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パリ ゲイ術体験記 vol.29「才能とは何ぞや」

まだ人生の後半にもならない頃から、自分が研いてきた特技とか持って生まれた能力或いは与えられた才能 …を使って生きるという事について、ほぼほぼ興味が無いというか他人事みたいに思っている事が、自分の中でも漠然とした不思議さとしてあった。
生来の怠け者の性格が原因かも知れないし、社会の中で競争したり醜く嫉妬したりが細胞レベルで嫌だったから..などと自分なりに分析したけれど、これという答えは見つからなかった。

私の仕事はかっこよく言うならばピアニスト。
とはいっても、世の中にごく少数存在するスターピアニストなどとは縁遠いもので、どうにか生計を営む為にピアノを教えていて、弾く方は普段から続けている練習によって一晩のコンサート•プログラムとしてのまとまりが何とか感じられた時にヨッコラショと重い腰を上げてリサイタルとしてステージにかける …という地味な活動形態である。
これが一番私らしくあり、かつ快適な形なのだ。
だから "いつもピアノと遊んでいるオッサン" が自分では一番しっくりきている自分の表し方だと思っている。
ただ、周囲からは「折角の才能をもっと努力して真面目に活かさなければ勿体無い!」などと幾度言われてきたことか。
そこには必ず「親の恩..」「おフランスくんだりまで留学して」「これまで投資したお金は..」といった数々のオマケフレーズがくっ付けられて。

人々からの説教のおかげで「もう少し名前が世間に知られて、立派にピアニストしてます..と胸を張れるような成果を生まないとピアノの能力を持った意味がないのか…」というセリフが弾きながら強迫観念としてよぎる事も無くはなかったが、結局そこに向かって努力してみることはなかった。
ただ、目の前にあるピアノでいつも静かに一人で弾いて音を浴びていたいだけ。

余談であるが私の小学校1年生の時のエピソードで、校庭のグラウンドを3周する体育の授業で、皆がとっくにゴールしているのに私だけがまだ1周目を走り終えてないのを見た担任は「あんなに速く走るのは到底無理。足がもたついて動かない」と弁解した私をすぐさま循環器病センターに送った。
精密検査結果はお医者に「なんで来たの?」と言われるくらいに正常そのものだったので、心配から放たれた母は「何故にゆっくりしか走れないのか?」と病院で初めて理由を訊いてきた。
「ズックが大き過ぎて脱げまくるから走れない…」と答えた私の顔を母はゲンコでぶん殴った。
入学祝いに6年生用のズックを贈ってくれた親戚がいて、私はそれしかなかった新品のズックを持参して体育の授業で不便ながらも喜んで履いていたのだ。
ドでかいズックを履いている姿を見逃す担任も担任だと今更ながら思うのだけど、私はそんな頃からこの調子で全ての場面で目の前にあるものと対峙して過ごしてきた。
ピアノとは関係なさそうでもあるが、自分が気に入った事だけは周りも気にせず続ける性質はお馬鹿さんだった小1時代から今もって変わっていないのである。

おかしなことに、楽器特にピアノなんかを長年弾いていると、他人目にはその人の暮らし全てが優雅に映ったりするみたいである。
だけど、私の思春期青年期は人様が想像するような順風満帆な音楽一筋人生とは無縁の、とっちらかった親由来のトラブルがもとでの困難てんこ盛りの暮らしだった。
当時は若かったし五体満足でもあるから、それがなかなか辛い出来事であるにも関わらず乗り越えてきてしまった。だけど、今の歳で修行のために同じ経験をもう1度やれと言われたならば、皆さんお先に失礼しますサヨナラーと言い残して迷わず上に上がるだろう。
「傍にはいつも音楽がいてくれたので、あの苦難にも耐えてピアニストになることが出来ましたー」… なんて少しキザなセリフの一つや二つ言ってみたいものだけど、音楽に携わる無意識の幸福と目の前の苦難とが同量でバランスがとれていたらしく、わざわざキザってみる必要もなかったのである。

我が苦悩の時代に、音楽の小さな花は何時も寄り添って私に向かって開いてくれていた。
目立たずも健気に命をつなぎとめる役目を担ってくれていたこの花を自らが摘まなかった事が、私の本当の力ではなかったかと考える。
なにも大きなステージでブラボーを浴びる事や、音楽界から注目される演奏家であることだけが能力を活かしている訳ではないことを今更ながらに思い、才能の形に囚われ過ぎていた自分の薄っぺらさを恥じた。
その形は、人によってはものすごく地味で人の目などは引かないものである場合も多いから、よく見詰めないと目立たぬそれに助けられたり寄り添って生きている力の有り難みを持てないのではないだろうか …とも思う。

賢い皆さんはそんなことは百も承知で、とっくに人生の中で折り合いをつけて生きているのかも知れないけれど、とにかく私はそう認識するのに長い時間が必要だった。私の才能も頭の回転も亀のお散歩型だということがよーく判ったのだった。
そして、結末が「ウサギとカメ」になる淡い期待など一切抱いてはおりませぬ。


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