日本版「SATC」は、「渡る世間は鬼ばかり」説
何年か前に、ネットの掲示板で、「渡る世間は鬼ばかり」は、ある意味日本版「SATC」ではないか、という書き込みを見ました。
そんなあほな、と思ったのですが、あながち間違っていないのではないかと思います。
というのも、「SATC」面白さの本質とは、ファッションや過激な性描写ではありません。
「SATC」の魅力とは、女性が生きる上での社会的困難とか人生模様などを異なるタイプの女性達の視点から描いた群像劇であるところです。
そんななわけで、その点から考えれば「渡鬼」はかなり、「SATC」と似ています。
キャラクター設定で比較していきます。
節子(キャリー)、物語の中心で、中立的な考えの持ち主。昭和キャリー
弥生(シャーロット)保守的
五月(キャリー+シャーロット)、平成バージョンキャリー+姑問題
文子(キャリー+ミランダ)キャリー+キャリアウーマン
葉子(ミランダ+サマンサ)キャリアウーマン+恋愛ガツガツ
長子(ミランダ+シャーロット)キャリアウーマン+姑問題
キャリー率、ミランダ率が高い・・・。
主要女性キャラクターが多いので、単純に比較はできませんが、近代以降、東西問わず、女性の悩みって家庭か、仕事か、個人の幸せか、に集約されがちな気がします。
「渡鬼」は嫁姑問題が多いいんですけど、葉子って、性格的にはかなりサマンサと近いですよね。
また、「渡鬼」のすごいところは、開始当初の事実上のヒロインであった、山岡久乃さんが番組を去った後も番組が継続したことだと思います。これって、オリジナルキャストが去った後も強引に続けるアメリカのドラマと同じ構造ですよね。
タキさんという代用キャラが登場するわけですが、結果的に節子がいないシーズンの方が多くなったのだから、たいしたものです。
「SATC」以降、いくつかなんちゃって日本版「SATC」が創られましたけど、どれもイマイチだったのは、中毒性とか共感性のあるストーリーを無視して、視覚的なキラキラ感ばかりを模倣しようとしたからだと思います。
ツッコミどころ満載でしたが、介護問題や、後継ぎ問題、フリースクール、ネット通販などの最新トピックを盛り込み、あれだけ大量の登場人物をひとりで書いていた橋田寿賀子さんのすごさ。
見た目だけ華やかなドラマではなく、「SATC」と同じくらい時代を代表するドラマであったと思います。
こんなドラマをこしらえてくれて、本当に感謝してる!するべきなの!