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突発的にあきる野市へ(前編)~「縄文神社」とざくざくばばぁ


2年前(令和4年)の5月、突発的に「あきる野市」を訪問した。
予定が無くなり、今日はどうしようかと思っていたら「うぉぉぉぉぉぉ、あきる野市行きてぇぇぇぇぇ!!!」と進め火の玉状態になってしまった。
その発火点は「縄文神社」という概念だった。

【縄文時代からずっと祈りの場ー縄文神社】


大学時代に京都の伏見稲荷神社で助勤(いわゆるアルバイト)をしていたが、助勤仲間が飛鳥新社に勤めている。
その飛鳥新社から「縄文神社ー首都圏編」(武藤 郁子著)という面白い本が出ていた。

現在、祈りの場となっている神社には、縄文時代から信仰の話であった場が多い。古代の人が畏怖を感じた場には、現代人も同じように額づいている。
それが作者の言う「縄文神社」という概念である。


「縄文時代」は紀元前13000年前から紀元前1000年ほどまで1万2000年間ほどの長きに渡った。ただ、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期と大雑把に6分割され、「縄文時代」と言っても、時代によって差異があることはここで確認しておきたい。
だが、一番新しい紀元前1000年も「縄文時代」であることには間違いなく、またとんでもなく古い時代である。
今から3000年以上前の人々と同じ場所で祈ってると思うと、ワクワクしないだろうか。

縄文神社は今でもパワースポットと呼ばれる神社ばかり

【あきる野市の「二宮神社」へ】


「縄文神社」の中でも作者が推しているのが、あきる野市の「二宮神社」である。参拝すると縄文時代の祈りの場であることを体感するという。
有名な神社ではない。だからちょっと行ってみたいと思っていた。

【透き通る二宮神社の「お池」】


最寄り駅は、新宿駅から中央線と青梅線を乗り継いで1時間程度の「東秋留ひがしあきる」。

東秋留駅から5分ほど歩くと、二宮神社のある丘が見えてくる。
丘の道路を挟んで向かい側に神域の「お池」がある。


「縄文神社」でも触れられていた透明度の高い清水が湧き出ている。

透明度が高いため、水中の魚が浮いているように見える。

東京の名湧水57選に選ばれたとのことだが、ここがナンバー1じゃないのかと思うほどの透き通った湧き水だった。
湧水の存在は縄文神社の条件の一つなのだろう。

【二宮神社は一帯を見渡す丘の上】

ゆるやかな坂の上に社殿がある
登れば登るほど緑に包まれていく
二宮神社 社殿


二宮神社からは周囲を見渡すことができた。
優しい風がふいている。

縄文時代の人もこの場所から周囲を見渡していたのだろうか。
初めて来た場所なのに、何故だか懐かしい気持ちになる。

隣接する「二宮考古館」では、この近辺から出土した遺物を展示している。
神社の横で、「縄文神社」の証拠である古代の人々の祭祀遺物を見るのは、なかなか乙なもの。
参拝した後に見ると、「へー昔の人はこんなもの使ってたんだなぁ」という他人事から、「縄文時代の人と同じことをしているんだなぁ」という追体験の感動を味わうことができる。
3000年のブランクを越えて縄文時代とシンクロすることができる。

【ざくざくばばぁ??】

近くに「ざくざくばばぁ(湧水)」と表示される謎のポイントがある。

ちょっと遠いが、駆け足で行ってみた。
水が良いからなのか、道の脇の巨木が目に付く。

近くまで来ても「ざくざくばばぁ(湧水)」が見つからない。
Googleマップと見比べてようやく民家の脇の清水の湧き出る祠だということがわかった。

「ざくざくばばぁ」

写真では植物に隠れているが、小さな小さな祠がある。
なんでも小豆をざくざく洗っているお婆さんの昔話から来ているらしい。

昔話のネーミングが今でも残っているのが面白い。現地は何の変哲もないように見えるが、「ざくざくばばぁ」はいつまでも残るだろう。

ここまで来て、地図を見て驚いた。
「地球屋の近くだ!」


スタジオジブリ好きで趣味が高じて珈琲店まで始めた方にお会いしていたが、その「地球屋」と「ざくざくばばぁ」はかなり近かった。

もう時間はなかったため、東秋留駅へ引き換えしたが、おそらく美味しい水がある、あきる野市だからこその珈琲店だったのだろう。
縄文時代の人が飲んだ湧き水は神域を形成し、そして「ざくざくばばぁ」となり「地球屋」の美味しい珈琲となっている。
これもまた縄文時代の人とシンクロしていると言えないだろうか。

後編へ続く!


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