137 担任として合唱大会に関わるのは:合唱大会1
合唱大会は大きな学校行事です。どのクラスもよい演奏をするために練習に励みます。コンクールとなれば賞を目指して生徒たちは一段と頑張ります。担任の指導にも熱がこもります。音楽が専門でない教員も、歌が得意でない教員もこの時だけは合唱の素晴らしさを生徒に力説し、生徒たちを練習に向かわせます。
私はどちらかと言うと合唱コンクールが苦手でした。合唱に限らずクラスごとに競う行事があまり好みではありませんでした。勝負がかかると生徒も教師も勝つことに熱が入り、楽しむことが二の次になりがちです。
特に合唱に関してはできれば担任として関わりたくありませんでした。私自身は合唱が好きですし、アマチュアの合唱団に所属して歌ってもいました。でも合唱団でも賞を目指して練習するのは好きではありませんでした。楽しんで歌えなかったからです。賞がかかれば練習にも熱が入って演奏の質も高まります。でも入賞することが目的になるとどうしても歌う楽しさがどこかに追いやられてしまいます。生徒たちにも結果だけを求めて歌うのではなく、楽しんで歌ってほしと思っていました。
合唱コンクールが苦手な理由は練習にもあります。どの生徒も合唱に前向きに取り組むわけではありません。合唱が好きではない生徒もいますし、歌うのが苦手という生徒もいます。練習ではまじめにやらない生徒が出てきますし、和を乱す生徒もいます。毎日練習するのが嫌な生徒もいますし、部活の時間が削られるのを好まない生徒もいます。練習をめぐって対立が起こり、クラスに暗い空気が流れることもあります。それを調整するのが担任の役目です。私も担任を持った時は日々叱咤激励しながら練習を見守りました。 正直言って重荷になることもありました。教師の中には怒鳴って歌わせている人もいましたが、私はそれがすごく嫌でした。
さらにコンクールとなると結果に勝敗がつきます。結果はよいこともあればそうでないこともあります。よい時は「みんなよくがんばったね」と喜べますが、入賞できないときはがっかりして暗い雰囲気になることもあります。そんなときは担任の私がどんな言葉をかけても慰めにしか聞こえません。それが苦痛でした。
生徒たちの取り組みは年によっても違いが見られました。みんなで一生懸命取り組む学年もあれば、やる気があまり見られない学年もありました。練習がスタートするころ、佳境に入るころ、本番前、そして本番が終わったとき、そのつど励ましたり、注意したり、アドバイスしたり、褒めたり、慰めたりあの手この手でサポートしました。
学級通信でも合唱大会のことをたびたび書いています。改めて読み返すとその時のクラスの様子が思い出されます。教師である自分の葛藤や苦悩も蘇ってきます。担任としての私のジレンマが文章に表れていることにも気づきます。この先何回かに分けて中学3年生のクラスの合唱大会について書きます。私のジレンマを感じ取っていただければ幸いです。