
「ゆきてかへらぬ」 深く交わる3つの魂
この映画は、日本の近代文学史上で有名な恋物語と言われる、大詩人・中原中也(ただし、中也の評価が高まったのは没後)と日本における文芸評論家の草分け的存在とされる小林秀雄が、同じ女性・長谷川泰子という女優を愛し、いわゆる三角関係となった・・という実話を基にした映画です。
私自身は、昨年、「この映画を製作している」というネット記事を見て、「これは、映画館で観たい映画だな」と直感的に思いました。
この「文学史上に残る三角関係の物語」のことは聞いたことがあったし、文学や演劇は私自身、演劇の道を志していた身であり、今でも舞台鑑賞に出かけ、本を読む時間が幸せ、という人間です。
大正から昭和戦前にかけての物語、というのもレトロ好きな私には興味をそそりました。
実は、今、テレビもないし、今の時代にありがちな「仕事以外は、自分で決める生活」をしているため、2月21日公開のこの映画をキャッチしていませんでした。
それが、昨朝、何気にスマホでネット検索していたら公開されていて、早くもレビューが上がっている・・のを知って、
「これは観に行きたい!!」
と思い、最寄りの辻堂の映画館へ夕方から行きました。

結論から言います。
脚本、俳優陣の演技クオリティ、何から何まで最高過ぎて、引き込まれるような2時間でした。
まず、実在した高名な人物たち、特に写真や直筆手紙など多く残り、確かな人物像が伝わっている近代の人たちを演じるのは、かなり役者としてのレベルが求められると思います。
実際、「ゆきてかへらぬ」は、かなり前に脚本が存在していました。
しかし、今に伝わる「中原中也」のイメージにマッチする俳優がなかないない、として、なかなか実現していなかったそうです。
ちなみに、「中原中也」のイメージ・・それは、山高帽が似合う、美男子、などのポジティブなイメージもありますが、少し彼のことに触れた人であれば、「他者に対して攻撃的」「鬱屈したものを内面に抱えていそうだ」というイメージを持っている人も多いのではないでしょうか?
そして、小林秀雄と長谷川泰子を含めた3人の人物像をざっくりというと、実に「面倒くさい」人たちです。実際の長谷川泰子や小林秀雄も癖のある人たちだったのでしょうね。(この時代の文学者や女優など、そういう人でないと渡っていけなかった、というのが実情でしょうが)
そして、中原中也役の木戸大聖、長谷川泰子役の広瀬すず、小林秀雄役の岡田将生・・みんな、「これは、実在した人の人物像を本当によく研究して、魂で演技しているな」という印象でした。
少しネタバレっぽくなりますが、中原中也が長谷川泰子と同棲していた時、激しいケンカをするシーンがあります。
そのケンカのシーンの迫力たるや・・かなり本気、お互いに相手をやっつけるつもりで撮影に臨んでいた、というのは本当に伝わりました。
あと、私自身はテレビの無い生活をしているし、同郷(静岡県)だとは把握していながら今まで、広瀬すずの演技をしっかり見たことがなかったように思いますが、この作品を見て、なぜこんなに人気があるのか、その原因が分かったような気がしました。本当に、「長谷川泰子」になりきっていました。
そして、中原中也と長谷川泰子が出会った京都から東京へ旅立つとき、(2人が出会った時、長谷川泰子は松竹太秦撮影所で修行する女優、中原中也は山口県から出てきて当時の立命館中学に通う学生でした、中原中也は落第したというのは有名な話です)京都を雪が覆っていた、とか、冒頭に長谷川泰子が屋根から柿を拾い、その直後、中原中也と最初の出会いをした、とか、演出も本当に最高な世界観です。
また、長谷川泰子が中原中也を棄て、小林秀雄に走る件は、正直、中原中也のファンは、見るのが辛いかもしれません。
中原中也は散々、2人に悪態をついたり、嫌がらせ的に時計を持ってきて、結局、長谷川泰子は中原中也を想い出すその時計にひどい拒否反応を起こし半狂乱・・というシーンがありました。
しかし、正直これに似た経験は私もあるし、多くの人がここまで壮絶ではなくても、類似した経験を持っているし、共感する部分があるのではないでしょうか?
3人は、中原中也は小林秀雄の、小林秀雄は中原中也の才能を認め、「愛して」いたし、心の底でつながっていたのか、関係が切れえることはありませんでした。
ちなみに、中原中也のあまりにも有名な「汚れちまった悲しみに」の詩も、この一連を通して、長谷川泰子を親友に奪われた、その想いが背景にあるらしいし、小林秀雄は、1937年に中原中也が30歳の若さで亡くなると、「私は彼に若い頃、取り返しのつかない酷いことをしてしまった」旨の文章を発表したそうです。
映画の中でも、すれ違いが多い小林秀雄との暮らしで心身を病んでしまった長谷川泰子を中原中也は真剣に案じているし、中原中也が亡くなった時(史実は異なるかもしれませんが)小林秀雄が長谷川泰子に急ぎ知らせて、「あいつの死に顔を見てやれ!」と真剣に話しています。
この作品をとおして、私は、過去の恋愛、好きでたまらなかった人、そして男性も含めて、人間関係が上手くいかなかった人、などたくさんのことに想いを馳せました。
私も正直、面倒くさい人間です。
いつまでも終わった関係のことを引きずるし、「中原中也的」な面はあると思っています。
そして、この映画では、いや、実在した100年のこの3人にも、実際、今の「婚活アプリ」などで手軽に出会いを完結させようとする若者たちとは明らかに違う、「本気の人間関係」があったと思います。
全員、恋の炎も激しく燃え盛っているし、お互いがお互いを認めているから、裏切りとも取れることがあっても、ずっと真剣に関わります。
だから、心身のバランスも崩すし、殴り合いもするし、相手の存在、相手にとって自分とは何か、を本気で常に考えるし。
私も人間関係があまりマジになるとしんどくなるタイプですが、この3人の三角関係には、実は今の世に欠けているものが多く詰まっていると感じました。
生涯忘れられない本気の人間関係、大事でしょうね。