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'24の恋煩い

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。



軽く自己紹介をすると、私は今年で23になります。
大学生活はほとんどスマブラ漬けでしたが、4月から社会人になりモチベーションの分散が余儀なくされました。

本記事を書こうと思った理由は、ある意味そこに詰まっています。
これまでスマブラしかしてこなかった人間の、ささやかな人生の変化(タイトルにもあるように、殆ど色恋沙汰)について書き記してみようと思います。
初記事で拙い文章にはなるかと思いますが、最後まで読んでいただけたら幸いです。
※自分のツイートを見てもらえてたらわかると思いますが、情緒のバグが収まらず所々気色悪い文章を垂れ流していた反省も込めています。
もしかしたら、今年も変わらないかもしれません



Ⅰ.4月-8月


私は4月からとあるIT企業に新卒で入社しました。
最初の一週間こそ環境の変化に中々ついていけず、精神的にも参っていました。
研修を他社の人間と合同で行っていたのもあったし、最初に研修場の人と行った飲み会が絶望的にしょうもなかったりと、理由は様々あったと思います。

ただ、研修場の男女比はほとんど1:1だったので、女性との知り合いが増えるかもしれない?
と、そこは少しばかり楽しみではありました。
実際1ヶ月も経つと人は環境に慣れるもので、
知り合いも増えて研修を楽しんでいる自分がいました。
また、社会に出たことによる焦りから勉強はサボらず徹底していたので社会人としてのスタートは悪くないと思っていたし、仕事を終えた後もやりたいことには困らなかったので、比較的充実していたかと思います。



5月に入ると、人生が軌道に乗り始めました。

スマブラにおいてはPtier大会のリザルトに初めて乗れました。
2024年に入ってから納得いく結果が出せなかった自分にとってこれは本当に嬉しい結果でした。
また、全1、全2の方との初交流があったりと、自分の中では革命的な月になりました。

本題に移ります。
私にはNという友人(女性)がいます。
3年ほど前にバイトで知り合い、同い年ということもあってよく喋るようになりました。
二人で遊ぶことは一度もありませんでしたが、他のバイト仲間と一緒に遊ぶことはよくありました。泊まりの旅行を4,5回してるくらいには仲が良いです。

5月に入って間もない頃、Nは自分にお弁当を作ってくれました。
4月から連絡を取っていたのですが、社会人になり少し苦しんでいる自分に労いの意を込めたような、そういったお弁当でした。

これは流石に嬉しかったです。これまでそういう目で見たことは一切ありませんでしたが、若干意識してしまいました。
意中でもない異性にお弁当を作ることが果たしてあるだろうか?いや、ないだろう。
とチラついたこともありました。
ただ、自分に好意があるとはあまりに考えづらかったので、こちらから過剰に踏み込むこともありませんでした。
また、それとは別に研修場で一人仲良くなった子がいました。
定期的に二人で買い物に行くようになり、そのような機会がこれまで殆どなかった自分にとっては随分と興奮が収まりませんでした。

そのような事もあって、Nを特別意識する事は無くなっていました。
ただ、定期的に連絡を取り、ライブに行ったり、飲みに行ったりとNと二人で遊ぶことが増えました。


そして6月に入っても人生は軌道に乗り続けていました。

スマブラにおいてはBtier以上初のtop8、それどころか準優勝まで登り詰めました。

その前日には、社会人になってから目標に掲げていた資格試験に合格していたので、まさに有頂天。正直この月ほど自分に惚れた月はなかったと思います。


月末も近づいてきた頃、Nから沖縄に行こうと誘われました。

自分には信じられませんでしたが、冗談ではなく大マジでした。
もうその段階で興奮は止まりません。
日程を決めるのに苦労しました。
離島に行きたいと言っていたので勿論2泊するつもりでした。
8月の3連休は信じられないくらい高騰していたので、当時一切貯金がなかった自分には賄いきれず、絶望しました。
しかしそんな事は些細な問題です。
向こうはまだ大学生だったので、平日に休みを取ればいい話。
有給休暇が10月までもらえなかったので、勿論会社には理由を捏造し余裕の欠勤です。
飛行機をすぐさま取り、ホテルを取り、沖縄旅行を確定させました。

"勝利"を確信しました。
宮古島で一泊するので、水着が見れることはほぼ確定です。
地元の友達と議論しました。どういった水着が最もエ□いのか。
Nをそういった目で見ないというのは、もはや不可能です。
この歳まで道程を患っている人間がどういう価値観なのか、知らない人もいるかもしれませんが
こういう価値観が根付いています。
今文章を書いているのも嫌気がするくらい、自分は醜く気色悪い人間だと思いますが、何人かそういう人間が近くにいるのであまり気に病んではいません。

沖縄が決まってからは鍛錬の日々です。
一番格好良くあるべきだと思ったので、色々やりました。ジムに行ったり、服や香水を買ってみたり、新たに脱毛の契約もしました。
自分はペーパードライバーでしたがNは免許を持っていなかったので、友達に付き合ってもらって何日も練習しました。練習を思い立った初日に物損事故を起こして5万円失ったりもしました。

今思えば、もっと他に考えておくべきことがあったので(身だしなみやエチケットなど)
必死なのにとても情けなくて未熟な人間だったとは思いますが、少なくとも一つのこと、一人のために必死に頑張った経験は決して無駄ではありませんでした。
ここまで行動できた自分を少しは褒めてもいいような気がします。

そんな中、いざ本戦です。



Ⅱ.沖縄

いざ本戦と意気込んだはいいものの、ここではあまり多くを語りません。
理由は、多くの身内に事細かに喋った事と、全て文章にするにはあまりに抵抗があるからです。

結論から言うと、ここで多くの刺激を味わったことでその後今に至るまで、制欲という制欲に1.3倍の補正が乗りました。凄まじい持続力です。
勿論、言うまでもなく最高の旅行でした。
しかし、成功か失敗かという観点で言うなら失敗です。あらゆることを後悔して、あらゆることを反省しました。情けない自分を顧みるのはとても苦しいですね。

そんなわけで、沖縄での出来事は省きます。
もし知りたい人は自分に直接聞いてください。多分全部話すので。



Ⅲ.9月-12月


沖縄が終わって、情熱も過ぎ去って全て切り替えられる!!!かと思えば、
全くそんな事はありませんでした。

まずお金が無くなりました。自分が無理して負担した分もあったので尚更厳しい状況でした。
お金が無くなることはわかっていたので、6月以降の大会は殆ど出ませんでしたし、家でメイトに打ち込んでいたわけでもないので、スマブラに対するモチベーションは知らない間にどこかに消え去っていました。

モチベーションを取り戻すのにも苦労しました。当然大会に出ても全く勝てない上に、以前よりも不安定さが増したような気がして心底辛かったのを覚えています。

小噺はここら辺にして、本題に戻ります。

沖縄以降、Nがちゃんと好きになりました。弱者男性の権化とでも呼んでほしいです。
連絡は取り続けました。
次に会う予定は一つだけ決まっていたのですが、11月のことだったのでそこまで待っていられませんでした。
しかし、予定を立てる事も全く上手くいかず、
結局11月に会えるならそれでもいいか。
と割り切りました。

新たに予定が立てられないことには心底モヤモヤしていました。
沖縄で自分に興味が無くなったのか、元からそこまで興味ないのか、異性として無理になったのか。端から不快だったのか。
と、色んな思考が過っていましたが、ただ連絡を取っているだけなのにこんなにも苦しんでいる自分が情けなくなったし、絶対に精神上良くないんだろうなとは思っていました。

とうとう、11月の予定も都合がつかなくなったと連絡が来ました。
もう本当に終わったんだなと実感しました。
連絡に一喜一憂することから解放されるのはある意味幸せだとも思いました。
これで本当に、沖縄からの情事は終わったのだと。。。

しかし、予定が無くなって連絡が途絶えてから暫くして、また連絡が来ました。
誕生日を祝ってくれたのですが、去年も送られてきたもので、他愛もない普通の内容です。
感謝こそすれ、今更情緒を歪める必要なんかないとわかっていたつもりです。同時に、自分は圧倒的にNが好きだということを自覚します。

また少し連絡を取り始めると、また一喜一憂し始めます。弱すぎます。
そのすぐ後に、年末Nと自分含めて4人で飲もうという話がありました。その4人では3月に一度旅行していて、7月にも一度会っています。(男2.女2です)

自分はここしかないと思いました。
沖縄でも失敗し、その後唯一あった予定を断られても尚、まだチャンスが残されているような気がしました。
また再スタートの日々です。
勿論、その日が自分史上一番格好良くないといけません。
あらゆることを見直しました。
絶望的だった身だしなみやエチケットへの意識はことごとく変えようと頑張りました。

2人で会うわけでもないのに、何故こんなに気合が入ったのかは正直分かりません。
僅かに残された限りなく薄い希望に、何としても縋りたかったのかもしれません。
それでも、自分にとっては大きなチャンスだと思いました。そこからまた、何かが始まるかもしれないと。

12月はあっという間に時間が過ぎていきました。
大会での勝ちを少し思い出したり、年末ムードに黄昏れることもありましたが、決戦の時に備えて直向きに準備しました。





Ⅳ.2024年を終えて


様々な人との出会いや、継続や反省の大切さなど、あらゆることにおいて充実していた一年でした。
もっとこうすればよかった、と後悔する事にほとんど意味はないし自分を苦しめるだけだと実感した一年でもありました。


結論から言えば、年末の飲み会は何事もなく終わりました。
ただひたすらに、本当にいつも通りの飲み会だったということです。
当日、酒の勢いに任せて少しでも理性を失えば、想像もつかないような攻めた発言ができるのではないかとひたすら酒を呷り続けましたが、理性を飛ばす前に体が先についてこなくなって非常に不快な気分でそのまま解散しました。
これを読んでいるあなたには、ここまで情けないことができるでしょうか。
 
もう何も、本件がこれ以上前に進む事はありません。
しかし、冷静に考えてみれば最初から分かっていたことです。
2回も心にくる断られ方をして、二人で遊ぶ事はもうないだろうと薄々感じていたので、仕方ないと割り切るしかありません。
ただ、この一連の出来事をまるで最初から無かったことにされていると感じました。勿論友達として良い関係性を保ち続けることは素晴らしい事だと思いますが、自分だけが躍起になり、絶望し、独りよがりな恋愛を半年もの間続けていたと考えると本当に胸が痛みます。



何が悪かったかといえば、自分が積み上げてきた人生が悪いという結論になりました。これまでの自分の生き方では、ここでこれ以上何かを達成することなどできなかったのです。
このおよそ半年間で反省した事は山程ありましたが、それはその当時どうすることもできなかったわけです。
人生タイミングが重要です。絶好のチャンスをここぞというタイミングで掴み取れるかどうかは、その一瞬よりもそれまでの積み重ねが大事だと考えています。
仕方ないと割り切るのが一概に悪いことではないというのは、まさにこういうことではないでしょうか。



終わりに


始まりは5月、沖縄は8月。
そこで終わればどれほど楽だったでしょうか。
いつまでも引き摺っている自分を気色悪いと罵ってもらっても構いません。事実です。今ならありとあらゆる罵詈雑言を受け入れます。

長文にはなりましたが、最後まで読んでいただき感謝です。
それではまたどこかで!
(次はこんなんじゃなくて全部スマブラ書きたいです…スマブラの小噺要らねえよ!と思われた方、普通にすみません)

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