こうやって傷ついたのは久しぶりだけど、わたしもう30歳だから
10月のその夜、わたしはとても気分がよかった。
大学時代からの親友と2人、ふんだんに木材が使われたお店でピザとパスタ、ジンジャーエールとレモンスカッシュを頼んだ。
間接照明がたくさん置かれた店内で、気づいたらハープの演奏が始まっていて、音楽の合間に拍手がぱらぱらと起こったりして、彼女とわたしは終わらないおしゃべりに夢中になっていた。
どっしりとした木材のテーブルに置かれた間接照明に照らされた彼女の顔は、数ヶ月前よりキレイになっている気がした。
「なんかキレイになった?今日、なんだか違って見える」
「そんなことないよ!このライトのおかげだよ。下からいい感じに照らしてくれてるから」
また謙遜してるなぁ、そう思いながら、いや、やっぱりキレイになったと思った。
仕事終わりに駆けつけた彼女は疲れているはずだけど、てろんとした白いボウタイブラウスは肌のツヤと合っているし、なんだか体の内側からほんのり発光しているようだったのだ。
最初のサラダはこういうお店にふさわしい、まぁるいガラスボウルに入って運ばれてきた。
酸味のきいたドレッシングは新鮮な野菜とマッチしてシャキシャキと食べやすく、
そこで彼女が口もとを抑えて食べながらこう言った。
「実はわたし、彼氏できたんだ!今日会えるから、ゆうには直接言いたくて」
と、話してくれたのだった。
同じ地元出身、同い年の彼。
今までたくさんの人と付き合ったわけじゃないけれど、こんなに会話が続くのは初めてで、きちんと想いを伝えたい、と4回目のデートで告白してくれた。
真面目だけどアウトドア派、留学経験があって、家族との仲がいい。
そこまで聞いて、なんだか彼女と彼はとても似ているような気がした。
そう言うと、彼女は
「そうなの!わたしもそう思うんだよ。自分みたいって思う。すごくいい人だよ」
まだ付き合いたての彼のことを、うれしそうに、もうずっと知っている家族の話をしているみたいに、安心したようににこにこ話していた。
彼女はこう言った。
「いつか、ゆうもわたしも子供を産んだら、2家族で遊びにいこうよ。絶対楽しいよ。でも、わたしたちずっと話しちゃうね、きっと」
大学1年生、18歳のときに出会ったわたしたちは30歳。
出会ってから12年。
昔から約束も時間も守る子で、人の悪口を言う子じゃなかった。
人のいいところを見るけど、内心ではするどい目と常識できちんと見分けてるんだろうなと思う。
自分からだれかを誘ったり、積極的に動くわけじゃないひかえめな人だけど、絶対人を傷つける言動はしない、ぐっとがまんができる人。
本当にすごい。
だってこの12年、こんなにたくさん話していてもこの人に傷つけられたことが1度もない。
意見を言ってくれるときもあるけど、それは正論すぎなくて、決してぶつかってケンカにならないし、へこたれずにいられる。
きちんと話を聞いて、そのときの相手の状況やどうしようもなさを、きちんと理解してから言葉を発してくれているんだろうなと思う。
うれしかった。
そんな彼女が彼との未来をもう想像できるほど安心していることも、そこにわたしが友達として存在していることも。
キレイになったな、すぐにピンとわかるほど、もう長い時間を一緒に過ごしてきたんだということも。
外はあいかわらず雨が降り続いていた。
だけどハープの演奏と終わらないおしゃべりに、窓ぎわに座っていたのに雨の気配はまったく感じなかった。
3時間もしゃべって、次はどちらかの家で話そうね、またね、と約束して別れた。
またね、と言うときいつも「また明日ね」、と言ってしまいそうになる。大学生のときみたいにいつもそう言ってしまいそうななる。
その感覚が死ぬまで続くといい、きっとそうだろう、と思った。
彼女と食事したお店は山の中にあったので、市の夜景を見ながら車でだんだんと山を下っていった。
そのときナビを見ながら、彼が柔道をしている中学校が意外と近いことに気がついた。
お付き合いして4年、うち同棲して1年になる1つ年下の彼は、昔は大会で優勝したこともある柔道家だ。
夜、中学校で経験者と初心者が入りまじってやってるのでぜひ、と人づてに何度も誘われていて、彼も「じゃあ趣味として」と最近行きはじめたのだった。
彼は中学から大学4年まで柔道をしていたのだけど、付き合い始めたのは社会人になってからだったので、わたしは公式戦も練習試合も、練習風景も見たことがなかった。
見たかった。
わたしは大学4年生のときに、3年生だった彼に一目惚れしていた。
あの柔道漬けの毎日で獣のような目をしていた彼にどうしようもなく惚れたのだった。
(彼はしんどい毎日だったと思うけど)
社会人になって付き合えたときは本当に夢が叶ったと思ったし、今回はやっと彼の柔道を見れるチャンスだと思った。
ただ、趣味とはいえスポーツはスポーツ。
油断すればけがをするし、浮ついた言動をするギャラリー(わたし)がいたらまわりも迷惑だろう。
だから観に行くときはおしゃれせずジャージで行こうと思っていた。
少し話は戻るけど、わたしはその日親友とのディナーに向けてそれは楽しく服を選んでいた。
ユニクロやguはとっても気のきいたブランドだけど、今日はそうじゃなくて、白いシャツを着て、上からBurberryのトレンチコートを着た。
それだと正統派すぎるし、ベースボールキャップとNIKEのコーデュロイスニーカーでカジュアルにはずしていた。
鏡でチラッと自分をみる。
友達とあそぶには問題ないけど、この格好はいいのか…
トレンチコートのボタンを全部しめてワンピース風にしようかな。
幸せそうな親友をみたわたしは自分の彼にも会いたくなっていた(すでに同棲してるのに!?)
遠くからチラッと、本当に少しだけでもいいから…(会いたいんだ…)。
そしてもう1つ、彼の体調が気になっていた。
この日は土曜日だったけど、彼は東京で年1回の会社の集まりがあり
4:30起床
17:30にはトンボ帰り
19:00頃に柔道に参加する
というスケジュールになっていた。
「寝不足だったら、柔道はむりしないでね」と伝えたら、
「ずっとやってきてるから、自分の体のことはわかってるよ^^ありがとう」
と言われて、そうですよね…とは思いつつ
朝4:30にばたばた起きだす彼の様子を思いだして、19:00に柔道をして、寝不足でケガしないかふっと心配にもなったのだった。
「遠くからちらっと見てすぐ帰ろう、せっかく近くにいるし、様子と雰囲気だけみたら帰ろう」
そう決めて、その中学校に向かう道にウインカーを出した。
ワイパーはせわしなく動いて雨をはじき続けていた。
時刻は20:30になっていたけど、その中学校にはもう10分もかからず到着できるようだった。
21時前に到着した中学校の体育館には、黄色いあかりがついていた。
駐車場に彼の車が見えたけど、思いのほか車がたくさん停まっていて、少し離れたところに停めて体育館まで歩いた。
トレンチコートの裾や袖が、気をつけていても雨にぬれていく。
外から体育館をのぞくと、中にいた小学生たちがいっせいにこちらを見て完全にたじろいだ。不審者へのセンサーがびんびん反応している。
すみません、すみません、と思いながら大人の柔道はやっていないようだ…と思った。
場所がちがうのか、どこにいるのか、もう終わったのか、少し出入口でうろうろしたけど(不審)、だれも出てこない。
困った、もう帰ろうかな、彼とも電話はつながらなかったし(直前でかけるからそうなるんだ)…
とすでに手詰まりになったとき、高校生くらいの男の子がトイレから出てきたのでつかまえると(迷惑)
「もう終わってしまったんですよ…今は片づけをしてますけど、場所だけでもよかったらお伝えします」
と言ってくれたので、ありがたく後ろにちょこちょこついていくと、汗だくの彼がちょうど「あれ!!ゆうじゃん^^」と向こうから歩いてきてくれた。
会えた。きゅん。安心感ハンパない。わたしは不審者ではない。
案内してくれた彼はすっと会釈をして離れていって、わたしもぺこっと頭をさげた。
「ゆう、来てくれてありがとう!今日はもう終わったけど、負けちゃって恥ずかしかったから、観られなくてよかったよ!笑
あとこちら、話してた吉田さんだよ」
吉田さん。
彼から少し話を聞いていた。
たまたまこの柔道教室で再会した、彼より1歳年上、つまりわたしと同い年の男の子。
なんでもこの吉田さん、高校時代はかなり強い神様的存在で、たまたま再会してLINEまで交換したのが、彼はうれしかったようである。
その話を聞いて、大人になってまた縁ができてよかったねぇ、なんて目を細めていたわたしだったが、
初対面のわたしに吉田さんは
「あれ?柔道経験者?やってないよね!どう見ても!」と笑っている。
しゃべり方と内容、表情や距離感に、なんだか一瞬で違和感を感じた。
柔道をしないわたしにとっては、吉田は神様でもなんでもない。
ただの失礼な同い年である。
着替えるから待っててね、と彼に言われ下駄箱で待っていると、ぞろぞろと4人ほどで連れだって出てきた。
ほかの優しいみなさんにもあいさつしながら、いい人ばかりだなぁ、と気を取りなおしてほのぼのしていると、吉田が靴を履き替えながらこう言った。
「彼女さんは職業は?自衛隊?」
は?
会社員ですと答えるつもりだったのでまったく頭が追いつかなかったが、わたしのこの大切なトレンチコートを見てギャグのつもりで言ったようだ。
いやいや。失礼じゃない????
全然おもしろくねーし。
わたしが思わず無言でいると、彼やほかのお友達がすぐフォローに入ってくれて、そのピキッとした空気はやわらいで話は流れた。
おまえがつくった空気だぞ吉田、わかってんのか?
吉田は再度わたしに「彼のこと飲みとかに誘うのはいい?」とフォローするつもりなのか聞いてきた。わかってはいるようだ。
だが素直に
え?それはわたしではなく彼に聞けばいいんじゃない?と思ってしまい、意図せず無言になった。完全に合ってない。
彼がさらっと「ぼくはお酒飲めないですけど、ごはんならぜひ行きましょう」と言ってくれた。
こんなこどっもっぽい年上同士の会話の仲裁にはいり彼も大変である。
彼は人づきあいがうまい人だった。
でも、ごめん。
外はまだ雨だった。さっきまでは気にならなかったのに、やけに気持ちがどんより沈む。
家についてもまだうまく切り替えができなかった。
初対面で友人でもないのにあの気安い態度。
事前にこうも聞いていた。
吉田はイケメンだと。
ふさふさの黒髪はセンター分けになっていて、
通った鼻筋、切れ込んだ色素の薄い茶色い目、白い肌。
これからもまだ柔道の大会で優勝しようとずっとトレーニングを続けている体。
自分の柔道の強さ、そしてオスとしての魅力、女がそれらに下す評価もじゅうぶんに理解し、把握しているような男だと思った。
女に慣れているのだ。
なめられたものだと思った。
年のわりに少し高い張りのある声、切れ込んだ瞳でじっと見つめたら、過去の女のデータベースから目の前の女をランク付けして、なにかを判断してしゃべる。
ぺらっぺらなしゃべり方で。
そして久しぶりだな、と思った。
異性の言動に傷つくこの感覚が。
分別ある人ばかりの職場、
愛してくれる優しい彼氏、
強くて優しいおだやかな親友、
わたしの何もかもを理解してくれるお母さん。
大切な人だけを大切にして生きていきたい、と思っていた。
大人になってそれがぎゅぎゅっと洗練されてあまりに居心地がよくなっていた。
わたしもみんなが大好きで大切で、みんなもわたしを大切にしてくれる。
あー、この数年、傷ついたことがほとんどなかったんだ、と思った。
学生時代、人の態度から、自分へのさまざまな評価を感じとっていたのを思いだす。
相手がイケメンや美女で引け目を感じると、よけいに落ち込んだことも。
そんな経験としばらく距離があったから、久しぶりに急にパンチを受けたようにびっくりしたのだった。
わたしは悔しかった。
大切な自分を軽く見られた言動をされた気がしたから。
こういうとき、若かったわたしはよくこう考えていた。
「わたしがかわいくなかったからダメなんだ。」と。
でも、30歳のわたしはそう考えないことにした。
だってそう考えても、いいことないのだ。
あの体育館にはいろんな人が集まってきている。
彼のように趣味として楽しんでいる人
強くなりたくて30歳から基本の型を習いはじめた人
今からまた大会に出て優勝をねらっている人
そして、あのときの彼が見たくて足を運んだわたし。
だらだらと汗をかいた人がトレンチコートとキャップを着ているのを見たら、やっぱりチャラチャラしているように見えたのかもしれない。
ケガと隣り合わせなんだから、浮ついた気持ちの人には来てほしくなかったかもしれない。
彼女がいると、男の子同士で気さくに話せなかったのかもしれない。
いろんな「かもしれない」をまずは無理やり引っ張ってくることにした。
いやな経験を完全に避けることはできない。
ぜんぶが自分の思い通りにはならない。
必ずどこかでなにかが起こって、いつまでも完成はしない。
吉田にはいらっとしたけれど、たまにこうやってピリッとくるのも悪くはないととらえることにした。
うまくいっているときは気づくべきことにも気づけないかもしれないし、なにかが起こったときに初めて気づいて軌道修正できるものかも。
気づいたら交友関係や自分の行動パターンが決まってきていて、先のパターンがだいたい読めるようになってる、みんなはそんなときはあるのかな?
気づかずにそうなっているのかな?
大人は定期的に新たな場所にいったり、工夫をするものなのかな?
「ゆうはとってもかわいいよ。トレンチコートも似合ってた。
吉田さんがどんな人なのかおれもまだわからないけど、今日の言動はよくなかったね。あぁいう一面もあるんだと思ったよ。
おれは趣味でたまに行くだけのつもりだし、ゆうを1番大切に思ってるから。
またなにか言われたらおしえてね」
きゅん。また見にいくね(行くんかい)
寒くなってきたな。
あたたかくしていこう。
ちいさなソファに2人で腰かける。
どちらからともなくもたれかかる。
夜はもうだいぶ寒くなってきた。
窓の外はかなり冷え込んでいるだろう。
今日1日、彼は疲れただろうな。
あったかくしてもう寝よっか、そう声をかけようと思った。