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パリ ゲイ術体験記 vol.49「猫飼いたいムズムズ」

私は猫バカ気味である。
と同時に猫アレルギーでもある。

実家にいた中学•高校の時期、多い時で15匹の猫と暮らしていたことがあった。おかげで、その頃は常に猫アレルギーによる鼻や目のかゆみ、くしゃみと共に鼻水を垂らしながら集中力ゼロの生活を送っていた。
家は山の麓にある大きい古民家なので、15匹の猫が家屋に悪さをしようが特に問題でもなかったし、猫達も田舎家の広い敷地に各々が気に入った場所をみつけて過ごしていたから特に猫屋敷にも見えなかった。
裏山に山菜採りに上がる時には、ついておいでと誘ったわけでもないのに、15匹がゾロゾロと私の後ろからついて山頂までやってくる。私がワラビやゼンマイを採っている間は辺りで遊んだり昼寝をしたりして過ごし、山を下る時にはまた皆が後をついて降りてくるという、小学生の集団登下校よりも世話要らずなグループだ。

日々のピアノの練習以外は宿題すらほったらかしの私だったが、猫の相手には自分の練習と同じかそれ以上の時間をあてていた。
そして気がついたら、猫がお産をする際には産婆(今でいう助産師?)までこなすようになっていた。
産気づいた猫は私を気に入った場所まで誘導して、あぐらをかけと指示してきて妊猫はその中に入って丸くなる。私の手に噛みついてお産の痛みを堪えて、私を支えに脚を踏ん張っての出産が当たり前になっていた。
まるで「産婆はあいつだからな. . 」とメス猫達の間で申し合わせているかのように。
お乳の出が悪くてどんどん弱っていく親子がいたりしたならば、親猫は息絶え絶えみたいな子猫をくわえて私の前に持ってきて懇願する目で見つめるものだから、親猫代理のミルク与え役や子猫の下の世話…と仕事は続く。

その頃から私には言い知れぬネコ勘みたいなものが備わってきていて、幾つかの不思議な猫体験をすることになる。
ある真夜中、我が家のワサビという名の黒猫(黒猫が数匹いて、識別の為にお土産でもらったワサビ漬けの紐を首にまいておいた) が犬に噛まれて重症を負った映像が脳裏をよぎり、嫌な予感がして再び眠りにつけなかったので玄関先まで出てみたら、何かの動物に襲われて血だらけになって這って帰ってきたワサビを拾い上げるという出来事があった。
また、猫は同じ血族での個体が増え過ぎると家出をしてしまう者がいるらしく、私が特に可愛がっていた賢いチビ黒猫がある日家出をした。
だが、チビ黒が家出をする直前に今それが起きる事を私はなんとなく知っていて、与えたチビ黒の好物をたんと食べ終えた彼女は、ゆったりと家から出て行ってもう帰らなくなった。
その寂しさとがっかり感が薄れてきた3か月ほど過ぎたある日の午後、縁側でくつろいでいた私の脳裏にチビ黒が戻ってくる予感が走り、そして私の顔と視線は縁側から見える坂道に釘付けになる。
そうしたら、我が家に向かう数百メートルの緩やかな坂道の彼方に小さな黒い点が見えたと思ったら段々と近づいてくる。チビ黒だった。

3か月の不在などなかったのように帰宅して、私の傍に小一時間くっついていたが、またこれからすぐに家を出て行く事を悟ってしまった私。そして、それが永遠の別れになることも。
ついさっき登ってきた道を静かに戻っていく黒チビは、50メートルほど先でこちらをゆっくりと振り返って眺め、「お互い達者でな!」と視線でコンタクトしあった確かな何かを感じた。
ここでチビ黒を追いかけ連れ戻しても結果は何も変わらないとも悟ったような私の心には、祇園精舎の鐘の音が鳴りまくっていた. . 
それにしても、あの謎めいた出来事は何だったのだろうかと今でも時折思い出す。

今ではとっくにおじさんになってしまった私。
だけど、猫テレパシーとも呼べそうな感覚は今もってまだ少し健在で、私と袖すりあったよそ様の猫をもまきこんでの不思議な小事件がたまに起きたりしているのである。
普段の人間生活では四方八方にテレパシーというか念を撒きちらしているつもりの私。動物には効き目があっても、人間の、それも特にフランス人のハートにはチリンとも共鳴しない事実が、プチ絶望している私のもとに更に空っ風を吹かせているのかも知れない。

できることならば野良猫にでも養子に来て頂きたいものだけど、パリには野良人間はわんさかいるが野良猫様にはお目にかかったことがない。
しばらくしたら、放棄犬猫センターあたりを覗いてみようかな。猫アレルギーは今もそのままだけど。




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