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【奈良2日目】③後編/歴史苦手が平城宮の魅力を紹介!

学生時代、歴史に全く興味が湧かなかったわたし。
歴史分からない人間がザックリと理解した
ザックリとした解説です。

違っていても、そっと見守ってください。

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そうだ京を移そう&門

初代天皇の時代を過ぎて、時代は奈良時代。
まだ平城宮が作られる前のこと。
現在の平城宮跡地の南側に、藤原京がありました。

当時は、遣唐使が中国まで行き、中国の政治や都作りを参考にした京が、大和国で作られていました。

こんな感じの船で行ったのでしょうかね。
動力は風だけだったのかな?
それで海を渡れるってすごいよね!

当時の中国は、京の北側に宮を構えていたそうです。
宮とは、おそらく皇族がお住まいになる場所。

だけど、藤原京の宮が置かれているのは、京の真ん中。んー、これじゃあダメだよねぇ?


「ならば、京を移そう!」
それで造られたのが平城宮です。

当時の平城宮は、今でいう永田町です。
政治の官僚方が7000人ほど働いていた。
そして、天皇のみが住まいになられていたそうです。

イメージ的には、天皇が住まう場所に官僚の方々が働きに来ていた感じ。

※当時のお役人さんを官僚と表現するのかは分かりませんが、便宜上の表現です。


平城京の一角に、天皇が暮らす平城宮という敷地がありました。
お役人や市民の方々は、宮の敷地外に住まわれて、京から宮に通勤なされていたそうです。



「平城宮の)この広い敷地を、天皇はどう移動していたんでしょうかね?馬でですかね?」
「いやいや、ここは宮だから、歩きですよ」
(理屈はわからなかったけれど、
 馬は居ない)
(あー、宮の外側(敷地外)に
 馬を繋いでいたのかも??)

現在は平城宮跡地は、ただの広い敷地です。
平城宮跡地にある建物は全て復元されているものです。

・北にある、第一太極殿
・南にある、朱雀門
・その中央にある、第一太極院(門)

はい。何のこっちゃ?ですよね。
じゃあ、ちょっと想像してみましょう。

あなたは、遥々 唐(中国)からやってきました。
南にある、朱雀門から平城宮に入ります。
※平城宮=建物ではなく敷地のこと

朱雀門

ザクザク歩く。
真ん中にある門が目に入ります。

平城宮中央に位置する
第一太極殿院(中央の門)

当時はこの両側にも門があったそうです。
現在は右側の門を復元しています。

右側門が完成したら、左側の門を復元するそうです。


目の前にデーン!と そびえ立つ3つの門。
「大和国は素晴らしいデース!!!」

外国に威厳を見せるために造られた門とのことでした。

朱雀門から見た、
中央の門

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第一太極殿

続きましては、一番北側中央にある
第一太極殿。

この建物は何かというと、
新年や天皇が即位なされた際などの特別な日に、天皇が来られて2階にある椅子にお座りになる建物です。

天皇の椅子


その特別な建物に天皇が来られる日。
天皇がお座りになっている建物の下では、官僚の方々がズラーっと並んでいたそうです。

手前の粒々が
特別な日に並ばれている光景


天皇は何をしていたかと言うと、ただ座っておられただけのようです。
並ばれた官僚の方々が、お祝いの言葉などを叫んで伝えていたとの事でした。

2階から南側を撮したもの。
奥に見える門のところまで、
ズラーっと官僚の方々が
整列なされていたんですね。
凄い景色だっただろうな(語彙力)
装飾が可愛い
青・黄色・黒・赤・白
中国の神獣由来のカラーなのかな?
壁にも絵が描かれていました。

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そうだ!京を移そう!

そして時は流れ、70年くらいで再び京を移されたそうです。
これを遷都っていうらしい(知らなかった)

遷都の際には、建物に使っていたものを全て持ち運びます。
なので、平城宮跡はただの平地になりました。

遷都後

平地になった後、広い敷地は田んぼになりました。
田んぼの後は、ただの平野になりました。

歴史を知らなかった戦後のお役人さんが、平城宮跡地を跨ぐように線路を作ってしまったそうです。

北から撮影。
朱雀門裏の手前を電車が走っています。

小説「鹿男あをによし」で
平城宮にいるのに線路の場面も描かれていて、
どういうことだ?という疑問が解消されました。

踏切がちゃんとあるし、
ボランティアのスタッフさんも滞在してます。

当時の跡

50年ほど前から、跡地の発掘作業が行われているそうです。

平地だった土を掘り返し、
田んぼの土を見つける。

田んぼの土をさらに掘り進めると…
1300年前の建てられていた建物の
柱の跡と穴がありました。

1300年前の土を見られるのは
なんと!ここだけですって! ゚✲*☆(๑òᆺó๑)。*゚✲☆

大抵は発掘が終わると、土を元に戻して埋めてしまうそうです。
1300年前の息吹を今も感じられるのよ!
ロマンだ!!!

わたしはモーレツに感動した。

敷地の東北にある建物で
発掘現場が見られます


平城宮の縦中央に、序盤に説明した門や天皇が特別な日に来られる建物があります。

では、天皇はどこに住まわれていたのでしょう?

四分割した右上のスペースに
「内裏」があります。
内裏に住まわれていたそうです。
内裏の発掘現場の井戸。

遺跡が見られる建物内に、当時の井戸が置かれています。
すんごいよ!めっちゃ凄いよ!

1300年前の土や井戸、ぜひ生で見てきてください✨


他にも、お役所か内裏を復元したものがありました。

スタッフの方には、資料館を見るのもオススメされました。

…この時15時過ぎ。
朝食を食べてからお腹が空いていなかったんだけど、やっとお腹が空いてねぇ。

発掘担当のスタッフさんに
「すみません、お腹が空いたのでサクサクっと帰ります!」と言って建物を出てきました。

お腹すいたー!お弁当を食べられる場所どこー?
と探しながらサラッと見た場所のため、熱量低めの説明になっています。

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ぐるっとバス

奈良町には100円で観光地を巡れるぐるっとバスが走っています。

春日大社近くの)
奈良近鉄駅〜平城宮跡も一本で行けます。
ホームページでは時刻表や路線図、バスの現在地などが確認できます。

近鉄奈良駅と平城宮跡を結ぶのは
青色の「大宮ルート」です。

平城宮跡のガイドスタッフさんの熱い想いを!
スタッフさん達に教えていただいた歴史を!拙い言葉ですが、わたしなりに書きました。

ぜひぜひ、奈良の歴史を感じる観光の一つに行っていただきたいと思います。
歴史を知れば、ただの平地じゃなくなります。
当時の方々の生活が見えてきます。

平城宮のことは何も知らなかったけど、解説を聞いて楽しかったです。
多くの方に足を運んでいただきたいと願っております(๑•̀ㅂ•́)و✧グッ!

遷都くんもキミが来るのを
目ヂカラ強めで待ってるぞ!

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日にちが経つと忘れてしまうので、怒涛の勢いで書き上げました。

なんとなくでも伝われば幸いです。

そして、奈良28℃、茨城20℃。
薄着で帰ってきたため、睡眠不足も相俟って悪寒祭りじゃーい!ゾクゾク。

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