世界激走 アメリカ編 4
翌日は、身体がガチガチになっていたが、旅を進めるも、さほど遠くないラスベガスまで行き、早めにカジノホテルにチェックインした。
ラスベガスは、カジノの収益があるので、もともと、ホテル代金や食事は安いのだが、それにしても、その時は部屋の料金は安いのだが、やけに大きな部屋で、部屋の中に、ドーンと大きな子供用のプールほどの大きさのジャグジーがあり、キングサイズのベットがある部屋で、この部屋は、どう見ても、若いカップルが止まる部屋だ。
男二人で、この部屋を使うのは、居心地が悪かった。僕らは二人ともキャンブルはやらないので、ちょっとだけ、カジノをフラフラして、身体を休めるために、早く寝た。
翌日は、ロスまでなので、そんなに慌てることなく、ゆっくりホテルをチェックアウトした。
ラスベガスから、ロスまでの道は、3年前に、一人で、車で走った時に、前と後ろを雷雲に挟まれ、雷が、ドンドン落ちる中走り続け、軽いトラウマになった道だ。
何もないところの雷は恐ろしい、遮るものが無いので、強力な稲光が、落ちる様が、はっきりと見える。
雷が車を直撃しても問題ないとは、頭で分っているものの、やはり、かなり怖いし、生命の機器さえ感じた。
しかし、この日は快晴で、気持ちよくロスまでドライブした。
ロスでは、何故かサンタモニカのビーチサイドに泊まろうと決めていて、空いているモーテルにチェックインしたのだが、ここが最悪だった。
立地条件のわりに安かったので仕方ないのだが、まず、あまり綺麗でない、ベットの寝具もなんか少し湿っているような気がした。
そして、僕らは二階だったが、一階には、部屋の入口扉を半開きに明け外をうかがっている、ギャングっぽいやつ、二階にも通路で、うつろな目をして、フラフラする、薬中ぽい女などがいて、なんかその日は、ゆっくり眠れなかった。
だが、何も騒動は無く、一夜を過ごし、Kの帰国日は、翌日なので、その日は、サンフランシスコまで移動した。
サンフランシスコでは、小奇麗なモーテルにチェックインし、フィッシャーマンズワーフで、Kのアメリカでの最後の晩餐をした。
翌日、Kをサンフランシスコ空港まで送った。
アメリカの空港は、当時、国際線でも、搭乗口場で、見送りに行けたので、搭乗口で、Kを見送った瞬間に、ものすごい淋しさに襲われた。
大丈夫か俺、さみしさに襲われる
僕はこの先、まだ、アメリカ、半周近くあるのに、づっと一人だということを、初めて実感し、なんかすごく気持ちが落ちた。
この日は、なんか、全然、走る気が起きなくて、サンフランシスコから、さほど離れていないカジノの街リノのホテルにさっさとチェックインした。
珍しくその日は、気ををまぎらわせるために、スロットを「すこしやってみるが、少しも、紛れることはなかったが、翌日車を走らせ始めると、やっと一人で運転することにも慣れ、だんだん寂しさが、紛れてきた。
シェーンで有名なグランドティトンを通過するころには、天気も良かったし、すっかり元気になった。
まだ明るいうちに、イエローストン国立公園に着き、幸運にも、有名な間欠泉ガイザーの近くにある、オールド フェイスフル ロッジに予約もなく泊まることが出来た。
パンツ一枚疾走事件
ロッジはかなり大きな木造づくりで、広いラウンジはその上が吹き抜けになっていて、周りにロッキングチェアーがあったので、夜は、それに揺られながら、ピアノの生演奏を聴きいい気分になった。
そ
して、早々に部屋に引き上げ、寝たのだが、夜中に事件が起きた。
けたたましいチャイムの音が鳴り響き、起こされたのだ、火災警報器だった、僕は、思わず部屋の外に、パンツ一張のまま飛び出した。
寝るときは、たいていパンツだけで寝ているので。
そして、部屋の扉が、ゆっくりとぱたんと閉まった。
やってしまった、扉は、オートロックだ。
火災警報のせいで、宿泊客は、みんな廊下に出ている、そして僕の部屋は、一番端だ、ここから、パンツだけで、フロントまで行くのは辛い、僕の部屋は、端なので、非常口が近くにあり、そこから出て、外からフロントまで行こうと、少し非常口を明けたが、夏とはいえ、イェローストーンの夜はとても寒く、靴だって履いていない、これで、外を歩くのは、とてもじゃないが無理だ。
それは諦めざるおえず、意を決し、大勢がいる中、フロントまでパンツのみの姿で走り、スペアーキーをもらって部屋に戻った。本当に恥ずかしかった。
フロリダのワニの祟りかと少し思った。
そんな恥ずかしい思いはしたけれど、そこのホテルはとても気に入っている。