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パリ ゲイ術体験記 vol.46 「ピアノ独学は損だらけ」

家に閉じ込められていたコロナ•パンデミックの頃から、趣味の大人のピアノ•レッスン需要が増えているようだ。
過去に少しピアノを習った事があったが長くは続かずにピアノの蓋は閉じたままになっていたが、この時期に音楽を楽しむ事の大切さや価値を再認識し始めた人が多いようである。

私のもとにも自分のペースで楽しみながらレッスンを続けている大人の生徒さんが7人ほどいる。
その生徒さん達を眺めていて思うことは、現在独学をしながら上達を期待している人は、さっさと独学はやめた方がよろしいということである。
ピアノに限らず楽器の勉強では、独学で身に付けたものには必ずや変なクセがこびりついていて、いざ直す場合に膨大なエネルギーと時間が必要となるからである。
楽器の独学において自分一人で発見できる事などはたかが知れていて、教わらないと絶対に得られないことがわんさかとある。
「でも先生はコンサーティストでもあるから、初心者や趣味の生徒はとらないでしょうね?」と訊かれたりするが、私は何ら問題なく入門から手ほどきをしている。というより、後々無駄なくレッスンができるのでむしろ好きであるかも知れない。

私にはピアノの入門時期から成人になるまでの長い期間、三流以下ともいえるピアノのレッスンを受けてきた過去がある。
自由勝手な弾き方や甚だしく悪い弾き癖を山のように抱えてしまっている事実を、随分あとになってから自覚することになった。
そして、不器用な私はその問題を改善するのに気が遠くなりそうな長い時間と労力を費やすことになった。
早い話が、私の先生達は正しいピアノ奏法をなーんにも知らなかったのである。

一番最初の数年間の先生は、私が弾くものを全て褒め称えてばかり。二人目の先生は、真逆でことごとく否定され拒否されて、ピアノ以外の事でも何から何まで怒られていた。
先生のお宅に上がる靴の脱ぎ方揃え方に始まり、先生や他の生徒へのお辞儀の仕方、レッスンで自分の順番がくるまでの準備万端な待ち方、先生への失礼にならない月謝の渡し方などなど。
毎度毎度あまりに怒られ罵られるので、先生のお宅の前で降りるためのバスの降車ボタンが怖すぎて押せず、2~3個先のバス停まで乗ったままになり、結局は玄関先で仁王立ちで待っている先生を見て地獄の底に来た気分でレッスンが始まるのが常であった。
今となっては、実はスパルタ•マナー教室に通っていたのではないかと感じるほどである。

そして、中学生の頃からは東京の某音大の著名な人気先生のもとに、片道数百キロメートルをかけてレッスンに通うようになった。
地方で上手い上手いと煽てられてきて自分を見紛うようなバカな子だったのと、有名音大の大先生=神…くらいな錯覚もあって、東京に通うだけで上手くなった気分でレッスンに出向くようになっていた。
この先生はご自分でも一応は演奏会をする人だったのだが、実際のところは自身があまりテクニックを持っていなかったので、生徒には当然のことながら高級で懇切丁寧なテクニックの指導などはできるワケがなかったのである。音楽の真髄については間違ってはいらっしゃらなかったけれど、それだけでは生徒は決して上手くはならない。
「のりタマ君、もっとよい指使いで」「のりタマ君、旋律をもっとキレイに歌って」「のりタマ君、ペダルをもっと踏みわけて」. . .
結論だけ言えば先生の指摘は正しかったのだけど、生徒がそのように改善するにはそのやり方を示すのが指導者の役目なのだが、残念ながらそのようなレッスンは受けた事がなかった。
良い指使いも正しいものに変えてくれねばならないし、キレイに歌うにはどのようにそうするのかの説明がいる。ペダルだってちゃんと踏むには何処でどういう理由でこうして踏むという論理も必要だ。

このようにして私はピアノを続けてきて、そしてその状態でフランスに留学したのである。
パリに来て師事することになった世界的なピアニスト大先生の私への最初のセリフは「貴方はなんて気の毒な人でしょう。なーんにも教わってこなかったようで可哀想としか言い様がないわ。仕方がないから私が貴方を救います」であった。
早い話、ピアノ入門の頃からフランス留学まで独学でピアノをやってきたのと大差がなかったのだ。
それによって失っていたものは、正しい奏法と無駄に長い練習時間と高い月謝と自尊心。
逆にその結果やっとこさでも得られたものは、無駄のない正しい奏法の他に、生徒には絶対に言うべきではない文言、音楽に常に真摯であろうとする姿勢. .  .まだまだ沢山ある。

数日前、趣味でピアノを弾いているが習った事は一度も無いという大人の方からレッスンを始めたいという連絡をもらったので、どんな感じで弾いているかを先ずは聴かせてもらうことになった。
彼はショパンのノクターンの中でも技巧的に一番難しいとされている1曲を弾いたのだが、音符の拍数も拍子もテンポも全てを無視した呪われたノクターンだった。
彼が弾きながら自分の耳に聴こえているものは、実際に自分が出している音ではなくて、自分がよく聴いている名演奏家の奏でる美しいノクターンが鳴り響いているに違いなかった。
基礎のキすら学んでいないから無理もないのだが、レッスンするにも全く手のつけようがない出来だったので、「今のような謎めいたノクターン1曲だけを弾き続けるよりも、よろしければ初歩から私と一緒にやり直しませんか?」と言ってみたところ、烈火の如く怒りだした彼。
こちらは本人の為によかれと思って提案しただけで、何もブッチギられるいわれはない筈だけど. . .
彼の理屈は「僕がこの曲を最後まで弾けたという事は、僕にはテクニックがあるという紛れもない証であるっ!」というものであった。
続けての「この好きな1曲の為にどれだけの多くの時間を犠牲にしてさらってきたかわからない程だから、今さら入門だの初級だのやってられない!」という主張に、「勇気を持ってそこからやり直した方がよほど近道ですよ。数多とある他の素敵な曲を弾く可能性も大きく拡がります. . 」と言っても彼には通じなくて、頭から湯気を出しながらの満面の仏頂面。
ふと「もしも自分が彼の先生になったら. . .」と想像してみたら気が重くなったので、丁重にお引き取り頂いたけれど。
これが日本人ならば、屁理屈を並べるどころか落胆し意気消沈して後々の改善策を考えるだろうが、プライドが高くて高飛車なフランス人にはきっと耐え難い現実で、お得意の主張を振りかざして逆ギレするのであったが、それはお門違いと言うものである。

今の時代はレベルも著しく向上して、留学帰りのピアノの先生なんかもたくさん増えているので、私が辿ったような大ハズレ先生を引く確率は低そうであるから、これからピアノに親しもうとしている音楽好きの皆さんは、良さそうな先生を見つけて独学独習はなるべく避けられますように。

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