我が庵は…
819文字
たつみ…辰巳(東南)
しかぞすむ…然(しか)ぞ住む(このように住む)。
うぢやま…宇治山(うぢと憂しをかけた掛詞)
歌の意味
私の粗末な小屋は都の東南にあって、このように(心安らかに、のんびり楽しく)住んでいる。(それなのに)世の中を憂えて住む宇治山だと世間の人々は言っているそうだ
喜撰法師は平安時代初期の真言宗の僧、六歌仙の一人で、詳しい伝記は残っていない
この歌は百人一首、古今和歌集に収められている
これを書く時に喜撰法師の庵は宇治にあるのかなあと思って調べたら、実際、庵がこの地にあったらしく、京都の宇治山を喜撰山ともいうらしい。(きせんざん、きせんやま)
平安時代の宇治は平安貴族が隠棲する土地だったようだ。
昔、姉の友人が我が家に遊びに来た時、あら〜こんな隠れ家があったの〜と言った。(言っておきますが、住処は山の中ではありません)
その時はあまり気分がいいものではなかったが、今はほんとに誰にも邪魔されずに、ひっそりと暮らしているので、彼女は未来が見えたのかと思う程だ。
あんなに孤独が嫌だと思っていたのに、今は孤独を楽しめている。わからないものだ。
現在つらい立場に置かれている人は、なぜ私がこんな目に、と思うことがあるかもしれないが、もしかしたら必然的にその環境になるべくしてなっているかもしれない。
その真実はずっと後でわかることもある。
皆がそうとは言えないが、少なくとも自分はそう思っている
それと、この歌は、自分の心と裏腹の世間の常識に想いを馳せている。この僧はそんなことはものともしないが、私は知らず知らずに、自分の幸せを世間の常識に合わせて、幸不幸を測っていたのではないかと思う。
ということで、姉の友達のことを思い出して、今の心境と重ねて、この歌を墨彩画と共に書いて見たくなった。
今日はnoteを始めて一周年という通知があったので、記念に投稿しました。よく続いたものです。皆さんの応援や励ましのお陰です。
有難うございます。
ヘッダーは散歩途中に咲いているアジュガです。この歌には紫が合っていると思いました
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?