子供とわたし。

わたしは独身で現在は独りで暮らしている。
家族との事はまたいつか書こうと思っているが、可もなく不可もなし。
でも、根深いなにかがある気がする。
曖昧なのは自分でも自信がないから。

たぶん誰かと暮らすことに向いていない。
だから結婚しないと思うし、子供は産まないと決めている。

最近子供と触れ合う機会が少し増えたので、今日は思い出話を。

なお「こども」「子供」「子ども」について、どの表記にするかという問題は一旦置いておく。
単純にわたしの文章だと「子供」が一番読みやすいので、これを使うだけ。

そして、これだけは忘れないで読んで欲しい。
わたしは現在、それなりに幸せだし誰のことも恨んでいない。

子供が好きか嫌いか

わたしは子供があまり好きではない。
嫌いというとちょっと強すぎるので、苦手としておこう。
予期せぬ動きをするところ、大人のルールでは如何ともし難いところ、弱くていつも気にしてないといけないところ…… など、苦手なところは幾つもある。
誤解しないで欲しいのは、わたしも赤ちゃんを見れば「可愛い」と思うし、見知らぬ子供に話しかけられたらお返事はするし、困っていたら助ける。

ただ、自分で産んで育てるだけの自信と体力がない。「そんなの誰でも同じだよ」と言われるかもしれない。

でも、他人の人生に責任を持つのが怖い。

将来の夢

こどもの頃、きっと誰もが聞かれたであろう「将来の夢」。わたしは幼稚園児の頃は「お花屋さん」になりたかった。

その後、小学生になった時に、母親から将来の夢について聞かれた。おそらく3〜4年生くらいだったと思う。いろいろな物事の判断がつくような年齢にはなっていた。

正直、何になりたいかなんて分からなかった。
今でも分からないのに、当たり前である。

「お花屋さんはなんか違うな」と子供なりに考えて出した答えは「お母さんになりたい」だった。
当時、わたしの友達もそういう風に言っている子が多かった。だから、わたしも軽い気持ちで答えた。これなら当たり障りがないだろうと思った。

母親からのまさかのアンサー

「お母さんになりたい」というわたしの無邪気な答えに、母親は少し黙って、静かに話し始めた。

「それは無理かもね。子供は産めないかもしれない。」

そんな深刻な話になると思わなかった。

え、そうなの?
なんで?

静まり返る車内に、なんとも言えない空気が流れた。問いさえも飲み込んで、母親が話すのを静かに聞いていた。

病弱なわたし

子供の頃、わたしは酷く身体が弱かった。
アトピーでアレルギー体質で、重めの小児喘息だった。夜中に頻繁に発作を起こしては夜間の救急外来に駆け込んだ。

携帯用の吸入器よりしっかりした機械のほうがいいだろうと、病院にあるのと似たような機械を祖父が買ってくれた。

一日に何度も病院に行った事もあるし、救急外来に喘息に詳しい医師がおらず酷い目に遭った事もある。生まれ育った土地はとっても田舎だったため、病院に行くにも時間がかかる。タクシーだって呼ばないと来ない。

ある日、担当医が言った。
「もしもの時は救急車を待っていては間に合わない可能性があります。すぐに車で病院に向かってください。数分が命取りになるので、とにかく早く病院に着く方法を選んでください。」
田舎だからこそ、両親は2人とも運転ができるし車も一台ずつ持っている。田舎だからこそのアドバイスである。

そんな危うい状態が中学生くらいまでは続いた。
「小児喘息が治まるとしたらこのくらいの時期なので漢方に切り替えてみましょう」と言われて、ダメだった。即、夜間救急。
もう一生治らないのかな、ずっとこのまま苦しいのはイヤだな、とぼんやりと思っていた。

母親なりの思いやり

前置きが長くなったが、上記のように身体が弱すぎた。死亡フラグも何回も立ててきた。
母親はずっと思っていたのだろう。「この子は大人になれないかもしれない」と。

なんとか成長したとして、元気いっぱいに働いて結婚して子供を産んでといった、いわゆる「普通の生活」はできないだろう、と。
そこで咄嗟に出た言葉が「子供は産めないかも」なんだと思う。

期待を持たせてはいけない・かわいそうだと思ったのかもしれない。母親も常に死にかけのわたしを連れて不安だったと思う。
本人に聞いた事がないから知らないけれど。

ただ、そこに思いやりがあったとしても、小学生のわたしには衝撃的だった。母親の言う事は絶対だと思っていたから。

それから長らく「わたしは子供が産めない」と思い込んでいた。
期待すれば悲しくなる。
だから、どこかで自分の心に蓋をした。

「わたしは子供が苦手だから産まない」

気の毒な自分に暗示をかけた。

成人してからの話

既にお気付きだろうが、現在のわたしはそれなりに健康である。
まだ書いていない不調は抱え続けることになるし、なんだか白血球が少し多い気がするが、普通に働いている。
頭部MRIや大腸内視鏡など、様々な検査を経験しつつも、風邪もほとんど引かないような生活をしている。

成人して吸入器ともおさらばした。
何故かアレルギーもだんだんマシになった。
花粉症ですら、症状が控えめになった。
もはや呪いだったのかと思うくらい、実家を離れてから体調が良い。

しかし「子供は産めない」と思って20年以上生きてしまったわけである。
わたしは頑固な性格なので、「やっぱり大丈夫でしたー! 早く結婚して子供産んでね!」と急に言われても無理である。
もっとポジティブに生きられたら良かったのかもしれない。

母親はきっと、自分の言ったことを覚えていない。
わたしも母親が言ったことで傷ついた話がしたいのではない。
母親とわたしの関係は多くの問題を抱えながらも悪くないと思うし、好き嫌いで言うならば、わたしは母親の事が好きである。

ただ自分に期待する事をやめただけ。
昔のわたしみたいな弱い生命体を育てることは、きっとできない。
 

最後に

長々と語ってしまったが、こんなわたしでも仕事でお客様の子供を見るたび「可愛い」と言っている。
お世辞ではなく、可愛い。
生まれたての赤ちゃんは精一杯泣いても弱々しくて可愛いし、ちょっと歩けるくらいの子供も足元がおぼつかなくて可愛い。幼稚園くらいの子供は小さいのに自分を持っていて可愛い。

つい先日、小さなお客様がわたしの脚に抱きついてきた。
お母様も「あらあら、しないのよー」と大らかに笑って下の子のお世話をしている。
思わずふふっと笑って、そっと抱きしめ返した。
小さくてやわらかくて、とっても可愛かった。

この「可愛い」は、なんの責任も負っていないが故の、輪の外からの「可愛い」。
でも時にはこんな無責任さも必要なのではないか。
だから今日もきっとわたしは「可愛いですね」と小さなお客様に声を掛ける。












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