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続・居宅介護(在宅介護)50代で介護を受ける②、1月介護まとめ、綺麗なのになぜレディ・ガッツさんなのか?
皆様、こんばんは。まあ、精神しょうがいしゃのわたくしです。
2月になりましたが、まだ寒さの厳しい日が続いています。
今回は、新しいヘルパーさんとの1月にヘルパーさんが1度すべての掃除をして下さったのを含めて1月4度の居宅介護を受けたまとめと、なぜ私が今度のヘルパーさんを敬意をこめてレディ・ガッツさんと心の中でお呼びしてるのかを書きたいと思います。
1月16日、今日も在宅介護を受ける日だ。今日からわたくしもヘルパーさんと一緒に掃除をする。前回がレディ・ガッツさんにはじめてお会いしたが、サービス提供責任者の方にもガッツさんにも言わなかったが、トイレットペーパーをホテルのように三角に折ることと、私のフェイスタオルをぞうきんと間違えた(フェイスタオルの色が気に入っていてその色が今は売っているのを探すのが大変だからくたびれた者だからか)気になったが、まあ、最初なので仕方がないなと思った。
こられて、一緒に掃除をするが、わたくしはヘルパー掃除の対象外の、汚れたベランダをブラシでこすります。そして窓のサンと網戸を拭きますと言ったら、その時はダイニングの右の窓のほうに荷物とジャケットを置かれていたので、まだお会いして2度目なので、荷物が気になったようだったので、私はベランダはすべて拭いたが、窓のサンは左側だけ拭くようにした。
前のヘルパー・貞淑さんは、6度掃除をしたうちの4度は94歳で亡くなったお父様の話をしていて、わたくしも年老いた母がいるのでそういう縁起でもない話は聴きたくなかったので何とかやりすごしていたけれど、私に何を求めていたのかと思うと話をしたら、中肉中背の新・ヘルパーさんは、多分慰めてほしかったのではないでしょうかと言われていた。人なれしていてさっぱりとした方だ。中居くん引退というニュースの日で、なぜかドリフターズの話で志村けんさんの話題になった。
掃除は終わったが、わたくしはそういう人間でないが、居宅介護の際にヘルパーさんが荷物を気にしておられたので3度目の際は、玄関の靴箱の上を大したものは置いていなかったので、のけ、ぞうきんで拭いて自転車のわっかのカギをつけてもらうようにしたら、安心をして掃除が出来るのではないかと思ったので、良かったら使ってくださいと玄関先で新・ヘルパーさんに行ったが、前回と同じようにダイニングの右側に置いていた。逆に気を悪くされたかも知れない。
その日も私はベランダ掃除をして、壁紙を拭いたりしていたが、掃除の話だけという約束だったが、年齢は違うと思うが、何かと共通点が多くて、ヘルパーさんが浴室の掃除をしながらわたくしは自分の掃除が終ったので椅子に座って話をしていて、アニメがお好きだと言われていて、なぜか小林よしのりさんのアニメのおぼっちゃまくんが4億人の子供がいるインドで視聴率1位になり、しかも、新しいおぼっちゃまくんのアニメを日本とインドの合作で製作しており、今年の3月ごろから放映が決まっているという話になり、小林よしのりさんはよろこんでいるらしいという話をしたら、
おぼっちゃまくん、親に見るなと言われながら見ていました!アニメ好きなんで、それよりも、シティーハンターなどのほうが見てはいけないアニメかなと思いましたが、おぼっちゃまくんは子供が言うには好きそうだけれど、下品な言葉も言うけれど面白かったです、見ていました。と楽しそうに話されていた。わたくしは,、東大一直線は知っていて、ゴーマニズム宣言も読んでいたけれど、おぼっちゃまくんはわたくしがティーンのころはほかのことに興味があり、ごそっとおぼっちゃまくんだけが抜けていてわからないのだが、数年前におぼっちゃまくんのことは知って、言わなかったけれど、新・おぼっちゃまくんも読んでいた。
多分高校卒業後、専門学校か福岡市内で学ばれ、20年あまり福岡を離れていたけれど、戻ってこられて、親御さんから、学費は出すけれど、生活費は稼ぎなさいと18歳で言われたそうで、福岡・天神のゲーム施設でバイトをして生活費を稼いでいて、その経験が今の私の礎だというような話をして下さった。それはほかの利用者さんにもするのかも知れないが、わたくしは元気なころはバイト禁止で、18歳ころから、まだ適応障害と慢性疲労症候群が発症し始めて、本当に50代だが、社会経験に薄く、またわたくしの兄弟も難しい学部に進学していたので、学費も生活費も、しかも本代も親が出していたという、あまあまの親の育て方だったので、とても恥ずかしく、新ヘルパーさんの親御さんは家計もあってそういうことを言われたのだとしても、大人になる人間をそういう風に育てたことも偉いし、わたくしの年代だとまだ自分が女性だからとか思ってしまいがちなのに、わたくしの親族を見回してもそういうバイタリティーがある人はいないので、この人は甘くはないのだと思った。生きる力があるのだと思った。はっきり言って美人だが、そういうことに頼ろうとしないで、ゲーム施設で働いていた、ガッツある~と思い、わたくしはその夜から、レディ・ガッツだなと思った。そういう経験をしていないわたくしを責めて行っているのでなくて、少し心を許して下さったから言われたのだろう。ガッツさんのように学生生活を送った方が多いとおもいますが、わたくしの心にずんと響いた話でした。
4度目の居宅介護の時はレディ・ガッツさんは玄関に荷物を置かれた。
その前に支援相談員さんにほかの用事で電話をかけた時にこの話をしたら、小川さんは優しいけれど、そういうことで小川さんが疲れないと良いからあまり気を使わないでと言ってくださっていた。
春節の話から、わたくしが見ていただいている精神クリニックの病院が九州の最大繫華街・天神にあるので、中国人・韓国人など観光客が多いという話から、わたくしが初めて行った外国は韓国・釜山だと言ったら、レディ・ガッツさんも同じで、お父様もご健在の様で、今も韓国に良く行かれるという話をされていた。年はガッツさんのほうが下のみたいだけれど、前のヘルパー貞淑さんは同年代だったが、話がガッツさんのほうとあうので驚いた。
わたくしは、YouTubeでおぼっちゃまくんのばぁいyai yaiを聞いて覚えたけれど、特に今日は歌いませんねと話をして、学生時代に読んだ漫画の話などをして、居宅介護サービス提供実績記録票に印鑑を押して、また来週と言われて、月末30日の介護は終わった。
ヘルパー事務所を変えて、新しいヘルパーさんに来ていただいて良かったと思った。ヘルパーさんって、利用者さんが座っていても、立ったまま話をされるように教育されているのだな。
人に支えていただくことってあるんだな。
令和7年1月の居宅介護はこういうものでした。
なぜ、レディ・ガッツさんと心の中ではお呼びしているのかも書きました。
2月は少し変化があったので、また書きたいと思います。
日曜日も終り、明後日は祭日だ。無理したから50代で介護を受ける事になったんだな。それで無理をしなくなったかと言えばそうでもないけれど、無理せず生きたいと思うのでした。
前回の記事です。良かったら、どうぞ
続・居宅介護(在宅介護)日記50代で介護を受ける①ヘルパー事務所決まり、新しいヘルパー、綺麗なレディ・ガッツさん来られる!|小川 晴美