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165 クラスで 取り組んだ戦争と平和展 

今年も「原爆の日」が巡ってきました。広島に原爆が投下されたのは78年前の8月6日。3日後には長崎にも投下されました。

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1995年は戦後50年目の年でした。この年、担任をしていた3年生のクラスで文化祭の発表として「戦争と平和展」をやることになりました。当初は劇をやりたいという生徒が多かったのですが、話し合いをする中で「ただの劇ではなく意味のある劇をやろう」という声が出始め、戦後50年だから戦争と平和を考える劇にしようということになりました。

生徒たちの考えが次第にレベルの高いものに変化していったことには驚きました。そして戦争という重いテーマを生徒たちが選んだことを私は嬉しく思いました。とかく「楽しさ」だけを求めることの多い文化祭を私は物足りなく思っていたからです。このような企画をいつかやりたいとも思っていたときに生徒たちが出した企画。私は楽しみでした。中学3年生の目に戦争と平和がどう映っているのかということにも興味がありました。

学校全体の文化祭のテーマは「10代の夢」というものでした。それと関連づけたクラスのテーマは以下のように決まりました。「50年前に私たちと同じ10代の若者がかなえられなかった夢を今の私たちがかなえる。永遠の夢~それは平和」

発表は①研究レポート、②展示、③劇の3本立てで行うことになりました。それぞれ担当を割り振り、グループごとに準備を進めました。

文化祭は2学期の始めの9月ですが、準備は1学期の夏休み前から始めました。夏休み中はできる人が集まって作業することにしました。無理をして全員が集まることを私は望みませんでした。集団で何かをするときにとかく全員に同じことを求める傾向が見られますが、そうすると必ず無理が生じます。無理をするとトラブルになります。だから「できる人ができることをする」ことにしました。もちろん担任の私は生徒が来る日は登校して見守りました。夏休み返上状態でしたが、活動を通して生徒たちが何かを学んでくれることを期待していました。

そして文化祭当日。展示も劇もすばらしい出来でした。全校で最高の賞である「文化祭大賞」も獲得しました。見学に来てくれた保護者や卒業生から褒められて生徒たちは嬉しそうでした。以下はその時に書いた学級通信です。

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文化祭が終わりましたね。みんなにとっては中学校最後の文化祭でした。夏休み前から力を合わせて準備してきたクラス発表でしたが「文化祭大賞」の栄誉に輝くことができました。おめでとう!

でも、大賞までの道のりは正直言って大変でしたね。活動に関わった割合が大きい人ほどその大変さを感じ、喜びも味わっているのではないでしょうか。閉会式でクラスの名前が呼び上げられた時みんなの中から歓声が沸き上がりました。喜びを隠しきれない人もたくさんいました。泣いている人もいましたっけ。私もすごく嬉しかったです。みんなの努力が報われたと思いました。

でも私には賞よりもっと嬉しいことがありました。準備を通してみんなの頑張りを見たことです。文化祭への参加を決定した6月から夏休みをはさんで2か月半。本当によく頑張りましたよね。中心になって動いてくれた人だけでなくみんなが協力して作業しました。自習時間をもらって活動するときも私が何も言わなくても責任者のSさんがリードしてすべて進めてくれました。

一番心配だったのは夏休み中の作業。夏休みなので全員が集まることはできません。集まりが悪いと不公平だとかとかく文句が出ます。でもみんなの中に来られない人に対する不満を口にする人はいませんでした。すごいことだと思います。

そんな中で一日も欠かさず来た人もいました。Kくんです。暑い中で毎日作業をしてくれた姿が私の目に焼き付いています。黙々と防空壕の色塗りをしてくれたMさんの姿も記憶に残っています。

できる人はできることを精一杯やり、できない人に無理をさせない。できない人はできる人にお願いするかわりに、できる時には精一杯やる。これが大事ですね。

それにしても今年の夏は特に暑かったですね。「水!、水!」という声があちこちで聞かれ、劇のセリフなのかみんなの声なのか判別できないくらいでした。

今回の「戦争と平和展」がいつまでもみんなの記憶に残り、平和を守る力になってくれることを私は願っています。

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