2 学級通信で思いを伝える
かつて担任をした生徒のお母さんと町でばったり会いました。数十年ぶりです。昔の話に花を咲かせる中で彼女がこう言いました。「息子は学校のことを全然話さない子だったので先生の学級通信にはすごく助けられたんですよ」と。私の学級通信が少しは役に立っていたようで嬉しく思いました
教師時代、私は毎日のように学級通信を発行していました。「学級通信なんてだれも読まない」という人もいれば、「紙の無駄」「教師の自己満足にすぎない」などという声もありました。かつても今も学級通信に対しては推進派と非推進派があるようです。でも、私は発行し続けました。
だれもが学級通信を出すのがよいとは思いません。学級通信には向き不向きがあります。書くのが得意な人もいればそうでない人もます。指導に有効だと考えれば出せばよいし、他の方法が効果的だと思うならそちらを選べばよいと思います。私は効果を信じていたから発行したにすぎません。また、毎日出すのがよいとも思いません。週に1回でも、月に1回でも有意義な学級通信は出せると思います。私の場合はほぼ毎日発行しましたがそれには理由があります。
学級通信には学級の様子や生徒たちのエピソード、生徒の作文や学級日誌の抜粋、保護者への連絡など様々なものを掲載しました。中でも私が最も力を入れたのが担任である私の思いを伝えることでした。もちろん口頭で伝えることはできます。でも私の場合は話すよりも書いた方が自分の思いを伝えやすいです。考える時間が持てるからです。自分にとってのリフレクション(省察)にもなります。学級通信は子どもや保護者へのメッセージであるとともに実践を振り返る手段でもありました。書きながらその日のことを振り返る時間を持ちたいということもありました。だからほぼ毎日書きました。原稿は今も大切に保存しています。
原稿はたいてい家で書きました。仕事を持ち帰ることに抵抗はありましたが、学校では書けなかったのです。気分的に書けませんでした。一人になって落ち着いて書きたかったのです。アナログの時代だったのでほとんどが手書きです。生徒や教師の似顔絵、イラストなどもたくさん盛り込みました。生徒が興味を持ってくれなければ読まれないと思うからです。書くのはたいてい夜でした。人に読ませる文章は夜には書かない方がよいと言われます。たしかに翌日読み返すと感情が出すぎていたり、情緒的になり過ぎていると感じることがありました。でもよほど不適切な文章でない限りそのまま印刷して渡しました。正直な思いを伝えたかったからです。
教師として未熟だったころの文章は読み返すと恥ずかしくなるものもあります。現在の私とは異なる考えを提示していることもあります。考え方が変わっているからです。私も日々成長し、変化しているということなのでしょう。今の時代だったら「アウト」になりそうな表現もあるし、批判を受けそうな記述もあります。でもすべてが私の教師としての軌跡です。過去を振り返る貴重な材料になると思います。当時抱えていた課題や葛藤、疑問の多くが解決されないまま今も私の中に残されています。学級通信を読み返しながらそれらの課題について改めて考えてみようと思います。
付記
現在教師をされている方の記事を読ませていただくと、学級通信を発行するにも校長や学年主任などによる事前のチェックが必要だと書かれています。管理体制が強まっているのだなあとしみじみ思います。