「熊野リベンジ!紀伊半島一周の旅」その6 死ぬかと思った神倉神社
【前回までのあらすじ】
クレソン後輩の希望に沿って、熊野を3年ぶりに巡ることになった私。3年前は回れなかったところを目指して、熊野リベンジに向かうのであった。
クレソン後輩の赤いヤリスクロスに乗り込み、1月2日の夜に名古屋から三重県津市に移動して一泊し、そして1月3日には本格的に熊野を目指すのだった。
発覚したクレソン後輩の頻尿癖はどんどん深刻になっていく。
そんな時限爆弾を背負ったまま、熊野三社の一角・熊野速玉大社にお参りして、もともとのお宮である神倉神社を目指すのであった。。
【神倉神社はどこだ】
神倉神社は熊野速玉大社から約1キロほど、車で行けば5分で行ける近さである。
しかし大きい道のそばにないためわかりにくい。
小道の奥にある感じで少し探した。
新宮市立神倉小学校のグラウンドと出雲大社教新宮教会のすぐそばにある。
駐車場も地方銀行の駐車場くらいの広さで決して広くないので、譲り合いが大切。
【公衆トイレを目指して小学校グラウンドに侵入する頻尿の男】
車を停めるなり、「石段を登る前にちょっとトイレに」と、また公衆トイレを見つけて走っていた頻尿後輩。
もちろん神倉神社に上がるまで時間がかかることを考慮して念の為にということだろうが、1時間おきくらいでトイレに行ってないか。病気ではないかと心配になる。
公衆トイレのある神倉小学校のグラウンドにドカドカ入っていく。
「おい、不法侵入者!」と言うも止まらない。
しかもトイレはグラウンドにあるものの、入口はグラウンド外にあるため入れないという。
慌ててグラウンドを飛び出して、トイレに入り直していた。
【神倉神社とは】
神倉小学校前の案内板がわかりやすかったのでしばし読む。
神倉神社に祀られるのは高倉下命であり、東征中の神武天皇を救った神様だ。
長脛彦に敗れた上に、熊野で悪神の毒気に苦しむ神武天皇のもとに神剣布都御魂をもたらした高倉下命。
これが神武天皇は力を取り戻し、橿原での即位につながっていく。
その高倉下命は天の磐盾と呼ばれる巨岩の上に鎮座する神倉神社におわすのである。
【石段を見上げるまでの平穏】
神倉小学校グラウンド横の道は小さな赤い橋につながっている。
橋とはしばし境界と言われるが、この橋を越えて神倉神社の境内に歩みを進める。
神倉神社をネットで検索すると15分ほどの石段を上りとあったので、まぁ少しキツイけど、大丈夫だろうと思っていた。
この時までは・・・・
【石段を登り始めた時の絶望】
石段の下には無料貸出の杖がある。
「そんなものいるかい!」と景気よく歩き出す。そして、この判断を後から後悔することになる。
下から石段を見上げてびっくりした。
石段と言っても、崩れた石垣のように不揃いの石が積み上げられている。
しかもえらく急である。
写真では普通の石段に見えるかもしれない。体感では見た目の3倍は急勾配で、上りにくい。
最初は格好つけて、足だけで登っていたが、後ろにひっくり返りそうで怖くなり、手も使ってよじ登っていくことになる。
まるで映画「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムのような四つん這いの歩き方で醜悪極まりないが、怖いんだから仕方ない。
「ひぃひぃひぃひぃ」「ぜぃぜぃぜぃぜぃ」
運動不足の体から出る呼吸音は壊れたエンジン音のようになってきた。
え?これが15分続くの?心が折れそうだ・・・・
ゆっくり登ればいいのだが、後輩の手前プライドをかけてヒィヒィ言いながらペースを護ってよじ登るしかない。
しばらく登ると、少し広いスペースがあった。
急勾配の石段は、この火神社・中ノ地蔵堂の前だけ少し広がっている。
ここの石に腰掛けて、しばし休憩。
「ブハァハァハァハァ オエッ ハァハァハァ」
深い呼吸をハイペースで何度もしていると吐きそうになった。
花の窟神社前で食べたうどんとめはり寿司が出てきそうだ。
頻尿後輩もまさかこれほどとは思っておらず、「ハァハァハァ、上まで行きますか?ハァハァハァ」と苦しそうだ。
でもここまで来たんだからやめるわけにはいかない。
「行こう!」
もはややけくそ気味に再登頂を開始すると、なんだか石段がゆるやかになっていた。
キツイのは一番最初の石段だったのだ。最初に一番ハードモードで心を折りに来るとは人が悪い。
滑りやすいところもあって注意深く登ったが、最初の絶望感と比べたら随分と楽に登ることができる。
それでも息切れしながら鳥居までたどり着いた。
【ゴトビキ岩の威容】
こんなキツい石段なのに、鳥居の周囲には年配の方や女性もいらっしゃってすごいと思った。
進んでいくと、社殿と御神体ゴトビキ岩が見えてくる。
お、おお、大きい・・・・距離があっても押しつぶされそうだ。
なんで山頂にこんな巨岩が・・・これは圧倒されますわ・・・
ゴトビキ岩の威容から、神武天皇を救った高倉下命の力を理屈抜きで実感する。
手を合わせて下を眺めると、新宮市が一望できた。
なんて良い眺めなんだろう。
新宮城も、徐福が漂着した伝説のある蓬莱山もここからは一望できる。
古代の人も同じように眺めていたのだろう。
会ったことも無い人と同じ体験、感動を共有していると思うと嬉しい。
【本当に怖いのは帰り道】
さて、ここまで読んできた人は記事の表題にある「死ぬかと思った」を見て、「そんなことないじゃない」「大げさだなぁ」と呆れられているかもしれない。
しかし本当に怖いのは帰り道、それも最初に四つん這いでよじ登った荒い石段を降りることなのだ。
一段、一段、できれば手足を使って降りたほうが良い。
石段の角度が不揃いのため、降りる勢いで頭から転げ落ちそうになるのだ。
この恐怖は降りたものしかわかるまい。
ここで後悔するのは、「なんで杖を持ってこなかったんだ!」ということ。
怖い、怖いと言いながら嘆きつつ、それでも降りるしか無い。
上がるのはキツイ、降りるのは怖い。それが神倉神社の石段だ。
鳥居近くまで降りてくると手すりになる石壁がある。
この石壁を掴んだ時の安心感は言いようもない。
情けないが、石壁にしがみつくように残りの石段を降りた。
あんなに怖い石段だったのに、写真で見ると普通に見えるから不思議だ。神倉神社には不思議な力があるとしか思えない。
【石段を駆け下りる祭りがある!!?】
社務所に行って御札を所望すると、「登ったの?」と聞かれる。
「登りました。思ったよりキツイし怖かったですよ」
「そうか、私は毎日登ってるけどねぇ」
ファッ!?結構年配に見えるこの方が毎日あれを登っているのか。
一気に尊敬の眼差しになった。
「怖い怖いって言うけど、一気に石段を駆け下りる祭りがあるんだよ」
「(´Д`)・・・・」
心底びっくりした。
駆け下りたら落ちて死ぬかもしれないでしょ・・
「駆け下りて大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃないけど、救急車も待機してやってるんだよ」
調べると「お燈まつり」という松明を持った男衆が駆け下りる祭りが出てきた。
信じられない・・諏訪大社の御柱祭でも思ったが、神事とはかくも予想を越えてくるのか。
その7へ続く
【後輩の頻尿メーター】
⚫️⚫️⚫️◯◯◯◯◯◯◯ 3/10
神倉神社へ上る前に済ましたので結構スッキリ。