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「恋の病」を治すため「熊野」へ(熊野旅その11)~「熊野速玉大社」と「浮島の森」~



【前回までのあらすじ】


後輩が年末に患った「恋の病」。なかなか良くならない「恋の病」を治すため、年始早々に蘇りの聖地「熊野」を目指す男二人。道中様々なダメージを受けるが、蘇生伝説のある「つぼ湯」にて奇跡の復活を遂げるも、車を段差にぶつけて精神的ダメージを追ってしまう。
しかし、樟から産まれ直し、那智の滝水を飲んだことで超回復を果たし、ほぼ全回復することに成功したのだった。
残るは熊野三山、最後の「熊野速玉大社」である。

熊野那智大社から熊野速玉大社まで 30分強くらいか

【市街地の中に鎮座する熊野速玉大社】


「熊野本宮大社」「熊野那智大社」ともに人里離れた地にあり、神秘性を高めていたが、「熊野速玉大社」は新宮市の市街地に位置する。

熊野速玉大社と神倉神社

新宮市内の神倉山にはゴトビキ岩と呼ばれる巨岩が鎮座する。神代の頃、ゴトビキ岩に熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)が降臨した。この二柱は伊弉諾尊、伊邪那美命と考えられており、第12代景行天皇の御代に「熊野速玉大社」に勧請(かんじょう 神仏をお迎えすること)したとのこと。
だから市街地の中にあるのかー
そのため、神倉山の神倉神社を「元宮」、熊野速玉大社を「新宮」と呼ぶようになり、それが「新宮市」の由来である。

【沖縄に贈られた熊野速玉大社の梛】

世界遺産の石碑
社殿の後ろの木が・・・・

境内には御神木「梛(なぎ)」が有名だ。
この「梛」は樹高20メートルに近づくほど巨大で、平治の乱の戦勝に感謝して平重盛が手植えしたという伝承が残る。
香川の植木職人の山地義一さんはこの御神木の種から500本の苗を育て、沖縄県が祖国復帰したことを記念して、県下の小学校に植樹したのだという。すごい話だ。私は仕事で5年ほど沖縄でお世話になったが恥ずかしながら知らなかった。

【浮島の森へ】


新宮市には「浮島の森」という奇観がある。
島というものは水面に地形が飛び出したものだが、「浮島」は文字通り沼の中に島が浮いているのだ。
沼地に浮かぶ泥炭の上に植物が繁茂して、島のようになったもので、世界でも珍しい。

「浮島の森」 ※新宮市観光協会の写真

現在は水質悪化と埋め立てで動かなくなったが、戦前はふよふよ浮いて、風で移動していたというから不思議だ。

そもそも市街地にいきなりジャングルのような森が現れるんだから、その時点で不思議だ。
なんとここ110円で中を歩くことができる。

こんな通路を歩いていく。下は沼地
蛇の穴 「おいの伝説」が語り伝えられる

ジャングルの中を歩くようで、日本離れした光景だった。
途中に蛇の穴があり、「おいの伝説」が語られる。
「おい」という娘が、弁当の箸を忘れた父のために、代用品としてアカメガシワの枝を取りに来る。大蛇に襲われた「おい」が蛇の穴に引きずり込まれるのを見る父。この伝説を上田秋成は雨月物語「蛇性の婬」のモデルにしている。
なんでもない場所のように見えるが、ここにも歴史がある。

浮いているように見えなくもない

ゴトビキ岩のある神倉神社へは538段もの険しい石段を登らねばならないらしい。
だいぶ回復した後輩に「どうする?」と聞くと「次の機会にしましょ」とニッコリ爽やかに断られる。
そうだね、と新宮市を出るのだった。
旅の終わりがそろそろ近い。

(その12)伊勢神宮で旅の終わり

【後輩のライフポイント】


🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴◯ 9/10
滝壺の水で超回復したままの状態が続く

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