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135 教育は「調教」だと言った教師がいました

かつて勤務していた中学校に「教育は調教と同じだ」と言っていた男性教師がいました。教師になってまだ数年目の20代のAさんです。新採用でその学校に赴任しました。

当時その学校には生徒を力で抑える教師が多く、時に理不尽とも思えるような指導がなされていました。体罰も当たり前のように行われており、生徒は教師を怖れていました。そうした指導に疑問を持つ教師もいましたが数の上では少数派で、力で指導することに意義を唱える雰囲気は教師の間にはありませんでした。そんな学校の雰囲気に初任のAさんはすぐに染まりました。先輩教師を見習って生徒を厳しく指導し、体罰も行っていました。

学生の頃からスポーツで鍛えたAさんは体格がよく、腕力もあります。声も大きく、彼に怒鳴られたら生徒は震えあがります。私が赴任したときは3年生の担任でしたが、教室からはAさんの怒鳴り声がよく聞こえてきました。テニス部の顧問をしていましたが、部員はAさんに目を付けられること恐れて言われるままに行動していました。

Aさんの指導は私には行き過ぎと思えるものも少なくありませんでした。たとえば、生徒の長く伸びた前髪をハサミで切ったり、指定された色以外のベルトをしてきた男子生徒からベルトをはぎ取ってゴミ箱に投げ捨てたり、持ってきてはいけないことになっているトランプを本人の目の前で裁断したり、今では問題になりそうな指導を日常的にしていました。頭ごなしに怒鳴りつけ、生徒の言い分に耳を傾けるなどということはありませんでした。

彼よりも経験の長い私は理不尽とも思える彼の指導について意見を言ったことがあります。その際に返ってきたのが「教育は調教みたいなものだ」という先の言葉でした。教師の命令に従わせるのが教育だと考える彼には何を言っても無駄だという虚しさのようなものを私は感じました。

そんな彼が数年後に結婚しました。そして子どもを持ちました。結婚した時、周囲の人たちは彼が亭主関白の夫になって妻や子どもの上に「君臨する」のではないかうわさしていました。私は彼がどんな家庭を築くのかとても興味がありました。

しかし、周囲の予想に反して彼は愛妻家で子煩悩な父親になりました。それと共に生徒に対する彼の指導にも変化が見え始めました。怒鳴り声は少なくなり、生徒の意見に耳を傾ける姿を見ることが多くなりました。過激で理不尽な指導は影を潜め、「調教」とはかけ離れた人間的な指導を行うようになりました。

結婚を機にこれほど変化した教師を私は他に知りません。彼自身も理由はよくわからないけれど自分の変化は自覚していると言います。彼の例からは「家庭を持つことが教師を成長させる要因の一つになるのではないか」という仮説がたてられる気がしました。もちろん彼のこの変化が家庭を持ったことによるものかどうかはわかりませんし、すべての教師が家庭を持つべきだとも思いません。ただ結婚して親になったことが彼に何らかの影響を与えたことは確かなように思います。

数年後、4人の子どもの親となったAさんに「教育は調教と同じだって今も思ってるの?」と聞いてみました。彼は何と答えたと思いますか?

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