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「熊野リベンジ!紀伊半島一周の旅」その8 紀伊の国の中枢 熊野本宮大社


【前回までのあらすじ】


クレソン後輩の希望に沿って、熊野を3年ぶりに巡ることになった私。3年前は回れなかったところを目指して、熊野リベンジに向かうのであった。
クレソン後輩の赤いヤリスクロスに乗り込み、1月2日の夜に名古屋から三重県津市に移動して一泊し、そして1月3日には本格的に熊野を目指すのだった。
発覚したクレソン後輩の頻尿癖はどんどん深刻になっていく。
そんな時限爆弾を背負ったまま、熊野三社の一角・熊野速玉大社と神倉神社にお参りして、恐怖の石段でヘロヘロになってしまった。

【熊野川を遡って熊野の中枢へ】


新宮市から熊野川を遡っていくと、熊野本宮大社にたどり着くことができる。
順調に行けば約40分ほど、熊野川と渓谷を見ながら進んでいく。

特に南紀の石切場跡には驚いた。まぁ、石切場というものは人智を超えたスケールに感じるものだが、すべてのものが大きく驚かされる。

神倉神社も花の窟神社もそうだが、何故熊野には巨岩が林立しているのだろうか。
信仰を火山活動から読み解く「聖地の条件」という面白い本があり、その一節を引用し考えてみたい。

「玉作りの山が日本列島形成時の火山であることを第二章で話題にしましたが、同じころの千五百万年前(といっても地質年代の話なので、百万年単位の違いはあるのでしょうが)、熊野地方で日本列島史において最大とされる超巨大噴火が起きたことがわかっています。
 大陸から分離してまもない原初の日本列島およびその周辺の海域では、とてつもないスケールの火山活動が長期間つづいていました。というよりも、火山活動をともなう、すさまじい大地の変動によって、日本列島の地形が大陸から切断され、大海に漂う孤島になってしまったーと考えたほうがいいのかもしれません。日本列島の〝出生の秘密〟と火山の活動史は不可分の関係にあります。
 熊野地方で起きたこの超巨大噴火によって、重さで三兆トン、体積でいえば一二〇〇立方キロメートルのマグマが地中から放出されたと推定されています。単純に計算すると、一辺が一〇キロメートルの立方体(サイコロ)よりもさらに大きな量です。火山内部のマグマが溶岩や火砕流、火山弾や火山灰などとなって大量に放出された結果、本来の大地は崩れ、巨大な陥没地形が生じました。それが熊野カルデラです」

この火山活動の放出物が巨岩となり、そして今も続く火山活動は様々な場所で温泉と噴き出している。そんな地の力が吹き出す場所が「熊野」なのだ。
「蘇りの聖地」と呼ばれるにふさわしい。

【熊野本宮大社の158の石段もへっちゃら】


順調にヤリスクロスは進み、熊野本宮大社の前までやって来た。
駐車場はいっぱいのようで、本宮町商工会の駐車場に誘導される。
頻尿後輩はここぞとばかりにまたトイレに駆け込む。
何度トイレに行ったら気が済むのかと驚かされるが、聖地で漏らすよりはよほど良いだろう。
さて、それでは熊野三社の二社目・熊野本宮大社にお参りだ!


熊野本宮大社の参道入口に立つと、その佇まいに圧倒される。
野趣と清浄さが共存して力強くも美しい。
参道にはためく白旗も心を清めてくれるようだ。

200メートルほど参道を進むと158段の階段が待っている。
「神倉神社と比べたらねえ」とニヤニヤする頻尿後輩。
そうだ、あの死ぬかと思った石段を思い出すと、なんでも楽な気がしてくる。

見下ろすと壮観
神武天皇を導いた八咫烏が見守る手水舎で清める。

【今年の漢字】

令和七年の漢字が「思」と大書されていた。

そういえば、年末に清水寺で「今年の漢字」が発表されるが、あれはどうも政治的な臭みがあって好きになれない。野党的立場で政権批判をすれば政治を考えたことになる安易な考えが透けて見える気がして、とても嫌な気持ちになる。
個人の自由なのでやってもらっても構わないのだが、清水寺のような聖地でそれをやるのは如何なものかという気持ちになる。

ここ熊野本宮大社では純粋に願いから「思」と大書されていて嬉しくなる。
誰かを下げたり批判するよりも、これからどうしていくか「願い」こそ聖地では掲げたいものだ。

【熊野本宮大社の社殿のお参りの順番とは】

神門をくぐると視界がひらけて、壮麗な社殿と木々が見える。

あれ、社殿がたくさんある。どこにお参りすればよいのだろうか、と迷うこと必須だろう。
実は熊野本宮大社には12殿があり、熊野本宮大社の社殿に上四社の4殿、もともとの境内であった大斎原に残りがある。
どの社殿にどの神様が御座すかは以下の通り。

上四社
 第一殿 西御前 |伊邪那美尊いざなみのみこと・熊野牟須美大神《くまのむすびのおおかみ》・事解之男神ことさかのおのかみ
 第二殿 中御前 |伊邪那岐大神いざなぎのおおかみ・速玉之男神《はやたまのおのかみ》
 第三殿 證証殿 素戔嗚尊すさのおのみこと家都美御子大神けつみこのおおかみ
 第四殿 若宮 天照大神

中四社
 第五殿 禅児宮 忍穂耳命おしほみみのみこと
 第六殿 聖宮 瓊々杵尊ににぎのみこと
 第七殿 児宮 彦火火出見尊ひこほほでみのみこと
 第八殿 子守宮 鵜葺草葺不合命うがやふきあえずのみこと

下四社
 第九殿 一万十万 軻遇突智命かぐづちのみこと
 第十殿 米持金剛 埴山姫命はにやまひめのみこと
 第十一殿 飛行夜叉 弥都波能売命みづはのめのみこと
 第十二殿 勧請十五所 稚産霊命わくむすびのみこと


こんな順番になる

熊野本宮のホームページを参照すると、証誠殿→中御前→西御前→東御前とお参りし、右手側にある満山社にお参りするのが良いらしい。

本殿に向かって左側には和泉式部の祈願塔がある。

京都では和泉式部の歌碑を幾つか見たことがあるが、ここまで来ていたと思うと、古人の熊野詣の情熱のすごさに驚かされる。


和泉式部が熊野本宮まであと少しというところまでやってくるが、月の障りが出てしまう。
「延喜式」では死や出産や月経を不浄なものとみなしており、通常であれば聖地には入ることができない。和泉式部はここまで来たが参拝はできないだろう、と嘆いて歌を詠んだ。

晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき

 すると、その夜、和泉式部の夢に熊野権現が現われて返歌を賜ったという。

もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにかくるしき


「熊野」は「月の障りなど気にしないぞ」「ええんやで」と力強い励ましに、和泉式部は参拝することができたという。

熊野の神は浄・不浄を問わず、業病のものであろうと受け入れ、蘇らせてきた。そんな懐の大きな神なのだ。

その9へ続く


【後輩の頻尿メーター】

⚫️⚫️◯◯◯◯◯◯◯◯ 2/10
熊野本宮大社前の公衆トイレですませたので結構スッキリ。

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