつかめていない。
さらに、殺人ロボトロイドのエリミネーターが、どういう訳か、敵対する塹壕教会に協力しており、騎禽兵の1人として禽の背中に乗っていたという情報まで入ってきた。こちらも、行動を共にしていた禽は屠られたものの、逃亡し行方不明だ。
移動裁判所は2両のトラックから編成されており、1両目は移動裁判所の完遂を目論み、残り50人ほどの、首を跳ねるために、礼拝堂に向けて進行を継続した。
2両目は、角町赫奕が天井に登る旗艦で、彼女の指揮により、切り返しを行い道を塞いだ。トラック側面から残った3台のバイク騎兵に対して、13mm機関銃と旧式の7mmアサルトライフル、加えて球状手榴弾で集中砲火を加えた。ジャングルジム様の足場が組まれたこのトラックの側面を向けた集中放火の破壊力は恐ろしいものであった。
3台のバイクと、やや後方に控えていた、首を負傷した2台のバイクは、これに対してなす術なく、葬られた。
朱雀組組長、角町赫奕は敵の殲滅を確認すると、1両目の後を追う様に号令をかけようとした。
その時だった。姿を隠していた禽が現れたのだ。この禽は特に負傷した様子はなく、角町のいる2両目のトラックの上空で嘲笑うように鳴きながら、旋回をはじめた。
威嚇射撃を行う組員たちだったが、角町がそれを一喝の下に静止した。
禽は旋回をつづける。反撃が止まった事も、トラックが移動を始めないことも、不思議そうに眺めながら。
そう、禽はあろうことか、同一軌道上に旋回を続けてしまったのだ。
軌道を予測した角町赫奕が、両腕を大きく振りかぶった。両袖のフリルが激しく揺れたと思った途端に、フリルは、まったく、全て消えていた。
フリルは彼女のSPAC、フライングギロチンが擬態したものであり、その変幻自在の凶刃は6枚ある。その6枚は変形し、開いたトラバサミのように展開し、ジャイロスコープのように重なり合い激しく回転しながら球体を形成し、高速で一直線に飛んでいった。
回転ノコギリの塊が一直線に飛ぶそれは、フライングギロチンの形態でもっとも破壊力のある攻撃で、”ゴーゴーボール”と呼称されていた。この陽気な名前は、角町が性奴隷として売られる以前に住んでいた島で、子供たちで遊んでいた、ごく簡単な球技に由来する。
弱点は一直線にしか飛ばない事と、6枚全てのギロチンを使う為、フライングギロチンの他の攻撃が封じられてしまうことだった。
そう、ギロチンが封じられるその時を待っていたかのように、特別行動隊の騎馬隊が建物の隙間を縫うように飛び出し、2両トラックに姿をみせた。だが、それは、塞がれた道路の前方と後方に数騎ずつ。
騎馬兵たちは、バイク騎兵の亡骸から、擲弾を巻きつけたベルト、帯革を奪い去っただけで、そのまま姿を消してしまった。5秒にも満たない時間だった。
朱雀組の組員たちは騎馬隊が姿を見せた瞬間に発砲したものの、僅かな間しか姿を見せなかった為に、正確な数もわからないまま、擲弾の回収と離脱を許してしまった。
擲弾を投げ込んでくるやも知れぬと、トラックは自ずと切り返しを始めた、進行方向に向き直ろうと。こうする事で、素早い離脱が可能になるなる事は言うに及ばず。
建物に対し、アサルトライフルを装備した組員がすし詰めになるジャングルジムの側面が、建物側に向く効果もある。組員たちは見敵必殺の態勢で騎馬隊の再出現に備える。
一方、禽は、高速接近したフライングギロチン・ゴーゴーボールの直撃を受けて、長く響く恐ろしい叫び声を上げながら墜落した。直撃の瞬間、無数の羽が、禽の体から飛び出して、空中に放たれた。
墜落したのは、移動裁判所の進行方向に転がる、特別行動隊バイク部隊の亡骸のそば。バタバタと地面をのたうち回る禽。
上空にこだました長い悲鳴は、断末魔だったのか、もはや鳴き声はなく、死後の痙攣と思われるものを、黙々と、そして激しく行っていた。
遅れて、元の形に戻った6枚のフライングギロチンが、角町の衣服の袖に戻る。
ギロチンが袖に戻る道程で、どこからともなく、凄まじい回転で、管や帯の様なのが絡まった不定形な肉塊が現れた。それは、地面や建物に、ゴム鞠のように次々に着地点を変え、血液の他、体液らしいのをまき散らしながら飛び跳ねる。
最後には、回転力を失い、まるで何某の球技のゴールの如く、移動裁判所のトラックの前方に据えられた、鋤様の排障バンバーに入り込んで、絡まるとようやくグロテスクな物体は不愉快に跳ね回ることはなくなった。
動きが止まるに、バンパーに絡まっているのは、首や腕、足が首の皮一枚でつながり、内臓とくに腸管や、帯状に引き裂かれたトレンチコートらしいものが確認できた。ゴーゴーボールを受けた、禽の背中に潜んでいた騎禽兵の死体であった。
事の次第は、ゴーゴーボールは禽の肉体を貫通し、勢いが弱まった。そこに貫通した延長線上に、禽の背中に乗っていた騎禽兵の僧兵に攻撃を加える。
彼の肉体は、勢いを落としたゴーゴーボールの回転刃に巻き取られ、体をバラバラに刻まれながら、回転力を移されてしまいこの、複雑に、グロテスクに絡まった管と帯のような肉塊に成り果てるに至ったという訳であった。
勢いを失ったフライングギロチンは、ゴーゴーボールの形態を自壊して、角町の袖のフリルに戻ったのだ。
角町は、騎禽兵だったものを構成する有機物は、明らかに人間由来と推測でき、エリミネーターではないと判断する。次いでトラックに先行した1両目の車両の後を追う様、号令を発した。
当然、目の前の禽については跳ねていく。グロテスクな僧兵の死体のオブジェが絡み付いた排障バンパーは、下部のプロペラ型のギロチンで禽の首を、うまい具合に跳ねた。
地面に落ち着いた禽のデスマスクは、朝日に照らされる幾枚もの己の羽毛を眺めいるようだった。
残る胴の骸を車輪でゆっくりと押しつぶすように進行し、速度を上げながら1両目車両の後を追った。
ややあって。角町ら2両目は、1両目の背後を目視できた。
移動裁判所はとうとう残り20人の始末に入っていた。この頃になると、いよいよ、以前から神能会が始末したかった塹壕教会の関係者や、昨晩から目に余る残忍を行った咎がある事は明白な凶人たちが、地面に埋められて、顔だけを出している状態だった。
咎なくて死ぬ恐怖を占めていたいた悲鳴の数々からはなくなり、今や残っている咎びとたちの声には神能会への罵声すら混じっている。往生際の悪さに油断できない緊張感が漂っている。
2両目が1両目の背後に接近するも、手追いの禽と騎馬隊、そしてエリミネーターについては続報がない。
その者たちが最後の最後に、奇襲を仕掛けて、ギロチン男爵……角町赫奕の首を狙ったとしてもおかしくはない。
よって、トラックのジャングルジム構造物に搭乗するヤクザニンキョは、全方位に見敵必殺の姿勢を向けていた。負傷者をジャングルジムの中央に安置し、2両のトラックからは油断は一切排除されていた。
そんな中で、トラックのドライバーだけが実直に、背後の仲間を信じて移動裁判所の完遂に全神経を注いでいた。
感じる筈もない、地中に埋められた咎人の首を刎ねる感触が、ゆっくりとハンドルに伝わっているようだった。
その中に無線の一報が届く。黄龍宗の飛空戦3機と朱雀組の散兵が、捨て石の旧ユニーダを消耗しつつも、騎馬隊のほとんど袋小路に追い詰めて排除したというのだ。
もはや残りわずかな騎馬隊が集結したところで移動裁判所を阻止する事は叶わないだろう、とまで報告してきた。
しかし、角町はこの事を、無線係以外の組員とは共有しなかった。一切の油断を解く事許さず移動裁判所をやり遂げようと。
角町が無線を聞いて意向を固めた、その瞬間、その先の交差点の角から、傷だらけの禽が姿を現した。
1列に走る2両のトラックを正面に見据えるなり禽は直進してきた。
半狂乱状態であろう禽は、目玉は半分ほど飛び出しており、口は大きく裂けてみえた。まるで伝承に伝えられるヨタカという空想上の怪獣。超巨大禽を彷彿とさせた。
背中に僧兵に扮したエリミネーターの姿は確認できない。
背後に何か映ってないかと、無線係は角町の命令を聞くこともなく、自ら上空の黄龍宗に無線を飛ばした。その返信に曰く、確認をしようにも、上空からは死角。飛空船はそちら向かうには1分かかると。
考えるまでもなく、特別行動隊は、騎馬隊を犠牲に、移動裁判所を孤立させたのだった。
先の吉報と思われた無線報告は、凶報に他なかったのだ。
トラックの荷台の天井に、正面からみて互い違いに並んだ13mm重機関銃3門がこれを迎え撃とうとしたが、機関銃手3名の背後、2両目のトラックから「下がれ」との声。角町がスピーカーから発した声だった。
全てを察した機関銃手が直ちに、ジャングルジムの中に潜ると、後続する角町は向かってくる禽に向かって両腕を振りかぶり、フライングギロチンを全弾射出、再びゴーゴーボールを形成した。
必殺のゴーゴーボールは、2両目の天井と1両目の天井のスレスレを直進して、正面衝突せん勢いの手負の禽の喉元を貫いた。
正直、誰もが「あっけなかった」と声に出しそうなほどの結果だった。
大きな口を開けたまま、ボコボコと血を泡立てて地面に落ちる禽。
墜落した禽が背負っていたのは、僧兵ではなかった。おそらく先ほど、特別行動隊の遺体から回収された、大量の擲弾を備えた帯革だった。
自爆するつもりだったのだろうか?その答えは否だった。
ゴーゴーボールの一撃の元に息絶えた、禽の体内から背中を掻っ捌いて、エリミネーターが現れたのだ。
トラックの真ん前に現れた禽の血と、血潮の湯気を纏ったエリミネーター。
2両目の天井にいる角町や、ジャングルジムの中にいる組員には死角となり、その姿を確認できない。
1両目、2両目、合計6門の機関銃手たちも同様であった。
たった今この姿を認識しているのは運転席のドライバーだけ。ドライバーはマイクを握り叫んだ「エリミネーターだ!」と。
1両目のスピーカーからそれは、やや音割れの気があったが、後続の角町にもはっきりと聞こえた。
このエリミネーターも、すでに攻撃を受けており、レザーのトレンチコートは穴だらけで、人間の偽装らしいものは、剥がれ落ちていた。土偶のような無表情なロボトの顔に、ワイヤー類が蠢動したいた。本来、被っている人工皮膚に、歪な表情を与える為のワイヤーだ。
エリミネーターの左手には、禽の背中を切り裂いた短剣が、右手には、グレネードランチャーと思われる見たこともない手筒が握られていた。
トラックドライバーは迷うことなく、鋤型の排障バンパーを、フロントノーズの最前に戻した。同時にアクセルを全開にする。
いまやトラックが目と鼻の先だというのに、エリミネーターはグレネードランチャーを乱射し始めた。発射ではなく乱射だった。
結果、トラックで進軍するヤクザニンキョたちの頭上に、突如として擲弾の雨が降ってきている。どこから来たのか検討がつなかいがエリミネーターの仕業であるに違いないと。
爆発、また爆発。荷台にヤクザニンキョを収容するジャングルジム構造は、爆風を逃しこそすれ、爆風によって吹き飛ばれる組員が多数いた。
眼前で、グレネードランチャーの発射を目の当たりにしていたのは、1両目の運転席にいるドライバーだ。ドライバーが絶叫しスピーカーから、この殺人機械と禽が持ち込んだ恐ろしい兵器の詳細を伝えた。
驚くべき事に、特別行動隊が統制して身につけたいた帯革は、連結することで、グレネードランチャーのベルトマガジンのように擲弾を給弾する構造となっていたのだ!
そのグレネードランチャーを使うのは古代から甦った殺人マシン、エリミネーターであって、生半可な銃器ではその行動を止めることはできない。
だが、恐怖の擲弾射出は収まった。
トラックに最前に装備された排障バンパーは、これを避けようともしないエリミネーターと禽の死体を刎ねたのだった。
だが、殺人機械と禽は、跳ね飛ばされるどころか、怨念、地縛霊のように排障バンパーに留まっている。
アクセルを全開にしたトラックの、排障バンパーに注がれた轢殺の一撃を喰らっても、エリミネーターは再び動き始めた。
もはや自らの意思で、鋤形に絡みついたかのようなエリミネーターは、その自身の状態をまるで固定砲台のように、ベルト給弾される擲弾を角度を変えて、トラックの上空へと連射撃を見舞った。
再開される擲弾の雨。次々に着弾した擲弾の直撃を避け、吹き飛ばされつつもジャングルジムにしがみつく組員もいれば、直撃を受けて木っ端微塵になり肉片と成り果てる組員もいた。
このままでは、飛空船の追いつく1分も経たないうちに全滅してしまう
背後で起こる残虐爆撃に、ドライバーは命と引き換えにエリミネーターを葬る覚悟を決めた。
トレーラーではないが、後方のジャングルジムは、緊急回避用に、走行中でもトラックから切り離しが可能だった。 そして、空荷となったトラックで、エリミネーター諸共、次の交差点の角地にある金属の回収工場に突っ込む決心をした。
しかし、喉を貫かれるわ背中を割かれるわで、死体となったはずの禽が、最後の力を振り絞り、張り付いていた鋤型から飛び出すと、トラックの運転席に、頭部を突っ込んだ。
すでに吹っ飛んだフロントガラスは愚か、防御の金網を突き破りる禽の鋭い嘴。ドライバーは頭から肩までスナック菓子のように齧りとられた。
ドライバーが死に、制御を失ったトラックは、ジャングルジムを切り離すこともできないまま、交差点の金属回収工場に突っ込んだ。
これを持って、1両目の車両は戦闘不能となり、続く2両目の進行方向を妨害する形となった。
ジャングルジムの中では、50人もいた、ヤクザニンキョのほとんどが、繰り返された擲弾からの爆風と工場への衝突により、死に絶えようとしていた。
32
2両目トラックの天井に仁王立ちする角町。彼女は一両目が瓦解するまでの寸時をはっきりと見た。フライングギロチンは既に両腕の袖に戻っていた。
そして、今、エリミネーターが再び、トラックと工場外壁の隙間から這い出てきた様を見る。
流石にグレネードランチャーは不具合を起こしているようで直ちに発射する事は叶わないだろうが、それが完全な故障なのか、はたまた直ちに復旧可能な給弾不良なのかまでは、わからない。
わからないが、角町は天蓋付きの椅子の方へ戻り「いけ!ままよ!このままよ!」とスピーカーで告げた。
椅子にも座り直す。
彼女が選んだのは正面突破だった。トラック残ったヤクザニンキョも速度を落とさないことを鑑みて、一両目残骸との衝突に備える。椅子に深く座り、手すりを握りしめる。
それとともに、角町はフライングギロチンで、エリミネーターの装備するグレネードランチャーの、擲弾を給弾する革ベルトの切断を、6枚の刃全てを発射して試みる算段だった。
角町の判断はそれほど狂ってはいない、黄龍宗の飛空船の影が接近している。エリミネーターの完全な無力化は彼らに任せてもよかったぐらいだ。
しかし、それは、これ以上の援軍、伏兵が存在していないことを前提とした話だ。
続け様に、トラックの進行先、1両目のトラックが突っ込んだ角地のある交差点の左右の端から、スケートボード乗った新手が出現したのだ。
15名いた。皆が拳銃をリードで繋いで首から下げて、火のついた火炎瓶を握りしめていた。
街に火を放っているのは、騎馬隊では無かった。スケートボードに乗ったこの者たちの仕業であった。
かれらは、ネディアの街に潜伏していた塹壕協会の狂信者たちだった。
おそらく全員、白色肌に非ざるものたちで、ドーランや、お白粉などで、白塗りの様相だった。
狂信者たちは、騎馬隊より受け取った、回収した擲弾の括られた帯革を、手負の禽に背負わせ、故障したエリミネーターを部分的に修理した上で、グレネードランチャーと短剣を携えさせて、禽に飲み込ませた。
そして、騎馬隊の最後、つまり陽動作戦の成功を見届けると、最後の攻撃を開始したのだった。
禽とエリミネーターをけしかけ、ダメ押しにジャングルジムに火炎瓶を投げ込む。反撃は必至だが、狂信者たちは自分たちの命など鑑みない。
正面を見据えていた13mm重機関銃は、スケートボードに火炎瓶の白塗り集団を目視した瞬間から直ちに砲撃を開始していた。
述べ、10人の狂信者を瞬く間に肉塊に変えた、原型を止める腕に握られれた火炎瓶は肉塊を焦がす。しかし、生き残ったスケートボードの集団は器用にも、燃える肉塊と化した仲間の亡骸や、火炎瓶の火柱を、ジャンプなどスケートボードのアクロバット動作で回避し、トラックの左右に傾れ込む。
角町がいま、ここでフライングギロチンを発動すれば、なんの防具も身につけていないこの集団を屠る事は容易であるが、前方のエリミネーターと、連発射出されるグレネードランチャー無力化は困難となる。
状況を見定めようと、凍りついた時の中で、角町は見た。
エリミネーターが浮いた。否、金属工場のクレーンの先についた巨大な電磁石に吸い寄せられたではないか。
おそらくは朱雀組の散兵が、クレーンを操作してエリミネーターに足止めをしてくれている。
角町はそれを理解するや、迷いを捨て、火炎瓶を投げ込む寸前で、スケートボードの一味をフライングギロチンのつゆへと変えたのだった。
宙を舞う首は、皆、呆気に取られた表情を晒していた。
トラックの進行方向の脇道は、肉塊となった人間と、火炎瓶の火柱が10を超える。もはや移動裁判所のクライマックスに、煉獄へと続く邪神殿の護摩壇が加わったという趣であった。
フライングギロチンが、5つの首を角町に届け、両袖のフリルに戻る。
角町は標的を、金属工場のクレーンに改める。エリミネーターが磁石で再び動けなくなったという確証はなかった。
だが、角町が、フライングギロチンをいつでも放てる状態になるや否や、クレーンから大爆発が起こった。エリミネーターの擲弾が暴発し、誘爆を起こしたのだ。
残念な事に、クレーンを操縦していた朱雀組の組員も、巻き添えをくらったが、これによりエリミネーターの脅威も消え失せた。
犠牲となったのは、散兵となっていた朱雀組の組員。エリミネーターの存在を知り警戒にあたっていた。
彼から見て、交差点の向こう側で、一両目のトラックが擲弾乱射の被害を受けている様が見えた。
どういう仕組みかわからないがグレネードランチャーをマシンガンのように乱射する異常な存在を目の当たりにして、これこそがエリミネーターだと確信して接近を試みた。
ただし、彼のその後の動向はについては、ことの成り行きを見守他なかったのだ。彼の装備するマシンガン一丁でどうのこうのできる状況ではなかった。
彼の目の前で、トラックが、息を吹き返した禽に襲われて、工場にエリミネーター諸共、突進した。
まもなく、トラックと工場の外壁からエリミネーターが飛び出すと、組員は起点をきかせて、クレーンを操作してエリミネーターの行動を封じることに成功したのだった。ただしクレーンから、誘爆した擲弾の爆発から逃れる術はどこにもなかった。仲間の無事を祈る思いのままに、爆風によって召された。
この爆発で一両目のトラックの残骸が、道路に押し出され上に、まだ生き残りがいるだろうジャングルジムが飛び出してして交差点を完全に封鎖してしまった。
トラックは、組長、角町の意思に反して、急減速を余儀なくされた。
角町は、これについて部下をスピーカーで咎めることもなく、自らが座す椅子に、仕込んでいた仕掛けを起動した。
天蓋が自ずと外れ、角町はトラックの急ブレーキの慣性を受けながらも、椅子ごと宙を舞った。
椅子は、飛空船などの緊急脱出装置ないし、修理作業、奇襲に用いられるバックパックと同じ原理で浮遊する、緊急脱出装置を兼ねていたのだ。
彼女はそれを、いま積極的に、移動裁判所の仕上げに利用する事にしたのだ。
朱雀組からみて交差点の向こう側で、道路から顔だけを出している咎人や塹壕教会の関係者たちは、爆発炎上する、トラックと工場に、歓声を上げていたいた。
「地獄に落ちろ!年中喪服の鬼どもめ!」などと、10を超える首が、移動裁判所の失敗を予見し咆哮する。
だが、地面から空を昇る黒煙を目で追うと、それをかき分けて、空に角町が舞っているではないか。
天女の如き姿だった。そして、直後に羽衣の如きフリルがあしらわれた両袖から繰り出される処刑の刃は、まさに空飛ぶギロチンであった。
椅子ごと、錐揉みに上昇する彼女の姿は、優雅に舞っているようだ。竪琴の弦を弾ませるように、次々と放たれ、易々と命を刈り取るフライングギロチン。
いま起こっている事は全て、想定外のことであったが、恐れ慄いて、盗み見ていたネディアの住民たちは、この地獄から煉獄までを描いたような一連の大戦闘のクライマックスが、天国から最後の審判を下す天女のごとき角町の姿になった事に、感動すら覚えていた。
彼女こそが、暴力が支配する黙示録後の世界で、この街で、恐怖の支配者として君臨するに相応しい存在であると住民の目に映った。
これにより、移動裁判所の目的、住民の完全な屈服は、ここに達成されたのである。
ひとつ、ひとつ、フライングギロチンは丁寧に首を、角町に届けていた。
空中から、それを無慈悲に放り捨てる角町。
それを繰り返すこと、12。ようやく椅子は、着陸する。
そして、角町が向き直った道路上には、昨晩より続く、事件の首魁にでっち上げた老人が、首だけを出している。
首は、アサルトライフルを構える2人の子分が万に一つ、どこにも行かぬように見張られていた。
ジョナス・マックダラー2等司教である。
角町は少々、上空で、目を回してしまい、椅子から立ち上がると、足取りはふらついていた。戦闘で蓄積された疲労も相まってだが。
それでも最後の13番目の首をフライングギロチンで刈り取ろうと意識を集中する。
首を差し出す司教の務めていた礼拝堂と、上空を守る神能会の補給船がことの決着に立ち会う。
決着の瞬間。司教の首が、地中へと消えた。
地中にだ。フライングギロチンは放たれてもいなければ、地面から血も吹き出していない。
驚愕したのは、当然のごとく角町だった。
「な!なにぃ!」と絶望と怒りを短節に叫ぶ。
側にいた2人のヤクザニンキョは、老人が埋まっていた穴を見る。奥へ奥へ、老人ともう1人、何者かが這うように移動している気配がそこにあった。アサルトライフルの弾丸はもう届かない。
「地下、地下に穴を掘ってやがったんだ!」
「か、カタコンベと言うやつか!」
そこに思い至るに、角町の子分2人は、一目散に「カタコンベだ!」「カタコンベに逃げた!」と叫びながら礼拝堂へと駆け込んでいった。
角町はふらつく足取りで礼拝堂へ、後を追う。
上空の補給船の中で、戌亥義剛は、塹壕教会特別行動隊の襲撃の意図を悟り、絶叫していた。
「あいつら全員、司教を逃すために時間を稼ぐ決死隊だったというのか!」
その後、5分ほど後の事。角町がカタコンベに至る地下へと続く階段を、礼拝堂の祭壇の下に見つける。
見つけるも何も、先行した子分2人が直感で、祭壇を壊して暴いた階段だった。
そして、彼女が階段を降りた先で、カタコンベの墓廟らしい特徴を感じる取る前に、目に入ってきたのは、
司教の見張りに付き、先行していた子分2名の死体だった。
ヤクザニンキョらしい誇り高きブラックスーツに包まれたままの死体は異様があった。
2人とも頭部の顎から上が、ひどく力任せに分断されたであろう状態だった事だ。
つまり舌と下顎の歯、喉の口腔が血まみれで剥き出しになっていた。
側には、血の付着した儀礼の用のスコップが、墓廟の一つに深々と突き立てられていた。
第4章『ハカイの哲学』
33
ブルータル・デビルは地獄への進軍を観覧していた。埃くさい特等席で。
ここ2年雨が降らず、礼拝堂のガーゴイル(雨樋像)には役目が回らず、小さな亀裂が生まれており、土埃がそれを埋めていた。
無人となった礼拝堂の、上段と下段のガーゴイルの間にエリー・マリスキュラは身を潜めていた。黄ばんだ布切れ一枚で体を覆っていた。
なまじ美女であるため、波打った薄衣を纏い、端正な建築造形に紛れた方が、彼女に限って言えば目立たなかった。彼女に限った話と言えば、ズタズタに切り刻まれ責め壊された傷跡が、布切れ一枚から覗いていたが、それすらも像や建物の亀裂によく馴染んでいたのだ。
唯一、この場ににつかわしく無いのは、腰回りの黒い太い革のベルト。
腰の背に、7.5mm弾という珍しい強力な銃弾を使う拳銃が収められていた。
彼女は移動裁判所の始まりと、特別行動隊の乱入から続く殺戮に次ぐ殺戮、そして角町が最後に処すはずだった司教の逃亡まで、特等席から望遠鏡を使って眺めていた。
偵察、情報収集の名目で、始まりから終わりを堪能したエリー。金色の瞳を太陽のように輝かせ、頬を紅潮させ、口元を緩ませていた。
「す、すんばらしいものを、観れた……」
子供のように、実際まだ子供とも言える年頃だが、血みどろの戦いを鑑賞して感動しきりだった。
移動裁判所は、神能会が住民どもをわからせるという目的において、トータルで言えば成功といった所だが、司教が逃げた。この一点は特別行動隊を犠牲にした塹壕教会の目的においても成功といっていい。両者が尊い犠牲を払い成し遂げた戦いを、この極悪非道の畜生女は殺戮ショーとして消費していたのだ。
エリーは楽しい時間が終わってしまったと解ると、無人の礼拝堂の、幾つも連なった屋根から塀から飛び降りていく。
最大の収穫は、朱雀組組長を演じた主演女優が、ジオとエリーが欲するフライングギロチンの攻撃パターンを、惜しげもなく、おそらくは全て曝け出していただいた事だ。
にやけ顔が止まらないエリーが、礼拝堂からネディアの裏街道にその身を移した。
この時の彼女の姿を白黒の写真で収めることができれば、美しい少女の満遍の笑顔を捉えた、ちょっとした名作写真になるだろう。
だが、彼女が目に焼き付けて耳心地よく反芻し、表情を隠さず感動し賞賛するのは、凄惨な殺戮を伴う大抗争だ。
ミュータントの色素異常の引き起こした彼女の、青い髪、金色の瞳。些細な事でミュータントは迫害の対象となるが、彼女に限っては、この恐ろしい経緯と、彼女のおぞましい生態を知っていれば、彼女の身体的特徴はなにもかも悪魔的なものに写り、差別や迫害も当然の処遇であると言わざるをえない。
肉体に刻まれた傷の数々も、当然の報いを受けた結果とさえ思えてしまう。
しかしその笑顔は、油断ならない。まるで研いだような白く美しい歯をのぞかせる。仮に彼女の体に刻まれた、傷の数々を見て、それに基づく憐憫にも罵倒にも、彼女の心を乱すことは、まあまあ、ない。
白い凶刃を備えた口からは、ひどく悪趣味な回答があるだけ。その手足からは、暴力による本質的な解法を身に刻まれる事となる。
平時でさえまともで無い事に加えて、ただいま興奮状態のエリーは、移動裁判所の顛末を、リーダーのジオに伝える事さえ、後回しにする事を決めたのだ。
爛々とした思いで、こともあろうに”いけにえ”を探すことにした。
誰でもいい、かといって市井のゴミや、賊の雑魚ども、怯え切ったようなのでは”いけにえ”は務まらない。できるだけイキのいいのを殺さずにはいられない。
イキのいい”いけにえ”とは、彼女と同様、卑劣な賊、それも卑劣な行いに没頭し、掠奪と嗜虐の興奮に浸っている男の賊だ。それであっても彼女と比較して”まとも”なのは言うまでもないだろうが。
とてつもない邪悪が笑いながら、移動裁判所と特別行動隊の衝突で荒廃したネディアを彷徨う。
道路に、廃屋に、無人の店舗に、怯えた住民がいようとお構いなしに家屋にも。
わるいこはいねーかー?
どこかで強盗がおきてないかなー
あそこで輪姦が繰り広げられていないかなー
火事場泥棒が、ここに火をつけに来ないかしらー
女子供を奴隷にするために、この部屋に監禁してないかなー
特に理由もなく、病人を虐待する病んだのが潜んでいなかなー
ジャンキーどもが薬を奪い合って路頭で殺し合いをしていないかしらー
弱者の悲鳴が聞こえてほしいー
そこに賊がいるはずだからー
楽しみだなー
何軒目かの、なんだかの、裏口だか勝手口から、裏路地にさまよい出た邪悪の眼前に、人間の乳飲子が、飛び込んできた。ハズレかけのオムツからはみ出た、糞尿が邪悪の顔にへばりついた。
破壊を羨望する心に水をさされ、エリーは大声を出しそうになった。だが、すぐに気がついた。
赤子は死んでいた。
まだ冷たくはなっていない。首を折られて、路頭に投げだされたばかりなのだ。
邪悪に相応しい、奪われた幼い命の残骸。美貌に不釣り合いにも、乳飲子の糞を髭のようにつけたまま、エリーは赤子の遺体が飛び出してきた、脇道に目をやった。
邪悪な存在が引き合うように、エリー好みの”いけにえ”達が、嗜虐の絶頂を貪っていた。
赤子の母親らしいのが強姦され、父親らしいのが、天を仰いで倒れていた。
母親らしいのは泡を吹きながら、獣のような叫び声を上げながら犯されている。地面に突っ伏して、後背位で犯されている側には、注射器が数本転がっている。腰振る男も同様に泡を吹きながら、あわや、蹂躙の快楽と、おそらくは薬物の快楽の両方に、溺れそうな呼吸を繰り返して腰を振っている。
父親らしいのは、妙な事に尻も天を仰いでいた。
父親の首を、180度曲げて殺したのだろう、尻を丸出しにしているのは、衆道を犯されていたのだろう。
男の冷たい尻のそばで、薬物も、ソドミーも、殺人も全ていっぺんに貪ったであろう男が、絶頂の海で激しく痙攣をしていた。
状況を見るにエリーは考えるまでもなく以下の単語が脳裏を走った。
麻薬の乱用
強姦
強姦被害者への麻薬の強制
子父、それも赤子の殺害
おそらく、この強姦魔2人は、昨晩の混乱に乗じて、土地勘の無い港から上がってきた、この一家を襲い、発見されないままでいた神能会にも旧ユニーダ派閥にも属さない地元のならず者だろう。
顔についたくそを拭いながら、エリーは「ヒャッハー!」と歓喜の声をあげる。ジャンキーとレイパーと赤子ゴロシのちゃんぽん。今の彼女にはご馳走に見えた。
こういう、嬲り殺しの嗜好を持ったヤツを、痛ぶって殺す事に、彼女は無制限になる。なにもかもが無制限になる。とどめに今日の彼女は、創作意欲が暴走している。つまり完全無欠の無敵モードだった。なにが”つまり”なのか、なんの”無敵モード”なのか、もはや彼女にしかわからない。
女を犯していた男が、エリーに気が付くと、腰を動かすのをやめて、絶頂の海を彷徨う男を一蹴し、活を入れて正気ずかせる。
共犯者が現実に戻ったのを確認すると、男は「おい、女だ、しかも、」
いい女だ、と、強姦魔は、言の葉を繋げようとしたが、どうにも様子が違う。
笑っているのだろうか?細めた金色の瞳、釣り上がった口角と耳。
これらがとても美しく見えるショートカットの青髪を備えた、ミュータントの美女が笑顔のような物を貼り付けて、こちらに歩みよる。
もとは純白だったろう黄ばんだ薄衣一枚を、不釣り合いな腰ベルトで締めている。
赤子の死体の手を握り、まるでぬいぐるみみたいに、右手から提げていやがる。強姦中、疎ましく感じ、ついカッとなって殺して放り捨てた赤子の死体の手を。
女はとびきり美人ではあるのだが、貼り付いている笑顔みたいなのは、男2人に対して、恐怖も、嫌悪も、怒りも、読み取ることはできなかった。
ただし、嗜虐欲という淫靡なものよりは、破壊衝動とでも言うべき幼稚なものを、男2人は向けられていると、彼女が一歩一歩近づくごとに、感じることはできた。
その様子に、恐怖も、嫌悪も、怒りも、男2人の方から湧き上がり、美女に向けて、各々が拳銃を横向きに構えた。
女は、それを見て、歩みこそ止めたが、飄々とした気味の悪い表情は崩さない。
そして、語る。
「その打ち方じゃ、毎日に鉄棒にぶら下がって血流をよくしても、この距離を当てる事はできないよ」
女は銃を向けられて、指鉄砲を額にぐりぐりと押し付ける。左手で。
「本当の横打ちは、こう、やるのさ!」
やるのさ、と言った時には、彼女は腰の背に巻いたホルスター収めていた、巨大な拳銃を右手でぶっぱなしていた。
赤子の遺体は、こう、と言ったときに、女の頭上に投げ出されていた。
当然、ストックのない拳銃。己の肘を銃床のように腰に据えて、銃本体を横向きに。指切りで連射した。本来、この銃は大型弾の為、8発とチャンバーに1発しか装填できないが、延長弾倉を使って12発装填されていた。それを瞬時に10発打ち出した。
美女、エリーは、銃を持ったまま、放り投げた赤子の遺体を、両腕で優しくキャッチする。
赤子を手にかけた強姦魔どもは、ことごとく下半身を射抜かれていた。スネ、膝、大腿、そして男性自身を撃ち抜かれ、声にならない無音の悲鳴をあげて地面に突っ伏した。
「いやー、ドチンピラに太くてでかいのぶちこむのは、爽快だなー」
と、目撃者がいないことをいい事に、下品な比喩を口にするエリー。
「仇はとってやったよー」
イヒヒヒと、いないいないばぁをする老舗のごとく、赤子の死体に語りかける。
そして、通り様に、強姦魔に蹴りをいれながら、強姦されていた母親に歩みよる。
地面に突っ伏した母親は、薬物のオーバードーズで、体の自由がきかず、痙攣し、左右の瞳が見当違いの方向を向いていた。
ただし顔は青ざめ、夫と子の命が奪われた事に絶望している。と、エリーは読み取った。
エリーは母親の首に、金色のペンダントの細いチェーンが絡まっているのを見ると、少しでも楽にしようとそれを解いたやった。
取り上げたペンダントには、赤子を真ん中に、親子が寄り添う生前の写真が、チェーンの先に結ばれた、ハート型のロケットに収められていた。
エリーは、何を思ったのか、生きた母親と殺された子父の亡骸を、写真の通りに3人を並ばせた。父親の首が180度曲がって死んでいたため、顔と背中を向けたひどく冒涜的な並びになった。
エリーの意図など理解できる訳もなく、冷たくなりつつある死体と共に身を寄せあわされて、眼玉がバラバラを向いたまま泣き叫ぶ母親。
「怖く無い。心配しなくていいのよ」
下品な笑い声は、鳴りを潜め、優しく語りかけると。エリーは拳銃のチャンバーに7.5mm弾が入っているのを確認すると、1発の銃弾でもって、彼女まで撃ち殺した。
非常に多い装薬量の多い銃弾で、180度首を曲げた父親の胸から背中、赤子のこめかみの間、そして母親の胸を貫いた。
下半身を同じ銃で撃たれた、ならず者2人は、薄衣を纏ったエリーが巨大な銃で、子父の亡骸を貫通させて母親の命を奪った姿に、天使の輝きをみた。ラリった頭ではあったもののだ。
薬物を投与し家族を目の前で殺害し強姦に及んでいた2人は、母親は生かしてどこかに隠しておいて、街で起こる一連の騒乱が終わり次第、また蹂躙しようなどと途方も無い遊戯を、薬物で酔った頭で元々は画策していた。
それに対して、なにか安らぎのようなものを与えようとしていたような、引き金を引いた時のエリーの微笑み。
写真通り死体を並べる意図は理解できないものの、言うなれば、おおよそ尊厳の為の殺人とでもいえよう。
「治療してほしいか?命が惜しく無いか?」
安らぎどころか、残忍嗜虐の笑みを浮かべて、エリー・マリスキュラは、結果的に親子を3人を殺めた強姦魔2人に向き直った。
すぐそばにいたのは、母親を犯していた方の男だった。
「命乞いが下手くそな奴を、昨日殺したばかりだよ。あいつは傑作だったよ」
男のすぐ側まで、歩み寄ったエリーは、覗き込むように強姦魔を見下す。
この発言にどんな反応を強姦魔が示すか、観察している。
子供が虫ケラを観察しているのと全く同じ眼差しに、怯えるだけ怯えて動かないでいると確実に殺されると悟った強姦魔は、意を決して、命乞いをしながら眼前のエリーの足を舐める事にした。
「も、もうしません!生きたいです!どうせ、もう、使い物になりません!こいつが!こいつが全部悪いんです!」
そういいながら、銃で撃ち抜かれた男性自身を、そばにあった注射器の破片でなんども何度も、突き刺した。
終わってくれ、早く終わってくれ、麻薬の作用で、痛覚は麻痺しているもの、睾丸の感触が、果実のようなものから徐々に腐敗した肉のような感触になっていくのを感じた。
エリーはそれを楽しそうにフフフとめを細めて眺めている。
いよいよ、その感触が、男生機能の再建が不可能になった事を確信するとエリーの笑顔を絶やさぬように、強姦魔は足を舐めようとした。
だが、エリーはそのまま喉まで突っ込む勢いで、強姦魔の上顎を蹴り抜けた。
「きったねぇな!SMやりに来たんじゃねーんだよ!この猿が!」
エリーは、拷問のはじめがあまり好きではない。薄汚い男の体に触れるのが嫌だからだ。
なるべく手を触れない方法から始める。そして、悲鳴や苦悶の表情。ここまでは、不快感は拭えない。
怒りに血色を濃くし、見当違いな恨み言を言い始めると、次第に嗜虐欲をそそられ、不快感を上回る。
上顎を、つま先で蹴り上げた。前歯を失い、仰向けにひっくり返る強姦魔。
エリーは続け様に、下顎を踵で踏みつけてやった。これで強姦魔の下顎の前歯も全て失われた。
激痛を、上から下からの血に溺れそうになりながら叫ぶ強姦魔。麻薬は歯神経までその痛みを抑える事はできなかった。さらにその麻薬のせいで気絶ができない。
エリーは不快感を露わに、しかし嗜虐欲を最大に、眉間に皺を寄せ、強姦魔の砕けた顎を素手で引き裂こうと試みた。
すぐに、顎関節が外れ、筋肉の伸長が限界を迎えると、片膝を突っ込んで、さらに押し広げた。
やがて、口が広がるだけ広がると、片膝が口腔をピッタリと塞いで、窒息状態に陥った。
エリーの暴虐三昧に隙をみた、強姦魔のもう一人が、這ってこの場を去ろうとしたものの、エリーは脇道から裏路地へ出ていく前に、一人目の顎の破壊を中断して、這って逃げた方を、連れ戻してきた。
彼女は手際良く、逃げ出した男を、仰向けに寝かせると、足首につけていたナイフで腹を縦に掻っ捌いた。
強姦魔は一瞬、死を覚悟したが、もはや、自分の身に起こった開腹と、仲間が最初に顎からグチャグチャにされていた事を比較して、自分は楽に殺されるのではないかと、その死に安堵さえした。
しかし、エリーは最初に遊んでいた、上下の顎を破壊された強姦魔の頭部を、逃げ出した男の、開腹部に突っ込んだ。
自分の内臓の中で、強姦仲間が溺れそうになる苦しい息吹きを感じた。自分の身に起こる猟奇をも逸した光景に、気を失いそうになる男。
エリーはそれを見るや、いつの間にか、手に入れていた、強姦魔たちの麻薬の注射器を、気を失いそうになる男の首に突き立てて薬物を注射した。
双方、麻薬の作用で死ぬことも気絶する事もできないままとなった。
「夢だ!こりゃあ夢だ!」腹を割かれた男が、左右の瞳を見当違いに泳がせながら叫んだ。
「コレは現実だ!喜べ!」と言いながら、エリーは叫んだ男の顎の下から、口蓋に向けてナイフを突き立てた。
顎と舌を貫かれ、脳を守る口蓋に切先が固定され、声を上げる事もできなくなった。
一方で、エリーは、顎をグチャグチャにした男が、このままでは、男の腹の中で、簡単に溺れ死んでしまうのではないかと不安になった。まだ、十分に楽しめていない。
そこで呼吸ができるように、溺れそうになっている小腸を引き出した挙句に、この2体が離れないように引き出した小腸を二人の体に巻きつける事を思いついた。
2人とも激しく抵抗した上に、エリーは何度もグチャグチャになる2人を蹴りたぐった。
故に、結果のみを記すに、
強姦魔の一人はナイフで上下の顎を貫かれ、口を開けられない。
そして開腹され、上に己の小腸で唯一自由だった、両腕を絡み取られた。
両腕は、最初にエリーへの命乞いに失敗し、上下の顎を砕かれた、もう一人の強姦魔の後頭部を押さえつけるような形になっている。
もう1人の強姦魔が押さえつけられたいるのは、小腸を避けられ、幾分呼吸路の残る、開腹された強姦魔の内臓の中。
こちらは、両腕を、小腸で背中に自由の効かないように巻きつけられている。
双方の両足と男性自身は、エリーの銃によって撃ち抜かれており元より自由は効かない。
双方は死ぬまでの間、方や晒された内臓が、引き裂かれ剥き出しになった口腔の感触を、もう方やは、口腔の深手の傷から内臓の感触を、麻薬の陶酔の中で強烈な嫌悪と、死への渇望と共に味わっている。
出血多量で死ぬことは明白だが、まだまだ時間がかかるだろう。
死に向かって僅かばかりにもがく2人を前に、血をなみなみと浴びて、濡れネズミのように張り付いた薄着を纏ったエリーがいた。
「うーん、うーん、残念。野郎2人は、駄作ですね。2人のレイパーが一つの肉塊にというインスピレーションが、いかんせん時間がありませんでした!」
エリーは悔しげに、ふたりの末路を駄作と吐きすてた。
「うわ、血まみれだ、ジオになんて言い訳しよ」
言い訳を考えながら、脇道を後にする。
袋小路に残されたのは、手前から臓腑の絡まった、腹を割かれた半死人と、その半死人の腹に頭を突っ込まれた半死人。
奥に進むと、眼玉が見当違いの方向を向いたままの妻と180度首を曲げられた夫、2人の間に抱き合うようにレイアウトされた、銃弾が脳を通り、眼玉の飛び出そうな赤子の死体が鎮座していた。
エリーが間違いなく、最悪なのは、こういった惨状の遠因が、ジオと協力して、一生懸命、昨晩より街を騒乱状態に陥れたことであるとはっきり認識していることである。
彼女は、自分の欲望の犠牲で人が死ぬこと、関連死が増えることは、全くもっていいことだと本気で考えている。
目の前でそれげ繰り広げられている時に、特に、大いに。
「芸術がわからんアホに惚れるもんじゃないね」
言い訳をする相手を思い浮かべて二ヘラ、二ヘラと惚気ていう。
「ふっつーに目撃者を消したって事にしましょ。そうしましょ」
クスクスと、子供がイタズラを隠蔽したように笑っていう。
全ては壊れゆく定め。ならば、壊してしまえ。壊れ行く様を利用し、機会があれば享楽に用い、時として残された物は奪い取る。
彼女には嫌いな言葉がある。月並みな「創造の前に破壊がある」という。
どうして月並みか。創造などという功利的、大衆的、博愛的、生産的なものは、我の時代に不適合・不釣合・不相応・不必要であると。
破壊の後にあるは、いつもドドメ色のカンバス。女子供はその色をみて泣き叫ぶ。男達は言葉になってない、か弱い罵倒を色に怯えて揃えて並べる。でも、いつも、我だけが笑っている。カンバスに必要なのは芸術だと、我こそが時代精神の象徴であると。
若くして至った魔王の猟奇。それが、ブルータル・デビル・エリー。
34
ジオにとって、殺人放火盗み諸々の破壊を伴う活動は、物心ついたころから、そしてこれからも、全て等しく、ひどく手間のかかる苦役である。 ところがどうして苦役の為に手間をこなす忍耐が、暴力が支配する世では、最悪な事に、枯渇の時代にあって、この少年に贅沢や生の喜びを覚えさせてしまった。
今日、万年仏頂面のこの少年が珍しく、ギャンブル依存症の男が負の込んだギャンブルに逆転した時のような、乾いた嬌声をあげた。喜びは剃りたてのスキンヘッドにまで表情を与えている。 アジトにて、無線を盗聴し、明日の明朝に、奴隷商団マルタミが寄港する情報を得たのだ。
先刻、この少年、ジオは、ジオとエリーを探す旧ユニーダ商会の捜索隊3名を殺害した。
挙句に、死体をアジトの地下牢に捨て、その捜索隊を装って、金品を入手したと偽って、捜索隊指揮所の無線に出た。
そして、無線の相手、捜索隊の指揮者に、その金品を神能会朱雀組に報告することなく横取りしようと流言を計った。
それが成功し、先刻、指揮者の無線より、本日正午に金品をネディアの外に持ち出す手筈を整える旨を、受け取っていた。
これに対してジオは無線機の調子が悪いと、嘘を伝え、正午ぴったりに北西の労働者の住宅地を通過すると伝えた。 示された場所については隠語・暗号の類だったが、ジオと、この後合流するエリーは、街と竹林を最後の一往復すればよいので、解読は不要だ。そもそも示され場所に隠す金品など、そもそもない。
正午まで。これを、ジオは、タイムリミットではなく時間的余裕と解釈した。否、不安ながらも自分に言い聞かせた。エリーが戻るまでの間、準備を進めていた。 荒事の準備と、食事の準備を。
準備をしながら無線を盗聴していたら耳に入ったのが、「来たる、マルタミの船舶」であった。
現在地球上で最も多く、高く、奴隷を売買する組織がマルタミだ。正式名称マルカ・タミルノ。高度に機械化された軍を持ちこの10年で台頭した。
どういう訳か、奴隷経済から脱却し、表面上、奴隷解放の向きに進む外洋の経済成立国の周囲で活動している。 依然としてコストをかけたくない単純作業用の大量の奴隷や、危険・汚染作業に従事できる単価の高い奴隷を、建前上、労働者と呼んで、都合よく湧いて出たように自由を与えず働かせていると、こういう訳だ。
ジオが推測するに、マルタミが、飛行船を用いず、船舶でネディアに寄港することとなったのは、調査のためだ。 二週間前、30人ばかりの男奴隷を仕入れに行った仲間が行方不明になって、船を出して調査を行なっていたのだろう。
奴隷諸共、殺皆殺しにしたのはジオとエリーである事は、言うまでもない。
調査の結果はジオにはわからないも、母港に戻る前に、ネディアに寄港するのは、騒乱が起こったと聞きつけて、この折に女子供や、自ら身売りにくる者を受け入れる算段であった。
ジオの推測は正確だった。というのも、ジオはかつて、奴隷の調達を生業としていた。マルタミとも因縁がある。
そもそも、この重篤な精神病質を患う危険人物が何者かについて。以下の通り。
ジオは、マルタミが台頭する以前、物心ついた頃から、奴隷交易、誘拐、拉致、監禁、拷問をもって得意先に奴隷を調達する、奴隷商人御用達、情け無用の傭兵集団、バーニングムーン団の構成員として働いていた。
父親オデスと母親クムジャはバーニングムーン団の構成員で、後に起こる組織の解散を巡る戦いで命を落としている。
ジオが13歳の頃、得意先の奴隷商人が次々に、帝国軍が支援した革命勢力の奴隷解放運動の台頭により処刑された。同時期、マルタミという新興の奴隷商団による実力行使を伴う妨害が始まると、抗争を繰り返し、バーニングムーン団は戦力の消耗と分散を強いられた。
ほどなくして、ミュートタントの一派による革命勢力と後援の帝国軍によるバーニングムーン団の壊滅作戦が始まると、構成員の多くが命を落とし、組織は解散となった。
これを掻い潜り、元構成員達は、独立するなり、他の賊の軍門に下るなり、奴隷制からの脱却を好ましく思わない勢力の下に各々落ち延びた。 が、革命勢力であるミュータント一派による残党狩りが行われ、多くが潜伏先に裏切られて命を落とした。
バーニングムーン団は他の武装勢力とは、3つの点で異彩を放っていた。
奴隷を扱う事を専門としていた事。 空賊、海賊、山賊の活動圏、有効な調略戦術を自前の装備・設備でカバーしていた事。 そしてジオを筆頭とした少年兵を編成したいた事である。
奴隷を扱う事を専門としていた。この守備範囲の狭さが、空賊、海賊、山賊の奴隷がらみの商売を横取りすることとなり、組織は先鋭化していった。 後にジオがエリーと共に、賊を襲撃する賊となったのは、バーニングムーン団のナレッジとノウハウによるところが多い。
そして少年兵。世界中、各々の勢力が、子供の奴隷を戦争に従事させ、弾除け、鉄砲玉にする例は多数ある。 しかしバーニングムーン団は、少年の兵隊を訓練して、少年のみの兵科を育成し、略奪や戦闘に投入していた。 手に入れた子供奴隷の売れ残りを働かせる為、子供の奴隷を効率良く手にいれる為に、この兵科を養成したのだ。
少年兵の中にいて、ジオは浮いていた。 少年兵は、みなしごや、奴隷が多くを占めたのだが、ジオはそもそもが、この組織の中で例のない職場恋愛で生まれた子供であったこともあり、物心ついた頃には、少年兵科にとどまらず、バーニングムーン団の雑用全般の労務を行なっていた。
少年兵たちは、大人から凄惨な暴力を加えられる過酷な環境下、人を人とは思わぬ畜生になるよう育てられ、全員が殺戮を嗜む殺人マシン、情け容赦ない拷問執行人となっていた。 だが、ジオだけは、そろばんずくだった。ジオは10歳ばかりの頃から大人たちに混ざって、贅沢をする方を好んだのだ。
やがて、褒美褒賞欲しさにジオは、悲惨な待遇かつ享楽的な行動を伴う少年兵を率いて、生真面目に、効率的に、奴隷の獲得効率を上げていった。
彼の両親はといえば、2人馬力でジオをどう育てようか思案していたはずが、いつの間にか3人馬力の様相となり、イニセン家に限っては奴隷商人の傭兵業は家業となっていた。
そんな畜生以下のジオにとっても、父オデスと母クムジャの死は、意外にも断腸の思いであり、未だに悲しみを募らせている。
帝国、ミュータントの革命党、そしてマルタミ。彼らには憎悪を募らせており、ジオの手記が、革命党の党首に倣ったものとなったのは、帝国とマルタミと権謀術を張り巡らせ、革命に成功したその知能を、簒奪したい執念から、調べ上げ採用したものである。
ただし、両親と職場を失ったのは、ジオにとって良い機転であった。
先にある3勢力の圧力を嗅ぎ取った段階で、イニセン家は、有事の際に潜伏すると決めた無人島に、家族の一ヶ月分、食料と水、生存自活に必要な物や小舟の材料を仲間にも知られず運び込んでいた。
ジオ1人であれば、三ヶ月ほど質素な生活に耐え得るそこに、筏を用いてジオは落ち延びた。あわや転覆を回避して。
そこで初めて、ジオは破壊と殺戮、他の人間を傷つけない諸々の、原始的ではあるものの生産的な生活を始めることができた。
何よりも、ジオがこの生活をすんなり受け入れられたのは、贅沢に飽き始めた頃だったというのもある。 生存自活を学び実践し、時間を費やすのは、ジオにとって心地よい期間でもあった。
しかしながら、既存の食料に狩猟採集分を加えて、無人島生活6ヶ月目より病気にかかるなどあって、この潜伏生活に限界を感じた。
三ヶ月ほど病に臥せたのちに、家族で運び込んでいた小舟の材料を元に、それを完成さる。 それで無人島を出たのが14歳の時。潜伏期間は十分にとれた。3勢力は捜査から手を引いていた。
上陸し手に入れた情報を元に、元団員と一度合流したが、女の取り合いを起こして解散した。女はジオに靡かなかったが、ジオは仲間の所有していた小さな飛空船を奪ってやった。
それ以来、元構成員、特に情緒不安定で女に飢えた少年兵は信用できなかった。自分も同様だ。
しばらくの間、盗んだ飛空船を使って荷運びの下働きで日銭を稼いでいた頃、おおよそ3年前にバーニングムーン団が売り払った、ミュータントの少女が、体を寸刻みの五分試しに切るなり潰されるなりされ、責苦に晒される見世物にされているという話を耳に入れた。
ソレがとんでもない美少女であると共に、特にその顛末も記憶に残っていた。
少女は、親から売りに出されたのだが、今思えば革命軍が軍資金を稼ぐ為であったと、後悔する。
その少女の美貌なら、帝国でも、共和国でも、変態どもが値段を釣り上げるか、娼館で稼ぎ頭にでもなれば、女性の尊厳は一切守られないも、その命は安寧だろうと。
ところが美貌のあまり「言う事を聞かないだろう」「高過ぎる」「目立ち過ぎる」「今いる奴隷と釣り合いが全く取れない」「内部統制に絶対に支障が出る」「郷が傾く」と嫌煙されてしまったのだ。
実際、ジオ、少年兵、バーニングムーン団もこの少女には距離をとっていた。自制が持つかわからない。自分が組織に不利益をもたらす行動を取れば、死あるのみだ。
命が惜しくて、近づくことを躊躇った。
結局はどこぞの封建制を敷く領域の貴族に従属し、汚れ仕事を生業とする穢族が買い取った。
性根の腐り切った少年はこう考えた。噂が本当なら、美貌は既につぶされているだろうが、タフな女に違いない。なによりもその姿がおぞましければおぞましいほど、男女問題を引き起こすリスクもない。暗がりで、傷を隠して賊でもポン引きでも拐かすのに使えれば、「賊を専門に狙う賊」という、割に合わない報酬の荷運びの合間に思いついた、新しい商売を実現できるかもしれない。
ジオは、短絡的と自覚しつつも、やる事も無いので、積荷の中身が食料になったその日に、それを横領する形で荷運人工を辞めた。噂をアテに、野蛮かつ封建制を敷いている島をいくつか候補を上げ情報精査の上で訪れた。飛空船の中から望遠鏡で島の様子を確認する。
緑が生い茂る様は、この時代、恵まれたものであった。おそらくは水源もあって、その輸出で外貨を得ているに違いない。
貴族の城は北西の山間の開けたところに建てられており、石造りで、おおよそ2階建て。飛空船は保有していないものの、独立勢力の例にもれず、多数の高射砲で飛空船に備えていた。
飛空船は、この時代で最も価値のある資源、ゾプチックを燃料とするものは、音速以下での飛行が条件となる為、高射砲は有効な対抗手段である。 こうした高射砲の砲塔は貴族の城を中心として渦巻き線を描くように、配置されており、平屋の穢族らの屋敷と思わしき物がいくつかの要所に配置されていた。 そして、考えるまでもなく、海中は機雷原となっていると考えていい。
信仰は世界宗教の一つに数えられる輪廻応報寺院。山道の入り口付近に寺が見えた。
その寺の門を潜ってすぐに鎮座する、30m級巨大ロボットの残骸の特徴からみて間違いなかった。
エリミネーターを代表する、人類VSロボトロイドの、いにしえの戦争で人類軍は、巨大ロボットで応戦した。その建造と残骸の利用に多数の宗教勢力が深く関わり、戦争の末、疲弊し、科学を捨てた人類のコミュニティーは、宗教支配時代に移行したとされる。再び科学が台頭するまでの間。
ジオは、たった一隻の小型の飛空船だったので、いきなり高射砲を浴びせされるような事はないだろうと思いこそした。 しかし、企み事でここに来たので、用心のために、深夜、海面ギリギリを飛行して北西の森に向かって島に接近し上昇。 そのまま森に飛空船を隠してしまい、自らは適当なボロを身につけて村に忍び込んだ。
上空からみた十分な武装に反して、村は先に宗教支配時代同然の低い文化水準だった。人数までわからないが有象無象の農奴みたいなのが、不衛生に、見すぼらしく、貧しく、強者に媚びへつらう顔をはりつけて暮らしていた。 豪華な装いであろう貴族、僧侶は、自分たちの敷居の外に姿を現す事はなかった。 代わって、豪奢な衣装を纏う、穢族と呼ばれるものたちが、貴族の手足となって、徴税や、身体刑を伴う懲罰、屠殺する家畜の買取などに日々忙殺されている様子だった。 3〜4週間に一回ほどのペースで交易の飛空船、5〜6週間に一回ほどのペースで交易の船舶が来る事、そして、月齢が始まる夜、ジオは目当てにしたソレが行われているとわかった。 見せ物は実在したのだ。
35
見せ物があるという日の夕暮れ。少年は、寺に忍び込んだ。
寺の各所には、大きな、ラシャのような厚みのある、輪廻応報のなんたるかを概説する規則的な5x5の図案が25個まとまった宗教芸術が柱にかけてあった。経典の内容に応じているのか、同じ構成で差異のあるものがいくつもある。
少年はこれらのいくつかに、図に紛れるように、十得プライヤーのキリで覗き穴を開けて、敷地内を身を隠しながら盗み見みできる、いくつかの視界を確保した。
そして月齢の始まる夜。十数名の男どもと、比して少数の年増女が下卑た笑みを暗闇に浮かべて、輪廻応報寺院の講堂の前にランタンを持ち寄って集まった。
見せ物の客は、くじ引きか何かで決められているようで、少年が思っていたよりも、また村々の人口と比してずっと少なかった。
持ち寄ったランタンに加えていくつもの篝火が講堂の前の広場を照らす。
貴族の汚れ仕事を生業にする穢族階級の男が、もったいぶった2本の長い鎖を引いて講堂の奥から現れた。
腹が膨らんでいた。最初は肥満かと思ったらが勝手が違う。なんらかの疾患を抱えているようで呼吸はかすれていて、荒い。
何か喋り出す度に、アッアッアッと、何かに呼吸を阻まれているかのような、嗚咽のような仕草があった。
髪は手入れされた不釣り合いにも綺麗な長髪だったが、口髭はなかった。おそらく、貴族や屠殺仕事の手前、生やさない決まりでもあるのだろう。
口元は貪欲な印象を与える。カエルのような横一文字を切っている。いちご鼻に、疾患に伴い濁った黄疸の目をしている。
一方の鎖の先に、やけに弱々しい豚みたいな珍獣、少年にはそうとしか形容しようがない。そして、もう一方に白いを被せた、小柄な人間を、犬のように歩かせていた。
豚みたいなのを、篝火の台に鎖で括ると、小柄な人間の方を、講堂前の聴衆を集める広場の真ん中あたりまで引き連れた。
人間は、篝火と聴衆の灯すランタンで、できた光の輪の中心に立たされると、それが少女だとわかる。白い布はフードのように顔まで纏わいていて特徴は確認できない。
少女は、大人たちに言われるがまま両腕を頭の後ろで組み、足を肩幅ほどに広げた。
白い布が剥ぎ取られる。
少女はミュータントだった。一瞬ではあるが、光の輪の中で、青い髪に金色の瞳が妖しく輝いて見えた。
が、冷静、と言うよりも冷め切った感情で事の成り行き見定めようとしている少年以外が、彼女を見れば、まずその巨大で異常な傷の数々に、表情を見る前に、目を背けるだろう。
少女の胸には、襷掛けのように抉られた傷。右の乳房は縦に裂かれ、左と合わせて大、小、中乳房になっていた。
左の乳房は形容し難い凹凸に蝕まれ、臍は切り取られ内臓の形が皮膚越しに見えた。
他、正常な感覚なら目を背けたくなるような、少女の身に加えられた暴虐の仔細は、ランタンと篝火が作る傷の影と、夜の闇が隠していた。
まともな感性の人間ならば、憐れみよりも、目を背けたくなるような、猟奇と邪淫のえじきとなった肉体。
少年は、見せ物が月に一度しか行われないことに合点がいった。肉体負担が大きいので月一回しかできないのだ。
手足と、顔は無事だった。加えて、驚くべきことに、少年は彼女ほどの美人を見たことがなかった。
厳密な話をすれば、3年前、売り手が逆に見つからないという異常事態になった奴隷の少女美しさは覚えていた。しかし、成長を重ねた今、その魅力はさらに増して少年には映った。
徐々に勢いを増す篝火と揺れるランタンの橙色に混じって、特徴的な美しい青髪と金色の眼が、シルクや宝石に勝る光沢を強めていく。
夜の闇よりもどす黒い、この場の邪悪な瘴気と、苦しんで生かすべく工夫された傷の数々の中に、唯一、少無表情な女の相貌が、美を顕現していた。
その傷だらけの肉体に、編み込まれた一本鞭が、稲光のように走った。
もはやこれが、おさだまりの開幕となっているようで、聴衆どもは薄ら笑いを浮かべているだけだ。
反して少女の顔は、次第に憎悪へ狂っていた。苦痛に抗い白目を向き、悲鳴を上げるどころか、はっきりと恨み言を述べている。
讃えることのできる狂気の精神性、それを宿し加虐されるつづける壊れ果てた肉体は、少女の生命の強靭さを異様な迫力で、宗教絵画越しに覗き魅入る少年に訴えた。
少年は、ここまで見た何よりも、それがとても気に入って、この少女奴隷を奪う決心をつける。
そして彼は、その場を静かに去った。後で起こる事は、彼は直視する気にはなれなかった。老いさばらえた豚のようなのと何をさせられるのかについては検討がついたし、彼女に会う決心をしていると言うのに、陵辱の限りを尽くされる姿を見るわけにもいくまい、と考えたのだ。
次の夜、少年は、少女奴隷を嬲り飼いにしている穢族の屋敷に忍び込んだ。
侵入は容易だった。使用人が窓を開けて眠っており、まさか人が入れば気づくだろうと当の使用人は寝息を立てていたのだが、人攫いだった少年は音も立てずにそこから、屋敷の廊下へと侵入した。
つらつらと廊下を渡る少年。屋敷の内装は、豪華な生活をしているであろう領主、つまり貴族への当てつけだろうか?シンプルかつ無駄のないつくりだった。
滑らかな漆喰の壁に一切の装飾のない空の燭台が規則的にならんでいる。そのせいで暗がりであっても実際よりも広く感じるように造られている。
全てが寝入った、この無機質な内装の屋敷に、両親との死別以来、普段感じたことない孤独感のようなものを少年は感じていた。だが、それは意外な声によってかき消された。
「夜這いなら、家間違えてるぜ、色男」と、背後から気配を消して、何者かが蠱惑的な声をかけてきた。
少年は、驚く声を押し殺して、背後の存在から飛び跳ねて持ってきた拳銃に指をかけた。
気配も無く声をかけてきたのは、なんと目当ての少女奴隷だった。茶色い革のスリッパに、ゴワゴワとした自己主張の激しい毒々しい紫色のバスローブ身につけていた。かといって湯浴みの後という様子はなく部屋着らしい。
キャスターの付いた点滴台、チューブは腕に繋がっている。これを押して、果実酒の入った瓶をラッパ飲みして屋敷の中を徘徊していたようだ。
少年はてっきり、この手の奴隷は部屋に引き篭って、陵辱と拷問の傷の痛みに咽び泣いているかと思い込んでいた。
目の前の少女奴隷は、深夜の屋敷にて、我が物顔で酒を嗜み、あまつさせ、市井に溶け込む擬態を解いている凶悪な相の侵入者である少年に、冗談まで言い放っているのだ。
「私が怖くないの?」ローブの胸元はだけさせ、3つに割かれた乳房を見せる少女。さっきの脅かしているつもりだったらしい。夜の屋敷の薄暗い中、はだけたローブから傷はあまり見えず、蠱惑的な声に当てられて、少年には青い髪と金色の眼がキラキラしているように見えた。
「戦士の古傷を憐れむのは無礼だ」
少年は、拳銃にかけた指を解き、空になった両手を広げて肩をすくめて言った。これはバーニングムーン団の傷病兵への訓示だった。
「なによそれ?まぁいいわ。よかったな、喜びな。屋敷の奴らは寝入ってるこの時間、屋敷は私のもんだよ」
俺はクールな夜の帝王〜♪
俺は虎♪ストリートを駆けるタイガ〜♪
少女は、妙な歌を口ずさんで、点滴を引き連れて歌いながら、少年を自分の部屋に招き入れた。部屋は半地下で、天井付近の小さな鉄格子が、月齢若い、闇夜を割くような月光に照らされいた。
少女は自室ランプに火を灯す。少女の体は包帯に覆われていた。先日の見せ物の傷の為だろう。先ほど、胸をはだけさせていたのは、果実酒で体が火照ったのか、そこだけ自ら解いていたようだった。
8平米ほどの部屋には、そこそこ上等なベッド一式と書記台。そして本棚があった。
「バラバラのぬいぐるみや、ダーツの的にした動物の死体がぶる下がってるのとか期待してた〜?」
少女はニタニタと、少年の顔を覗き込みながら言う。
部屋の壁の1辺の半分を本棚の高さは覆う天井まであり、ランプの明かりだけでは少年には把握できないが、200冊以上かつ、本のジャンルは満遍なくあるように見えた。
「顔が手付かずなのは、この賢くてかわいい顔が歪むのが見たいから。本を与えられたのは、恨み言の語彙を増やして欲しいからよ。まったく、いい趣味してると思わないかい?」
ウフフと笑い声を漏らしながら、果実酒を口に含む少女。
少女はラッパ飲みにしていた瓶を少年に勧める。
少年は固めの盃と受け取り、これを受け入れた。
少女はベッドに腰掛け、少年はそれを見下ろすように立つ。
「君を連れて行きたい。賊を襲う賊をやりたいんだ。平和な暮らしとは程遠いから、その、無理にとは言わない。話を聞いて欲しい」
少年は少女の意思は尊重するつもりのような口ぶりだが、こんな苦痛に満ちた生活終わらせたいに決まっていると踏んでおり誠意には欠ける。
「へ・い・わ?」
少女はクックックと、陰気な笑いを見せる。
「こちとら戦士だぜ?それもただの戦士じゃない。復讐に燃える囚われの姫騎士様だ。パーティーに加えたきゃ、クエストをこなしてくれたもれ」
骨董品の、聖剣とか魔法がでてくるゲームに表示されるテキストのようなのをのたまった。
「穢族のデブ……なのかアレ?奴を殺せばいいのか?」と、少年。
「バカか。お前が殺してどうするんだ?この私が、殺すのさ」
胸に手を当てて、目を細め、獲物を前に舌なめずりでも始めそうな微笑を見せる。
「なるべく惨たらしくね!」
微笑みが裂け、糸を引きながら、白く美しいが、カミソリみたいに見える歯を覗かせる
すぐ側にいる少年は、自分が、彼女がすでに決めてある殺し方の向こうに佇んでいるのが分かった。
「ただ、あれが、ただのデブじゃないってのは勘がいいね。あいつの腹には、私が見つけて、食事に放り込んだ寄生虫が、つがいで、はらわたを食っている。苦しんで死んでいく事を期待したんだけど、ところがどっこい、ゴミムシ同士意気投合しちまったのかかれこれもう1年。大家族っつーか一族郎党居ついちゃって、あんな状態のまま生きているんだよ」
少女は本棚の書記台からすぐ取り出せる位置にあった本を取り出した。生物、特に人に害を為す生物についてが記載されているらしい本で、少年に表紙が見えるように掲げた。
「お前、何人も殺してるんだろ?今の、虫が内臓食ってるって話もさ、ちゃんとイメージできているんだろ?かわいい顔してるのにさ、ゾクゾクする」
だらしのない笑み。私は下品な女です。これは凄みを持たせようと芝居がかっていた。こんな事をあえてやるのは相当ナルシストだろうと少年は思っていた。
と、同時に、気持ちの悪いような、むずがゆいような、居心地の悪い気分になった。親以外、自分の顔について言及されたことがなかったからだ。
「この島が、豊かなのは、水源があるからで、それを輸出までやってる。ただ、その調査は、底なし沼がそこかしこにあるせいで、進んでいない。把握はしてるんだろうけど、農奴には教えていないし、記録らしいのは存在していないわ」
次いで少女は、ランプで部屋に貼ってある、抽象的な島の地図みたいなのの、水源があればこのあたりだと思われ山麓に指を当てて言った。
「底なし沼のどれかに、ホタルとかいう夜光虫の里になってるシャバシャバした沼を見つけて欲しいの。そこで始末をつけたい。水源もできれば。殺すのは2、3日じゃすまないので当座の食料も用意して頂戴。そしたら、体は空くからさ。持っていって好きにしていいよ?」
少年は依頼を引き受けて、屋敷を去った。少年は、しばらく心のどこかを呆気にとられていたままだった。もっと陰湿で凶暴な魂を想定していたのだが。少女奴隷は常に妖艶な高級娼婦のように堂々としていた。色気というよりも寒気のある妖気と陽気な殺気であはあったが。
少年は、水源と夜光虫の里を陽が登ると共に翌朝から捜索を開始した。
底なし沼に気をつけながら、少女奴隷の示した地図と、上空から接近した時の記憶。そしてこれまで襲撃した島々の地形に対しての見聞を絡めて、二日目には、水源に近いであろう夜光虫の里を探しあてる事はできた。
夜になって、そこで夜光虫が、水中で黄色、空中で緑に発光する様を見て確認を終える。
次いで、夜のうちに、乗り付けた飛空船から食料と、タープや寝袋を持ち込んだ。
「夜光虫の里を発見、側にキャンプを用意、水源はこれから探す」という旨を、余白をたっぷり残した紙に書く。
夜が明ける前に、少年は村に戻り、穢族の屋敷へ。少女奴隷の居る半地下の部屋の小さな鉄格子に、丸めたその紙を投げ入れる。
ランプの光が鉄格子から漏れ出し、ややあると少女は、余白は用いず、あらかじめ用意していたであろう、日記帳の切れ端から作った文を、鉄格子の外の少年に投げ返した。
内容は、少女の主人である穢族の男を拉致する計画の詳細。これは少年の予想通り。決行日は、本日の夜となっていた。
もう一つ、穢族の男を、沼に沈め切らないように浮環、つまり浮き輪を港から、芝ソリでも荷車でも街から、盗んでこいという内容だった。
穢族の男は、寄生虫が体内で繁殖してからは、一階に寝室を移してそこで眠っている。
少女奴隷が、自分の身体に用いる鎮痛、鎮静剤を、この男が寝酒を煽る酒瓶に仕込んでおいて、大人しく眠ってもらうという寸法であった。
その部屋からの脱出は、窓を割らずとも、ガラス戸は内側から簡単に開く上に、テラスにつながり窓に外に出られる。
とのことだった。
少年は「庭からあの巨体を運ぶ足跡や車輪の跡はどうするんだ?」と裏面に書いて格子の隙間に入れた。
ややあって、少年が最初に入れた紙切れの余白に、答えを書いて少女は少年によこした。
「ミュータントには超能力がある。私の能力は、自由自在に油を作ることだ。すぐに蒸発する潤滑油を作れるようになった、どうにかなる」と。
少年はややおいてから短くこう書いて少女によこした。
「こちらも偽装を施す。この前と同じ時間に、部屋に行く」と。
少年はすぐに港に向かい、朝のうちに浮環を調達し、後々に編成されるであろう捜索隊を撹乱させために、漁船の舵を固定し、安全装置を壊して、船体に小さな穴をあけて、スクリューを作動させて、彼方へと送り出した。
芝ソリと荷車を両方、農作小屋から盗んだ。
最初に芝ソリの跡、少女いう潤滑油とやらで、消して、途中からは車輪のついた荷車で運ぶ。
少年は屋敷から始まる芝ソリの終点を決めておいて、そこから、荷車に100kgほどの土を乗せて、夜までの間、人知れず、2条の出鱈目な行き先をの轍を作っておいた。
そして夜。少年は先日と同じく、無防備な使用人の部屋から侵入し、半地下の奴隷の少女の部屋の前にたどりつく。
扉をそっと開けると、少女はベッドに腰掛けて待っていた。
頭に懐中電灯を2本くくりつけていた。この島では貴重なソレで、まるで鬼か悪魔に扮しているようだ。
先日とは打って変わって、白のバスローブを纏う。弾帯のようにした腰道具入れを巻いていた。足にはズック靴に加えて、包帯を軍靴のように固めたゲートルを作っていた。紐で覆った油壺と、帯をつないだ鉞(まさかり)を襷掛けにして肩から下げていた。
奴隷の少女が、これから引き起こす邪悪を微塵も感じさせない屈託のない笑顔で、少年を迎え入れた。
「よう、待ってたぜ。今日はぶっとんだ日になる」
少女に少年は返答する。
「気合い入れていこう」
そこから先は少女の作戦通りに事が運んだ。
寝室に忍び込むや、眠るというよりも意識を失っている男を緊縛し、口を塞いだ。それでもまだ鎮静剤の左様で意識が微睡んだままだった。
ガラス戸を開き、少年があらかじめ用意しておいた、芝ソリに、虫が住まう男の巨漢を乗せてしまうと、少年がソリを押し、少女は、油を撒きながらソリを引いて、屋敷を去った。
穢族の男は夜が明ける頃には、浮環と木の枝で作られた首枷で、首から上を水面から出された状態で、少女がホタルと呼ぶ夜光虫の住まう沼に沈められていた。
男の首にチューブが注がれていた。そばで浮いているフロートの上部で吊るされた点滴と繋がっている。
「パァーパァー!痛みは感じなくなると。与えたくなるのよ?」
少女の左の乳房は、すでに虫食いの孔や突起でボロボロにされた痕が残っていた。そこに、夜光虫の幼虫を這わせて、それが、柔らかい肌をすぐに食い破り、肥沃な脂肉を含む膨らみの中に流れるように入っていくのを見せつけていた。
それから一週間ほどかけて、主人が夜行中に食われて死に絶えるのを、少女は主人を笑いながら罵倒して眺めていた。
夜になると、絵を描いていた。今日、どこまで夜光虫の餌になっているかの想像図だ。
早朝になると、沼に顔だけ浮かべ弱りきっている主人に、それを見せて、一日中罵倒していた。
少年は、昼間、水源の調査行っていた。同時に、街の様子も望遠鏡を使って遠巻きに観察する。
捜索隊の接近と規模についてもそうだが、少年は、良い機会なので、以前から試したかった実験行う。
無人島生活で活用していた、狩猟用の罠を、人間相手に使うことだ。
罠は多種多様に沼地の近くに設置し、罠という人間の手が加わった明らかな痕跡を隠蔽するために、犠牲者はすぐさま、捕えられ、革の布で顔を塞がれ窒息死させられて、底なし沼に捨てていった。
村人から解釈して、捜索に駆り出された男手が、底なし沼に嵌って10人ほど命を失ったとなると、操作は打ち切られ、病を苦に、島から船を盗んで、穢族の長は島から出て行ったという結論で落ち着いた。失踪してから五日後のことであった。
少年と少女が、ホタル沼でキャンプを始めてから1週間が経つ。
すでに死んでいた男の遺体の目玉から夜光虫の幼体が食い破って出てくると、少女はようやく涙を流し、少年に慰めを求めたのだった。少年はそれに、臆することもなく、ただただ応じた。
閨事の中で、少年は、この島の水源を見つける事ができたことを伝えた。
その夜。飛空船で島を去る前に、少年と少女は、穢族の死体を切り刻んだ。
夜光虫の幼虫と、寄生虫がびっしりと詰まったソレを、島の水源にばらまいた。
「たんとお食べ!」
キャハハ キャハハと、ミュータントの少女は飛空船の狭い操縦席の中、少年の膝の上に乗り、狂った本性そのまま身を捩らせて笑っていた。
ミュータントの少女を見世物にしてきた野蛮な村人たちは、膨張する寄生虫の苗床として、少年と少女が去ってから3年過ぎた今も、数を減らしながらも、未だに生き延びているらしい。
少女は、貴族どもも僧侶も、水源の信用失墜と膨張する領民によって、困窮し不安を苦に自殺するだろうとその先を読んでいた。
そう、恐怖は人を生かすが、不安は人を殺せる。少年が、故郷の先人から学んだ事を、少女は独学でたどり着いていた事に、少年は大いに関心した。
「私のこと、とんでもない奴だと思ってでしょ?」
「いや?お前のような鬼畜を探していた」
36
ジオには検討がついている。人間(ミュータントを含む)の限界を超えたナルシストのエリーが、自身の権能、バッドテイストで、わざわざ年齢を加齢した変装を行なうのは、おおかた余計な殺しをしこたま堪能し、それが、2人で立てた計画の外の出来事だった時だ。
アジトに戻ったエリーは体内の脂肪分を30代の女性のものに変質させていた。悪目立ちすると判断したエリーは、元来た道、というよりも家屋を通って、血まみれの薄衣から、自動車整備のガレージらしい場所で見つけた黄色い繋ぎに着替えていた。
薄衣は、そばにあった廃油缶に放ってやって証拠のとりあずの隠蔽を図った。
「随分遅かったな、何か拾い食いでもしていたのか?」
「いや……お腹ぺこぺこよ……」
アジトを嗅ぎつけられるようなヘマはしていないだろうが、時間的余裕、バッファがなくなりつつあるフライングギロチン強奪作戦の破綻を招きかねないエリーの単独行動に嫌味を交えるジオ。
「遅くなったのは悪いって。あとで話すけど塹壕教会のクソボケどもが乱入してきてさー、こっちまで殺されそうになったんだよ。それに、若い変装はこの街で一回見せちまってるから、さ、その……」
文字通り老け込んだ顔に、人生(ミュータント含む)と世界を舐め腐った不愉快な笑い声は伴わない。
帰ってくるなりスキンヘッドになっていた、ジオのゴム靴底のような顔面に埒が明かないと考えたエリーは、ジオに、金のロケットを投げ渡した。
咄嗟にそれをキャッチしたジオは、ロケットが本物の金であるかどうか鑑定する眼差しになり、エリーを一瞥すると、「お前いい女だよ」と、断独行動の件を不問にした。
エリーが嘘をついているのは分かっていたが、ジオの方も埒があかないと思っていたので、この辺で追求を止めることにした。
ジオがエリー・マリスキュラを相棒にして3年が経つ。
頭の良かった彼女は、ジオと同じかそれ以上に仕事をこなすようになっている。
問題は、エリーは人を殺める事を目的としている節がある事だった。
ジオは何人殺そうが、どうとでもなれという心境だが、いつかエリーが、判断を誤って死んでしまうのではないかという不安がジオには付き纏っていた。
「殺し方を毎回変えろ、こだわりを持つと、人間は脅威を類型化したがる。そして、こちらの足をつけてくる」と、猟奇嗜好に目を瞑るとして、ジオはエリーに、このように厳命していた。
だが、ジオの意に反して、殺しのバリエーションが豊かになってしまったエリー。最近に至っては、手にかけた、死者の状態や配置を「芸術である」と言い張っている。
加えて人を殺す事だけでなく、犯行現場を推理される事を楽しんでいるらしい。自分自身が殺人を構成する重要なピースと考えている。
この奇妙な嗜好には、興味がないジオを外してさえいる。
写真も何も入っていないロケットがいよいよ純金製だと確信したジオは、腰にいつも巻きつけている、それ自体がいくつかの収納になってる帯に仕舞い込む。日頃、宝石や貴金属を隠してあるのはここで、昨日殺めた神能会の老人構成員の金時計も入っていた。
エリーは肌に血濡れが残ったまま、ロケットの中から抜いておいた写真を、日記の端にノリで貼り付けた。
「湯を沸かしてある。さっさと血を洗え」
ジオはぶっきらぼうにエリー言うと、ビームブラスターと、ビット兵器の分解分析作業を再開した。
エリーが湯を汲もうと、かまどに向かう。かまどは2口ありそれぞれが鍋を火にかけていた。
一つは湯を煮ており、もう一つは食材を煮て、近くには、これから加えられる食材が据えられていた。食材は、明らかにこの家にあったものの中で、もっとも高価な物が選ばれていた。
「今日、メィ・ディをやるのね?」状況が逼迫した事を悟るエリー。
「説明はあとだ、11:30には、ここを一度出るぞ」
つばを飲んだエリーはタライに湯を張って、沐浴で、血を拭う。持ち運ぶには不便な大きなバスタオルを、なんの感慨もなく、まとわりついた液体を拭い取り、にかわのようにして使い潰した。
「エリー、服はそのまま、ツナギのままが都合がいい」
ジオは対象の分解と分析を終えて、用意した食材を全てかまどの鍋に注いだ。
沐浴を終えたエリーは、室内の大きなテーブルの椅子に腰掛けた。古傷だらけのえぐれた体にパンツ一丁、隠す必要があるのか本人に羞恥心に似たようなのがあるのかは定かではないが、大凡、普通の人間の女の乳房を隠すようにハンドタオルを首から下げている。顔はバッドテイストの権能を解除して、実年齢相応の脂肪成分にもどっていた。
ジオが、スープを大盛りにしたドンブリを2つ持ってきた。中身は、ダイスカットベーコンと柔らかい豆、特産品のフレッシュスパイスと高級ドライハーブを組み合わせた、贅沢品だった。
2人は円卓で向かい合う訳はなく、肩を並べて、この豪華な食事を取る。
エリーは、スープを飲みながら移動裁判所の結果と、フライングギロチンの詳細をジオに伝えた。
「なんかすごいプロペラみたいなのがポンポンポンポン景気良く首を刎ねていったの!スーパーボールみたいにピョンピョン生首がどっかいってた!」
「デカバイク、ありゃ帝国軍の正規品だね、デカバイクがブロロロロってロケットランチャー構えた騎士っぽいのがドカーン!バコーン!ってゴクドー大虐殺してた!あと馬、マジで馬もいた!いかにもな兵隊が乗ってた!」
「でね!ギロチンの刃が全部まとまって、禽にバコーン!って入っていったら、背中に乗って奴がグチャグチャはらわたのヌードルみたいになって、もう笑うしかなかった!」
だいたいこんな感じなので、ジオでなければ内容は理解できない。
擬音の使いどころに統一性があるので、即興で擬音混じりの内容を喋っていても、ジオであれば理解できるのだ。
ジオは無線の盗聴に成功していたので、塹壕教会の虐殺部隊と交戦していたことは知っていたが、想定以上に大掛かりかりな上に、司教の救出に成功した事に驚いた。
なにより、きちんとエリーはフライングギロチンの攻撃パターンを網羅してきた事に喜んだ。
一方で、ジオは、淡々と、アジトで何が起こったのか。何時までに、なんのタスクを終えねばならないのかを、一部始終を擬音混じりで説明し終えたエリーに伝えていく。
ジオのスキンヘッドも、エリーが分がツナギ姿の方がいい理由も、ここでエリーは合点した。
「牢屋が墓穴になったってか?」
ケケケといいながら、エリーはスープの具を咀嚼している間、ジオの言っている事をメモに拾う。
これはジオの怠慢ではない、ジオは字が壊滅しているので、指示書を書かせると計画に支障をきたしてしまう。
この男の立てる計画の、大筋の合理性は天才的に高いのだが、素人同然のケアレスミスや、普通の人間なら配慮できるところをしていないなど、細かい修正が必要なため、エリーがチェックする為である。
「ところでミザリーは?」と、エリー。
ジオの話の中で、ミザリーの話が全くなかったためだ。こういうところが、先のジオの抜けているところの典型と言っていい。
「下でポン引きを痛ぶってる」と、ジオ。
「なんで?」エリーは眉間に皺を寄せ始める。
「あの野郎、トサカにくることをぬかしたから、ついカッとなって、ミザリーに引き渡しちまった」と、ジオ。
やや、間があってジオが再び口を開いた。
「あ、いけね」
エリーはジオが、頭に血が登って、何もかもテキトーにミザリーに委ねてしまったと悟る。
「なにやってんだよ!人の事、帰ってくるなり、睨みつけておいて何よそれ!」
スプーンを置き、テーブルを離れるエリー。
ジオはいそいそと、幾分かの申し訳無さを、顔に出して、すく側のウィンチの操作盤に向かった。
「あの野郎が死んじまったら、代わりにミザリーを矢面に出さなきゃいけなくなる」と、ボソボソと言うジオ。
「嫌よ!そんなの可哀想よ!今からでも止めようよ」と、エリー。
2人のドンブリの中のスープはほとんど具になっていて、溢れる心配はない。二つのどんぶりを乗せたまま、ジオはウインチを操作して、テーブルの芯を貫いている鉄環に引っ掛けて、地下牢への蓋を解放した。
懐中電灯で、地下牢を照らそうとしたが、すでにランタンが灯っていた。ジオが殺した3人の死体も照らされている。縦穴の中は相当に血生臭いはずだが、2人はそれを感じていない。
ジオは捕らえたギャングの手足を万力で砕いていたのは確かだが、念のために、ジオもエリーも7.5mm拳銃を携える。
拘束されているギャングはともかくとして、ミザリーの方にも動きがなく、自ずと蹲っているようだった。
ジオとエリーは縄梯子降ろして、縦穴の底に居る拘束椅子に収まるギャングとミザリーの側にそそくさと近づく。
ミザリーは咽び泣いていた。
ギャングはミザリーによって、ノコギリで左の頬を引き裂かれていた。
ギャングは、か細い声で「許してくれ」と、ボソリボソリと呟いていた。
ミザリーは、かつての抗争の際に、本来人間に向けて撃つべきではない、9mm膨張弾で顔を引き裂かれた。夫も重傷を負った挙句に、後日、ギロチンで殺された。
その張本人と思われる、目の前のギャング、クロードの顔を引き裂いたのも束の間、自身の身に起こったことをフラッシュバックして泣きじゃくっていたのだった。
だったのだが、彼女の主人たる人面獣心の外道どもは、ヘラヘラとしていた。
「よかったよかった。なにが起こったかわからないが、なにもかもちょうどいい塩梅に収まってるぞ」
ジオは傷つけ合う男女の惨状を目の当たりにして剣呑どころか、呑気になって言った。奴隷の心境など一切気にもかけず、ギャングが想定上に元気だった事に安堵した。
エリーはというと、慟哭するミザリーの背中をなでつつ、クロードが過去を悔いているのが心底愉快でギャハハハと笑っている。
「ごめんで済んだら、ギロチンは、いらないっつーの!」
ミザリーの呼吸が落ち着くと、ゲラゲラと笑いながらエリーは、ギャングの首にチョップのような動作で、壊れたレコードのように、「許してくれ」と無心で繰り返す、朦朧としていた意識を刈り取った。
「おあつらえ向き?おあつらえ向きであってるか?まあいいわ、男前が上がってるよ!あんたは、英雄になるんだ!生き残りとしてな!」と、エリー。
「おい、喋りすぎるな、意識が戻るかもしれない」とジオ。
「大丈夫、気絶しているよ」
ジオとエリーの真の思惑は、神能会のSPACを全て、奪う事ではなない。
たった一つ、フライングギロチンを奪い、その後、自分たちが、ジェンガ島内に潜伏していると思い込ませた上で、島を脱出する事にあった。
目の前のギャング、クロードは、幾分かの情報を補完する為にも拷問するのだが、なによりも、痛めつけて、苦しませることで、自分の得た情報にこだわらせる為に追い込む。
昨晩、ジオとエリー、ミザリーが捕らえたギャング、クロードに対して部屋の照明をつけて、部屋の様子を見せつけたのは、完全に、意図的に、わざと部屋を見せつけたのだ。
照明を点けた事を叱責したジオの罵声は、演技だった。架空の神能会幹部全員の暗殺を仄めかす室内の様子を、脳裏に焼き付けさせたのだ。
ギャング、クロードは、移動裁判所と特別行動隊の抗争により空前の大惨事となった騒乱を引き起こしたジオとエリーの側にいて、生き残ったヒーローとなる。
その強弁は、神能会のSPAC所持者、幹部たちの命を狙うSPACフライングギロチンを携えた2人組がジェンガ島に潜伏していると強く訴えるだろう。
この竹工房は燃やしてしまう予定だ。
ジオが、憎きマルタミの寄港を喜んだのは、棄民、難民、身売りに紛れて脱出するには、彼らの奴隷船はもってこいだったからだ。別の逃走手段を考えていたが、こちらに紛れ込む方が確実だった。
こうした、様々な条件が、今日、この日をもって朱雀組組長角町赫奕、メイ・ディの命とフライングギロチンを奪う算段をつけた。
全ては壊れる定め。ならば、壊れるまえに全て利用する。
全てを生き残るために、全てを生の喜びのために、全てを快楽のために、全てを己(ジオ)のために。
©2024 にいたに たいし
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