伸びる才能、伸びない才能
元フジテレビアナウンサーの中村江里子さん、フランスで暮らしているけれど、結構本も出して文章も良いのに、エッセイストと名乗らずフリーアナウンサーとしかなのらない。そういうことろが潔い感じがします。本を読むのもお好きだそうです。
最近は小説で賞を取られてもあとがつづかない方がたが多いですね。と流行作家さんが徹子の部屋か何かで言っていたな。
一冊でもよい、後世に残る本が書きたいとも言っていたよな。
気まぐれで、題名のない音楽会をつけてみたら若いピアニストがショパンのノクターンを弾いていて聴いたけれど、才能はあるんだろうけれど、何かセンスがない感じがして、今は取りあげられていても、今後どんなピアノを弾くんだろうと思った。
創作したい方がたは自分の才能を信じて活動していくのだろうと思います。一冊でも本を、や、才能を認められたいと思って生きている人も若い人には多いのかもしれませんね。一冊なら私でももしかしたら出せるのかもしれない。
ですが、延びる才能と、伸びない才能があるような気がします。
それにセンスが重要な要素になるのかなと思います。センスがない音楽は聴きたくないし、本などもつんどくになりますね。
延びる才能を、伸びない才能が嫉妬する場合もありますね。平等主義ですね。ですが早く地に足の着いた生活をしたほうが良いように思います。庶民になるのがどれだけこころが豊かか分かりません。今の時代は両方大変ですけれど。
嫉妬、妬み、早くそれを捨てて、延びる才能を評価できる人間になったほうが良いです。ライフワークとして続けて行けばよいのだと思います。更年期障害で休んでいる私はそう考え思います。あまり世の中のことがわかっていないのかもしれません。
才能があっても、センスがなければ何物にもなれないのだと思います。
少し能力主義の話になりました。