しづやしづ
昔、吉川英治の新平家物語を夢中で読んだ。何度泣いたことだろう。
全16巻で、その内、源義経、静御前の事を記してある、15,16巻は何度も読んだ。
義経が頼朝に追われて奥州で自害をしたのは周知の通りである。その後、自害しないで、チンギス・ハンになったとか、いろいろその後の義経の話題に華が咲いた。日本人は負けた人に同情する判官贔屓(ほうがんびいき)になりがちだ。この、判官は義経の官職からきている。
静御前が、頼朝に捕まったとき、白拍子であった静に、皆の前で舞うなら命を助けると言われたとき、静は堂々と舞いながら、義経の歌を詠った
よしのやま
峰の白雪踏み分けて
入りにし人のあとぞ恋しき
義経が、頼朝に追われて吉野に身を隠すとき、女人禁制の山に静は共に行けないので、吉野で別れることになったが、そのときの歌である。
私は吉野に何度も行った。この歌が好きで、吉野を数回訪れた。
そして、もう一首
しづやしづ
しづのをだまき
繰り返し
昔を今になすよしもがな
私はこの、をだまきは花だと思っていた。おだまきという花があるため、静はその花を愛していたのかなと思っていたが、それだと、繰り返し がわからない。
そして後に、をだまきは苧環という麻糸を巻く糸車だとわかった。
しづやしづとは義経が、何度も静御前を呼ぶ言葉だった。
しずというのは織物の名で、静御前は自分の名としずをかけて歌にしたものらしい。
何度も何度も糸車に糸をまくように、あなたは何度も私を呼びましたね。あのように昔を今に戻るすべはないものだろうかという歌だった。
鎌倉武士も、陰でそっと目頭を抑える人もいた(by吉川英治)
頼朝はこれを聞いて激怒した。だが政子は、女心に哀れを感じてとりなし、事なきを得たという。
そして静は、義経の子を妊っていて、しかも男の子だったので、子供は由比ヶ浜に沈められ、本人は京に帰されたという。これは吾妻鏡のなかの話で、真相はわからない。
ふと、懐かしくなって、静御前を描きたくなりました。
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