56歳サラリーマン終活女子。昭和的ワーキングマザーは会社で戦う誇りを子供への課金に変える。

このブログは、
56歳サラリーマン終活女子が
スモールスモールステップを踏んでいく
段階日記である。  

結論から言うと、
高三ひとり息子よ。母はもう稼げない。

私には息子がいるが
私と同様凸凹なため、小さい頃から
ケアが必要だった。

私は、彼に何もできなかったので
とにかく先生に課金した。
家庭教師、野球のコーチ。
素晴らしい先生にマンツーマンで習い
息子はなんとかドロップアウトせずに
いままでこれた。

しかし、息子のやりたいことを
なんでも叶えたお母さんはもういない。

でも、子供にとって稼げる親など
あまり意味はないように思う。
愛情だ。と言い切ってしまうのも陳腐だけど、

その時必要なものを与えるのが親で、

1番必要なのは、受容。
どんな君でも好きだよ。という母の態度。
贅沢な暮らしを子供は求めているわけではない。

となると、私は、稼ぐ母ということで
息子にマウントをとっていたのだろうか?
威力をお金で示していたのかも。
ここは、昭和的ワーキングマザーあるあるかもしれない。会社で戦う誇りを子供への課金に変える。

あかんな。

愛ってそんなことじゃない。
息子を巻き込んじゃダメだ。

息子はもう大丈夫な人生だが、それは息子が
頑張ったからであって、私は親として
当たり前のことをやったまで。
そこで、働く母のマウントは関係ないのに
私は、そこでも自分のアイデンティティを
確認していた。

母はもう稼げないが息子は
それでも変わらずいてくれると思う。

ユーミンの守ってあげたい。という曲がある。
息子を産んだ途端、その曲がまったくもって息子への
歌に変わったのに驚いたが、

愛とは、必要なものを与えること。
もう、息子にとって必要なものは、もう課金ではなく、
きっと調子良くいつも溌剌としている母だろう。

私は、私の尊厳を傷つける人を排除する。息子のために。だからサラリーマン終活だ。

さあ、明日の私に、明日会おう。











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