痛みなくして成長なし、って本当なんだ
「No pain, no gain.」
定員割れした田舎の私大。
小さな小さな講義室で京都出身の先生がまくしたてるように話していた。
気乗りしない授業の、合わなさそうな先生の好きなことわざ。
No pain, no gain.
聞いたことある。
なんとなくわかる。
人生そんなもんだろう。
わかった気でいた。
だけどこの言葉の意味を、社会人8年目にして体と心で理解することになる。
それは、とても、痛かった。
甘すぎる目標設定
新卒で事務職として入社し気づけば8年目。
異動なし、転勤なし、管理職への昇進なし。
優しい先輩にのんびり仕事を教えてもらい、15時にはお子さんの話に相づちを打ちながらおやつを食べてコーヒーを飲み、少し仕事して定時に退社。
「このまま定年までいられるかもしれないなぁ」
なんて本気で思うほど、
月曜から金曜日までの過ぎ方も、春から冬までの移り変わりも、この8年はこの先も定年までずっと続きそう、そしてそれはそんなに悪くない、と本気で思っていたのだ。
でも自分では気づかないうちに
同期も後輩もいない。
そばにいるのは自分より遥かに仕事ができる先輩。
定年までいられるかもしれない、という長期的すぎる目標。
わたしはじわじわとダメOLへの道をたどっていった。
1人目の所長、2人目の所長
8年で小さな営業所の所長は3回変わった。
1人目は寡黙で、おそらくリーダー役は苦手な人だったんだと思う。
眼光するどく、話すときは目をあわせず、喜怒哀楽が読みにくい、気難しくみえる人だった。
わたしは所長がそこに座っているだけで緊張していた。
事務職の話にはほとんどノータッチで、よっぽどおかしな数字がないかぎり、仕事の話もあまりされなかった。
お酒を飲むと普段がまんしていることをひどい言葉で言う人だった。
ストレスがたくさんあったんだと思う。
入社してから3年で、異動することになった。
「もうおれはみんなの所長じゃないから」
と引き継ぎ期間は存在がすぅと消えていくようで、静かに、本当に静かにいなくなってしまった。
2人目は根っから明るくて、お酒と楽しいことと、なにより人が大好きな人だった。
朝の8:00からもう飲み会の話をしていて、少しでも楽しそうなことがあったら目をキラキラさせて食いついて、年齢より肌がツヤツヤで、笑い声がとても大きくて。
所長は飲み会が多くて困るなぁ、なんて言いながら、みんな目を細くして笑ってた。
このとき3,4年目で仕事に慣れ始めた(つもりになっていた)わたしは、たぶん本当にゆるみきっていた。
一緒に笑って、楽しいなぁ、なんて思っていた。
でもそんないいときは長く続かず、いや、あっという間に感じただけかもしれないけど、所長は4年で異動になった。
うわさ話は営業所にも回ってきていたけれど、いつもの朝礼で所長本人から正式に異動が発表されたとき、
いつも明るい所長が
「ありがとうございました
本当にお世話になりました」
と頭を下げたとき
聞いていた全員が本当に自然にすっ、と頭を下げた。
そしてわたしも本当にすっ、と頭を下げていた。
そのときの景色と、自分がなにも考えずにすっ、と頭を下げたあのときの感覚を、わたしは一生忘れないと思う。
それは、人生で何度も得られる感覚じゃないだろう。
所長、ありがとう。
今、きっとみんながそう感じている。
これから所長がいなくなることをとても寂しく感じている。
恩返しをする時間もなかった。
あまりにあっという間だった。
ただありがとう、と頭を下げるしかなかった。
3人目の所長に打ちのめされる
3人目の所長は、4月にやってきた。
30代後半で仮にも大企業の営業所長にまで出世する優秀さと、
若い所長らしくハラスメント行為にも理解がある「いいリーダー」。
声も体格も大きく、1人で3人分働けるようなアグレッシブさと頭の回転の速さ。
よく使う言葉は
「ルール」
「ミーティング」
「費用対効果」
「この経費をかける意味は?」
……
いい所長である。
…やる気がある人にとっては。
前所長との4年にも及ぶ蜜月に慣れきった所員たちには厳しいものがあった。
それは例えるなら、流れのおだやかな川に外来種がやってきて、体の一部を少しずつ食われていって、ふらふらとやっと泳いでいるような感覚だった。
もういつ水面に浮かび上がってもおかしくない。
おだやかだった川の流れは急に勢いを増し、上に向かって必死に泳がなければ下流に一気に流されるー
そんな感覚を、はっきり言葉にはできなくてもみんなが感じていたように思う。
わたしたちは、今はもう、この状況に慣れるしかないのだ。
新しい所長は毎月、複雑でむずかしい成果明細を、1本ずつ、きちんとほぐしていった。
「この数字はなに?」
「これは、どうしてこうなったの?」
今まで聞かれたことのない質問に、あわてて調べ始めたり、過去のデータと照らし合わせたり。
数時間かけてデータをまとめて、「わかったよ!理由がわかれば大丈夫だよ」と優しいながらも一言で終了。笑
数時間が一言で…。笑
だんだんと、わたしの定時退社は18時になり、19時になり、19時半になり、時には20時を回るようになった。
家で過ごす「自分に戻る時間」が少なくなった。
ばたばたと寝てすぐに朝がきて、切り替えもできていないまま8:30にはなんとかデスクに座っていた。
9:00、まだ午前中なのに、寝不足なのか頭がふらつく。
いや、この現実を、今までの甘い自分がつくりあげたという事実に打ちのめされそうになっている。
痛い。痛い。痛い。見たくない。やりたくない。
またなにか指摘されるのは辛い。
8年もいたのに、こんな自分はとても痛い。
普通どころか、普通以下、を受け入れる
でも、ふと思う。
今は、と考える。
気づかせてくれたと思おう。
きーんと痛い、これはきっと成長痛。
前よりもわかったことがたくさんある。
指摘されて気づいたこともたくさんある。
この数年間を、泳ぎきるのだ。
ふっとお腹に力がはいる。
くちびるがきゅっと結ばれる。
手と足を動かし始める。
きっとまた傷つくだろう。
優秀な人は無自覚に凡人を傷つけるだろう。
でもなんとか食らいつく。
思っていた自分じゃなくてもこんな平凡なわたしを受け入れる。
No pain, no gain.
あの大学の小さな講義室、9年の月日が経っていた。
教室から見えた大学の並木道は、冬の前、寒くなり散りはじめる前に、一気に黄金色にかがやくだろう。
その景色はあの講義室の窓から座って見るよりも、今、大学の外から立って見るほうが、ずっとずっと美しい。
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