「熊野リベンジ!紀伊半島一周の旅」その5 さざれ石が令和に現れた熊野速玉大社
【前回までのあらすじ】
クレソン後輩の希望に沿って、熊野を3年ぶりに巡ることになった私。3年前は回れなかったところを目指して、熊野リベンジに向かうのであった。
クレソン後輩の赤いヤリスクロスに乗り込み、1月2日の夜に名古屋から三重県津市に移動して一泊し、そして1月3日には本格的に熊野を目指すのだった。
そして発覚したクレソン後輩の頻尿癖がどんどん深刻になるのであった。
花の窟神社で腹ごしらえも済み、トイレにも行って、熊野三社の一角・熊野速玉大社を目指すのであった。
【車窓に広がるハワイのような光景】
花の窟神社が鎮座する熊野市から熊野速玉大社の新宮市までは約30分ほど。
車窓にはずっと日本一の砂礫海岸・七里御浜と青い海が眺められる。
見覚えのある陸橋が道路の上に見えてくる。
ここは3年前に立ち寄った道の駅パーク七里御浜に隣接する「黒潮橋」だ。
Keyの名作「Air」の舞台となった御浜町にテンションが上ったものだったが、今はとにかく先を急ぎたい。頻尿後輩も花の窟神社のトイレを使用したから快調そうだ。
突然ヤシの木が立ち並んでいるのが見えた。
「お、ちょっと休憩がてら見てみますか」
なんとなく惹かれるものがあって、駐車場に車を停めて降りてみる。
「七里御浜ふれあいビーチ」と呼ばれているようで、青い海にヤシの木が並んでいて、ここだけハワイのようだ。
凧揚げする子どもたちが見えてなんとものどか。
凧揚げをしているということは良い風が吹いているということ。ハワイと違って海風は寒い。
頻尿後輩はまたもや設置されている「トロピカルトイレ」に行き、急場をしのいだようだった。
七里御浜から見える光景は南国でありながらどこか寂しさが漂っている。
遠くの釣り人はまるで影絵のように見えた。
【新宮市に入る】
熊野速玉大社が鎮座する新宮市に入ったのは昼過ぎのことだった。
まだ1月3日の三が日のため人が多く歩いている。
地方都市では寂れるほど歩行者を見なくなるが、新宮市は活気があるということだろうか。
頻尿後輩は、「へー、新宮市って思ったより栄えていますね」と失礼なんだか賛辞なんだかわからない言葉を繰り返している。
新宮市の街並みの中に森のような一角が見え、そちらに進んでいく。
【熊野速玉大社に到着】
熊野速玉大社の駐車場は大混雑しており、神職(?)も総出で駐車場整理に取り組んでいた。
しばらく待って、駐車。
世界遺産とどかっとかかれた石が目立っている。
熊野速玉大社は、熊野本宮大社、熊野那智大社と並ぶ三社の一角であり、熊野権現が最初に降臨された地であるという。正確に言うと現在は摂社となっている山上の神倉神社に降臨されたのだが、景行天皇の御代に現在地に遷座したという。
景行天皇は英雄・日本武尊の父帝にあたる神代に近い時代の方なので、もはや違いがわからないほど古い。
手水をとって神門をくぐる。
神門の巨大な菊紋が輝いて見える。
知名度、広さからすれば、本殿は質素に見える。しかし原初の信仰が息づく熊野にふさわしいとも思える。
本殿の奥に聳える社叢は、まるで覆いかぶさってきそうな迫力で、人の営みを見守っているようにも見える。
【熊野詣でに取り組んだ皇室】
熊野詣とは民間でも人気で、かつてはその盛況さを「蟻の熊野詣」と言われたらしい。
民間でもこれほどならば清浄さを重んじる皇室ではどうだったのか。
説明板には「中世、宇多上皇(第59代天皇)の延喜7年(西暦907年)から玄輝門院の嘉元元年(西暦1303年)までの396年間に上皇、女院、親王を合わせて御23方、140回に及ぶ皇室のご参詣があり、これを熊野御幸と言って熊野三山史上に不滅の光彩を放っている」と書かれている
交通の便が悪い時代のこと、熊野詣は一ヶ月弱ほどかかるかなり気合の入ったものだった。それでもこれだけの回数、ご参詣があったということがすごい。
一覧が描かれている石屏風は圧巻だ。
【平重盛公お手植えの梛の神木】
境内には平重盛公お手植えの梛の神木が枝を伸ばしている。
平重盛公といえば平清盛公の嫡男で滅びゆく平家を担う苦労人であるが、温厚で実直な人柄が後世慕われている。
平重盛公の「国安かれ」の祈りは今も神木に宿っているのだろう。
梛の神木から強烈な木漏れ日がさしてきた。
この神木の苗木はまだ祖国復帰する沖縄に送られ、各所にすくすくと育っているとのこと。
私も沖縄に在住していた身として、平重盛公の「国安かれ」の祈りが沖縄の各所で枝を広げているのだと思うと感慨深い。
【野口雨情の歌碑】
有名な童謡作家・詩人の野口雨情の歌碑がある。
少し読みづらくなっているが「国のまもりか速魂さまの御庭前まで神さびる」とある。
たしかに御庭前まで神さびる空気を感じる。
【新しいさざれ石】
全国各地の神社にさざれ石が安置されているが、熊野速玉大社のさざれ石は令和2年にこの新宮市の王子ヶ浜に打ち上げられたものだという。
説明板には、君が代二番の歌詞の通りに現れたさざれ石、と紹介されている。
君が代2番だと!?きちんと知らなかったので調べてみた。
なんと源頼政公が詠まれた和歌が元になっている2番が出てきた。
「君が代は 千尋の底の さされ石の 鵜のゐる磯と あらはるるまで(我が君の御代がいつまでも長く続きますように。深い海の底の小石が波に打たれて集まり、鵜のいる浅瀬に磯となり現れるまで)」
びっくりした。
本当に歌詞のままに、さざれ石が水底から浅瀬に打ち上げられているのだ。
現代にも不思議なことはあるものだ、と感動した。
さて、それでは熊野権現が最初に顕現されたという神倉神社に参ってみよう!!
その6へ続く
【後輩の頻尿メーター】
⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️◯◯◯ 7/10
2時間近くトイレに行っていないので結構我慢している。