ちょっとホラーな話し🙈🙉🙊Ⅲ
日本特有の湿気を帯びた夏。
じっとりと身体にまとわりつく汗。
縁側で、水を張った盥に両足を沈めて
団扇と扇風機で涼を取る。
軒先に吊るされた風鈴はピクリとも動かない無風の日中。
空は青かった。雲一つない。
一迅の突風が吹き、風鈴が“ジリン”と風鈴らしからぬ音を立てた。……瞬間、記憶が夏の暑さに溶けていく。
〜手紙〜
=おまたせしました。
白い半袖のYシャツにグレーのスラックス。黒ブチ
メガネをかけたヒョロっとした男性が、私の方へやってきた。
「おまたせしました」というわりに、特に焦った様子もなく、気持ち小走りに近づいてきた。
私の隣に立つと、それほど背は高くない。
少し上目遣いで見る程度で視線を合わせられた。
=こちらです。どうぞ
男は軽く会釈をすませると、目の前の鉄柵の扉を
銀色のカギで解錠した。
雲一つない空は太陽の真っ白な光で、地上の空間まで白く染める勢いで降り注いでいた。
銀色のカギも、その白く強烈な光に飲み込まれ、輪郭が歪む。
カギを持つ男の指先も、そこからつらなる手も腕も
輪郭が歪み、鉄柵の向こうで私を呼ぶその姿も、
陽炎のように揺れて見え、消えてしまいそうだった。
なぜ自分が目の前の男に呼ばれているのかもわからないし、なぜ呼ばれて当たり前に歩を進めているのかもわからない。
ただ当たり前に、こんどは私の方が男の隣りへ歩み寄った。
鉄柵の中は砂利で敷きつめられ、何かを取り壊して更地にしたような場所だった。変形の区画で、建物を建てるには向いていない事は、素人の私でもわかった。
右手上には高速道路が走っているようで、背の高い壁が遠くの方まで並んで続いている。
=こっちです。
男は再び私を誘導して次の鉄柵の扉前にやってきた。
一つ目のカギとと同じカギで、扉を開けた時、
ガタガタガタ……。ドサッ、ガシャン…
建付けの悪い引き戸を開ける音がした。
男は音のする方を見つめる。私はその視線を追うようにして、男が視線を向ける、音のする方を見た。
左側。鉄柵の壁が続いている間に一箇所、鉄柵の壁と壁の間。平屋の古びた一軒家があった。
土地の高低差もあるのか、私と男が立っている更地より、一段低い場所に玄関があり、年配の男性が、玄関脇に置かれてある、年代物の自転車に荷物をおし上げていた。
後ろの荷台に、溢れんばかりの手紙の山が、網袋に詰められ乗せられた。
黒髪はかすかに残る程度の、白髪で、短髪。
顔に彫り込まれたシワは深く、何重にも顔に刻まれている。
体躯はよく、背丈は私の隣の男と変わらないが、ガッシリとしているからか、男より低く感じる。
男性は一段低い玄関から、自転車の前部分をまず更地に引っ掛け、右手でハンドル、左手でサドルを持って、自転車をおし上げて更地へ乗せた。
慣れたものだ。いつもそうしているように、一連の動作によどみがなく、手助けをしようかという心配さえいらぬお世話なぐらい、ちゃっちゃと動いた。
ジャリジャリ、ジャリ…
自転車を押しなら私と男の前までやってきた。
=おでかけですか
男の声かけに、チラリと目をやるが何も答えず、
次に私の顔を見た。
=余計な者を連れてきたな…
私の目をジット見つめて男性は言った。
=もういい頃ですよ
男の言い分に軽く息をつくと、自転車止めを立てた。
荷台の網袋がグラリと揺れる。
男性は自転車をそのままに、私の隣を通り過ぎて、2つ目の扉を抜けて出ていった。
姿を追う私の視線は、扉の向こうからコチラを除く
真っ黒な渦が、男性を呑み込んでいき、シュルっと
音をたてて、消えた。
消えた後には、これまでと同じ扉の向こうに続く更地が白く伸びている。
=ありがとうございます。ようやく区画整理が整います。
なんのことかわからない。
=こちらをどうぞ
男に見せられたのは、ボロボロで、所々穴の開いた網袋と、その中に詰められた、枯れ葉のような手紙の束。
=これは、あの人が、書いて、出せなかった手紙の山です。
茶色を通り越して、所々シミのある封筒。切手も貼っていない。宛名も、途中でやめているものばかり。
私は当たり前のように手紙の山に火を放ち、燃え盛る炎を、男と一緒に眺めた。
炎と煙と灰が、ひとつの竜巻になって天上へと昇華していく。
太陽の白い光が光の粒子に変え、自らの懐へと吸い取っていった。
その光景を眺めていた時、
”チリン…チリン……“
聞き慣れた音が耳に届く。
=ありがとうございました。彼の想いも昇天できたようです。
耳の奥に微かに聴こえた男の声…。
私は白い太陽を眩しく目を細めて眺めた。
“……ガタン”
ハッと身体が飛び上がった。
手から団扇が滑り落ち、地面におちた。
キョロキョロすると、扇風機がガタガタと動きづらそうにクビを回している。
(夢? 見てた?)
次の日。
祖母と両親と連れ立って、先祖の墓参りべやってきた。
綺麗に掃除された墓はピカピカとして、木立の影で涼んでいる。
私達は住職さんのおもてなしで、冷たい麦茶をいただいた。
すると少し席を外した住職さんが、何かを手に戻ってきて、祖母にそれを渡した。
=今年で最後になります
祖母はにこやかにそれを受け取り何度も頭を下げていた。
祖母が渡されたのは”手紙“
祖父からの“手紙”
私の知っている祖父は痩せ細った身体だが、昔はとても体躯の良い男性だったらしい。
口下手だが、祖母の事は大切にしてたようだ。
祖父は住職さんに十三枚の手紙をのこしており、盆の墓参りの時に一枚ずつ渡してほしいと言われ預かっていたとか……。
十三回忌の終わり、祖父から受取った最後の手紙には
孫のおかげで昇天できそうだ……と書いてあったらしい。
暑い夏の日、思い出す。
鳴り止まない蝉の声と、白い太陽。
青く重い空に、呼ばれたように、祖母は昇っていった。
夢というのは、たいてい目が覚めると覚えていないものですよね。
でも、たまに、覚えていたりするんです。
このお話しのように。