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角川武蔵野ミュージアムへ行ってみた(前編)小学生を笑顔にしたツタンカーメンの思い出
【ツタンカーメンに振り回された小学生】
「世界ふしぎ発見!」にかぶれた少年時代の私は「ツタンカーメン」という言葉を使いたがっていた。
早めの厨二病のようなもので、同級生が知らない言葉を自慢したかったのだろう。
ある日、生徒が出した言葉をランダムにつなぎ合わせて文章を作るというゲームをクラスでやることになった。
チャンス到来!!!
もちろん、私は「ツタンカーメン」と書いた紙を提出した。
クラスメイトたちの言葉のパッチワークで支離滅裂な文章が出来上がり、そのたびに笑いが起こる。
椅子から転げ落ちそうになって笑っている子もいる。
そして面白い言葉や知らない言葉が出ると、好奇心旺盛な子が「誰が書いたん?」とニコニコしながら犯人を探すのだ。
あとは、読み上げられるのを待って「ツタンカーメンって何?」「誰が書いたん?」と聞かれるのを待つだけである。
私はクラスの中でも明るい方だったので、おそらく意味不明な言葉でも滑ること無く笑ってもらえるという打算もあった。
勝負!!
「つったかたっっかめーん?」
ん?
「ツッタカタッカーメーン??」
おいおいおいおい!!!
読み上げ役の女の子が噛んでしまったのだ!!!
後に私立の中学に進んだ優秀な女の子だったが、慣れない言葉は舌をもつれさせている。
ざわざわ・・ざわざわ・・
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「ツッタカタッカーメン??こんなん読めるか!!(笑)」
奇跡的にツタンカーメンはユーモラスな謎の言葉に変身し、その破天荒な発音には誰も耐えられなかった。
どっ
今日一番の爆笑がクラスを揺るがした。
「ぎゃははははははははは(笑)」
![](https://assets.st-note.com/img/1728388953-eS4rka1fLyjNdz893MsDXxuV.jpg)
私の「ツタンカーメン」という言葉をクラスにぶちこみ、知性をアピールしようした計画は破綻した。
しかし、あまりに予想外の出来事に腹を抱えて笑ってしまった。
ツタンカーメンは日本の小学生には慣れない言葉だったのだ。
【「ツタンカーメン」の誕生名は「ツタンカーテン」?】
ツタンカーメンが生きたのは紀元前1341年から紀元前1323年の間だと言われる。
今から3300年以上前に10代で亡くなった少年王ということになる。
神武天皇より前の人物だと考えると、その古さが身にしみるようだ。
そして、ツタンカーメン王も亡くなった3300年後に異国の子どもたちの話題になっているなんて想像もしなかっただろう。
ツタンカーメンと言う語感は、異国の私達になんだかユーモラスな印象を抱かせる。
「ツタンカーメン」を正しく言うと「トゥト・アンク・アメン」となり、「アメン神に生き写し」という意味になる。
ややこしいことに誕生名は「トゥト・アンク・アテン」で「アテン神に生き写し」だったのだという。
つまり生まれた時は「ツタンカーテン」だったのだ。
これは世界史で習った世界初の宗教改革「アマルナ改革」、そしてその実行者がツタンカーメンの父・アメンホテプ4世だったことから来ている。
【アメンかアテンか・・・】
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アメン神はもともとテーベで信仰される大気の神、豊穣の神で、失礼だがあまり目立つ神様ではなかったという。
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しかし、テーベが都となり、さらに太陽の神「ラー」と一体化して「アメン・ラー」信仰となった時に、エジプトでも最高の神として信仰されるようになった。
アメン・ラー信仰が広がると、同時にアメン神官の権力が拡大し、ファラオよりも強大な権限を持つことが懸念されていた。
そこで登場したのがアメンホテプ4世、世界初の宗教改革を行うことで秩序を再構築しようと試みた。
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どうでもいい話だが、大学の後輩に顔が細長い男がいて、世界史の資料集にあるアメンホテプ4世にそっくりというので「イクナートン」と呼ばれていて、本人は嫌がっていた。
新潟出身の生粋の日本人なのに・・・
さて、話を戻す。
アメンホテプ4世は、
①アメン信仰のテーベから、新都アマルナへの遷都
②アテン信仰を広め、後にアメン信仰を禁じる
と即位から9年をかけて徐々に改革を強めていったという。
おそらくかなりのやり手だったのだろう。
ただ、「信仰」というのは権力や政治の前に、心の柔らかい部分であり、割り切れない部分のはずだ。
この「アメンホテプ(アメン神を信仰する者)4世」は「イクナートン(違う発音では『アクエンアテン』」=「アテン神を喜ばせる者」と名前を変えるまで頑張ったが、結局死後に元のアメン神に戻ってしまう。
そう、このアメンホテプ4世の子どもがツタンカーメン王であり、「アメン」か「アテン」かで揉めていた国情で、名前が「ツタンカーメン」だか「ツタンカーテン」だか揺れていたのだ。
大変な時代に生まれた挙げ句が、3300年後の子どもたちの笑顔につながったのかもしれない。
【河江肖剰氏監修の「ツタンカーメンの青春」】
テレビ出演も多い考古学者河江肖剰氏。
![](https://assets.st-note.com/img/1728390666-9VAZPYS26HnXgoNFKiyGk4Ch.jpg)
大東流合気柔術等の古武術で鍛えていたという。大学受験に失敗した際に
古武道の先生から、大学に行く動機を問われて、古代エジプトに興味があると話すと、エジプト行きを薦められた。
それでエジプトに飛び込んでしまうのが河江肖剰氏のすごいところだ。こういう元気な人は面白い。
YouTubeも結構面白いので、たまに見るようにしていた。
すると、角川武蔵野ミュージアムで「ツタンカーメンの青春」という特別展示(令和5年7月1日から11月20日)をやるといっているではないか。
「ツタンカーメン?」と思い出すのは小学生のセピア色の記憶。
悲劇の少年王と言われていたが、そんなツタンカーメンにも青春があったんだ!と思い、行こうと思い立った。
急遽、青梅に一緒に行ってもらった先輩を呼びつけて、角川武蔵野ミュージアムへ向かうことにした。