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政治・経済・社会
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2023年5月19日(金曜日)晴れ☀️のち雨☔️
人と共に歩くのが困難な私です。身体的には問題ありません。
が、身体から排出される息ですね。それがどうも合わないようです。
ですから、人生上で「馬が合う」という人に出会ったことがありません。
また、「肌が合う」という表現もあります。
時々思うんですけど人同士は何で繋がっているのでしょうね。
今朝はふとそのような思いにぶつかりました。
仏教では「縁」という表現をします。
子供の頃からよく聞いた言葉ですが、よくわかりませんでした。
今でも良くわかりません。が、
人生はこの「縁」で成り立っているようにも思われます。
仏教的な「縁」の考え方は “原因を助けて結果を生じさせる作用“
として考えられています。「因果応報」です。
過去における善悪の業に応じて現在における幸不幸の果報を生じ、
現在の業に応じて未来の果報を生じる。
というものです。
つまり、「過去は変えられないが未来は変えられる」ということです。
ところが、「因果応報」として何にどう、ぶつかってきて
果が生じたかを認識するのは非常に難関とも言えます。
しかし、そのような難関を突破してきた人は多いようです。
現在ではそのような本がたくさん見受けられます。
どのような本に出会うのかも「縁」でしょうか。
では、本日も素敵な一日をお過ごしください。
今日もよろしくお願い申し上げます🙇♀️
ありがとうございます😊
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🐢犬も歩けば棒に当たる🐢(江戸いろはカルタの第一区)
大阪の第一区は「石の上にも三年」である。
犬だって出歩くと棒に当たる。つまり災難に遭う、
だからお節介はよせというのが元の意味。
だが、今はまるで逆なふうに使われている。
「くよくよすることはない、世の中、何かしているうちに必ず思いがけない幸福に出会うものだ」
という意味に転じているのだから不思議である。
災難のシンボルであった棒が、幸運に変わったのは、
日本人の心の中にある大凶は大吉に通じる、
大吉は大凶に転じる可能性があるといった考え方によるものではあるまいか。
不幸が極まれば、あとはそれ以上に落ちることはない、
よくなっていくばかりである。そう考えて楽天的に生きていかなければ、
当時の庶民としては耐えられなかったのだろう。
➖「座右の銘」研究会➖
では、本日も素敵な一日をお過ごしください。
今日もよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございます😊
➿今日の一言➿
人間は毅然として現実の運命に耐えていくべきだ。
そこには一切の真理が潜んでいる
〈ゴッホ〉