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パリ ゲイ術体験記 vol.54「ボーイフレンドは億万長者」

まだ若かった頃の話であるが、私の愛人の一人になかなかの富豪がいた。
愛人といっているが、その頃はパートナーがいなかったから恋人とも言えそうではあったけれど、そこまでの思い入れもなかった。
このパスカルという男性は5人の子持ちの既婚者で、早い話が筋金入りのバイセクシャルである。

出逢いは、近所のスーパーに行こうと歩いていたら向こうからがっしりした体つきの一見素敵な男性がジョギング姿で走ってきて、すれ違いざまに目が合った。
チラッと後ろを振り返って見たら、相手も走る速度を落としてこちらを見ている。
パリでは、ゲイのみならず異性間でもこの種の出逢いのケースが結構あってエキサイティングなのだが、私は目にとまった相手を瞬時に分析を試みる技には長けているが、自分から挨拶したり話しかけたりする行動力はない。
こうした場面でのフランス人は積極的であり、この男も何のためらいもなくニコニコしながら私のもとに走ってきた。
「やあ、元気かい?」
 「はぁ..まずまずですが」
 「僕はパスカル。君はこの辺りにすんでいる     の?」
「そう、すぐこの先に住んでますが」
 「あぁ、それならば君の家で水を飲ませてよ」
これが我々が知り合うきっかけでスタートだった。

自己紹介では、近くの高級住宅街に住んでいて、家には常に二人のお手伝いさんがいるのだとか。
本職の国際弁護士の他に趣味で5つほどの会社を営んでいるそうな。
私よりも6つ年上だけなのに、こちらは爪に灯をともす貧乏音楽家で、かたや自らを億万長者と言いきる強者。
いろいろと話を交わしていくと、生来の格差や徳の違い、生命力の差みたいなものを感じないではいられない、ある意味ゴージャスな男である。富める者さらに富み、貧する者さらに貧す. . という聖書の一節が私の耳元で囁いているような気分にもなる。
このパスカルは、大洋に浮かぶ大きな島を丸ごと買い取って小国家にして自分がそこの大統領になる野望を持ってると話してくれた事があった。実現するに夢のような願望ではないとも言った。
こんな胡散臭い話をシャーシャーとされると即座に眉唾男の対象となるが、彼の場合は嘘でも妄想でもない事がじきに理解できるようになっていった。

だけど、じきに判明したのは先ずは倹約家としても超一流であることだった。
仕事でパリ-ニューヨークを頻繁に往復しているけれど、飛行機はLCCしか乗らないと言う。毎回ファースト•クラスで往復していると思いきや、「ビジネスはゲームだから、余計な金は僅かでも使わないのが基本。ファースト•クラスなんてバカバカしい散財」らしいのである。
しかし、パスカルと私の密会はいつまで経っても我がアパートだけで、つまらないことこの上ない私。
私「ねぇパスカル、知り合いって数年経つのだから、もっと何か違うデートのアイデアないの?」
パスカル「僕と他に何がしたいのさ?」
私「例えばレストランに行くとか. . .」
パスカル「ふ~ん。君、僕と食事がしたいなんて希望を持っていたの?」といたって不思議そう。
その数日後「僕の好きなアメリカン•レストランに招待するから、シャンゼリゼで落ち合おう」旨の電話を受け取った。
パスカルと初の会食だし、それもわざわざシャンゼリゼ。
彼に恥をかかせてはならないと思い、滅多に着ないブレザー姿でいそいそと出かけた私。
だが、彼に案内されて行った先はマクドナルドだった。店先で「冗談だよね、パスカル??」と言えば、「なんで?ここだけど?」と大真面目な顔。
このエレガンスの無さとみみっちさ!と心底軽蔑して身震いしながら飛んで帰った私の内心を、彼はとうとう理解できなかったようであった。
このマクドナルド事件をきっかけに、我々の感覚が大分異なっているだけだという事が判明していくのだった。

それ以降、一緒にレストランに行く機会は増えたのだが、麗しい会食などという思い出は無し。
安食堂でメニューに目を通している時点で「この一番安い定食にして」と言ってきたり、稀に高級レストランに連れてきたと思えば、彼が出た食事をそこそこ平らげた挙げ句に黒服さんを呼んで「前菜がひどく不味かった。これには金は出せない」と交渉を始めたり. . .
私は食事だけで解放されるから呆れるだけだが、こやつがもしも自分の旦那だったら..と想像するとゾッとする事が多々あるのだった。

普段はこんな風な冴えない付き合いだったけれど、私が音楽を続けている事だけには唯一気にかけてくれたから救われていた。
「のりタマは細々とでもピアニストで頑張っているのだから、そろそろ自分のCDくらいは発表した方がよくないかい?」と持ちかけてきたのでよくよく話を聞けば、自分の経営するメディア製作会社でCDを作ってやると言う。そんな事業までやっていたのか. . .   話はトントン拍子に進んで、私のデビューアルバムが出来上がってしまった。

しかし、問題は彼の製作会社というのは音楽レーベルなどではなくて、エッチDVDの製作会社だったことである。
発売しているカタログを見せてもらったら、そこにズラリと並ぶのは「お隣の淫乱なマダム」だの「究極巨乳伝説」とかいった暗澹たるタイトルの品揃え。
「まさか、この中の新譜案内に "おくてピアニスト•ベートーヴェン乱れ弾き" なんてタイトルを付けて売り出す気?!」と言ってみたら、「なかなか良いセンス!」とニコニコ笑っている。
私が懇願した甲斐あって、彼は新しい名前で立ち上げた別会社名でリリースしてくれたのだが、あれからもう何年も経っているのにクラシック音楽二人目の専属アーティストは以降もう誰も出ていなさそうである。

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