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陰陽師に憧れて京都旅(その1)ドタキャンされて怒りのままに「丑の刻参り」の聖地へ


【京都駅の怒れる二人】

昨年(令和5年)の師走、京都への出張中に突然、アポイントがキャンセルとなってしまった。
朝起きてこれから行こうと思ったらキャンセルの連絡が来ており、その内容も身勝手なものだった。
振り回されたもう一人である後輩(江戸東京たてもの園に一緒に行ってくれた博学な後輩)と共に京都駅で怒り狂っていた。
そりゃあもう、二人してガメラとイリスになって京都駅をふっ飛ばしてやろうか!と思うくらい怒り狂っていた。

ガメラ3の京都駅破壊シーン

さて、夕方まではぽっかり空いた日程をどうしようか、と話し合っていたが「もう京都の名所を見ましょう!」という話になった。
そういえば後輩は幼少時から野村萬斎主演の「陰陽師おんみょうじ」に憧れて、家で泰山府君祭をしようとしたり、縁の地に行きたいと前々から言っていた。

【皆が憧れたヒーロー陰陽師】

滝田洋二郎監督の映画「陰陽師」は夢枕獏の伝奇小説「陰陽師」を原作としており、当時の映像技術の拙さが魑魅魍魎が蠢く平安時代のおどろおどろしさを演出している名作だと思う。今年(令和6年)に「陰陽師0」が公開されたが、映像技術の進歩によって逆にあの世界観を表現しにくくなったのではないか。

何より安倍晴明あべのせいめい役の野村萬斎がハマり役であった。おそらく多くの人がイメージする陰陽師像が、野村萬斎になっているハズだ。
梅林茂のテーマ曲も一度聞いたら忘れられない壮大なものだった。

後に、羽生結弦選手がこのテーマ曲を使って安倍晴明に扮した演技をしたことでも再び注目された。

さて、この際、1度も行ったことが無い京都の北の方にある貴船きふね神社へ行ってみようということになった。貴船神社は「丑の刻参り」の聖地として有名で、安倍晴明とも関わりがある。
私自身も貴船神社に行ったことが無かったので1度行ってみようと思ったのだ。
小説「陰陽師」風に言うと

「ゆこう」
「ゆこう」

そういうことになった。

同じ夢枕獏原作「荒野に獣慟哭す」内でのパロディ

【陰陽師とは?安倍晴明とは?】


さて、するっと飛ばしてきたが、無知な私の知る限りで「陰陽師」という存在について少し触れさせていただきたい。
陰陽師とは天皇の補佐など宮中の職務を取り仕切った中務省なかつかさしょうに属する国家公務員である。
所属機関「陰陽寮おんようりょう」は西暦676年に天武天皇に設置されてから、明治維新後の西暦1869年に近代化の中で廃止されたため、およそ1200年間もの長き間存在したことになる。
古事記よりも古く誕生し、そして20世紀を前に消えていった存在・・・このあたりの史実がいちいち中二心をくすぐられるんだよなぁ。

陰陽師は、中国から伝わった陰陽五行説を日本で独自発展させた「陰陽道おんみょうどう」を使い、吉凶を占ったり、暦や天文学を司っていた。


有名な陰陽師・安倍晴明あべのせいめいという人は、生まれが西暦921年で没したのが西暦1005年というから80歳を越える長寿だった。
意外にも歴史に登場するのは960年の40歳の頃からのため、若い頃から活躍したのかどうかはわからない。

ただ、古来から大人気で、「大鏡」「今昔物語集」のような平安文学、「無名抄」「古事談」「宇治拾遺物語」「平家物語」「源平盛衰記」「古今著聞集」「簠簋内伝」等の中世文学、近世になっても「安倍晴明物語」「前太平記」など物語にひょいひょい顔を出している。

【地元の安倍晴明伝説を教えてくれた祖父】

全国各地に安倍晴明の伝説が残っている。
例えば、私の地元近くの阿部山あべさんでは、車で通る際に「昔はあの山で安倍晴明が天体観測しとったんよ」と祖父が教えてくれた。
「世界ふしぎ発見」で陰陽師のにわか知識を得た私は「え、京都の陰陽師なのにここに来とったん?」と無邪気に聞いたら「ようわからんけど、昔からここに安倍晴明が来とったって言われとるんよ」と困り顔で答えてくれた。
確かに、伝承というものを史実と照らし合わせて「なんでなんで?」と聞くのは現代特有の現象なのかもしれない。昔だったら伝承を聞いて、「なるほど!」「地元の誇りだ!次世代に語り伝えよう」と素直に受け止めたはずだ。
ただ、面白いことに、阿部山には安倍晴明の天体観測所、屋敷と伝わる場所があり、阿部神社が建立されている。

阿部神社(安倍晴明屋敷跡)

そして山頂には、京都大学大学院理学研究科附属天文台が運営する「せいめい望遠鏡」がある。

安倍晴明が天体観測をしたと伝わる山で、現在もその名を冠した望遠鏡で天体観測が行われる、とはロマンがあるし、1000年の後への影響力のすごさを感じる。

安倍晴明の名は不滅だが、呪術や陰陽道というものは現代では全く使われなくなったのだろうか・・・実はそうとも言えないのだ。

【未だに続く丑の刻参り】

令和4年6月、千葉県松戸市の神社でロシアのプーチン大統領を模した藁人形が神木に打ち付けられているのが発見された。
うし刻参こくまいり」である。

神木を傷つける行為で絶対に駄目なのだが、それよりも「丑の刻参りってまだやってる人がいるんだ!!」と驚いた覚えがある。

「丑の刻参り」とは日本古来の呪いの方法であり、丑の刻(午前1時から3時の間)に行うからその名がある。
女性が藁人形に五寸釘をぶっさしているイメージが流布されて、なんだかんだで有名な呪法。

ただ、ちゃんとやろうと思うと、結構大変で

①白装束を身にまとう
②髪を振り乱す
③顔に白粉を塗る
④頭に五徳(鉄輪かなわ)をかぶり、三本のロウソクを立る

囲炉裏の五徳(金輪)
これを逆さに頭にかぶります

⑤一本歯の下駄(あるいは高下駄)を履く
⑥胸には鏡をつるす
⑦懐には護り刀を備える
⑧口に櫛を咥える

そして、丑の刻に藁人形を五寸釘で御神木に打ち付けるのである。
そしてこの儀式を目撃されてしまうと、本人に呪いが返ってきてしまうので、目撃者を始末しなければいけない、という迷惑っぷり。

【丑の刻参りの聖地と呼ばれる貴船神社】

この「丑の刻参り」の聖地とも言うべき神域が京都の「貴船きふね神社」なのだ。
貴船明神が降臨した「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に参詣すると、心願成就するという伝承から、丑の刻参りの聖地となってしまった。

「宇治の橋姫」伝説では恨みのあまり鬼神になることを貴船神社で7日祈願し続けた娘が、「宇治川に21日浸かれ」との神託を受け、鬼となり多くの人を殺める物語が語られる。

橋姫は、一条戻橋いちじょうもどりばし渡辺綱わたなべのつなに名刀髭切で二の腕を切り落とされてしまう。そして、その腕は安倍晴明に封印されたという。

もう一つは鉄輪かなわ」伝説だ。
「鉄輪」とは丑の刻参りで頭にかぶる五徳のこと。
夫の浮気に怒り狂った妻は、顔に朱をさし、身体に丹(赤色の絵の具)を塗り、頭にはロウソクをつけた鉄輪をかぶり、口に松明をくわえた凄まじい姿で、丑の刻に貴船神社で呪詛を行った。

7日連続で行うはずが、六日目に女はついに力尽き、自宅近くの井戸のそばで息絶えた。
気の毒に思った人が女の被った鉄輪を塚に葬り、その地は「鉄輪井戸かなわのいど」と呼ばれるようになった。
ちなみに「鉄輪の井戸」は実在しており、今でも「縁切りの聖地」とされているから恐ろしい。

この「鉄輪の井戸」から貴船神社までは16キロある。しかも山に登っていく大変な道だ。
こんなところを毎晩走って往復していたら、そりゃ力尽きるだろうと思うが、嫉妬に狂った心は身体のことなど顧みもしなかっただろう。

凄まじい執念が人を鬼にして、相手に届くほどの力を与えるのだ。
そう思うと、プーチン藁人形はまだまだという感がある。

【貴船神社に ゆこう ゆこう そういうことになった。】

ドタキャンされた怒りの話をした後に「丑の刻参り」の聖地へ行くというと恨みを晴らしに行くようだが、そうではない。
京都の精神文化を体感するために行くのだ。

それでは再び
「ゆこう」
「ゆこう」

そういうことになった。


【その2へ続く】


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