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パリ ゲイ術体験記 vol.40「珍家主と名物ピアニスト」Part.1

ピアニストのJ子さんは、日本の音大を出てから何年間も両親から嫌な見合い話を押しつけられてうんざりしていた。
彼女にはかねてからパリでフランス音楽を勉強したいという願望があったので、30歳を過ぎてはいたが親に留学を申し出ることにした。
だが、天塩にかけて育て上げた一人娘を立派な家に嫁がせる事だけが夢だった両親は逆上し、ほとんど親子断絶された状態でJ子さんはパリに旅立つことに。もちろん仕送りなどはびた一文しないときつく言い渡されて。

数年間貯めていた少しのお金を持ってパリにやって来た彼女は、とにかく出来るだけ安い住まいを探すしかなかった。
そして、安い家賃で既にそこにあるピアノでしっかりと練習ができそうな物件を運良く見つけ出した。
それはアパートではなくて、フランス人の彫刻家の老婆が一人で暮らしている芸術家のアトリエ。そこは今もまだ残っているモンパルナスの芸術家アトリエ村の一角。
在りし日のモジリアーニやヘミングウェイが同じ建物に住んでいたという事実に思いを馳せればロマン漂う話ではあるが、そこに一歩足を踏み入れたならば陽当たり悪く空気はどんより沈み、そこにいる者のエネルギーが取られてしまうようなマイナスの静けさを体感する所でもあった。
それは、その土地の真下に広がっているカタコンブと呼ばれる昔の地下墓地のエネルギーも関係があったりするのかも知れない。

J子さんにはそんな事にかまっていられない切羽詰まる経済事情があったから、老婆がいるアトリエに住む事を即断した。そのN婆さんの食事などを含めた身の回りの世話をするという契約のもとで。
その界隈で変人として知られているN婆さんは文明の機器を信用してない人で、電子レンジはおろか洗濯機ももっていないので、J子さんは真冬でも洗濯物を手洗いするしかなかった。しかも婆さんの分まで。
洗髪は髪によくない悪行と決めつけている婆さんだったから、J子さんも半月に一度しか髪を洗えない。ゆえに彼女の長い黒髪はいつも油分で固まっていて、若い頃のジュリー(沢田研二)のステージヘアスタイルみたいな風が吹いてもなびかないという風貌を呈していた。
それ以前に風呂場自体がまず無いので、たらいに鍋で沸かした湯と水を混ぜてチロチロと湯水をかけるだけの入浴である。それもごくたまーに。

N婆はボロ車で出かける週に一度の買い出しにJ子さんを連れて行くが、パリの街中を100kmのスピードでかっ飛ばして暴走する婆さんの運転に毎回癇癪を起こすJ子さん。単に危険であるだけでなく、頻繁にパトカーに追いかけられて捕まり、助手席にいる若いJ子さんが煽っているのではないかと警官の大目玉をくらうからである。
なんでも、婆さんは他の車に追い越されるのが我慢ならない性分なのだとか…

たまに私がアトリエを訪れると、気のいいJ子さんはもれなく食事をふるまってくれるのだけど、神経質な私は毎回食べる前からお腹がちょっとばかりゴロゴロしてしまう。
このアトリエは水回りが昔からのままになっていて、3畳より狭い台所の一角に便器がドーンと居座っている。
要するにキッチンとトイレが共存しているという不思議な空間である。
便器の真横で野菜を切るJ子さんを監視していたら「ちょっとだけあちらに移動なさってね」と言ったと思ったら、バーっとスカートを下ろして野菜の斜め下で用をたす彼女。しかも扉は無し。
スカートをあげながら「済みましたわ。お戻りくださいませ~」. . . といたって平気。
このシュールな光景と食物細菌繁殖ストーリーの想像を食事中に自分の頭からぬぐい去る癖をつけるのにかなりの時間が必要だった。
ちなみに野菜の切り屑も油の残りも、便器に突っ込んだらジャーと流しておしまいだ。

それから、N婆さんには50過ぎの2人のどら息子がいるが、変な母親には寄り付きたくないと言ってるらしく滅多にやって来ない。
だがある時に次男の経営する小会社が倒産して借金取りに追われていたらしく、その時期には母親への金の無心にちょくちょくやって来るようになった。
とうとう借金の矛先はJ子さんにも向けられて「ママからひどく安い家賃で借りてるくせに!」と言わずもがなないちゃもんをつけ、J子さんも「私はやる事はやっている!」と顔を赤くして湯気を出しながら応戦している。
怒り心頭に達した彼女はとうとうテーブルをひっくり返し、吹き抜けの階下にいた私の目の前に投げつけられた椅子が飛んできた。
変貌しているJ子さんにビビった私は抜き足差し足で帰ろうとしたら「何処行くのっ!」と一喝されて、2人のどちらが正論を言っているかを述べよと私にまで詰め寄るJ子さん。
だが結局は、息子のあまりのしつこさに根負けしたJ子さんは怒鳴りながらでも自分の金を息子に渡してしまうのであった。

私がJ子さんと出逢ったのは彼女がそこに住みだして5年目くらいだったから、既に変人沼に片足はすっぽり入っていて、過去の令嬢J子から野生のJ子へと変貌を遂げている最盛期と推測される。
そして、J子さんはそれから何年も何年もそこで頑張った。
なぜなら、そこには婆さんが昔使っていたという古いプレイエルのグランドピアノがあって、深夜まで思う存分に練習ができたからでもある。
その姿を知る周りの誰の目にも「幸せそうなJ子さん」の映像が焼きついているのは間違いなかった。

つづく


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